幸薄少女の世話係 作:直江
『笑う』というのは本来、攻撃的な姿勢を持つ行為であったと聞いたことがある。
前に何かの漫画で読んで得ただけの情報だから、真実かどうかは定かではないが。
まあ、仮に真実だったとしても昔の話だろう。
現代に生きる人間は、他人の笑顔を目にした時、純粋に「ああ、嬉しそうだなぁ」とか「良い事あったのかなぁ」とかその程度の感想しか出てこない筈だ。
俺も同じだ。その幸せそうな表情の裏に攻撃性が隠れているなんて、微塵も思わない。
だが、笑顔を見て、疑問に思うことはある。
この人は本当に嬉しくて笑っているのだろうか、と。
営業スマイルとかは別だ。あれは仕事だからな。
笑顔が取引において、良い効果を発揮するから努めて作っているだけで、言ってみればコミュニケーションにおけるツールなのだ。
俺が言っているのはそういうことじゃない。
そう...完璧で、精度100%で、誰が見ても微笑んでしまうような、高級品みたいな笑顔に対して、疑問を抱かずにはいられないのだ。
塾の授業が終わり、リュックを背負い教室を出た時だった。
隣の教室からも、複数人の女子が談笑しながら、出てきた。
5人組の女子、最初に目に留まったのは勿論このお方。朝比奈まふゆだ。
相変わらずのオーラだ。残り四人は地味というわけではなく、むしろ少し派手なくらいだが、完全に朝比奈さんの存在感により、モブと化している。
女子達は朝比奈さんに対して、目を輝かせて必死に話しかけている。窮屈そうだなー朝比奈さん。まるで教祖みたいな扱いじゃねーか。
この塾では珍しくない光景だ。
なんせこの朝比奈さんは医大志望で、このそこそこ規模が大きい塾の中でもトップクラスに好成績を収めている存在だからだ。美しいルックスも相まって、男女問わず、多くの塾生から注目を集めている。
ちなみに俺は上から一個下のクラス。成績は中の中。まあ、言ってみれば凄く中途半端な学力だ。
その二番目のクラスの半端野郎の俺でも、トップクラスの朝比奈さんの話は嫌でも耳に入ってくる。
どうやら、朝比奈さんは宮益坂女子学園という良いとこの女子高に通っているみたいで、成績優秀な生徒として、教師からの人望も厚いらしい。
加えて、運動神経も抜群だそうだ。所属している弓道部では、一度も的を外したことがないらしい。おまけに美少女。現実世界にいていいのか、こんなん。
全く悲しくなる話だ。『天は二物を与えず』じゃないのか。その他の噂も全部鵜呑みにすれば、とんでもない化け物になるぞ、朝比奈さんは。
もしかしたら、それらの優れた点を全部まとめてひっくり返すほどの、ヤバーい一面があるのかもしれないがな。トイレ流さないとか。
と、失礼なことを考えていると、どうやら五人組の女子は解散するようだ。
朝比奈さん以外の女子が出口に向かっていき、朝比奈さんは...おっと、こっちに来たな。道を開けないと。
「あっ、ごめ───」
「立石くん、久しぶり」
朝比奈さんは俺の横を通り過ぎていくのかと思いきや、何でか俺の目の前で止まった。
............今、俺のこと読んだ?立石くん......って誰?
馬鹿、俺だ。
つか何で俺の名前を知っている。
いくら超人でも、流石に下のクラスにいる男子の名前なんて覚えないはずだ。
「あっ...と、朝比奈さん...」
「うん、そうだよ。私の名前、覚えててくれたんだね」
「まあ、そりゃあ。有名だしね」
覚えててくれた?
