とある神谷の幻想創造 神の右席編   作:nozomu7

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空に輝くもの

 御坂美琴は、学園都市製の超音速爆撃機HsB-02に乗り込んでいた。もともとこの機体はとある少年を確保・場合によっては暗殺するための特殊部隊を乗せる予定であったのだが、彼らは現在、第二十三学区の格納庫に放置されている。

 

 爆撃機であるためか、全長80メートルを超える巨体であるにもかかわらず、窓と座席がある場所は前方のコックピットしか存在しなかった。

 

 美琴は携帯端末の画面を見せながら、

 

「とりあえず、ここまで近づいて。あとは私が勝手にパラシュートで降りる」

「……こ、こんなことをして、自分がどれほどのリスクを背負っているのか、理解しているのか?」

 

 パイロットが口にしたその言葉に、こんなこと? と、美琴は端麗な眉をひそめた。

 

「アンタこそ、こんなことをしようとしていた自分を何とも思わない訳?」

 

 プロの暗殺部隊を、一介の高校生に差し向けようとしていた。しかも、その方法は、ツンツン頭のほうを確保したうえで、彼を人質としてもう一方をあぶりだすという作戦になっていた。

 

 別に、彼女は自分が善人だとは思っていない。あの街に生きる大人たちの、汚さというものも痛感している。

 

 しかし、彼女は同時に、あの街にいる人々が全てどす黒いものではないことを知っている。

 

 自分のせいで『実験』されていたにも関わらず、あのときの呼びかけに答えてくれた妹達(シスターズ)であるとか。『暗闇の五月計画』という非道な実験を受け、長い暗部暮らしを経験したにも関わらず、それでも懸命に光の中の生活になじもうとしている2人の少女だとか。幼いころに『才人工房(クローンドリー)』で『妹達』に関して、辛い経験を覚えながらも、それでも影ながら自分の妹達を支えてくれる、憎き胸部装甲を持つ同級生だとか。

 

 その事実を否定できないのか、学園都市の『闇』に染まっているはずのパイロットは、その事実を鼻で笑って否定したりはしなかった。

 

(……あーあ。こういうモードは私のガラじゃないんだけどな変なもんが感染したか)

 

 そう思いながら、美琴は頭をガシガシと掻いた。その直後だった。

 

 眼下の白い雲の下から、突如として巨大な『何か』が浮かび上がってきたのだ。街が丸ごとひとつ浮かんでいるような、常識を無視した光景。

 

(……何よ、あれ)

 

 学園都市の科学技術は、『外』の人間にとっても常識外れのものであるが、その街で暮らしている彼女にすら、常識をまるっきり無視した光景にしか見えなかった。

 

 しかも、

 

(う、そ……ッ!?)

 

 その塊の端、石橋のような場所に、ツンツン頭の少年がいた……ように見えた。

 

 しかし、美琴がその光景に衝撃を受けていることを気にしている余裕は、パイロットにはなかった。突然、自分が飛んでいる場所に巨大構造物が出現したため、ぶつからないように回避しなければならなかったからだ。

 

 しかも、その変化は止まらない。

 

 続けざまに、昼が夜へと変貌した。冗談ではなく、雲の上、上には何も遮るものがなく太陽の光が降り注いでいる光景だったものが、突如として青い月の輝く夜空へと変貌したのだ。

 

 その夜のロシア上空の中に、青い光があった。

 

 重力を無視して浮かぶ、人のようなシルエット。しかし、その背中には翼があることが分かった。一対ではない。クジャクのように、水晶のような翼が何本も背中から生えている。1メートル以下の小さなものから、100メートル以上はあろうかという長大なものまで、不均一なもの。

 

 そのうちの一本が振るわれたとき。

 

「嘘でしょオイ!?」

 

 明らかに、間合いの外にいたはずだった。にもかかわらず、HsB-02の胴体は真っ二つに割かれた。

 

