とある神谷の幻想創造 神の右席編   作:nozomu7

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己の心を守るため

 自分は生き残ってしまったのか。

 

 学園都市の計画は失敗してしまったのか。

 

 学園都市第一位の超能力者(レベル5)は、世界レベルのグローバルな悪意に打ち勝つことすら可能だとでもいうのか。

 

 ネットワークの中から悪意のある感情を優先的に拾い上げる番外個体(ミサカワースト)には、いまいち信じられないことであった。

 

 だが、自分が生き残ってしまっているのは確かなようだ。そして、あの状態からこの個体を救い出すことが可能な人物など、1人しかいない。

 

 しばらくの間の沈黙は、どこか居心地の良いものであった。

 

 だが、その後に聞こえた声は。

 

「ぎゃは」

 

 どうしようもなく。

 

「ぎゃはは。駄目だ。駄目だ。くっははは」

 

 絶望的で。

 

 声の波が安定しない様子だった。聞いているだけで危うさを感じさせる、壊れた人間の声。

 

「全部ぶっ壊してェ! 片っ端から薙ぎ払いてェ!」

 

 こんなものを作っている連中も。その恩恵を受けて喜んでいるような輩も。

 

 全て、ただ、壊したい――。

 

 爆発的に、全方位へ『黒い翼』が放出された。一対のその翼は、互いが互いを壊し合うように絡み合っていた。それが、一方通行(アクセラレータ)の心の内だった。

 

 これは、どこまで膨らむのだろうか。

 

 一方通行から番外個体が感じていたのは、間違いではなかったのかもしれない。この少年にも、心の中にわずかに温かいものが流れていたのかもしれない。

 

 しかし、わずかに残っていたその感情も、粉々に砕かれた。

 

 制御を失った絶望的な暴力の嵐の行く末を考え、番外個体は震えるのを止めることができなかった。

 

 

 

 

 

 その時、上条当麻とレッサーは大型車に乗っていた。

 

 だが、唐突に暴力の嵐がそこを襲う。

 

 一方通行が能力を用いた投石は、それだけで大型車の後部を弾き飛ばした。

 

 八つ当たりなのは分かっていた。これは、本来は一方通行が成し遂げるべき仕事だ。

 

 だが、それでも彼は抑えきれなかった。

 

 この世界の理不尽によって極限まで追い込まれ続けた男は、その暴力を1人の少年に向ける。

 

 壊された大型車から出てきたのは、1人の少年だった。かつて、2万人の体細胞クローンの少女を殺す『実験』を仲間と共に止めた少年だった。

 

 だが、今はその仲間はいない。

 

 この世界で最も頼りになる親友も、クローンたちの元になった電撃使い(エレクトロマスター)も、怪物の一部を強引に植え付けられた2人の少女も、いない。

 

 

 

 だが。

 

 

 

 一方通行の背中から噴き出す『黒い翼』。

 

 暴力の権化とも呼べるそれを、少年はその右手で吹き飛ばす。

 

「――、」

 

 その結果を見て、一方通行は唇を歪めた。

 

 そこに感じたのは、怒りか、安堵が、納得か、理不尽か。その答えを本人すら出さないまま、彼はさらにその力を振るう。

 

 横薙ぎの攻撃が、再びその右手に弾かれる。しかし、先ほどは完全に打ち消した黒翼を、今度は受け止めたものの、その姿勢をぐらりと崩した。まるで、その威力に押されるかのように。

 

 あの右手は、触れただけで学園都市第一位の超能力を打ち消す秘密がある。

 

 しかし、ベクトル操作で投げたコンテナや生み出した烈風といったものは打ち消していなかった。

 

 その基準が破壊力なのか、攻撃範囲なのか、あるいは能力によって直接生み出したものだけで、二次的な影響によるものは打ち消せないのか。

 

 その答えは出ていなかったが、やるべきことは分かっていた。

 

(圧倒的な破壊力で、反撃する機会を与えずに粉々にしてやる……ッ!)

