「おおおおおおおおおおおおっ!」
天空を漂う『ベツヘレムの星』の上で、絶叫しながらフィアンマは『第三の腕』を振るう。
しかし、その行動が矛盾していることに、彼自身気が付いていた。元々、彼の腕は万能だった。振れば当たるのだから速度は要らず、当たれば倒せるのだから威力を求める必要もなかった。
つまり、フィアンマがそれだけ弱体化していることを意味していた。
ズズン! という震動が響く。当麻とフィアンマの戦いとは、完全に独立した震動だった。『ベツヘレムの星』そのものが崩壊を迎えようとしていたのだ。
要塞内のスピーカーが勝手に起動し、そこからレッサーの声が聞こえた。
『イギリス清教、ローマ正教、ロシア成教が「ベツヘレムの星」のジョイント用術式の解除を始めました! 脱出用コンテナはもう数がありません! 急いでください!』
まただ。
イレギュラーが、善意という名の因子が、フィアンマの計画にダメージを与える。
「終わりだ、フィアンマ」
当麻は、はっきりと告げた。
フィアンマの力は失われつつあり、儀式場である『ベツヘレムの星』も、限界を迎えている。
そして何より、本当に世界を救いたいのであれば、自分の右腕から力が失われつつあること、すなわち世界中の善意が悪意に勝ったこの状況を喜ばなくてはおかしいのだ。
「確かに」
フィアンマは、率直に認めた。
「このままでは何もかもが有耶無耶に崩落していくことだろう。……そう、このままではな」
不吉な言葉だった。
その直後。
ゴッ! と上空にある黄金の力が揺らいだ。そして、それは一点に集まっていく。
すなわち、彼らのいる『ベツヘレムの星』へと。
「言っておくが、
本来は、天空の変化に合わせるために、段階的に地上も変化していくはずだった。しかし、地上がそれを拒み続けた結果、天空と地上で想定外の歪みを生じてしまったのだ。
その結果、莫大な量の
当麻は、その事実に歯ぎしりをする。
「天使の体をつくっているのと同じ、莫大なエネルギーの塊だぞ。あんなものが地上に落下したら、変質がどうとか言う前に、メチャクチャな爆発が地上を舐め尽くすに決まってる!」
「力の量から察するに、少なくともユーラシア大陸の全土は光に呑み込まれるだろう」
その莫大すぎる力は、この戦争の中で芽生え始めていた善意を呑み込み、上から塗りつぶすだろう。それによって生み出される諦観と絶望は、フィアンマの力を増大させることとなる。
「……フィアンマ……」
「お前の方法で、世界を救うには遅すぎた」
余裕のある笑みを浮かべて、フィアンマは宣言する。
「これで、俺様の勝ちだ」
「……どうやら、ろくでもないことが起ころうとしているみたいだな」
上空の要塞を、駿斗は眺める。
要塞にいくつかの楔を打ち込んだ駿斗は、あとは親友がフィアンマを倒すまでにするべきことを、考えていた。
しかし、その時、莫大な力を感じ取ったのだ。
『ベツヘレムの星』。そこに、とてつもない量の『天使の力』が蓄えられている。
「っ! この量は……!」
ユリヤやジュダも気が付いたのか、体を緊張でこわばらせていた。
「あのバカ野郎は、この世界を終わらせる気でもあるのか!? おい、部下としてどうなんだよ、お前ら!」
「フィアンマ様からすれば、この世界を壊したところで、後からどうとでもなる、と考えていらっしゃるのでしょう」
少々焦っている様子はあるが、それでもこのローマ正教徒は変わらなかった。
「で、お前はどうするんだ?」
「質問を質問で返すのは心苦しいのですが、あなたはどうするのですか?」
ジュダは、駿斗を真正面から見つめた。
彼は今、これまで頼ってきたものを全て失おうとしている状態だ。しかし、それでも駿斗を止めないということは、彼なりに覚悟を決めているのかもしれない。
駿斗は、彼の目を見てそんなことを考えた。
「決まってるさ。フィアンマの野郎がどこまでも地上の『浄化』とやらにこだわるというなら、その幻想をぶち殺す! 2人とも、その手足と知識を貸してもらうぞ。あれが地表にたどり着く前に、空中で迎撃するための、大規模魔術を構築する」
「3人で、ですか?」
「できるに決まっているさ」
ローマ正教最暗部『十二使徒』の1人、裏切り者と呼ばれたイスカテリオのユダの名を冠する男、ジュダ。