 彼女は、下で展開していた攻撃ヘリとの間に磁力をつなげ、なんとか軟着陸を試みる。

 

 その姿を、彼女と瓜二つの顔を持つ少女が、カラシニコフ――世界的に有名なAK-47の派生型である、木と鉄を組み合わせたライフル――をその体に抱えながら見ていた。

 

 

 

 

 

 巨大な震動は、エリザリーナ独立国同盟の野戦病院にも襲いかかった。

 

 その時、滝壺は応急用のストレッチャーの上で、酸素吸引用マスクのマスクをつけられていた。そのマスクから延びるチューブにつながっているのは、酸素用ボンベではなく、複数の乾燥した香のような植物であったが。

 

 浜面にはさっぱり分からないが、とりあえずこれで毒素を取り除くことができるらしい。

 

 そこへ激震が襲った。

 

「滝壺!」

 

 悲鳴のような声を上げてジャージ姿の少女の下へ駆け寄ろうとする浜面を、エリザリーナは片手で制した。

 

 彼女は滝壺の口を塞いでいた酸素マスクを取ると、

 

「問題はないわ。処置は完了。これで、この子の体内にあった毒物は除かれた」

 

 あまりにもあっさりと言われたその言葉に、浜面も最愛も海鳥もフレンダも霧丘も……誰もその実感がわかなかった。

 

 学園都市の時代の最先端を行く医療でさえ、専門の機関でなければ治療を受けられないであろう症状。

 

 それが、こんなにもあっさりと解決できてしまったのだ。

 

 エリザリーナが言っていた通り、これはあくまでも体内の毒素を取り除いただけに過ぎない。すでに毒に侵されてしまった部位に関しては、再び別の治療が必要になる。

 

 その時、バタン! と大きな音を立てて扉が開かれた。

 

 顔を出したのは、一方通行(アクセラレータ)だ。

 

「どうか、したの?」

「どうかしたじゃねェぞ!」

 

 彼は、疑問を投げかけた霧丘をギロリとにらみつけると、

 

「外の様子は確認したか!? どォなってやがンだ、クソッタレが!」

「フィアンマね。まさか四界を揺るがすとは……」

 

 この野戦病院はもともと砦として使用されていた場所であるので、窓はなかった。ゆえに、外で起きていることは把握してなかったのだ。

 

 眉をひそめると、エリザリーナは一方通行と共に外の様子を確認するため、ドアの向こうへと消えていった。この砦は窓がないのだ。

 

 浜面も気にはなったが、

 

「じゃあ、私たちが行くってわけよ」

「滝壺を、よろしく」

 

 と、少女4人が気を利かせてくれたため、久しぶりに2人きりになった。

 

 まずは、床に倒れたままの滝壺を、ストレッチャーの上に戻す。しかし、彼女には今までに感じていたような、泥の詰まった袋を持ち上げるかのような重さは感じなかった。彼女自身に意識が戻り、浜面が運びやすいように体重を移動させるだけの気配りが可能になったということだ。

 

「はまづら……?」

「大丈夫だ」

 

 そう言った浜面の方が、安堵のあまりに体から力が抜けそうになった。

 

 とりあえず、滝壺の体調がこれ以上に悪化することを防ぐことは可能になった。

 

 ならば、これからは浜面達が仕掛ける番になる。

 

 守りから、攻めの姿勢へ。

 

「お前はまだ病み上がりだ。ここで待ってくれていても……」

「はまづら」

 

 滝壺は、遮るようにこう答えた。

 

「くちづけと平手打ち、どっちをすれば目が覚める?」

「そういうことを言われると、逆においていきたくなるよ」

 

 浜面は、乱暴な手つきで彼女の頭をなでる。しかし、その時床に散らばった書類の中に、見覚えのあるものがあった。

 

 正確には、その書類の内容ではない。そもそも、浜面にロシア語は読めない。

 

 見覚えがあったのは、その書類に載っている写真だった。

 