 

 轟! と空気が震動した。

 

 一対の黒い翼は何重もの巨大な杭と化し、あらゆる角度から少年を襲う。

 

 そして、少年が立っている場所が爆発した。

 

 確実に潰した。

 

 あの少年の武器は右手一本だけだ。分裂したとはいえ、ひとつだけでも生身の人間ならば潰すことができる破壊力を、あの翼は有している。8月の時と異なり、一応、何らかの特殊なグローブを左手に嵌めていたようだが、そんなものは気休めにもならない。

 

 2か月半越しのリベンジは、勝利と同時に何らかの希望を一方通行(アクセラレータ)から奪った。

 

 そのはずだった。

 

 なのに。

 

 

 

 たちこめる雪煙の向こうに。

 

 ゆらりと立つ人影があった。

 

 

 

 泥まみれの服で。体のところどころを赤くにじませて。それでも、少年は2本の足で立っていた。

 

「は、はは……」

 

 そのことに、一方通行は歓喜した。

 

 理不尽は覆せる。

 

 運命とやらは飛び越えることができる。

 

 そのことを、まざまざと見せつけられた気分だった。

 

 だから。

 

「はははは! ぎゃはははははははははは!」

 

 一方通行は、もはやその手を緩める気はなかった。

 

 全ての黒翼が、上条当麻に降り注ぐ。

 

 

 

 

 

 正体不明の敵に敗北を喫した最愛と海鳥であったが、敵が自ら引き下がってくれたが故に、五体満足のまま見張りを続けることができた。

 

 その一方で、浜面の方は高射砲の中で待ち構えていた。

 

「……来やがった」

 

 高射砲の上部ハッチから顔だけ出したディグルヴが、双眼鏡を片手に呟いた。浜面が座っているのは、高射砲の前部にある、キャタピラを操作する操縦席だ。彼に砲塔の取り扱いなど分かるわけがないが、キャタピラならば、要するに建設重機などと基本は同じなのだ。ただ、サイズが違うだけである。

 

 敵はレーダーに映った通り、攻撃ヘリの三機編隊だ。

 

「見たこともない機種だ。かなり大きい。もしかしたら、試作機のテストも兼ねているのかもしれない」

「ロシアは元々、大型ヘリの兵器開発に力を注いできた兵器開発の歴史を持っている」

 

 機体によっては、輸送機と変わらない積載量を持つような輸送ヘリすらあるらしい。そういったヘリを開発しようとすること自体、ロシアの特色であるそうだ。

 

 しかし、大型ということは、それだけ保有する火力も高いことくらい、素人の浜面にもわかる。

 

 試作機のテストというのであれば、実戦に投入されてきた歴戦の機体よりは確実性が低いかもしれない。そんな気休めの言葉もほどほどに、戦闘が始まった。

 

「……恐らくは最高速度重視のヒット&アウェイ型。小回りは利かないから、一直線に戦場を抜けた後にUターンして戻ってくると思う」

 

 つまり、すれ違いざまに互いに攻撃を叩き込むということだ。西部劇の撃ち合いだ、とグリッキンが言った。

 

 バタタタタッ! というローターが空気を叩く音を鳴らしながら、空の向こうから影が3つ近づいてくる。

 

「始めるぞ!」

 

 敵が300メートルほどまで近づいたところで、砲口が火を噴いた。それに反応したヘリは、互いにバラバラの方向へ散っていく。

 

 その中の一機の側面にオレンジ色の火花が散る。どうやら砲弾が掠めたようだが、それでも撃墜には至らなかった。

 

「大型だから、装甲も厚いっていうのか!?」

「浜面、敵のターンだ! 今度はミサイルが雨のように降ってくるぞ!」

 

 その声に、浜面は一気にキャタピラを後退させた。キャタピラという言葉からはのろのろと遅い印象を受ける。だが、軍用の物は時速70キロは出せるように設計されているらしい、と浜面は速度メーターを見て理解する。

