幸薄少女の世話係 作:直江
奏の父さんが倒れたと知って、俺はすぐに宵崎家に駆け付けた。
インターホンを何度鳴らしても、誰も応じることはなかった。
誰もいないのだと思った。
奏は、父親の入院に付き添って、家を空けているのだろうと。
だけど、それから一週間経っても、二週間経っても、奏は家に戻ってこなかった。
毎日、インターホンを鳴らしたが、反応はない。
おかしいと思った俺は、ここから一番近い大きな病院に向かった。
受付で宵崎さんという方が入院していないかと尋ねてみたが、初めは教えてはくれなかった。
守秘義務があるから、当然の対応だ。
だけど、奏の名前を出すと、表情を変えた。
「教えてください!奏が心配なんです!メールしても返事が返ってこないし...ここに...奏の父さんと一緒にいるんですよね?」
涙が目を覆っていた。
視線の先で、俺の訴えに受付のおばさんが難しい顔をしているのが、かろうじて見えた。
おばさんは俺に顔を近づけると、こっそりと教えてくれた。
「今、宵崎さんは大変な状況でね...お話ができないの...奏ちゃんは付き添いたいって言ってたんだけど、家に帰ってもらったの...」
俺は走った。
早く行かなければいけないと思った。
奏には、祖母がいると聞いたことがある。
もしかしたら、そっちの家で預かってもらっているのかもしれない。
だけど、そうじゃなかったら。
あの家に一人、父親の入院にショックを受けて、塞ぎこんでいるとしたら。
俺が助けてあげないといけない。
だって、俺は奏の一番の友達なんだから。
家族が家にいなくて、寂しくて仕方がなかった時、奏は傍に居てくれた。
なら、今度は俺が支えになってあげなきゃいけない。
「...はぁ...何で出ないんだよ...!いるんだろう!お前は無事なのか?ドアを開けてくれっ......!」
インターホンを押しても、相変わらず反応は無かった。
だけど、俺は奏が家にいると信じて、待ち続けた。
何十分も何時間も、信じて、訴え続けた。
そして、遂に時が来た。
ガチャリと、ぎこちなくドアが開いた。
根気よく待ち続けた甲斐があったと俺は心の底から喜んだが、ドアの隙間から見えた奏の顔つきを見て、絶句してしまった。
一瞬、目の前の人間が奏ではないのではないかと、疑ってしまうほどに。
頬はこけ、キラキラと光沢を放っていたアイスグレーの長髪は輝きを失っていて、伸びた前髪が顔を不気味に覆っていた。
表情はなく、ただ虚ろな瞳で俺の方を、無感情に見つめていた。
もはや、以前の奏の姿は見る影も無かった。
だけど、俺にとって大切な幼馴染であることは変わらなくて。
「...なぁ...どうしたんだよ...凄い疲れた顔してさ......ちゃんと寝てんのか...?」
「............何しに来たの?」
か細い声で奏が俺に聞いた。
「何しにって.........奏に会いに来たんだよ」
「......何で...わたしに会いにきたの?」
「......力になりたいから......奏の父さんのこと知って、奏のことが心配でしょうがなくて......」
「............わたしは、与一に心配してもらえる資格なんてない......」
表情を失っていた奏の表情に微かに感情が篭ったのがわかった。
「資格ってなんだよ......俺はただ奏を助けたくて、それで...」
「......お父さんが倒れてのはね...私のせいなんだ......」
唇を噛み、表情を歪ませた奏は父親が倒れるまでの経緯をぽつりぽつりと語り始めた。
奏の父さんはここのところ、仕事の楽曲制作で行き詰っていたらしい。
その様子を間近で見ていた奏は、父親の力になりたい一心で、製作途中だった曲のワンフレーズをアレンジして、父親に提案した。
奏の父さんはそのアレンジに大層感激してくれて、その姿を見て、奏は自分が父親の力になれたと喜んだ。
コンペも通って、奏が作ったフレーズは特に評価されたという。
その日以来、奏の父さんの元には、以前より多くの仕事の依頼が舞い込むようになった。