「……独立国同盟の加入希望地域と、その問題点について」

 

 滝壺がその書類を読む。そこには、以下のような内容が書かれていた。

 

 ディグルヴたちの集落は、エリザリーナ独立国同盟に接しているというだけで、ロシア軍に接収されそうになっていた。そのため、独立国同盟に加入を希望していたらしい。

 

 しかし、この国の人々は国境のすぐそばで苦しんでいる人々を助けてくれてはいなかった。

 

「集落や、そこに住んでいる人たちに問題があるわけじゃないみたい」

「どういうことだ?」

「集落の近くに、冷戦当時の核ミサイル発射サイロがあるの」

 

 滝壺が口にした言葉に、浜面はギョッとした。

 

 ミサイル自体はサイロから撤去済みであり、何十年も放置されていたらしい。しかし、それでも完全に解体されていなければ、『エリザリーナ独立国同盟はロシアの核ミサイル発射施設のノウハウを手に入れようとしている』と判断される恐れが出る。

 

「ふざけやがって……」

 

 ディグルヴたちが知らないうちに勝手に建設したくせに、そんなことで苦しめられているのが、浜面には許せなかった。

 

 しかも、それだけでは理不尽は終わらなかった。

 

「クレムリン・レポート……? まずいよ、浜面」

 

 彼女が手にしたのは、気象データなどが載っているレポートだった。風向きと気温・湿度の数値から、細菌の拡散状況を予測するものだ。

 

 ロシア軍から送信されているが、それは形式的にでも『警告』を発することで、自国内で行う軍事作戦を正当化させる狙いがあるという。しかし、実際にはこんな情報を実行数時間前に与えられたところで、大規模な避難などできるはずもない。

 

 実質的には、エリザリーナ独立国同盟に対する脅迫だった。次はお前だ、と示すための。

 

 その実態は、細菌兵器の運用。核ミサイル発射施設が占拠された、あるいはされそうになっている場合に、その場所を守るために強力な細菌兵器を散布する。

 

 当然ながら、その実行場所はディグルヴたちの集落近くにある発射サイロである。

 

「自分の国だぞ、ロシア軍は見境なしに細菌兵器をばらまくつもりか!」

「……弾道ミサイルが素通りする恐怖は、当のロシア軍上層部が一番理解しているはず。彼らはその阻止のためなら、なんだってやると思う」

 

 めまいがする思いだった。

 

 しかし、ここでいつまでも待っているわけにはいかない。

 

 現地に到着した瞬間に、散布が開始されるかもしれない。でも、

 

「ディグルヴたちを放っておけない。俺達にはリスクにしかならないのは承知している。でも、あいつらを見捨てたくない」

 

 止めるのが異常なのではない。本来ならば、こんなことが起こること自体が異常なのだ。

 

「あの集落ではほとんど会話もできなかったけど、でも、あそこの人たちがしてくれたことはちゃんと覚えている。私だって、あの人たちのために戦いたい」

「後悔はしないな」

「浜面こそ」

 

 ふたりは互いの顔を見合わせて頷くと、そろって病院の出口に向かった。

 

 すると、そこから出た直後に声がかけられた。

 

「……で、どうして、あなたたちだけ、で戦うことになって、いるの?」

 

 霧丘だった。

 

 彼女だけではない。最愛もいた。海鳥もいた。仕方がない、とややあきらめ半分呆れ半分のフレンダも、そこにいた。

 

 すぐそばで、彼らの会話を聞いていた。彼らの決意を聞いていた。

 

 だから、放っておけるはずもなく。

 

「二人きりでデートするのは、この戦争から超帰宅してからにしてください」

「全員で無事に自分たちの家に帰るまでが、戦争だぞ?」

 

 家に帰るまでが遠足です、的なノリで言われても……と浜面は戸惑いながらも、笑顔で「おう」と返した。

 

 彼らには、借りがある。

 