 

 

 そして、敵の戦闘ヘリから攻撃が放たれた。

 

 

 ヘリは当然ながら、目視でミサイルの照準を合わせるわけではない。センサーにより敵の金属反応を捉え、それをレーダーで映し出されたモニタ上に表示するのだ。

 

 キャタピラ式の高射砲ごとき、亀に等しかった。

 

「あっは、粉々になれ!」

 

 だが、パイロットの言葉通りにはならなかった。高射砲が後退したことにより、その射線上に針葉樹の太い幹が入ったからだ。ミサイルはそれに衝突し、爆発してしまった。

 

 しかも、

 

「風穴が開いた意味を知れ! グリッキン!」

 

 グリッキンが、機銃の横に取り付けられたミサイルを、お返しとばかりに発射する。それは、今攻撃をしかけたヘリではなく、次の攻撃の準備をしかけていた、隣にいるヘリに命中した。地面に衝突すると同時に、大きな爆発が起こる。

 

「ミサイルじゃ阻まれる。機銃の雨を使ってハチの巣にしてやるぞ!」

 

 パイロットの男は、同僚を撃墜されたものではなく、屈辱にまみれた怒りのままに叫ぶ。

 

 二つの方向からの同時掃射。30ミリのガトリング砲ならば、針葉樹林など丸裸にしてそのまま攻撃できる。

 

 そのはずだった。

 

「おい、どういうことだよ!」

 

 しかし、彼は未だに苛立ちの声を上げる。レーダー上の金属反応が、先ほどよりも逆に増えているのだ。

 

 それに答えたのは、同僚の無線通信だった。

 

『見ろ、乗用車だ! あいつら、自分たちが狙われることを見越して、集落にあった乗用車を林の中に隠していたんだ! だから俺たちは間違った金属反応に照準を合わせ――』

 

 そこまでで通信は途切れた。高射砲からの連射が、ヘリを撃墜したからだ。

 

 オレンジ色の爆発を視界に収めた彼だったが、そこで一旦基地に帰還するという選択肢はなかった。頭に血が上っていたのも事実であるが、それだけではなかった。

 

 彼の目の前にある針葉樹林は、先ほどの掃射で丸裸になっていたのだ。

 

「こ・ろ・すう」

 

 遮蔽物を失った高射砲は、今度こそヘリからの攻撃を避けられない。

 

 

 

 

 

 ドーヴァー海峡上では、イギリスとフランスの魔術師たちが戦っていた。

 

 戦況は最初こそフランスが有利にしかけたが、イギリス第二王女キャーリサと『騎士派』がそれを押し返した。

 

 移動要塞グラストンべリ。

 

 この空中要塞の周囲を、強引に一時的なイギリス領と定義することによって、騎士派はカーテナから『天使の力(テレズマ)』の供給を受けることができる範囲を広げた。

 

 しかし、

 

「……順調に勝ち進んでいると、敵の隠し玉の布石だと警戒してしまうのは職業柄ですかね」

 

 騎士団長(ナイトリーダー)が考えているのは、フランスの軍師。

 

 彼女は『首脳』や聖女サマなどと呼ばれていた。

 

『傾国の女』。

 

 ジャンヌ=ダルク。マリー=アントワネット。フランスの歴史には、しばしば存在するだけで歴史を変えてしまった女性が登場する。そういった国なのだ。

 

 彼女もまた、そのような存在だった。

 

 当然ながら、フランスという国家にとっては目の上のたんこぶである。しかし、その力の大きさを考えると、処刑も簡単にはできないのだ。故に、フランスという国家はヴェルサイユの地下へ幽閉するという手段を採った。

 

 それほどの脅威。

 

 キャーリサは、騎士団長に適当な調子で言った。

 

「追い詰められたと知れば、通常の軍事行動からはありえない暴挙に出る危険性もある」

 