生まれながらにして『妖精』という稀有なの魔術的素質を持つ少女、ユリヤ。
そして、科学的な能力だろうが、オカルトに染まった魔術だろうが、人間の術式だけでなく天使の術式にすら手を届かせるイレギュラー、神谷駿斗。
「さあ、あと一息だ」
駿斗は、今までにない感覚で魔術を行使する。
その姿は、まるで天界に住む存在のような神々しさを持っていて……しかし、あの大天使とはとても似つかないものだった。
Nu-AD1967の弾頭側面にあった小さな窓のような窪みに布を突っ込んだ美琴は、そこでようやく息を吐いた。
「さらに超音波式とかいろいろ出されても困るわよ」
「通信内容の混乱ぶりから察するに、これ以上の策はないようです、とミサカは報告します」
そして、どうやら彼らは次に打つ手がないため、逃走に移るらしい。
美琴は受光部の強化ガラスを粉々に砕くと、コンピュータと接続するためのポイントを3か所ほど潰す。これで、この弾頭は使い物にならなくなった。
「別の『外殻』に、また詰め直されたら話は変わるけどね」
「弾頭だけで2トンはありますし、クレーンもなしに持ち運ぶことはできないでしょう、とミサカは予測をつけます」
「念のために、ロシア当局か学園都市にここの場所を流しておいて」
これで、ようやく核ミサイルの問題は解決した。
長い前座だった。そもそも、彼女はこんなことをするためにロシアにやってきたのではない。
「航空戦力のつもりか移動手段なのかは知らないけど、あそこにVTOL機があるでしょ。あれを使えば、天空の要塞まで飛んでいけるんじゃない?」
その全身は赤い血にまみれており、呼吸という生命として最低限の動きにすら、その肉体の全てが悲鳴を上げていた。
これ以上は歌えない。
しかし、歌う必要もない。
「……大、丈夫…? ってミサカはミサカは尋ねてみたり」
はっきりと、声が聞こえた。
先ほどまで、意識すらなかった少女の言葉。その声色に、細くともしっかりとした芯が通っているのを、一方通行は感じ取った。
これ以上、
「ちくしょう。良かった、本当に良かった……っ!」
今までの一方通行を知る者からしたら、驚く言葉かもしれない。しかし、何をもって『本来の』などと言えるのだろうか。
そもそも、大人が生み出した『闇』に呑み込まれる前は、彼も1人の少年に過ぎなかったはずなのだ。
その片鱗を、この少年のどこかに見ていたからこそ、芳川桔梗や黄泉川愛穂は守ろうとしていたのかもしれない。
「感動の再会をしている最中に水を差すようで申し訳ないんだけどさ」
しかしその時、傍らにいた
「このクソったれの戦争は、このままハッピーエンドで終わらせてくれる様子じゃなさそうよ」
ゾワリ! と。
莫大な重圧が黄金の天空から放たれた。
海原光貴。羊皮紙。水の天使。それらから放出されていたものを、凄まじく濃縮したような感覚。
それが、地上へ照準を定めているのが分かる。
相変わらず、理解はできない。だが、
「……発射されれば、まともな結末にはなりそォにねェな」
あれに『反射』は通用しないだろう。であれば、全ては失われる。
「……ふざけやがって」
ボン! と音を立てて、その背中から黒翼が飛び出した。彼の怒りの象徴。垣根帝督を叩き潰し、上条当麻に振るった『暴力』そのもの。
「番外個体」
しかし、これまでとは異なり、彼の言葉は静かだった。
「俺はあれを止めてくる。このガキを任せられるか」
「ロシア側から? 学園都市側から?」
「全てからだ」
無茶苦茶な要求だった。
それでも、あの都市の連中に吠え面をかかせると決めている以上、彼女は承諾する。
すると、そこで小さな手が一方通行の服を掴んだ。
「どこへ行くの、ってミサカはミサカは質問してみたり」
「心配はいらねェよ。すぐに終わらせる」
打ち止めは、彼が行おうとしていることを、おそらく理解している。実際、彼は戻ってくるとも帰ってくるとも言わなかった。
「嫌だよ。ずっと一緒にいたいよって、ミサカはミサカはお願いしてみる」
「……そォだな」
最後の最後に見せたその表情は、怪物とはかけ離れた子供ような表情で。
「俺も、ずっと一緒にいたかった」
