とある神谷の幻想創造 神の右席編   作:nozomu7

74 / 76
善意で人は繋がっている

 麦野沈利の『原子崩し(メルトダウナー)』は、もう使い物にならない。

 

 二、三発『撃つ』ことは可能でも、『体晶』でボロボロになった体では、そのあたりが限界だった。

 

 滝壺理后はそもそも使い物にならない。体調が万全でないのもそうであるが、それ以前に彼女は後方支援向きだ。手足を使った肉体格闘も得意ではない。

 

 フレンダは、得意の爆薬がもうほとんど残っていない。

 

 つまり、現状でまともな戦力になるのは、霧丘の『座標確立(セトルポイント)』と最愛の『窒素装甲(オフェンスアーマー)』、黒夜の『窒素爆槍(ボンバーランス)』だ。

 

 しかし、彼女たちは大能力者(レベル4)であっても、似たような系統の能力を持っている。そのため、窒素に何か介入するような技術を使えば2人はほぼ完全に無力化が可能であり、霧丘にしても、光学迷彩など、指定座標を誤魔化すような技術を使用すれば、ある程度は崩すことが可能だ。

 

 強力な能力というのはその反面、弱点が露呈しやすくもある。

 

 襲撃者はそのことがよく分かっていた。

 

 だからこそ、これ見よがしに爆撃機から投下してきたのだろう。接近に気を使われている様子がない。それはつまり、気を使わなくても問題ないと判断されたということだった。

 

 数十メートル先にいる兵士は、おおよそまともな格好をしていなかった。

 

 黒一色の服装の中、顔を覆うのっぺりとした仮面だけが金と白であった。目や口の穴すら存在しない。

 

 浜面はアサルトライフルの安全装置を親指で弾き、両手で構える。最愛と海鳥、霧丘も能力を発動済みであった。戦力外の麦野と滝壺、フレンダは、近くの洞窟へ避難するように指示を出してあり、この場にはいない。

 

 ぐるん! と襲撃者の首がこちらへと向かった。最愛は警戒しながら、自らが盾となるために一歩前へと出る。

 

 猶予はない。

 

 浜面はためらいなく引き金を引いた。

 

 右腕から殴られたような衝撃が来る。

 

 一発目は、途中の木の幹に当たった。そして二発目は、襲撃者へと一直線に向かっていった。

 

 しかし、甲高い音と共に、銃弾は弾かれた。

 

 服装や仮面の表面ではない。金と白の仮面の真ん中から、突如として生物的な外見の翼が盾のように広がったのだ。

 

 襲撃者の仮面には、自らの存在を誇示するかのように、金色の文字が躍った。

 

 

 

 Equ.DarkMatter.

 

 かつて麦野を易々と撃破した、学園都市第二位の超能力(レベル5)

 

 

 

「おおおおおおおおおおおおおおっ!」

 

 浜面は叫びながら、フルオートで弾丸を撃ち続ける。しかし、襲撃者は仮面から複数の翼を出して容易くそれを弾いた。

 

 轟! と襲撃者が突進してくるのに合わせて、海鳥が動いた。

 

 迎撃のためではない。槍の生成プロセスのひとつである『噴射』を制御し、窒素により小規模の爆発を起こしたのだ。

 

 4人全員が、その衝撃に吹き飛ばされながら体制を立て直す。しかし、立て続けに攻撃が来た。

 

 辺りの針葉樹がバターのように簡単に切断され、翼を間一髪で回避した浜面は、倒れてきた木に当たってその場に倒れた。針葉樹の下敷きにならなかったのは、幸いと呼ぶべきか。

 

「超能力は炎と似ている」

 

 襲撃者の1人がそんなことを言った。

 

 炎をそのまま使うのは、原始人の松明と変わりない。しかし、文明人は炎を使って鉄を打つ。

 

 すなわち、この世のものでない物質である未元物質(ダークマター)を利用して作られた兵器には、この世のものとは異なる性質が宿る。

 

「……超余裕じゃありませんか」

 

 最愛は吐き捨てた。霧丘が辺りの切り倒された針葉樹で襲撃者に殴りかかるが、その巨木は細切れにされた。

 

「今度は、麦野を『溶鉱炉』にでも超変えるつもりですか」

 

 敵が距離を詰めてくる。

 