 それを防ぐには……その暴挙を起こされる暇を与えずに、一気に制圧してしまうのが理想的だ。

 

 しかし。

 

『私が頭を使うことは分かっているのに、どうしてその可能性を考えられないのでしょうかね』

 

 

 

 ゴッ、と騎士団長の体が、莫大な衝撃によってなぎ倒される。

 

 

 

 彼は『全英大陸』によって莫大な力を得た騎士たちの中でも、最も強い実力を持つ。それは、かつてのクーデターの中で、『聖人』である神裂火織を一蹴したことからも分かることだ。

 

 奇襲とはいえ、そんな彼が簡単に弾き飛ばされる相手など、フランスには1人しかいない。

 

 白いゆったりとした華美なドレスに包まれたその肉体は、不健康な印象を与えるほどに華奢で白かった。しかし、その片手には赤や金を基調にした、派手な西洋剣が握られている。

 

「……実は、この私が動けること。これこそがフランスが張った最強の策ですよ?」

 

 デュランダル。イタリア語読みでドゥリンダナとも呼ばれる。

 

 決して壊れず、そしてどんなに硬いものでも切り裂く。聖騎士ローランが所有していた、フランス最強の聖剣。

 

「――ゼロにする!」

 

 騎士団長(ナイトリーダー)が叫ぶ。どんな名剣をも(なまくら)へと変える、ソーロルムの魔術。それは、デュランダルから攻撃力というものを消し去った。

 

 そう思われたが、

 

「甘い」

 

 イギリスとフランスの歴史の境界は、実のところ非常に曖昧だ。イングランドの王ウィリアム一世が、元々フランスの貴族であったように。

 

「確か、あなたの術式は王家に関する武具には適用されないんでしたよね?」

「しま――ッ!?」

 

 フランスという国家の力を束ねたその一撃が、キャーリサを襲った。

 

 カーテナ=オリジナルは、クーデターの終結と共に失われた。カーテナ=セカンドは、女王エリザードの手にある。

 

 ならば、キャーリサに防御策はない。

 

 しかし。

 

 

 ガッキィィィィィィ! というかん高い音と共に。

 

 第二王女は、確かにその斬撃を受け止める。

 

 

 

「なぜ?」

 

 ぽつり、と『傾国の女』が呟いた。

 

 キャーリサの手に数センチの金属が握られていて、そこから飛び出した光の剣で、彼女の聖剣が受け止められていたのだ。

 

 フランスの力の象徴。それに拮抗するその光は。

 

「イギリスとフランスの歴史は意外と曖昧。お前が言った台詞だし」

 

 ジョワユーズ。

 

『神の子』を処刑した槍『ロンギヌス』の欠片を柄頭に埋め込んだ聖剣。

 

 それと同じ。

 

「カーテナ=セカンドの、欠片ですか?」

 

 クーデターの際、カーテナ=セカンドはカーテナ=オリジナルと打ち合う中で、すり減ってしまった。

 

 彼女が手にしているのは、その欠片。

 

 由緒ある王族の手に罹れば、欠片だろうとそこから聖剣の力を引き出すことができる。

 

 だからこそ、かつてキャーリサはカーテナの破壊ではなく、クーデターによる王族の血の消滅を図ったのだから。

 

「実は、この私が動ける事。これが、我がイギリス最大の秘策よ」

 

 

 

 

 

 一方通行(アクセラレータ)は、背中から生えた2本の漆黒の翼を振り下ろす。

 

 ただし、今回は上条当麻ではなく、その手前にある地面を狙った。轟音が炸裂し、土砂が高さ15メートル以上の津波となって少年に襲い掛かる。

 

 確実に死んだ。

 

 ちらりとそう思ったが、次の瞬間には土煙の中からひとつの影が飛び出してきた。

 

 一方通行は、あの8月の夜の時以外にも思い出したことがあった。

 