 

 

 

 

 冬のロシアの雪原に、叫び声がこだました。

 

 それは、人間や獣のものではない。それとは明らかに一線を画す、異質なものだった。

 

 大天使『神の力(ガブリエル)』。あるいは、ミーシャ=クロイツェフ。

 

「やめろォおおおおおおおおおおおおおッ!」

 

 ちっぽけな人間の声など、大天使には届かなかった。

 

 一振りで、学園都市の戦闘機や爆撃機が撃墜され、意図的に分解した水翼が、地上にいる戦車や駆動鎧(パワードスーツ)の部隊を蹂躙する。その莫大な衝撃波で、大空を飛んでいるはずの『ベツヘレムの星』にまで震動が襲い掛かってきた。

 

 戦争ではない。

 

 天罰。

 

 たったひとりの人間ごときでは、大天使を止めることなどできるはずもない。

 

(……だけど)

 

 駿斗ほどではないが、当麻もこの3か月間の間に、魔術というものをそれなりに理解してきた。

 

 彼は石の室内を飛び出す。

 

 大天使は、どこかにその存在を支える魔法陣などの基盤となるものがあるはずだ。それは、かつての『御使堕し(エンゼルフォール)』で知っている。

 

(だったら、あの天使が動けなくなるまで重要そうなものは片っ端からぶっ壊してやる!)

 

 目の前の石橋を駆け抜けると、そこには荘厳なパイプオルガンがあった。

 

 関係あるのかどうかなど分からない。ならば、右手で触って確かめればよい。

 

 そう考えて手を伸ばしたその時、突然わき腹に体当たりを食らった。

 

「――ッ!?」

 

 どうやら、近くの長椅子の影に隠れていたらしい。

 

 2人は互いにマウントポジションを取ろうとしながら回転を続け、そして襲撃者の体が長椅子にぶつかったところで、その回転が止まった。

 

 相手の体に乗り上げた当麻は、そのまま拳を振り上げて……そして、その右手をピタリと止めた。

 

「……サーシャ=クロイツェフ?」

 

 

 

 

 

 エリザリーナは、重苦しい野戦病院の中を早足で歩く。

 

「なんて事……!」

 

 彼女は、野戦病院の外に目を向ける。

 

 そこには、時間に逆らった『夜』が広がっていた。

 

 曇っているのではない。昼の空を照らす存在が、白い太陽から蒼い月へと変わっていた。

 

 そして、その闇の中を泳いでいるものがいた。

 

 天使。

 

 今のフィアンマがやっているのは、向かいくる敵を倒すために、地球全体を氷河期へと変えるようなものだった。

 

 そのエリザリーナを、一方通行(アクセラレータ)は壁に背を向けて観察していた。

 

 謎の存在エイワスは、ロシアに行け、と言っていた。その通りにしたら、意味不明の羊皮紙と出会った。それは、あの宙に浮かんでいる要塞に届けられる予定のものだったらしい。

 

 そして、その中からアレは現れた。

 

 天使。

 

(……俺や、あのガキが無理やりに関わらされた『謎』の中心核)

 

 9月30日に、木原数多の手によって起こされた『巨大な光の翼』の出現。それは、打ち止め(ラストオーダー)を介して行われた。

 

 そして、ヒューズ=カザキリと呼ばれるそれを基にして、あのエイワスは現れた。

 

 今、ロシアの大地を蹂躙しているあれも、エイワスに近い存在であるとすれば。あの要塞でよく似た技術で出現・制御されている可能性はある。

 

 すると、エリザリーナが彼を振り返って言った。

 

「逃げなさい」

「何だって?」

「早く! 今すぐに行方をくらませないとヤツらが来るわ!」

「ヤツらってのはどこの誰だ!」

 

 彼女が言うには、この戦争を起こした元凶は、あの宙に浮かぶ城の中にいる。そして、その城は未完成であり、その『最後のピース』がこの羊皮紙なのだ。

 