 絶体絶命。

 

 そんな状態の中、あと一歩で手が届きそうな位置に迫ったところで、浜面が言った。

 

「派手にその辺を転がっちまったせいで、ポケットも中身がどこかに行っちまったんだがよ」

 

 その言葉を気にも留めなかった襲撃者であったが、ふと足元からジャリ、という音がした。

 

 透明なガラスの破片だった。

 

「ちくしょう、最後の希望だったんだぞ」

 

 絶対的に優位だった襲撃者に対して、浜面はこう言い放った。

 

 

 

「ロシアの工作部隊がばらまこうとしていた『細菌の壁』のパッケージ。わざわざ俺たちの前で踏みにじらなくてもいいだろうがよ」

 

 

 

 周囲の空気が一瞬で凍り付いた。

 

 学園都市の部隊である彼らも、その細菌兵器について報告は聞いていた。

 

 そして、彼らは特に対細菌兵器用の装備をしていない。『細菌の壁』は爆撃によって焼き払われているはずであり、まさか事前に浜面仕上が確保していたのは、完全に予想外であったからだ。

 

「くそっ!」

 

 初めて襲撃者に焦りが生まれた。意味がないと分かっていながらも、反射的に砕けたガラス容器から遠ざかろうとする。

 

「嘘だよ、マヌケ。そりゃ炭酸水のビンだ」

「!?」

 

 雪の上に膝立ちになった浜面が、仮面から出た羽根と羽根の間に、アサルトライフルを差し込む。

 

 銃声が鳴り、襲撃者の1人が倒れた。

 

「貴様!」

 

 他の襲撃者が、慌てて羽根で攻撃を再開する。まさか、自分たちから犠牲者が出るとは思っていなかったんだろう。それほどの戦力差だったはずなのだ。

 

 しかし、浜面はその攻撃を倒れた人間の仮面から伸びた羽根の影に隠れることでやり過ごした。そして死体を蹴り飛ばす。ちょうど、その羽根が襲撃者を襲うような角度になる形で。

 

 仮面から複数の白い翼を出し、全力で受け止める襲撃者。これ以上余裕がない状況の中で、最愛が襲撃者の背後に回り、その背後から拳を一撃お見舞いする。

 

 鈍い音と共に、襲撃者が1人倒れた。

 

 だが、そこが限界だった。

 

 最後の1人が、海鳥の槍を翼で受け止めながら後退すると、彼女たちの足元を払うように、翼を大きく薙いだ。そして、地面に転がった浜面の首元を、片手でつかんでかろうじて残っていた近くの針葉樹に叩きつけた。

 

「貴様らは手を出すなよ」

 

 一応、といった様子で、最愛たちに男は警告する。しかし、そこで口を開いたのは、浜面だった。

 

「……重要なことを忘れてんじゃねえのか? 『体晶』のせいで体のバランスを壊したって、麦野は第4位だ。2、3発程度なら何とか撃てるぞ」

 

 しかし、男の様子は変わらなかった。

 

「はったりだな。同じ手を二度も使えると思うな」

「そうかよ」

 

 浜面は、だらりと両手の力を抜いた。

 

 

 

「なら、勝ち誇ったまま撃ち抜かれちまいな」

 

 

 

 次の瞬間、眩い光と共に、浜面を掴んでいた右腕ごと、襲撃者の右胸まで空洞と化した。

 

「な……に……?」

 

 麦野沈利の一撃。しかし、彼女はまだ『体晶』の影響で正確な攻撃ができるほど回復していなかったはずだ。

 

 しかし、その隣には1人の少女がいた。

 

 滝壺理后。

 

 他者のAIM拡散力場、すなわち能力そのものに干渉することが可能な少女。

 

 その力を借りて、照準を補正したのだ。

 

 襲撃者の肉体が動かなくなる。力尽きたのではない。わずかな力は残っているものの、座標を固定する能力に最後の反抗すら封じられたのだ。

 

 その頭に、銃口が当てられる。

 

「これが、浜面仕上……」

「いいや、違うな」

 

 ふらつく体でアサルトライフルを構える少年は、はっきりと告げた。

 

 

 

「これが『アイテム』だ。死んでも忘れるな」

 

 

 

 

 