 第三位に関するうわさには『超電磁砲(レールガン)を右手一本であしらう、正体不明の無能力者(レベル0)』という噂がある。それがあの少年だろう、ということは簡単に予想がついた。

 

 しかし、疑問がある。

 

 超電磁砲は音速の3倍、雷撃の槍はそれ以上の速度を誇る。脊髄反射で右手を突き出したところで、間に合うものではない。しかも、それを向かってきた場所に合わせることは、普通に考えれば不可能だ。

 

 だがここで、当麻との付き合いが長い駿斗も考えている結論を、一方通行は導き出した。

 

(前兆の感知)

 

 たとえば超電磁砲の場合、その砲撃の前に周囲に電磁波と磁力がまき散らされる。周囲にあるクリップやドアノブ、砂鉄などの微弱な変化を読み取り弾道を予測するのだ。

 

 雷撃の槍の場合には、右手を目の前に突き出しておくだけで、避雷針のようにそこに吸い込まれるのかもしれない。

 

 砂鉄の剣の場合、磁力線の一部でも触れることができれば、そこから連鎖的に破壊できる。

 

 重要なのは、勝つための方法があるかどうかではない。一種類のパターンに頼り切らず、その時その時の状況から最適解を導き出す、というスタンスだ。

 

 それは、右手の特性を最大限に生かした戦法だろう。なにしろ他の能力とは異なり、一方通行(アクセラレータ)のように数少ない『たったひとつであらゆる攻撃を防ぐことが可能な力』である。しかし、そこらへんの喧嘩慣れした無能力者(レベル0)にあの右手を与えたところで、とても使いこなせるものではないはずだ。

 

 おそらく、彼はそれを全て無意識で行っている。

 

 周りに能力という存在がなければ、本人にすら認知されない。それでいて、最強の能力者すら殴り倒すことができる、学園都市最大の常識外れ(ジョーカー)

 

「「おおおおおおおおおっっっッッッ!」」

 

 黒い翼と右拳が交差し、わずかに速く届いた拳が、一方通行の体を殴り飛ばす。そのために黒翼の軌道がそれるが、その余波は右手の少年だけでなく一方通行をも吹き飛ばした。

 

 起き上がった2人が、最短距離で突撃する。

 

「オマエはヒーローだろォが! あの『実験』を拳ひとつで止められたほどのヒーローだろォが! 俺みてェなクソッタレの悪党が、今まで立ちあがっていた方がおかしかったンだよ!」

 

 一方通行自身、自分が何を言いたいのかもわからなかった。ただ、この激闘の中で、ふと2人の視線が地面に横たわる少女の方へ向けられた。

 

 その後に、黒い翼が膨張した。100以上に分断されたそれが、ありとあらゆる方向から一斉に1人の無能力者(レベル0)へ叩き付けられる。

 

 少年の体だけでなく、地面そのものが爆発した。

 

(これで死ンだろ……。死ななきゃおかしいだろ)

 

 そうでなければ、おかしかったのに。

 

「なんで今ので死なねェンだよ、ヒーローッ!?」

 

 それでも、少年は立っていた。

 

 その服は引き裂かれていた。その手足からは、赤いものが滲んでいた。体中が泥に汚れ、決して少なくない怪我を負っていた。

 

 それでも、その少年は2本の足でしっかりとその体を支えていた。

 

「……ヒーローなんか必要ねえだろ」

 

 当麻は、絞り出すように言った。

 

 善人? 悪人? そんな立場如きに、一体何の意味があるというのか。善悪など、その場にいる人々が感情の多数決で決める程度のものでしかない。この歴史において、多くの聖者や英雄が処刑されているのは、善悪というものがそれまでに曖昧なものであるからなのだ。

 

 何より、上条当麻は聖者などではない。

 

 だから、その程度のものは当麻の原動力にはならなかった。彼が抱いているのは、もっと簡単なものだ。

 

「目の前で泣いてほしくない人が泣いているんだ。助けて、って一言を言うこともできずに、唇をかんで耐えている人がいるんだ!」

 