そんなのまるで俺と以前、面識があったみたいじゃないか。
こんな美少女の知り合いがいたら、忘れんぞ、俺は。
まあ、ここで知らんふりをしたら、朝比奈さんに悪いから、知り合いの体で話すけど。
「朝比奈さんこそ。俺のことなんてよく知って...覚えてるね?」
「勿論だよ。一度は同じクラスだったからね」
「.........え?同じクラスって...ああー」
ああ、思い出した思い出した。苦い記憶過ぎて、つい記憶の彼方に忘却してたぜ。
うちの塾は最初に行う入塾テストの結果によって、自分のレベルにあったクラスに配属されるんだが、俺はそれで何故か一番上のクラスに配属されたんだ。
殴りたいなぁ。俺は天才なんだと、心の中で狂喜乱舞していたあの頃の俺を。
先生から期待の目を向けられていたし、クラスメイトからも心なしか俺を尊敬していた気がする。
あの時がこの塾における俺のピークだったな。いや、もしかしてたら、人生のピークと言ってもいいかもしれない。
まあ、結局、クラス分けの際の名簿ミスで、俺と『立岩』とかいう奴の名前が入れ替わってたことが後々、発覚したんだけどな。
あの時の先生の申し訳そうな顔と、クラスメイトの失望の顔は今でも夢に見る。
クソが。立岩君絶対に許さんぞ。いや、立岩君は悪くねーな。
「まあ、あれは俺の黒歴史だからな。朝比奈さんと並べられて、ツートップみたいな扱いされてたのが懐かしくて...胸が苦しい」
「でも、あの時はショックだったな。仲の良かった立石君と違うクラスになっちゃうなんて」
「え?ああ、そうだね。すっげぇ残念」
眉尻を下げて、残念そうにする朝比奈さんに俺も一応の肯定を返した。
仲が良かった、という言葉には少々疑問を抱いたが、これはあれだろう。
陽キャ特有の皆仲良し理論?一度話せば、友達!みたいな。
つっても朝比奈さんは陽キャというか、それをもっと超越した何かな気はするが。
「で、その元同じクラスの俺に何の用?」
「少し話したかっただけだよ。ほら、立石くんって授業が終わるとすぐに帰っちゃうから。今日は珍しく、授業終わりの先生のお話が短かったから、早めに教室を出れて、立石くんの顔が見れたからつい」
えへへ、と朝比奈さんは何故か恥ずかしそうに笑った。
...破壊力が凄まじいな。この美少女フェイスの朝比奈さんにこんな風に笑うかけられたら、並大抵の男子はイチコロだろう。
幾多のギャルゲーで鍛えられてきた俺もあと少しで惚れてしまうところだった。
「はは、俺と話したいなんて、朝比奈さんは変わり者だなー」
「そんなことないよ。立石くんは素敵な人だと思うよ。私のクラスメイトも立石くんのこと、良いなーって言ってる子いたよ?」
「うっそだー」
そうだ、ギャルゲーだよ。
朝比奈さんはギャルゲーのヒロインなんだよ。
何というか、完璧すぎるというか、男が望むようなセリフを平然と言えるのだ。
こうしたら男は喜ぶだろうと、相手の望む女性像を演出できる人間はいるのだが、それとはちょっと違う。
そういう人間は多少の人間らしさというか、どこかのタイミングで絶対にボロを出す。
だが、朝比奈さんからは全く、裏を感じ取れない。
つまり、悪い言い方をすれば、人間らしさを感じないのだ。
こういうところに俺は違和感を感じているのかもしれない。
さっきのクラスメイトの女子達との様子もそうだ。
あの精度100%の黄金比の笑顔に俺は親しみやすさを感じつつも、微かな違和感を感じずにはいられなかったのだ。
それから、少し談笑した後、解散となった。
違和感を感じるとは言ったものの、美少女との会話は心に安寧を与えてくれるな。
まあ、もう話すことは無さそうなんだけどな。
どういう思惑があって俺なんかに話しかけてきたのかは知らんが、興味本位だったとしたら、その興味も今回の会話で削がれているだろう。
自分で言うのもなんだが、そんなに会話は盛り上がらなかったし。
「下手に仲良くなったら、他の男子塾生諸君の嫉妬の対象になるだろうし、仲良くならなくて良かったのかもしれない」
もう真っ暗な夜空を見上げて、俺はペダルに足を掛けた。
────────────
「お前って、めちゃくちゃわかりやすい奴だよな」
「む?なんだ、藪から棒に」
五限目が終了し、帰りのHRの始まりを待つ時間。
俺は後ろの席に座っている男、天馬司の方を振り向いてそう言った。
「いやさ。司って考えてること筒抜けだよな。表情に思いっきり出るし」
「そうか?自分では、そんなつもりはないが。そんなに俺はわかりやすいか?」
