駿斗の『
『1日待つ』
アックアは『十二使徒』の3人から当麻とその護衛をしていた天草式が撃破したことを聞くと、そう言った。
『麻酔もなくここで引き抜かれるのも酷だろう。義手の準備でもしておくが良い。期限までに騒乱の中心――その元凶たる右腕を自ら切断し、我々に差し出すというならば、上条当麻の命は見逃してやるのである』
第二十二学区の第七階層にある、救命救急病院。そこに、当麻は担ぎ込まれていた。
ジミーの持つ
「……何とか、終わりました。正直、安定した容態とは言い難いですが」
手術室から出てきたストレッチャーが、集中治療室へと運ばれて行くのを見届けながら、若い男の医者はそう言った。
すでに病院の面会時間は終わっているため、他の場所に医者・看護師と患者以外の人影は見当たらない。
しかし、現在この薄暗い廊下には大勢の人影がいた。老若男女、合わせて50人前後が壁に寄り掛かったり、ソファに座ったりして医者の言葉に耳を傾けている。
『天草式』と名乗った彼らもまた、怪我をしていた。大半に人間が衣服のあちこちが割けており、包帯を巻いていた。ありていに言えばとても胡散臭い集団なのだが、スキルアウトの大物などが入院したりすると、集まった不良少年たちで待合ロビーがあふれかえることもたまにある。そのため、医者はあまり深入りはしなかった。
「おおざっぱに言うと、普通の人間なら絶対安静、といったところでしょうか」
全身打撲に脳震盪。右肩と左足首の関節は脱臼していた。内臓も圧迫されていた。
「……つまりは、予断を許さないって訳なのよな?」
建宮は、慎重に言葉を選びながら尋ねてきた。
医者が詳しい容態を話す。幸いにも長時間水の中に沈んでいたことで発生する、酸素不足による脳へのダメージは少なかったらしい。
「しかし……複数の目撃証言があるとはいえ、にわかには信じがたい『原因』ですね」
ジミーの縮絨棒により吹き飛ばされた当麻は、人工的な川の水面を跳ね返り、100メートル以上の距離を移動したうえで、ようやくその動きを止めて水の中に沈んで行ったのだ。
本来ならば、死んでいてもおかしくない。未だに峠の途中でふらふらできること自体がありえない。
その理由は、ただ1つ。
「手加減されたんだ……」
その呟きがされた方向を医者は見たが、そこに並んでいる群衆のうち誰が言ったのかは分からなかった。
奇妙な集団だった。『50人近い包帯を巻いた集団』であるにもかかわらず、誰もが『突出』していない。『群衆という風景』に見えるのだ。
『突出』しているのは、このクワガタのような髪をした男と、もう1人だけだった。
「インデックス……」
患者と同い年くらいの少年が、ガラス越しに集中治療室の中を見た。そこでは、大量の機会に囲まれたベッドの上に、1人の少年が横たわっており、そしてその横には彼のベッドに寄り添うように、あるいは床に跪くように、白い修道服を着た少女が佇んでいた。
「……こいつは医者としての経験ですが、そっとしておくべきだと思います」
その言葉に2人が頷くと、若い医者は去って行った。そして、そこには己の無力感を嘆く人々が取り残された。
建宮は、そこから1歩だけ身を引いた。
あの少年にできることは、彼らには何もなかった。右手が存在する限り、どんな回復や治癒の魔術も台無しにされてしまう。せいぜい無事を祈るくらいが関の山であるが、それにしたって祈る資格があるかどうか。
後方のアックアと『十二使徒』から身を守ると言っておきながら、実際には彼を巻き込んでの戦闘となった。しかも、『右手』を持つ護衛対象が共闘しなければ、正直に言って戦うこともままならなかったはずだ。
そして、件のアックアと対等に近い戦いを繰り広げたのは、もう1人の護衛対象である神谷駿斗だった。
「……くそったれが」
敵が指定してきた期限は明日だ。それまでに当麻の右腕を切断して差出し、そして神谷駿斗の身柄を引き渡さなければ、当麻の命までも容赦せずに再び狙ってくる。
右腕か、襲撃か。当然ながら、どちらも許せるものではない。
やるべきことは、分かっている。だが、誰も具体的な動きができない。
しかし、その時1人だけもたれかかっていた壁から背を離した者がいた。
「……俺が、やる」
駿斗は、低い声でそう言った。普段の明るい声とは全く違う。ドスの利いた、低い声だった。
そこに込められているのは、怒りだ。それも今まで見せてきたような、他人を助けようとするためのものではない。
自分の大切な親友を傷つけた敵に対する、爆発するような、絶対に敵を許さないという怒りの渦だ。
「あいつらは、俺がやる。アックアは俺が決着をつける。正直当麻を吹き飛ばしたやつをぶん殴りたいが……天草式は悪いが、『十二使徒』の方に当たってくれ」