 それだけで十分なのだだ。決して、特別なポジションなどいらない。

 

 たとえ、かつて疫病神の烙印を押された少年だろうが、自分自身が何者かも分からずにいた迷い人だろうが、かつて闇の中にその身を浸していた少女だろうが。

 

 自分の想いだけで動いたとしても、いいはずだ。その先に、みんなが笑うことができる結末を求めても、いいはずだ。

 

「お前自身はどうしたいんだよ! たいして知りもしない人間を勝手に持ち上げて、そいつに一番大切なものを預けて、それで全部満足できるのかよ!」

 

 その間にも、黒翼が振るわれ、爆音がまき散らされていた。

 

 だが、上条当麻の進撃は止まらない。その右手で攻撃の一部を打ち消し、そのわずかな隙間に体をねじ込んで、さらに前へ前へと進んで行く。

 

 その光景に、一方通行の背筋に寒いものが走った。彼は、少年の評価を間違えていたことに気が付く。

 

 彼のその真価は、その右手ではなかった。隣にいた少年や少女などの仲間でもなかった。

 

 ただ、少年は諦めなかった。

 

 何があっても絶対に諦めずに敵に向かって突っ込んでくることこそが、最大の脅威であるということに、学園都市最強の超能力者(レベル5)は初めて気がついた。

 

 そういえば、と思い出す。あの時、最もあの少年のことを恐ろしいと感じたのは。

 

 満身創痍の状態で、自分より華奢な少女に支えられないと立っていられなくなっていても。それでも立ち上がって、その拳を握ってきた瞬間ではなかったか。

 

「このままお前の手で守り続けるのか、他人に全部預けて逃げるのか、それとも俺の手を借りて協力してほしいのか!」

 

 拳が、かつてないほど強く握られる。

 

 

 

「傲慢だろうがなんだろうが、お前自身が胸を張れるものを自分で選んでみろよ!」

 

 

 

 そもそも。

 

 一方通行(アクセラレータ)が『悪党』にならなければならない理由など、なにひとつとしてなかった。本当に大切なものを守るためには、善も悪も関係ないのだ。それならば、彼はその背中を追いかけているつもりで、異なる方向へ向かっていたのかもしれない。

 

 顔面への衝撃の後、後ろ向きに雪の上へ倒れ込みながら、一方通行の心の中にわだかたまっていた幻想が、壊れていくのを感じた。

 

 当麻はしばらくすると、レッサーと共にその場から立ち去った。打ち止め(ラストオーダー)の頭を右手で触れ、なんらかの影響を受けているであろう元凶を少しでも取り除くと、彼の下にひとつ、メモ書きを残しておいた。

 

 Index-Librorum-Prohibitorum――禁書目録、と。

 

 

 

 

 

 視界を遮っていた針葉樹の壁は失われてしまった。それはすなわち、高射砲が戦闘ヘリの攻撃から逃げる術を失ったことを意味していた。

 

 西部劇のような、正真正銘、真っ向からの撃ち合い。しかし、浜面達が駆る高射砲に比べて、上空を闊歩する戦闘ヘリはあまりにも有利だった。

 

 必死にキャタピラを操作する浜面をあざ笑うかのように、ヘリは正確にその軌道を合わせてきた。

 

 機銃はまともに当たらない。地対空ミサイルは、打ったところで回避されるのが目に見えている。

 

 回避はできない。

 

 反撃もできない。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!」

 

 ……おしまいだ。

 

 思わず滝壺の名前を叫んだその時、甲高い音が鳴り響いた。分厚い金属板を、武器が貫通する音だ。

 

 ただし、それでも浜面たちは死んでいなかった。

 

 

 

 なぜなら武器に貫かれたのは、高射砲ではなく戦闘ヘリの方だったからだ。

 

 

 

「……は?」

 