 駿斗が『ベツヘレムの星』に魔術をかけ、解析する様子を、ユリヤは横で見ていた。

 

(本当に、とんでもない、ことです……)

 

 片鱗しか理解が及んでいないものの、彼女にも駿斗が使う魔術の異様さは分かっていた。

 

 これまでの常識を、真正面から破壊してくるような、そんな力。

 

(……まるで、アレイスター=クロウリー、ですね)

 

 彼女は一人の魔術師の名前を連想した。

 

 その男は、一代にして近代魔術の基礎を築き上げたといっても良い、魔術世界の革命児である。

 

 現在、表向きにはイギリス清教から派遣された猟犬に殺された『ことになっている』、学園都市の(・・・・・)統括理事長と(・・・・・・)同姓同名(・・・・)の魔術師。

 

 と、その時。

 

 周囲が、光で満たされた。

(これは……天界とは似て異なる、新世界!?)

 

 たったの一瞬。

 

 しかし、その瞬間だけ、神谷駿斗の周りの世界が変化したのを、ユリヤは確かに感じ取った。

 

『妖精』の魔術的記号を生まれながらにその体に持っていた彼女にとって、それはある意味で懐かしさすら覚える感覚だった。

 

 しかし、それと同時に得体のしれない、何か怖いものを感じていた。

 

 だが、そのことに駿斗本人は気が付いていないのか、空中要塞の解析作業に没頭している。

 

 しばらくすると、彼は魔術の使用を終了して立ち上がる。

 

「……とんでもない要塞だが、概ねの構成は理解できた」

 

 彼はそう言って、その中身を雪の上に描き出す。

 

 フィアンマの要塞の内容が、丸裸にされる。奇しくも、それは別の場所でも起きていることであった。

 

 

 

 

 

 フィアンマにとって、世界を救いたいと考えること自体は、至極自然なことだと考えていた。

 

 それは、その右腕に特別な力を宿していたからだ。

 

 例えば、今にも核ミサイルが発射されようとしているとき、目の前にある発射装置の制御盤の鍵が、その右手にあったとする。

 

 そのような状況ならば、その鍵を使ってミサイルの発射を止めようとするのは、非常に自然なことだろう。自分は軍人や警察官でないだとか、そんな理由でやらないことの方が、不自然なはずだ。

 

 戦うことに理由などいらなかった。

 

 それは、目の前の男だって同じはずだった。立ち止まる理由など、ないはずだった。

 

 なのに。

 

 

 

 

 

 ゴッキィィィィィィン! という、甲高い音が『ベツヘレムの星』に鳴り響く。

 

 上条当麻の幻想殺し(イマジンブレイカー)が、右方のフィアンマの『第三の腕』を弾いた音だった。

 

 正面から受け止められないのであれば、受け流す。

 

 なぜだ、とフィアンマは疑問に思う。

 

 彼の右腕は『倒すべき敵の強度』に最適な出力を調整する。その『倒すべき敵』を明確に浮き彫りにすることもまた、この第三次世界大戦の役割だった。現在のフィアンマは、科学と魔術、その双方が入り混じる世界大戦の全てを相手取っても勝てる存在であったはずだった。

 

「……なぜ、受け止められる」

 

 彼は、遠隔制御霊装を掴み直す。

 

 天空で収束した黄金の光が、一直線に上条当麻へと降り注ぐ。

 

「それほどの性能か? たかが異能を消去するだけの力だろう!」

 

 しかし、その幻想を上条当麻は打ち砕く。

 

 雨のように降り注いだ無数の黄金の光、そのうちのひとつを右手で弾き、それが炸裂した余波で、他の光線と相殺したのだ。

 

「まだ分かんねえのか?」

 

 当麻の低く、重い声が響く。

 

 フィアンマの右腕の性能は、敵対者の実力によって変動する。そして、その力を最大限に発揮するために、フィアンマは第三次世界大戦を引き起こし、人々の悪意を増大させ、『倒すべき敵』の輪郭を明確にさせた。

 

 しかし、これならこうも言えるはずだ。

 

 

 

「もしも、みんなの心の中に、テメェが思っているほどの悪意がなかったとしたら。テメェが想定しているほどの力は引き出せねえってな」

 

 

 

 フィアンマの眉が、微かに動いた。

 

「……それは、前提が間違っている」

 