バキバキバキバキ! と氷に亀裂が入るような音と共に、翼の色が変わっていく。墨のような漆黒が、雪のような純白へと。
その頭上には、同色の天使の輪のようなものまであった。
精神の変異。
それを見せつけるかのような姿へ変わった一方通行は、空中へと身を躍らせる。100メートル以上の巨大な翼は、風の力ではない得体のしれないエネルギーを浮力へと変えていた。
一方通行の行く先には、要塞の光とは別に、いつの間にか大規模な光輪があった。相変わらず得体のしれないエネルギーを感じるが、どうやらそれは、あの要塞から放たれる光を受け止めるようにできていることを、得体のしれないままに感じた。
だが、それだけでは足りないことも予想できた。
だから。
威力を減衰されながらも、その光輪を力づくで貫通した光の渦と、地上から飛び立った白い影が、上空8000メートルで衝突した。
ズズゥゥゥン! と莫大な衝撃が『ベツヘレムの星』を揺るがした。
地上に狙いを定めた黄金の光が放たれ、爆発した。
「なん、だ……?」
しかし、右方のフィアンマが予想していたような大災害が地上を襲うことはなかった。要塞から放たれた莫大な
「地上には戦略上の条件を満たすだけの破壊が起こり、俺様の勝利を後押しするはずだった、それなのに何が……ッ!?」
望んできた悲劇は起きず、世界中の悪意は善意の前に消え去りつつあった。
それはあくまで一時的なものに過ぎないのかもしれない。世界規模のスポーツの祭典の時に、一時的に世界中の国と一体感を感じるようなものかもしれない。
しかし、一時的であったにしろ、世界中の人は明確にこの思いを示した。
この世界は、自分たちだけでも十分だ。上から目線の救いなどクソくらえだ、と。
「もういいか。……この辺りが、お前の幻想の引き際だよ」
その答えを目にした上条当麻もまた、己の足で駆け出した。
余計な小細工などいらない、そのまま全力で駆け出し、フィアンマが振るう『第三の腕』に真正面から右拳を叩きつける。
異形の腕が、一瞬で吹き飛ばされた。かろうじて受肉していたそれが、血肉と鮮血をまき散らし、依り代を失う。
「な、に!?」
上条当麻の右手『
もはや、上条当麻を撃破するどころか、水平方向へ数キロ単位で移動する力も失っていた。
「チッ――――ッ!」
もはや己の『腕』に頼ることができなくなったフィアンマは、遠隔制御霊装を突き出す。防御が甘くなったためかすさまじい激痛が頭を走るが、無視して検索を実行した。
しかし、目の前の敵を絶対に倒すというその信念は、無機質な声に阻まれた。
(――警告。第88章第1節。作業中の『本体』に異常あり。外的な影響を強く受けすぎた影響で、作業効率に深刻な弊害が発生しています)
禁書目録の本体は、聖ジョージ大聖堂に保管されている。すなわち、イギリス清教が何かしらの手を打ったのだろう。
最後の手段も断たれた。
あくまでも頂点に立つものとして力を磨き続けた右方のフィアンマ。
皆の力を借りてその頂点に立ち向かおうとあがき続けた上条当麻。
ここに、両者の違いが明確に表れた。
深く、鋭く――たった1人の男子高校生が、世界の王の懐まで突き進む。
その時。
ずっ……! と、上条当麻の足元がいきなり沈んだ。
『ベツヘレムの星』の弱体化の影響だった。
つまり、
(不幸)
最後の最後で、上条当麻の行く手を阻もうとしたものを見て、フィアンマはその唇を不気味に歪めた。
(5秒、10秒あればそれでいい! その間に魔導書図書館の設定を強引に組み替える!)
高負荷により禁書目録すら失われかねないが、それでもフィアンマは目の前の敵を洗い流そうとする。
「お」
しかし、上条当麻の進撃は止まらない。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
だんッ! と。
今まさに崩れたその足場から、上条当麻は大きく跳び、両者を隔てる亀裂を乗り越えた。
フィアンマは、ようやく目の前の敵が何者であるのかを知る。
(ふざ、けるな……)
フィアンマが『神の子』の奇跡や恩恵を受けようとも、上条当麻は全くお構いなしに突き進む。
(幸運も不幸も関係ない。こいつはそういった『曖昧なもの』を全部自分の足で踏破する力を持ってやがる――ッ!)