 戦闘ヘリの側面に、巨大な剣が突き刺さるのを見て、浜面の口から、思わず間の抜けた声が出る。 全長3.5メートルもの大剣の側面に書かれたAscalonという文字が、やたらと目についた。

 

 常識外れの光景は、その後にも続いた。地上からは20メートル以上離れた上空を飛んでいた戦闘ヘリに、地面から跳んだ人間が飛びついたのだ。

 

 棒高跳びの世界記録でも6メートル越えだというのにも関わらず、青系の衣装をまとった大男はそれをいとも簡単に成し遂げた。

 

 そしてそのまま空中で大剣のグリップを掴むと、ハンマーのように空の王者を振り回し、地に墜とす。

 

「……いわれなき暴虐から人々を守り、流れる必要のない涙を止めるために、敵の武器を奪いながら全力で戦う姿勢は見事である」

 

 炎の中から、低い男の声が響いてきた。流暢な英語だった。

 

 そして、次の瞬間には炎が吹き散らされた。声の主は、周囲に不自然に水の塊を漂わせながら、浜面たちがいる高射砲の方へ語り掛ける。

 

「詳しい事情は分からぬが、この後方のアックア、背熱ながら助力させてもらおうか」

 

 

 

 その頃、学園都市の戦闘機のパイロットと、イギリスの第二王女キャーリサは、奇しくも同じ言葉を口にしていた。

 

「クレムリン・レポート」

 

 あるいは『細菌の壁』。

 

 空気感染だけではなく、皮膚上からも人の体内に侵入する細菌兵器だった。

 

 兵器であるため、当然ながら侵入した人や動物の息の根を止めるものだ。これは、その高架に加えて油分を分解する効果を併せ持っているため、対BC兵器用のマスクやダクトのフィルターに穴を空けることができる。

 

 そんな恐ろしい兵器の使用目的は、核兵器発射施設の防衛だった。

 

『当然、施設で働いているロシア軍の人間や、周囲で普通に暮らしている民間人に避難勧告を送ることはない。各発射施設の安全確保のみを優先したマニュアルだからな』

 

 対応したワクチンもなく、熱処理などに対しても高い耐性を持つ。殺菌するためには、極めて高い濃度のオゾンを用いる必要があるが、そんなものを感染した人々に使用できるわけがない。

 

 そのことに、ロシア空軍のパイロット・エカリエーリャは、操縦桿を握る両手を震わせた。

 

「敵国の言葉だ、そんなものが信用できるか!」

『そう言うと思った。だから用意もしておいたよ』

 

 近頃の戦闘機はアナログな針のメーターではなく、複数のデジタルモニターで、様々な計器からの情報を多角的に映し出せるようになっている。

 

 その中のひとつが強引にポートを開放させられ、情報を映し出していたのだ。

 

 その画面に表示された数値や文章に、エカリエーリャは自分の心臓が鷲掴みにされるかのような感覚を覚えた。

 

『どう判断する? お前たちの上層部は、本当にロシアの人々を守ってくれると思っているのか?』

 

 一方で、イギリスの第二王女とフランスの聖女もまた、互いに聖剣を振るいながらも言葉を交わしていた。

 

「……何ですって?」

「わざわざ、クレムリン・レポートを自分の目で見るまでは信じない、などというつまらない台詞を吐くつもりか?」

 

 両者の間で力が爆発を起こし、10メートルほどの間が空いた。

 

 だが、フランスはローマ正教の庇護によって成長してきた経緯がある。そのため、彼らからの命令を反故にする訳にもいかなかった。

 

「貴女だって、自国の民を守るためにクーデターを起こし、ヨーロッパの民を駆逐しようとしたでしょう」

「それが必要な分ならね」

 

 キャーリサは、あっさりと自らの過去の過ちを認めた。

 

「だが、私は私の民を守るのに必要のない人員を殺害する気はないの」

 

 ローマ正教の庇護? それは本当にフランスが望むような盾だったのだろうか。実際には、ローマ正教からの圧力によって、起こす必要のない戦争を起こし、自国の民を窮地に立たせているのではないだろうか。