 遠隔制御霊装を強く握る彼の目に宿っているのは、憎悪だった。

 

「この世界は歪んでいる」

 

 基幹となる四大属性の歪み。資源不足。民族間の対立。宗教の対立。食糧不足。環境破壊。それらの問題は、完全に解決されることはなく、今日も続いている。

 

「こんな世界で、想定していた量の悪意を収穫できなかっただと? それは悪意という言葉の意味を知らぬ者の寝言に過ぎん! ……現にこうして大戦は継続している。そんな人間の心の奥底が、綺麗なものだと信じたいのか!?」

「確かに、人間の心なんて、外から見えるものじゃない」

 

 その叫びに、当麻は素直に認めた。

 

 人間の心は、決して無垢で純粋で、善意の塊のようなものではない、と認めた。

 

 しかし、その上で。

 

「人の本性は、それだけじゃない」

「何、だと……?」

「人の内側が、どうして一面しかないと断言できる」

 

 人は、単に他の人とのつながりを求めるだけの生き物ではない。

 

 たとえば、大切な人の身を守るために、他の人間を傷つける。

 

 たとえば、何かを独占するために、他の人間を貶める。

 

 たとえば、自分の安全と安寧と手にするために、時には人の命すら奪う。

 

 しかし、それだけではない。そのような闇と同じか、それ以上の光だって眠っているのだ。

 

 たとえば、大切な誰かを守るために、己の努力をすべて注ぎ込む。

 

 たとえば、その日に会った人に、惜しみなく善意の行動をささげる人もいる。

 

 たとえば、不幸ばかりにあう男のために、時には軽口を叩きながらも、どこまでも付き合ってくれる親友がいる。

 

 そうでなければおかしい。人間の本性が悪意でしかないというのであれば、とっくに昔に人類は滅んでいなければならないのだから。

 

 誰かを傷つけようとする心よりも、誰かを守ろうとする心の方が多かった。

 

 誰かを切り捨てようとする心よりも、誰かを救おうとする心の方が多かった。

 

 誰かを恐れた心よりも、誰かを求めた心の方が多かった。

 

 歴史が続いているというその事実こそが、滅びようとする心よりも、繋がろうとする心が強かったことの証明。

 

 例えば、先ほどのミサイルの制御キーの例にしても。

 

「キーなんていらないんだよ。鍵穴に針金を差し込んでもいい。制御盤の蓋をこじ開けてパソコンのケーブルを突き刺してもいい。何なら、発射直前のミサイルそのものに砲弾をぶちこんでもいい」

 

 キーのあるなしなんてものは、解決手段のひとつに過ぎない。持っていないからといって、ミサイルの発射をそのまま見送る理由など、ありはしない。

 

「……誰だって、戦っていいんだ」

 

 バカな、とフィアンマは呟いた。そして、彼はようやく気が付く。

 

 自分が相手にしていた上条当麻という男は、根本的に自分とは違う精神を抱いていたことに。

 

「インデックスは返してもらうぞ。それだけじゃない。イギリスと学園都市、ローマ正教とロシア成教。科学と魔術。そんな風にいがみ合うのも、第三次世界大戦も、ここで終わらせてやる」

 

 目の前にいる男は、世界最大の十字教宗派であるローマ正教、その最暗部のトップだ。その上、『ベツヘレムの星』に禁書目録の10万3000冊の知識、などで徹底的に強化されている。

 

 そしてこの少年は、少しばかり特殊な右手を持っているだけの高校生。

 

 しかし、憶する必要はなかった。

 

 これは、親友とずっと続けてきたことなのだから。

 

「俺はテメエと違って、人間の強さってやつを信じてる」

 

 

 

 

 

 その時。

 

 バルセロナの海岸線を突き破るように、異形の影が顔を覗かせた。

 

 100メートル前後の、黄金の腕。

 

 比較的戦火から離れた地域であり、周囲は厳戒態勢ではなかった。怖々と、その場にいた全員がそれに注目する。

 

 ボコボコボコボコ! と。

 

 地面から指先に向かって、黄金の腕が膨らんでいく。

 

 そして。

 

 

 

 破裂音が、世界に響き、30メートルを超える高波が全てを呑み込んだ。

 

 

 

 

 

 その時。

 