「おい、それは……」
「……そうじゃなきゃ、俺の気が済まねえんだよ」
その眼光はとても険しかった。
「『聖人崩し』だっけか。だけど、それを当てるためにはある程度弱らせておく必要があるだろ。だったら、あいつをぶん殴るのは俺がやる。その後、すぐに互いの敵を入れ替える。俺が『十二使徒』を殴っている間に、お前らがとどめを刺せば良い」
彼の本音を言えば、親友にとどめを刺した『十二使徒』のジミーと一番戦いたいのだろう。しかし、それでも彼はアックアを優先した。
彼が怒っているのは、自分自身なのだ。
今までずっと、互いに背中を預けてきた親友が今、生死の境目を彷徨っている。だが、自分自身の不甲斐なさや、憤りをすべて駿斗は飲み込もうとしている。
「俺がさっさとアックアを倒して加勢に行っていれば、天草式も『十二使徒』を倒せたはずだ。それができなかったのは、俺があいつを倒せなかったからなんだよ」
それだけ言うと、彼は「新しい術式の準備をしてくる」と言ってその場から去ってしまった。天草式は、その背中を引き止めることもできず、その場に残される。
すると、その様子を見届けた建宮が言った。
「で、お前さんはそこで何を蹲っているのよ」
その言葉に、暗闇と化している廊下の隅で、何かが反応した。目を凝らさなければよく分からないが、ソファの上で縮こまっているのは五和だった。
その体にもあちこちに包帯が巻かれていたが、しかしその肉体以上に精神が打ちのめされていた。
「……わ、たし……」
嗚咽と共に、というよりはその合間を縫うように、彼女は声を出した。
「……私、守るって……そう言って。……神谷さんも、任せてくれて……なのに、何もできなかったんです。私……駿斗さんのことと共にあの人のことを聞いた時、なんてすごい力を持っているんだろうって、思いました。でも違ったんですよ」
当麻は、どんな防御術式に頼ることもできない。どれほど優れた回復魔術があっても、かすり傷1つ治せない。それは、どれほど優れた魔術師が行っても変わらない。
彼は魔術の脅威を打ち消すだけでなく、その恩恵をも消し去ってしまう。
そもそもにおいて、その右手は数々の『幸運』――神の奇跡を打ち消してきたのだ。だから、本来その奇跡を人の手によって起こすために生まれた『魔術』という技術を拒絶するのは、ある意味において当然なことなのだ。
そして、その力は本人や周りの人間の意思ではどうにもならない。それは誰よりも、当麻と駿斗の2人が今までに散々思い知ってきたこと。
「私、そんな人を見殺しにしたんですよ」
本来守るべき、護衛対象を巻き込んでの戦い。その状況下においては、まず何よりも先に彼の安全を考えるべきだったはずだ。
しかし、実際にはこのような結果となってしまった。
どうしてベッドで眠っているのがあの人で、自分ではないのだ。そんな泣き言が、懺悔が、八つ当たりが繰り返された。
もはや、五和にも自分の感情が分からなくなっていた。
「立つ気はないのか」
しかし、建宮は彼女に向かってそう言った。
「お前さん、一体そこで何をやっているのよ?」
彼は五和の胸倉を掴み上げ、周りが何か言うよりも早く手近な壁へと叩き付けた。バゴン! と凄まじい音がする。
しかし、五和は悲鳴も上げず、ただ喘ぐように酸素を求め、涙にぬれた瞳で建宮を睨み返していた。
「……さん、だって……」
五和の口が動く。
「建宮さんだって、負けたじゃないですか」
その言葉に、彼は少し黙った。
それが醜い言葉であることくらい、彼女も分かっているであろう。そして本来、建宮に怒りをぶつけるべきでないことも。
しかし、それでも彼女はその言葉を言った。言わなければ、とても自分の
その感情を、建宮は理解しようとはしなかった。そもそも、それは五和だけに分かるものなのだ。
だから、代わりにこう言った。
「こんな女を助けるために、あいつらは体を張ったのか?」
その言葉に、五和の目が大きく見開かれた。
鋭い刃物のようなその言葉が、彼女に突き刺さった。
「テメエの身内を目の前で痛みつけられて、ボロボロになった命の恩人を前にして……まだ動こうともしない。本当に、そんな女のためにあいつは命を投げ出したっていうのか。だとしたら、そいつは犬死ってやつなのよ。は、こりゃあバカがバカのためにバカをやって犬死をしたっていうことなのよな?」
五和の頭が沸騰するような熱を帯びた。しかし、彼女が咆哮を上げて拳を振るうその前に、建宮は壁に押し付けていた五和の体を床に叩き付けた。
再び呼吸困難に陥った彼女に馬乗りするようにすると、建宮はその視線を見据えて言った。