 

 そのことを指摘された『傾国の女』はわずかに黙った。そもそも、ヨーロッパの中で本格的な魔術攻撃をイギリスに対して仕掛けているのは、フランスだけなのである。

 

「さーどーする。私が己の宿敵と定めたフランスは、この程度のくだらない存在だったの?」

 

 

 

 第三次世界大戦の戦場が、新たな状況に向けて動いて行く中で、さらにそこへ新たな人々が飛び込もうとしていた。

 

 たとえば、第四位の超能力者(レベル5)

 

「……たーのしみだねー、はーまづらぁー」

 

 他には、幻想殺し(イマジンブレイカー)確保のために編成された特殊部隊を潰した、電撃の超能力者。

 

「ロシアまで行ってちょうだい。本来通りの仕事をしてくれれば褒めてあげる」

 

 そして、人ならざるものまで。

 

「さて、どうする」

 

 学園都市のどこかで、エイワスは目の前の存在に対して言った。

 

『彼女』は、一見して人のようでありながら、その正体は学園都市の能力者たちが形作るAIM拡散力場の集合体であった。

 

 風切氷華。

 

 しかし、今の彼女はいつものおどおどとした様子はなく、その瞳には力強い芯があった。

 

「大天使『神の力(ガブリエル)』。いや、不完全性を個性として認めるならば、ミーシャ=クロイツェフと呼んであげるべきか。一度蹂躙が始まれば、あの地にいる全ての人々に惨劇が訪れるだろう」

「だから、私に戦えっていうんですか」

「それもまた、興味深い選択肢のひとつだ。もっとも、君にはそれを選ばなくてはならないという義務もないが」

 

 能力者たちのAIM拡散力場にその存在を保っている彼らは、基本的にこの街が『現出(厳密には違うが)』に適した場所ではある。しかし、世界各地にいる妹達(シスターズ)を媒介にして、AIM拡散力場に指向性を与えてしまえば、ロシアの深部まで届かせることは可能だった。

 

「さて、どうする?」

「あなたは、どうするんですか?」

「何も」

 

 エイワスは、興味なさげにそう言った。

 

 これが、学園都市統括理事長アレイスター=クロウリーとの、決定的な違い。

 

 何か大きな目的のために、繊細な計画をひとつひとつ積み上げていく者と、指先ひとつで世界を滅ぼすほどの力を持っていながら、興味と気まぐれでしか動けない者は、はたしてどちらが恐ろしいのだろうか。

 

「言っても良い。ただし、私の『友達』には手を出さないでください」

「興味が沸かなかったならば、いくらでも」

「……手を出せば、たとえ『共食い』になったとしても、私はあなたの敵に回ります」

 

 エイワスは微かに笑った。

 

「それは逆に、私の興味を惹きつけかねない台詞だぞ?」

 

 

 

 

 

 エリザリーナ独立国同盟に入る車列の中の一台に、当麻とレッサーは乗り込んだ。

 

「……そうだよな。勝手にグズグズ悩みやがって。一方通行(アクセラレータ)に偉そうなこと言えた義理かよ」

 

 当麻はしっかりと前を見据えて、自分自身を殴り飛ばすかのような勢いで、笑いながらこう続けた。

 

「何が理由だ、何が正当性だ。そんなもん、欠片も必要ねえじゃねえか!」

 

 そう。

 

 泣いている女の子がいる。インデックスが、いつも通りの笑顔を浮かべることができずに、苦しんでいる。

 

 人が立ち上がるには、その事実だけで十分だ。

 

 正しいからじゃない。助けなければならないとか、そういうルールが存在するわけでもない。

 

 助けたい。

 

 ただ、その気持ちだけで動くのが彼ら『偽善使い(フォックスワード)』なのだから。

 

 その思いを再確認した少年は、再び拳を強く握りしめた。

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