「今のインデックスの10万3000冊は、フィアンマがほぼ完ぺきに掌握している。しかし、過去の事例から、『天使』や『神の右席』に関する深い情報までは収録されていない可能性もあるらしいわね。その羊皮紙は、抜け落ちた『穴』を塞ぐためのものではないかしら」

「インデックス……?」

 

 エイワスは、禁書目録という言葉を覚えておけ、と言っていた。

 

 あのツンツン頭の少年は、Index-Librorum-Prohibitorumという文字を残していた。

 

 ここでも、またつながった。

 

 学園都市の暗部にいても知らなかった、この世界のもうひとつの闇と。

 

「あのガキを『天使』なんてメルヘンから解き放つための、最後の鍵になるかもしれねェンだ。手放すかよ」

「なら急ぎなさい」

 

 

 

 

 

 吹雪が風に蹴散らされ、土の壁が風の弾丸を受け止める。互いの攻撃で周囲に雪煙が巻き起こるが、それが立ち込める間もなく、次の攻撃で吹き飛ばされるので、視界が悪くなることはなかった。

 

 その猛攻の中で、駿斗はプロの戦闘集団を相手に、幻術や光学的虚像、物理攻撃と魔術攻撃をうまく織り交ぜて対処していた。

 

(ようやく、ジュダの術式の正体が見えた……)

 

 駿斗は、確信をもってその正体を口にする。

 

「奇跡の否定とは、まったくもって十字教徒らしくない術式だな、ジュダ!」

 

 その言葉に、互いの猛攻がふっ……と止まった。

 

 他の『十二使徒』はその術式の正体が看破されても、あまり表情を変えなかったにも拘わらず、彼だけがその表情を変えた。

 

 驚きと、悔しさが混ざったような顔つきだった。

 

「そこまで正確に分析されるとは、予想外でした」

 

 彼はふう、とため息をつく。

 

『神の奇跡』の否定。

 

 十字教をベース、あるいは影響を受けた逸話を基にした術式に対し、高度な耐性をつける術式。

 

 奇跡。呪い。祝福。災厄。

 

 あらゆる超常現象を真っ向から否定する。

 

 十字教に、真正面から喧嘩を売っているような術式であるが、そのこと自体に驚きはない。

 

 目の前のこの男は、裏切り者であるイスカテリオのユダに由来する名を冠しているのだから。

 

「ですが……今までの様子から察するに、様々な逸話を取り入れてはいても、あなたの術式のベースは十字教にあるはず。それとも、別の仏教式や神道式の術式を持っているのですか?」

「……」

 

 駿斗は、その返答に詰まった。

 

 ジュダの指摘にある通り、駿斗の魔術のベースはイギリス清教式の十字教がベースとなったものが多い。

 

 当然ながら、神道や仏教、ケルト、北欧なども使えなくはない。しかし、あくまでも十字教を軸に術式を組み上げてきた駿斗では、今まで使っているような威力のものは使用できない。

 

 正確には『陰陽ノ鏡』という、風水に陰陽五行説を加えた術式は使用できるが、あれはもとより術式に適した地脈・龍脈を持つ場所か、下準備を済ませた場所でしか使用できない。

 

 だから。

 

 

 

 ジュダの周囲にある雪が、突如として無数の氷となって襲い掛かった。

 

 

 

 その光景を見て、彼は目を見張った。

 

 その現象自体は驚くことではない。水を操る魔術師ならば、その量にさえ目をつむれば誰でもできる程度だ。

 

 問題なのは、そこに魔力も天使の力(テレズマ)も何も感じなかったことである。

 

「――忘れたか? 俺が、どんな街に住んでいる人間だったか、ということを」

 

 自在変換(マテリアルハンド)

 

 念動系統の能力と物質変換系統の能力を統合させた、その名の通り、あらゆる物体を手足のごとく操る能力。

 

