青い春とサッカーボール、始まりそうで始まらないラブコメ(ブルータイガー) 作:MIKKA
「クソ……こんなはずじゃなかったのに」
天才サッカー少年・青坂
あの冬の日、俺はマンチェスターの赤い悪魔『マンチェスター・V(ビクトリー)』の一員として、真紅のユニフォームの10番に袖を通していた。
地響きが起こるような大声援に囲まれ……てはなかったけれど。ユースチームだからね。
それでも両チームの保護者、スタッフ、それに今季リーグ戦絶賛19得点9アシスト中の俺を一目見に来た大勢の観客たちの前で。
俺は俺のするべき仕事に集中しようと靴紐をきつく結び、キックオフの笛の音を聞くなり走り出したんだ。
走り出して暫くすると「ハルト!」と俺を呼ぶ声が聞こえ、すぐさま足元にボールが飛んできた。
出し手はチームメートのティアゴ=コントレラス。スペインU18代表。
彼はうちのチームで一番パスの上手い選手で、両利きを自称していて、言葉の通り両足共に一級品のパス精度を誇ってる。
身長は既に大人並みで、皆からも信頼を得て、チームのキャプテンもやってる。ポジションはセンターバックで、当然ながら守備力もずば抜けていて、将来はトップチームでもキャプテンマークを背負うんだろうなと思わせる、そんな彼が……毎度いの一番に俺の姿を探し、通せそうならパスをくれる。ありがたいことだ。
彼の放ったボールは敵チームの選手二人の側を通り過ぎて、俺の利き足に寸分の狂いもなく到着した。
低くて速い、正確なパスだ。
「グッドボール!」
俺はボールを得意の右足で上手く収めてからそう声を出した。
だが、俺の声は俺を包む黄色い歓声に紛れ、やや小さくなった。
後方で周囲を見張る彼に、無事届いただろうか。
……いや、届いてなくても構わない。
ここマンチェスターは勿論、ロンドンでも、バルセロナでも。
超満員の大観衆に包まれた半年前の東京でも。
──ティアゴと俺=青坂春虎は阿吽の呼吸でやってきたんだから。
さて、ボールを蹴って走る俺だが、心の底からこの状況を楽しんでいた。
「サッカーとはいつ何が起きるかわからない。だから、どんな状況でも、ボールを持ったら楽しむんだ」とは父の言葉。
俺はこの教えをここイングランドでも忠実に守り続けた結果、大きなアクシデントも躓きもなく、ただサッカーに夢中になりながらここまでたどり着けた。
結果、「ハルト=アオサカはボールを蹴る喜びを体現したような選手だ」と、俺は常日頃メディアに報じられてきた。
俺の恩師はこうした報道について、サッカー選手にとって最大級の賛辞であると言ってくれていた。
……だから今日も、いつも通り楽しむだけ。
ドリブルしている俺の前方には三人の選手が立ち、俺を取り囲んでいる。俺は足の回転を早め、一人を抜き去った。
続けて一人、また一人と包囲網を突っ切ろうとする。……と見せかけて、途中で急停止。
すると、相手選手がぱたぱたと面白い様に倒れていく。
足の反動を上手く使って斜め方向へと反転してみせたことで、呆気に取られた二人はピッチに転がり、置いてけぼりにすることができたのだ。
こうした状況下のプレーは、ティアゴ達チームメイトの皆を相手に何度も試していたから、落ち着いて対処できた。
──これで一気に三人抜き。
今も語られるあの伝説の「五人抜き」にはあと二人足りないけれど、気分はさながら、左サイド版・ディエゴ=マラドーナだ。
さて……。最後にそびえたつはゴールキーパー。視線の先に見える、背の高い黒人の彼もかわして、華麗に電光石火の先制点、と行きたかったが。
……速い! このキーパー、腕が良い!
一人も選手の名前を知らないようなこの相手チームが、何故俺たちと同じリーグに所属しているのか心底不思議だったが。
──なるほど、このキーパーは別格だ。
素早くにじり寄ってきて、長い手足で俺の選択肢を塞ぎにかかる。
この守備力。……こいつ、どこにも隙がない!
かなり手強い相手だと、本能が訴えた。
このキーパー相手に自分のシュートでは得点の望みが薄いと感じた俺は、密かに抱えていたもう一つの選択肢を実行に移すことに決めた。
右足を大きく振りかぶり、今からシュートを打つ。
と、思わせる完璧なモーション。
そこから一転、俺の右足はボールを
逆サイドに送り込んだ。
キーパーの逆をつく、我ながら見事なスルーパスだ。
そこに走り込む味方の影。
金髪の彼は……7番のクライド=クレイトンだ。
この地元マンチェスター出身の右ウインガーは快速でシュートが上手い。
流石の瞬発力、もう相手ディフェンダーを置き去りにしていて実質フリーだ。彼を遮るものは何もない。
「やった!」と、ただ心の中で思った。
俺は確信していた。
俺が英国にやってきて以来最速となるシーズン10アシスト目が決まることを。
チームにとって今季最も美しいゴールが決まることを。
世界一のサッカー選手を目指す俺の名前をさらに世へと轟かすセンセーショナルなスーパープレイが実を結ぶことを。
だが。
ボールが白い六角形の網目に吸い込まれるその瞬間
チームメイトの喜ぶ声も、湧き上がるはずの歓声も
ゴールを告げるホイッスルも
俺には聞こえなかった。
俺がシーズン10アシストを記録したその瞬間
俺の右脚を、後方から走ってきた相手ディフェンダーのスライディングタックルが襲い
俺の右ひざは悲鳴をあげた。
「ハルト!」
すぐさまチームメイトとチームスタッフが駆け寄り、心配そうに俺を見つめ、話しかけてくる。
ただし、俺の右脚の感覚は既にそれまでとはまるで違っていた。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
大怪我であると、すぐわかった。
頭が真っ白になって、誰の声ももはや耳に入らなかった。
医療スタッフは俺の右脚をチェックするなり、深刻な表情を浮かべてなにやら誰かを呼んでいる。
ぼんやりし始めた視界の奥に見えたのは、オレンジ色の……どうやら俺を運ぶための担架のようだ。
俺は試合の続行どころか、今シーズンの残り試合への出場自体が絶望的であることを悟った。
試合開始から、僅か1分足らずの出来事だった。
激痛は絶え間なく脚に襲い続ける。
キャリア初の大怪我の辛さと、順調だったシーズンを棒に振ることへの悔しさのあまり
……俺は、初めて人前で涙を流していた。
だが、情けない姿を観衆へと無様に晒しながらも、俺の心は折れちゃいなかった。
セオリー通りにリハビリして復帰を待つ、辛い日々が始まるだけだと思っていた。
この怪我が人生最大の転機となるなんて知らずに。
次回、ヒロイン登場