順風満帆のはずなのに、奏の父さんの顔は暗くて、奏は父親の為に他になにかできることがあるんじゃないかと、一つの曲を作った。
父親を元気つける...救う為の曲を。
奏の父さんはその曲を聴いて、どこか吹っ切れたような、安らかな表情を浮かべたという。
「奏は......すごいな」
「奏はすごい才能を持っているよ。きっと、音楽に愛されているんだ」
「.........奏はこれからも、奏の音楽を作り続けるんだよ」
翌日、自宅で倒れている父親を奏は発見した。
体は全く動かないが、息はしている。
だけど、なにか取り返しのつかないことが起こってしまったのだと、奏は予感した。
運ばれた病院で、奏は医師に父親の病状を伝えられた。
「お父さんは今、脳に強い負担がかかって、記憶が混濁している状態です」
「───心因性のストレスからくるものなので」
「───記憶が混濁したまま戻らない場合もあります」
「.........これからどうすればいいんだろう......」
共に生活を送っていた父親が入院した。
記憶が混濁している。
これから自分はどうなっていくのか、不安感だけが積もっていった。
そんな中、一つの日記を見つけた。奏の父さんのものだった。
『●月●日──評価されたのは、奏の作ったフレーズだけだった。あれは奏の曲だ』
『●月●日──連中は、僕が作る曲を、古臭いと笑う』
『●月●日──奏に、曲をプレゼントされた』
『ようやくわかった───僕の作っているものは過去聞いた音楽の模倣に過ぎない』
『だが、奏の曲が違う。今を生きる人々の心に、触れることができる曲だ』
『───生活の為に...奏の為に、金になる音楽を作らなくてはならない』
『だが、それは果たして──僕が望む、誰かを幸せにする音楽なのだろうか』
『......奏あれば、そんな音楽を作れるのだろうか?僕ではなく、奏であれば』
自分が父親の為にと作った曲は父親を苦しめていた。
電話先の相手に怒鳴っている父親を見た。
あんな父親の姿は今まで、見たことがなかった。
穏やかな人だった。
誰が...一体誰が父親をあそこまで変えた。狂わせた。
......そうだ。自分の曲が父親を苦しめたのだ。
オルゴールを見つけた。
父親の優しい気持ちが音として込められた、家族の宝物。
父も母も、自分もその曲を聴けば、幸せになれた。
誰かを幸せにする曲。
『奏はこれからも、奏の音楽を作り続けるんだよ』
「わたしは、誰かを幸せにでいる曲をつくれるようにならなきゃいけない」
「どんな人でも救える曲を」
「わたしは......作り続けなくちゃ」
全てを話し終えた奏は体を震わせていた。
悲しいから...寂しいから、震えているわけではないとわかった。
これは怒りだ。
自分に対する怒りの感情に打ち震えているのだ。
憎悪と言ってもいいかもしれない。
「......だから、わたしは作り続けなくちゃいけない。誰かを幸せにできる曲を。だから、与一はもうわたしに構わないでほしい。ドアを開けたのは、それを伝える為...じゃあね」
何も言葉が出てこなかった。
体が石のように固く、動かなかった。
一瞬、閉まろうとするドアを掴んで、奏を引き留めようか考えてた。
だけど、一体それが何になる。
薄っぺらい言葉を並びたてて、必死に説得したとして、奏が踏みとどまってくれるだろうか。
いや、無理だろう。
俺では、奏を救えない。
─────
「口を聞いていなかったなんて、信じられません...あんなに仲が良いのに」
「まあ、色々あったんだよ。仲が悪くなったとか、絶縁してたとかそういう話じゃない。あいつが作曲に夢中になって、外に出なくなった。だから、会う機会がなくなったっていう、それだけの話だよ」
奏の決意を見て、俺は委縮したのだ。
それに、一度拒絶された身だ。
無理に関わろうとして嫌われるより、潔く引いて関係を停滞させておくのが一番だと思った。
奏に嫌われたくはないし。