 同時に、蒸発・凝縮・融解・凝固・昇華によって三態を操作する『状態変換』や、結晶化などの原子・分子レベルで結合状態を操作する『結合変換』、元素そのものを変化させる『物質変換』も可能である。

 

 まさに、物質の操作最強の能力。大能力(レベル4)相当の力をもってつくられた20本以上の氷の杭が、3人を襲った。

 

 彼らも、すぐにその場をとびのき、土の壁でそれを防ぎ、炎弾がそれを砕く。

 

 一方で、分子レベルで硬度と靭性を向上させた氷の杭は、複数の土の壁を砕き、炎の弾を受け止める。

 

 その直後、氷の杭が一斉に爆発を起こした。どうやら、氷の杭にルーンを刻んであったらしい。

 

(魔術による爆撃は、私には通用しない……いや、これは)

 

 氷の杭の爆発は周囲に霧となって漂い、彼らから視界を奪う。

 

(それだけでなく、霧をモチーフにした幻術が複数使用されているようですね)

 

 タデーは、その槍をくるりと回転させると、自分の立っている地面に突き立てた。

 

 その直後、巨大な雪の掌が、見えない障壁に阻まれる。

 

「結界……それも、単なる結界魔術ではない」

 

 霧が晴れたその場所から、駿斗はその目を細める。

 

「そういえば、タダイは神の子にその正体を明確にしない理由を尋ねたことがあった」

「ええ。『わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。父とわたしはその人と共に住む』と……それが神の子の回答です」

 

『神の子』がその正体を明確にせずとも、神の子を信仰する者のところへ神の子と神は現れ、その加護を与える。それを明らかにする言葉を引き出したのが、タダイ。

 

(どうするか……)

 

 いつまで経っても、突破口が見えてこない。

 

(これは、長期戦を覚悟するべきか……)

 

 しかし、彼は肉体的な疲労を治すことはできても、精神的な疲労は治すことができない。そして、精神面のスタミナは、喧嘩慣れした高校生の自分よりも、精鋭の魔術師たちである彼らの方が上だろう。

 

 隣にいるユリヤも、かなり消耗している様子だった。そもそも、この領域の戦闘についていけているだけでも、規格外なのかもしれない。

 

 だが『妖精』としての生まれつきの性質を持つ彼女にも、魔力量という限界がある。

 

 駿斗は、ずしりと重くのしかかってくる不安を打ち消すかのように、再び術式を組み始めた。

 

 

 

 

 

 本来の時刻に合わない夜空に、蒼い光が浮かんでいた。

 

 その何もかもが歪みきった世界を、後方のアックアと呼ばれていた傭兵、ウィリアム=オルウェルは見据えていた。

 

 端的に言えば、あの大天使はこの戦争を終わらせる力を秘めている。それも、ローマ正教・ロシア成教の勝利という意味ではなく、戦争をする人間を絶滅させる、という意味だ。

 

(なるほど。フィアンマが増長するのも頷ける)

 

 彼は、自分の力が遠く及ばないことを、率直に認めた。しかし、その上でこう考える。

 

(だが忘れたのか。『神の右席』の中で、この私が何を司っていたのかを)

 

 

 

 

 

 バチカンでは、ペテロ=ヨグディス枢機卿とその周囲にいる司祭・司教が感嘆のため息を漏らしていた。

 

 ある者は手で十字架を切り、ある者は聖書の一節を口にしていた。常に偉大な父に見守られているとはいえ、その存在をこれほど近くに感じられる機会などごく稀だ。

 

「おお……」

 

 ペテロ=ヨグディスもまた、興奮を隠しきれずにいた。しかし、それは他の者とは全く異なる感動であった。

 

 この機に乗じて、教皇の座を奪えるのなら。

 

 全てはそのためであった。イタリア全土にはすでにエージェントを潜り込ませてあり、暴動が起こっても、それを適正なレベルでとどめることができる手はずとなっている。

 