「良いか。分かんねえようなら教えてやるのよ」
低く。そして何よりも怒りが抑えきれない声で。
建宮は、事実をはっきりと述べる。
「――後方のアックアと『十二使徒』は、必ず来る」
ビクリと五和の体が震えた。
それはどうしようもない事実だ。彼らがこうして嘆いている間にも、約束の期限は刻一刻と近づいていている。ただでさえ低い幸福の確率が、より一層引き下がっていく。
「お前さんはそれを許せるのか、まだ可能性は残っているのに、たとえどれだけ少なくても確実に残っているのに、そいつをつまんねえ後悔や罪悪感で全部捨てちまうのか!? そうやって勝手に諦められたあいつは、何も知らないままに右腕をぶちぎられちまうのか!? 笑顔を守りたければ立ち上がれ。自分の都合で他人の人生を投げ捨てるんじゃないってのよ!」
まだ可能性は残っている。しかし、その可能性に向けて動けるのは、今現在駿斗と天草式だけなのだ。『聖人』である
五和の胸ぐらを掴み上げる建宮の手が、ギリギリと音を立てていることに五和はようやく気が付いた。彼女はようやく気が付く。怒りを覚え、己を恥じているのは自分だけではない。全員が上条当麻を守ろうとして、全員がそれに失敗してしまった事実を受け入れている。
それはとっくに分かっていたはずのことだ。
特に、駿斗が先ほど話していた時の声は、普段のそれからは想像もつかないほどの、怒りの含まれたものだった。
だが、ここにいる全員が立ち上がろうとしている。少年の親友も、自分の大切な人を守ろうとしている。
ならば、彼女のやることは決まっていた。
「あいつらに謝りたいか?」
建宮が問う。
「あんな風にしちまった『守るべき者』を、もう一度陽だまりの中に帰したいか? そして、親友のありさまを見て怒りと屈辱にまみれているあいつの無念を、晴らしてやりたいか?」
五和は咳き込むことも忘れて、小さく頷いた。
「……だったら戦え。お前さんが最高に良い女であることを証明して、こんなやつのために命を張って良かったって思わせてやれ」
謝るにしても、笑うにしても、それは命がないとできないことなのよな。墓前で懺悔したくなければ、俺たちは戦うしかねえのよ――と建宮は言った。
そして、五和の胸ぐらをつかんでいた手を放す。そして、教皇代理は立ち上がると周囲を見渡した。
「さてと、この中に五和と同じことを言う馬鹿はいるか?」
答えは分かりきっていた。
したがって、返事はなかった。しかし、覚悟はあった。後悔と無力感は抱えたまま、しかし戦う意思は何倍にも膨れ上がっていた。
覚悟はできた。あとは、全力を尽くすだけ。
ちょうどそのタイミングで、自分の力の調整をしていた駿斗が戻ってきた。
彼は先ほどまでとは異なる様子を見て、短く問う。
「これからの方針は決まったか?」
「おうよ」
建宮が答えた。
「ったく、救われぬものが目の前にいて、これに手を差し伸べねえってことはねえのよなあ」
第二十二学区、第七階層。そこにある裏路地で、連絡が入った。
「第三階層の自然公園で、後方のアックアたちと学園都市の無人機甲部隊が衝突したようなのよ」
その結果は、誰が問わずとも分かるものだった。
すると、牛深がうかがうような眼で建宮に訊く。
「……行きますか?」
「いや」
建宮は携帯電話をパチンと折りたたんで言った。
「やみくもにつっこんだところで、結果は目に見えているってやつなのよ」
「だよな」
駿斗が首肯した。
だから、今は動かずにイギリス清教からの情報を待つ。最適の準備を整え、最適の作戦を練って、最適の時に、最適の戦いに挑む。
本気でヤルというのは、そういうことだ。
本心を言えば、いますぐにも当麻を叩きのめした彼らを倒しに行きたい。だが、たった一度の勝利をつかむために今はぐっとこらえて、建宮は『待つ』と判断した。
今できることは、準備しかない。
「オルソラからの連絡が来るまで待つしかないか……。今は、とにかく戦闘準備をしておくしかない。作戦を立てるのは、イギリス清教からの連絡を受けてから、か」
駿斗がそう呟くと、ジャリ、ジャリ! と何かを削るような音が聞こえた。
「……3時間ほど、待ってください」
ボソリ、と五和が呟いた。
彼女は革ベルトを新選組のようにたすき掛けをしていた。そして、俯いたまま行っているのは、槍の補強――というよりは、全面的な改造に近いことを行っていた。
彼女の槍は持ち運びの都合上、
しかし、その時に鳴る樹脂を削る音にさえ殺意が込められているように聞こえて、建宮はちょっと背筋に寒いものを感じていた。なっている音や仕草から、夜中に包丁を研いでいる山姥を連想させられる。や、やばい。ちょっと調子に乗って追い詰めすぎたかも?