「うん、表情を見れば、はっきりと喜怒哀楽がわかる。ああ、それが悪いって言いたいわけじゃないぜ。むしろ、役者を目指すなら、大きな利点となると思う」
「ふむ、その心は」
「感情表現が豊かなんだよ。感情が100%、表情に乗ってるというかさ。感情演技って言うのかな。そういう演技が得意な役者が舞台に立てば、観客もより一層の没入感を味わえるんじゃないかって。まあ、素人意見だけどな」
司の表情は心境によってコロコロ変わるから見ていて面白い。
それを演技にそのまま昇華するのは難しいかもしれないが、もし、司が普段通りの感情の豊かさを舞台で発揮することができたら、中々見応えのあるものになるのではないかと思う。
「いや、正しい見解だ。それにしても、与一。流石の慧眼だな。しっかりと俺のスターとしての素質を見抜くとは。ふふ、わかっているじゃないか!!」
「スターとしての素質は知らんけどな。お前が舞台に立って、高笑いしてる光景は容易に想像できるぞ」
これ以上褒めると調子に乗るから言わないが、司には人を惹きつけるようなカリスマ性がある。
普段の言動や行動から、学校の人間からは好奇の目を向けられ変人扱いされているが、不快感を抱く人間はおそらく少ない。
むしろ、見るものをワクワクさせるような何かがこの男にはあるのだ。
「ふっ。今日は偉く俺を褒めるじゃないか。だが、お前が素直に称賛する為だけに俺に話しかけてきたとは考えづらい。なにか、あるのだろう」
失礼な奴だ。まあ、正解だが。
馬鹿な癖に、妙に勘が冴えるんだよな、こいつ。
「そうだな...司、お前は何もかもできてしまう、完璧な人間が目の前にいるとして、どういう感想を抱く?」
「おい、これ以上俺を褒めても何も出んぞ」
「ちげえよ!お前の話じゃないって」
どんだけナルシストなんだ、こいつ...
どう生きればここまで自分に自信が持てる人間が誕生するんだよ。
「冗談だ。完璧な人間か...俺の場合は、憧れを抱くだろうな。そして、少しでも近づけるように努力するだろう」
「憧れて、努力か...お前、変人だけど、たまにまともなこと言うよな」
「し、失礼なやつだ。普段からまともなことを言っているだろう!」
おそらく、朝比奈さんを普段囲っている人間も同じようなものだろう。
追いつけるように努力するかは人によるだろうが、大半の人間は憧れや尊敬の心から、朝比奈さんを慕っていると言える。
俺みたいに、完璧であること自体に疑問を抱く人間なんて、少ないのかもしれない。
「悪い、変なこと聞いたな。こんな質問をしたのも、最近、正に完璧な人間と話す機会があったからなんだ。それで失礼な話だが、その人のあまりの完璧さに疑念を抱いたんだ...こんな完璧な人間がいて良いのかって」
「ふーむ、完璧さに疑念か...」
顎に手を当て、司は考える仕草を取った。
どうやら真剣に俺のくだらない話題に対して、考えてくれているようだ。
何にでも全力。こういうところが司の良いところで、憎めない部分だ。
「ああ、おかしい話だろ」
「...いや、与一がその人と接して、疑念を抱いたのなら、疑念を抱くに値する何かがその人にあるのだろう。その人に会ってみないことには判断のしようがないが、俺から言えることといえば...」
「うん」
「その人は完璧を装っているだけで、案外、家族や仲の良い友達の前ではそうではないかもしれないぞ。誰しも、息抜きをする場所はあるはずだからな」
「まあ、そうか...そうだな。俺の考えすぎか。何が『精度100%の黄金比の笑顔』だ。馬鹿らしい」
「『精度100%の黄金比の笑顔』だと?今、そう言ったのか?」
ぼそっと最後に呟いただけなのに、しっかり聞き取られてたか。
「なるほど。咲希のことだったのか」
「咲希?」
突然出てきた聞き覚えの無い人名に俺は首を傾げた。
が、司は納得したような顔で嬉しそうに頷いている。
「はっはっはっ!そういうことだったのか。点と点が繋がったぞ!ああ!確かに咲希は完璧な人間と言えるだろう!どこで会ったかは知らんが、中々見る目があるじゃないか!」
「おいおい。話に全然ついていけてないんだけど。俺のこと置いてけぼりにすんなって」
「そう恥ずかしがることはない!ふふ、お前も回りくどい男だ。兄であるこの俺に、咲希のことを仄めかしていたのだな!気づいてやれなくて悪かった。そして、あわよくば、咲希と更なる交流を持とうとしたということか...存外、狡猾な男だ。ふはははははは!!!!!」
「だから、違うって───」
「はーい!皆、席についてー。HR始めるよー。天馬くん、静かにしてー」
担任が教室に到着したところで、会話は打ち切りになった。
変な勘違いをされたまま。