 東欧の戦線でも、同じように黄金の腕が破裂していた。

 

 しかし、ここでは高波が起こる代わりに、謎の雷雲が周囲を襲っていた。

 

「嘘だろ……」

 

 左右へ数キロ単位で膨張していく雲を前に、学園都市の男は、呆然と呟いた。

 

 これでは避けようがない――そう考えたとき、ロシア軍の装甲車の中に引きずり込まれた。

 

「お前……」

「もう戦争がどうのこうの言っている場合じゃない。指揮系統もめちゃくちゃだ。世界のあちこちで似たようなことが起こってるって、未確認情報も飛び交っている」

 

 女性兵士は吐き捨てるように言う。

 

「こっちも家族を守るために戦争やってるんだ。ここまできて、世界の終わりだの人類滅亡だの、そんなのにつきあってられるか!」

 

 ズドン! というすさまじい音が響き渡った。

 

 周囲に、純金にも似た黄金のリングが突き刺さっている。半径100メートル以上の巨大な輪となっていた。

 

 天使の輪のようだ、と女性兵士が思うのもつかの間、周囲には弧を描き先端が尖った肋骨のようなパーツや、川のような曲線を描く布の束などが、次々と生み出されていく。そして、周囲の針葉樹はそれに押しつぶされていった。

 

「……どうなってやがるんだ、ちくしょう」

「知るか」

 

 不幸中の幸いだったのは、ここが都市部ではなく雪原だったことか。

 

 しかし、この現象が1回だけという保証はない。

 

「また出てきやがった、どうする!?」

「決まってるだろう。破裂する前にケリをつける! 手伝え学園都市。お前たちの火力が必要だ!」

 

 すでに、彼らの目的は同じだった。

 

 不要な死人を作り出すようなものは、オカルトだろうが『細菌の壁』だろうが、まとめてぶっ壊す。

 

 

 

 

 

 そのころ。

 

 ロシア成教特殊部隊『殲滅白書(Annilatus)』の長である女性・ワシリーサは、かつての部下だった女魔術師を思い切り蹴り飛ばし、その体を砲弾代わりに、施錠された両開きの扉を強引に破壊した。

 

 軟禁されていた人物は、15歳ほどの少年だった。この、女性よりも線が細く、外に放り出せばすぐに永遠の眠りについてしまいそうな彼こそが、ロシア成教の総大主教なのである。

 

「はぁい、ロシア成教のトップ様。童話の少年とヒロインの立場とは丸っきり逆になっちゃったけど、とりあえず魔王の城から助け出しに来ちゃったわよん」

「……私をまだ総大主教と呼んでくれる者が残っていたとはな」

 

 結局、彼には何の力もなかった。皆が都合の良い『細工済みの調印』を免罪符に掲げて、撤回の言葉を聞こうとはしなかったのだ。

 

「可愛いので許す」

 

 ワシリーサは、ふざけた様子で総大主教の自虐の言葉を遮った。そして、窓の向こうに見える巨大な要塞『ベツヘレムの星』を指さす。

 

 あれは、世界中から十字教にとって重要なパーツを集めてつくられたものだ。しかし、それぞれのものは時代も違えば、設計者も違う。簡単にくっつけられるものではない。

 

 つまり、接続のための術式があるはずなのだ。

 

「解析してしまえば、要塞のジョイントを切り崩すことができる」

「そうか。……確か、この近くに現象管理縮小再現施設があったな」

 

 ロシア成教は『オカルトの検閲と削除』を旨とする宗派だ。その一環で、亡霊や心霊にまつわる現象の発生条件を探るための、ジオラマ作成と再現実験の施設が存在していた。

 

「リミッターを外せば、人間が扱うロシア成教式の魔術に対しても適応させられるわ」

「私に外せということか」

「できるかにゃーん?」

 

 ワシリーサに頭をなでられそうになった総大主教は、それをひょいと躱して扉へと向かう。一方で、躱されたことによって余計に身をぞくぞくとさせながら、一本足の人食いばあさん(バーバ・ヤーガ)を連れた彼女はその後を追った。

 

『ベツヘレムの星』には、ロシア成教だけではなく、ローマ正教の術式も、当然ながら使われている。しかし、その点に関しても問題はなかった。

 

 

 

 

 

 その時。

 