 瓦礫と一緒に死体の処分を済ませたころには、彼が世界で最も主に近い場所に上り詰めるのだ。

 

「ペテロ=ヨグディス枢機卿!」

 

 この身分違いの僧兵がこの場所に現れるまで、彼はその未来を疑ってはいなかった。

 

 だが。

 

「緊急事態です! 教皇選挙は一時中断されます! 我らで守りを固めますので、枢機卿は奥へお下がりください!」

 

 外からは喧噪らしきものが聞こえてきた。どうやら、暴動が起こっているらしい。それも、ローマ市内からバチカンの方へ流れているようだった。

 

 だが、

 

「ローマ正教の部隊を動かして鎮圧しろ」

「無理です! その指示は我々の命令系統上、競合を起こしています!」

 

 現在の枢機卿を超える権力を持つ者。

 

 そんな人間は、このローマにおいてただひとりしか存在しない。

 

 目を覚ましたローマ教皇は、皆に声をかけ、近づき、声を聴き、高ぶっている神経をなだめた。

 

 普通であれば、荒々しい民衆の異様な熱にさらされて、袋叩きにされてもおかしくはなかった。しかし、彼は初歩的な思考誘導の魔術すら使わなかった。

 

 それなのに、槍を握っていた僧兵の手から力が抜け、軍人は構えていた銃を下ろし、プロのエージェントすら、懐にある拳銃に手を伸ばすことができなかった。

 

 

 

(この人がつくる小さな流れだけは、絶対に断ち切らせてはダメだ……!)

 

 

 そんな得体のしれない恐怖に縛られた状態で、エージェントは始まったローマ教皇の進軍を見送った。

 

 皆が祈り、武器を落とし、中には涙ながらに懺悔する者もいた。そして、誰もがその後ろに列をつくり、ひとつの穏やかな波となって、バチカン市国の国境となる門を超えた。

 

 そこを通さないようにするはずの僧兵たちは、その姿を前にすると、ゆっくりと十字を切った。

 

 善きことが訪れますように、との声もあった。

 

 世界大戦という大きな魔物に、人間の理性が立ち向かう。

 

 剣と銃を武器にする相手に、正義と博愛をもって立ち向かう。

 

 その結末を突き付けられたペテロ=ヨグディスは、涙ながらに叫んだ。

 

 この男を殺せ、と。

 

 私が教皇になれば、何十倍も豊かな暮らしを約束する、と。

 

 この教皇がいたために、この戦争が起こったのだ、と。

 

「案ずるな」

 

 重々しい老人の声が、泣き叫ぶ幼子のような男を、一瞬で黙らせた。

 

「教皇選挙を行うのであれば、私にそれを止める意思はない」

 

 マタイ=リースは、死刑台に向かうことも覚悟した上で、それでもこの戦争を止めに来た。ローマ教皇としてではなく、ひとりの信徒として。

 

 そのために、かつて禁書目録という少女を招き入れた、聖ピエトロ大聖堂の地下書庫から、フィアンマを止めるための方法を探ることを、簡潔に伝えた。

 

 殺される。

 

 近づいてくるマタイ=リースを前に、枢機卿はそう考えた。彼の魔術の腕は知っているし、そんなものを使わずとも、その号令ひとつでペテロ=ヨグディスという男は、周囲の市民の手で八つ裂きにされるはずだ。

 

 しかし、その老人は笑顔でぽん、と愚かな男の肩に手を置いた。

 

「この辛い情勢の中、よく20億人の信徒を束ねておいてくれたな。教皇選挙の際は、私はお前に投票しよう。微力ながら、お前の進む道に協力させてくれ」

 

 それだけ言って身を翻すマタイ=リースの力強い背中には、ペテロ=ヨグディスが求めたもの全てが備わっているように見えた。彼は、その場に泣き崩れながらその大きすぎる背中を見つめていた。


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