「でも、穂波ちゃんが奏を変えてくれた。病院以外にも、たまーーーに外に出るようになった。それで、いつだったか、たまたま外で再会して、少し話して。で、今に至る。全部、穂波ちゃんのおかげだ」
「...私は特別なことは何もしてませんよ。きっかけは私かもしれませんが。それにほら、宵崎さん、与一さんのこと凄く信頼してるなって、外から見ててわかりますよ。偶に私はお邪魔になっていないか、心配になるくらいです──って、また拝まないでください!!」
信頼...か。それは少し違うと思うぞ、穂波ちゃん。
奏は寂しいだけなんだ。
父親が倒れて、心が傷ついて寂寥感に溢れているから、本人も気づかない内に誰かに温かさを求めているのだ。
現状、幼馴染という立場にいる俺は、奏にとって、ちょうどいい。
常に近くにいて、決して奏を害することなく、安心を与える存在。
だが、それは必ずしも俺でなくてはいけないわけではない。
奏がこれから、たくさんの人達と交流する中で、奏にとって大切な人はきっと増えていく。
実際、俺と関わりを持たなかった間に、穂波ちゃんという、今では奏にとってかけがえのない存在が現れた。
そして、あそこまで荒んでいた奏の心を見事に癒してみせた。
俺にはできなかったことを、やってのけたのだ。
「どうしたんですか?急に黙って」
「え?いや、まあ......これからも奏と仲良くしてほしい...ってどの目線で言ってんだって話だけど」
「勿論です!もうすぐ正式にアルバイトができるようになるので、宵崎さんのお世話、続けていきたいです!」
「本当いい子だな、穂波ちゃんって」
表情を見るに、穂波ちゃんは奏の家事手伝いを心の底から楽しんでやってくれているようだった。
だけど、楽しんでやってくれているとは言え、これは労働だ。
職業体験と称してるけど、実質ただ働きみたいなもんだからな...
穂波ちゃんは気にしてないだろうけど、今度何かの形で穂波ちゃんに労働の代価を還元してあげたいな。
「どの目線という話ですが、私は与一さんのこと、宵崎さんのお兄さんみたいだなって思いますよ」
「兄?俺が...奏の?」
「はい。与一さんは宵崎さんのこと、温かい目でいつも見てて...何というか、見守ってる感じがします。そんなところがお兄さんっぽいなって」
お兄さん...か。
俺は、奏の父さんの代わりに、少しでも奏の寂しさを埋められる存在になりたいとは思っていたが、あくまで幼馴染として、適度な距離を保ってサポートをしていこうと努めてきた。
「...俺は一人っ子だし、兄のような立ち振る舞いはわからないけど、家族みたいな距離で奏を支えられたら、幸せなんだろうな」
自然とこぼれ出てしまった言葉に、穂波ちゃんが柔らかい笑みを浮かべた。
兄...と聞いて、俺が一番初めに思いついたのは、天馬司の顔だった。
自分は世界一のスターになるのだと周囲に表明して、キラキラと自信を持った表情を振りまく男。
そして、隙さえあれば妹の話をする重度のシスコン。
何をするにも、ストレートな人間だ。
きっと妹本人に対しても、あの深すぎる愛を普段から伝えているのだろう。
兄として一般的ではなく、珍しいタイプだとは思うが、俺は司を理想的な兄なのではないかと思う。
年を重ねるごとに兄妹というのは、幼い頃と比べて関係が冷めていくことが多いと聞く。
だが、あいつは高校一年生になった今でも妹に愛を素直に伝えられている。
それはきっと、大学生になっても、社会人になっても続くのだろう。
妹はそんな兄を鬱陶しく思いつつも感謝しており、兄もまた変わらない愛を持ち続ける。
そう考えると、あいつは兄として完成した存在かもしれない。
俺に妹がいたとして、あいつのような理想的な兄になれるか。
「無理だ......俺に『兄』の称号は荷が重すぎる」
「そんな深く考えなくていいですから...」
穂波ちゃんが困ったように笑った。
「いや、兄と聞くと、どうしてもある男の顔が思い浮かんで...天馬司ってやつなんだけど」
「天馬司...?天馬...司.........司さん!?」
「えっ、知ってるの?」
思わぬ繋がりが見えた瞬間だった。