 ローマ教皇という立場を捨てたマタイ=リースは、半壊したバチカン大聖堂の地下へと潜り込んでいた。目的は、右方のフィアンマが使用している術式の情報だ。

 

 そこへ、通信が入った。

 

『はぁい、ダンディな紳士様。そっちの調子はいかがかしらん』

「ふん。つなぐ相手は私でいいのか?」

 

 ロシア成教からの通信に応えながらも、奥へ歩みを進める。

 

『ところでさ、ローマ正教としてはオッケーな訳?』

 

 右方のフィアンマは、現在のローマ正教ともロシア成教とも相容れない。

 

 しかし、その一方でローマ正教に莫大な恩恵を与えてきたこともまた、事実だった。

 

 つまり、フィアンマを止めることは、ローマ正教の基盤の一つを砕くことになる。

 

 しかし、『元』ローマ教皇のマタイ=リースはこう断言した。

 

「構わんさ。……皆を守れぬ力など、持っていても意味はない」

 

 彼は、地下にある膨大な資料に目をくれる。

 

 それはかつて、禁書目録という小さな少女を招いたこともある巨大な書庫の蔵書だ。

 

「我々は、自らの敗北のために力を貸しているのですね」

「敗北ではない」

 

 マタイ=リースの後についてきた若い神父の絞り出すような言葉を、元教皇は強く訂正した。

 

「我々は勝利のために戦っている」

 

 禁書目録を招くほどの純度の高い知識は、それだけで人間の肉体を蝕んでいく。しかし、頭痛に顔をしかめる彼は、慌てて介抱しようとする若い神父を片手で制した。

 

「まだ戦える」

 

 右方のフィアンマは、ローマ正教の最暗部だ。そして、ロシア成教からの支援を受けていた。

 

 しかし、それだけではない。イギリス清教から、禁書目録の遠隔制御霊装を強奪している報告も受けている。

 

 ならば、最後の鍵は。

 

「イギリス清教の、最大主教(アークビショップ)か……」

『ねーねー。どっちがあの女狐に話しかけるか、ジャンケンで決めない?』

 

 

 

 

 

 彼らだけではない。

 

 例えば、サーシャとレッサーの場合。

 

「第二の回答ですが、フィアンマは私の肉体を利用して『神の力』を呼び出し、空一面の環境を自分の望むように変化させました。……ならば、私が、私自身が、フィアンマの計画にくさびを打ち込む要因になるかもしれません」

 

 サーシャはL字のバールで床を傷つけながら、魔法陣を描いていった。その横にいるレッサーは、ようやく脱出できると思っていたばかりに、やややけくそ気味に言い放つ。

 

「ええいくそ! じゃあ手早く終わらせますよ!」

「第三の回答ですが、そこまでしてもらう必要は……」

「どのみち、あなたがその道を選んだことで、脱出計画も一時停止は確定してしまったようなんですよ」

 

 レッサーが親指で指した彼女の後ろでは、脱出用のコンテナから降りたロシア成教の魔術師たちが、彼女たちのほうへ近づいてきていた。

 

 サーシャの描く魔法陣を、より複雑に広げていくために。

 

「こうなったら、結果を出すまで『流れ』は変わらないでしょう。だから、さっさとフィアンマの計画に一矢を報いるとしましょうよ」

 

 

 

 

 

 その時。

 

 黒を基調とした修道服をまとった少女たちの集団が、ロシアの雪原を高速で移動していた。

 

 元アニェーゼ部隊。

 

「シスター・アニェーゼ。救助対象を発見」

「良いですか、シスター・アンジェレネ。シェルターには『神の子』の産着と飼葉桶の理論を応用します!」

「重傷者は次の爆発が起こる前に搬送させてしまってください!」

「軽傷については各シェルターへ!」

 

 彼女たちが『シェルター』と呼んでいるものは、木の骨組みと大きな白い布を組み合わせたテントのようなものだった。しかし、それらはばね仕掛けの玩具ように十数秒で展開されていく。

 

「なん、だ。お前ら……」

 

 所属を聞いても「そんなことを論じるためにここに来たのではないのでございますよ」と、見慣れた抗生物質ではなく草木でできた薬品を修道女は取り扱う。

 

 そこに、通信の声が響き渡った。

 