「(……どうすんですか。焚きつけすぎて石油化学コンビナートに大引火って感じになっちゃってますよ、今の五和)」
「(……い、いや、そのお前さん、だって病院じゃ何か抜け殻みたいになっていたもんだから、ええとそのあれよ! 元気づけるっていうの?)」
「(……この大馬鹿野郎! やっぱ考えなしに焚きつけただけだったんですか!? 俺たち、これから恋する乙女の恐ろしさを目の当たりにするかもしれないですよ!)」
「(ええー俺のせいなのよ!? じゃあ、あの時いったいどうすりゃ良かったってのよ!?)」
そんな風に緊急会議している男2人であったが、そこに1人の声が割り込んだ。
「建宮さん、それに牛深さんも」
彼らはビシィ! と直立不動になる。
「大丈夫、私は大丈夫ですから――ちょっと集中させてもらえます?」
のっぺりと、平坦な声だった。
バイオレンスな五和から離れ、建宮たちはこそこそ革ベルトをたすき掛けにして衣服の魔術的補強を行ったり、全員の手帳を確認しあって周辺の地形を頭に叩き込んだりする。
駿斗も、感じ取れる魔力や
すると、その時建宮の携帯電話が着信を鳴らした。
『あらあら、そちらは建宮さんでございますか?』
「うわあオルソラ嬢! この声すごく癒されるのよーっ!」
結構心の重要なところが決壊しかけていた建宮が、その場に泣き崩れそうになる。そして、その電話から流れ出す声に、駿斗は聞き覚えがあった。
「オルソラ!? 何か情報が分かったのか!?」
『こ、後方のアックアについての新情報でございますよ』
天然マイペースなオルソラが珍しく、若干引きながら報告してきた。
後方のアックアの本名はウィリアム=オルウェル。イングランド地方出身の魔術的な傭兵で、所属はなし。生まれたときからローマ正教徒だったわけではなく、幼い頃にはイギリス清教の教会で洗礼を受けたという記録も残っているらしい。
そして、傭兵としては一匹狼で活動をつづけ、敵の拠点を叩くことを得意としていた――そう、敵の拠点を叩くだけではなく、数ある戦闘をやりこなし、その中でも特に得意だったのが拠点制圧だった、ということだ。
魔術師としても名乗りを上げ、Flere210という名を持っていたらしい。
「……Flere……か」
その端的な意味は『涙』を表す。
敵は、それを魔法名に掲げる『聖人』だ。
「ウィルアム=オルウェルの傭兵時代の戦歴ってのは?」
『ロシア西部で繰り広げられた「占星魔術旅団援護」、フランス中部の「オルレアン騎士団殲滅戦」、ドーヴァー海峡近辺での「英国第三王女救出戦」……数え上げれば、キリがないのでございますよ』
オルソラは、その後もいくつかの戦績を羅列した。いずれも激戦として知られ、建宮にも聞いたことのあるものもいくつかあった。今の天草式でも乗り越えられるかどうか、悪夢のような戦場だ。
「強敵……いや、難敵ってレベルなのよな」
おまけに、相手は暴力一辺倒の脳筋というわけでもないらしい。医療設備の乏しい地域では薬品として使用できる薬草の知識を広めたり、飢えに苦しむ村ではその地域では食用にされていなかったゴボウの調理法を教えたりといった、戦闘以外での活躍も多かったそうだ。一部では、『賢者』とも呼ばれている。
このような活動は、実際に現地に行って戦場の空気を肌で感じ取り、そこにいる人々が何を求めているのかを理解し、その上で『彼らには何ができるのか』を示さなければならない。一時的な支援ではなく、恒久的に生活の質を向上させるのだ。
強靭な肉体と柔軟な思考を備えた、聡明な獣。
建宮がイメージしたのはそれだった。
オルソラの話は続く。弱点と呼べるようなものは存在せず、フリーの傭兵のころから『聖人』としての莫大な力を操っていたらしい。おまけに、今はそれに加えて『神の右席』としての力を振りかざしている。
(やっぱり、魔術の腕でも越えられているってことなのよな)
アックアは単に力の量が多いというだけではない。『聖人』に加えて『神の右席』としての力を併せ持っているということは、莫大な力を得ると同時にその負荷も倍になって返ってきているはずなのだ。
駿斗も、単に
「弱点までは期待しない。せめて、アックアの戦闘スタイルぐらいは分からないのよ?」
しかし、それでも一抹の希望を探し出すために、建宮はオルソラに向けて質問を重ねる。