『やれやれ。綺麗好きのフィアンマの野郎、ここまで大掃除のスケールを大きくするとは参ったのよ』

「やはり、これはフィアンマの浄化作戦の一環だと?」

『そう考えるのが無難よな。予定調和の破壊に加えて、再建のために必要な物資の生産まで行ってやがる。……とはいえ、人類では破壊できない新物質など与えられたところで、ただのデカいゴミなのよ』

 

 ま、1人の少年なら、苦も無く加工しやがるとは思うのよな、などという声が聞こえたのは、シェルターの壁に貼り付けられた、カードのようなものだった。

 

 すると、そこで地響きが鳴る。すぐ近くの地面から、黄金の腕が突き出たのだ。

 

 学園都市の男も、すぐ隣に寝ていたロシア兵も、痛みに顔をしかめながら起き上がろうとした。

 

「くそ、銃をよこせ」

 

 せめて、こんな人の良いやつらが逃げるための時間くらいは稼ぐ。

 

 そんな思いで起き上がった彼だったが、その必要はなかった。

 

 

 

 ゾン! と、一本の長大な刀が、黄金の腕を根元から切断したからだ。

 

 

 

 2メートルを超す長さの刀を振り回す東洋人の女も異常ではあった。しかしそれ以上に、100メートル以上の長さを持つ黄金の腕が切断されることがおかしかった。腕は、その長さに見合うだけの太さを持っているため、一撃で切断されるはずがないはずだ。

 

 しかし、結果は明確にそこにある。

 

『ようは、ビニール袋の切り口と同じ理屈です。標的に小さな傷をつけた上で、あとは標的自身の重さで切り口を強引に裂いてしまう』

 

 唖然とする男たちの下に、修道女が手に持った、カンテラという古めかしい照明の光を当ててきた。

 

 しかし、単に光に照らされただけで、彼女が光と共に立ち去った後も、体の表面が薄く光り、体が内側から支えられる感触があった。

 

「生き残るためにせよ、強敵の前に立ち塞がるにしても、まずは五体満足に体を動かせる環境を整えなければならないのでございますよ」

 

 学園都市の男は、まだ使える駆動鎧(パワードスーツ)や戦車がある場所を、頭に思い描く。

 

 間もなく、男は出撃の準備を終える。

 

 

 

 

 

 その時。

 

 イギリスの聖ジョージ大聖堂。

 

 魔術師ステイル=マグヌスの肩から胸にかけて、光の粒子が集まってできた西洋剣が、容赦なく食い込んでいた。

 

 豊穣神フレイの剣。自動的に動き、相手の急所に切り込む、不敗の聖剣。

 

 しかし。

 

 その斬撃は、あまりにもスムーズに入りすぎていた。まるで、ヨーグルトにスプーンを入れるように。

 

 

 

「蜃気楼だよ。よくある手だ」

 

 

 

 背後から声が聞こえると同時、ズドン! と、貼り付けられたルーンのカードが、少女を拘束する。

 

「警告。第47章第80節。心理的効果による心身の拘束効果を確認。思考能力に影響あり。拘束効果をダミー領域に誘導し、術式の逆算行動能力の確保を優先します」

 

 ラミネート加工のカードに記されたルーンが、色褪せ始めた。

 

 ルーンは染色と脱色の魔術と言われる。その『染色』が解かれれば、当然効力を失う。

 

(……遠隔制御霊装の割り込みで弱体化しているとはいえ、腐っても10万3000冊の魔導書図書館。この程度で封じられるとは思っていない)

 

 しかし、それで構わない、とステイルは思っていた。

 

 理由はひとつ。

 

「その間にあの忌々しい男どもが片をつければ、それで僕たちの勝ちだ」

 

 その時、ローラ=スチュアートがその場に現れた。

 

「ご褒美よん」

 

 遠隔制御霊装ではなく、通信用の霊装を手にした彼女が言う。

 

「ま、ノルマは達成したるようだし、こちらも魔導書図書館のために尽力したるわよ」

 

 

 

 

 

 そして。

 

 イギリス清教、ローマ正教、ロシア成教。

 

 十字教三大宗派が、ついに手を取り合った。

 

 目的はたった一つ。右方のフィアンマの暴虐を食い止めること。

 

 世界を縛り付け、蝕んでいく鎖を引きちぎる。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。