「テメエが、そんな方法でなけりゃ誰一人救えねえって思ってんなら」
彼は、右拳に全ての力を乗せる。
「まずは、その幻想をぶち殺す!」
轟音がさく裂した。
何者の攻撃も受け付けなかったフィアンマの顔面に拳を叩きつけた当麻は、そのままの勢いで強敵をなぎ倒す。
そして。
わずかにその形を保っていた『第三の腕』が空気の中へ溶けていくかのように消え、インデックスの遠隔制御霊装がその手から零れ落ちた。
右方のフィアンマの力の核である『第三の腕』の消失は、それを源としていた『ベツヘレムの星』にも大きな影響を与えていた。
先ほどまでよりも大きな揺れが要塞全体を襲い、このままではいずれ下降が始まるだろう。
フィアンマは朦朧とする意識の中で、要塞の中のスピーカーから声が響くのを聞いた。どうやら、彼と一緒にいた魔術師が、サーシャ=クロイツェフと共に脱出するらしい。そして、上条当麻にもここからの脱出を促していた。
この要塞には、脱出用のコンテナがいくつか用意されていたが、そのほとんどが使い物にならないほど破壊されていた。
残りは、1人しか使用できない個人用のものが1基だけ。
上条当麻と右方のフィアンマ、どちらが使うのかは明白だった。
(ここまでか)
この世界に住む人間が救いを拒むというのであれば、もはや構わない。自らが選んだ道に従って、勝手に滅びへ突き進むがいい。
なのに。
「おい、行くぞ」
上条当麻は、そう言ってフィアンマを強引に起こした。
状況が分からんのか。
「脱出用のコンテナは使い物にならん。個人用のものが1基動かせるかどうかといったところだ。俺様か、お前か。どちらか片方しか助からん」
「らしいな」
彼は、そこで息を吐く。
そして、
「なら、お前が脱出しろ。早く行くぞ」
今度こそ、フィアンマは絶句した。一方で、当麻は構わずに彼の体を引きずりながら、最下層のフロアにある脱出用のコンテナへと向かっていく。
ここで、フィアンマを見捨てたところで、批判はおろか、賞賛の方が多いだろうにも拘わらず。
最後に、右手でコンテナが壊されないか、当麻は恐る恐る扉に手を伸ばすと、無事にその扉を開けて、フィアンマの体を押し込めた。
「……良いのか……? 俺様は、『世界中』なんてものがどれだけ広い場所なのかも分からん人間だぞ」
「そうか」
当麻はそう言って笑った。なぜ笑ったのかも、フィアンマには分からなかった。
「なら、これからたくさん確かめてみろよ」
最後のコンテナが射出され、これでこの要塞から脱出する術は失われた。
最も、上条当麻は意識していなかったが、ひとつだけ、『ベツヘレムの星』から脱出する当てはあった。
そう、神谷駿斗だ。
別の位相から放たれた莫大な
現代の魔術師は、空を飛ばない。
厳密には、空を飛ぶための魔術は山のようにある。しかし、十二使徒のひとりであるペテロが『祈っただけで空を飛ぶ魔術師シモン=マグスを地に落とした』という有名な伝承を基にした撃墜術式が発達しすぎたため、空を飛ぶのは簡単であるが、落とすのも簡単というジレンマが存在している。
これに対抗するには、空中要塞クラスの対撃墜術式専用の防御術式を組まなければならないが、これは駿斗でも時間がかかりそうだ。
すると、残る手段は、ユリヤの力を借りて向かう、ということになる。『妖精』の神出鬼没な性質を利用した、転移術式だ。
「ですが、この術式は私、の肉体を転移、させることを前提としています。『妖精』の素養をベースにしているため、他の人を転移、させることまでは」
「それをどうにかするのが、俺の力だろ。ユリヤは、要するに『射出装置』になってほしいんだ。そこに搭載される弾丸は、俺」
駿斗は、テキパキと指示を出す。
「それで、ジュダと、こっそりと近づいてきているシメオンとタデーはユリヤのバックアップに回ってほしい」
その言葉の直後、林だけが立ち並ぶ雪原から、魔術で気配遮断と認識阻害を行っていた2人が現れた。
「その頼みを、私たちが聞くとでも?」
「聞かなけりゃ、どうしようもないだろ? どちらにしろ、あの要塞が崩壊を始めていて、地上の変質が完全に止まっているということは、フィアンマが敗北したことを示している」
駿斗の言葉に、彼らは苦い表情をした。
2人からすれば、今まで信じてきたもの全てから裏切られたような思いなのかもしれない。
「まあ、他にも言いたいことはあるだろうが……今は、まずあの要塞の後始末を考えてくれ。お前たちも、まさか氷河期の再来を望んでいるわけじゃないだろ?」
「それはそうですが……」
「これを機に、右方のフィアンマから独立すればいいさ」
「独立?」
その言葉に、彼らは首を傾げた。
神谷駿斗からすれば、『十二使徒』どころか、ローマ正教を離れろ、と言ってもおかしくないはずだ。
しかし、彼はローマ正教ではなく右方のフィアンマから離れろ、と言った。
実際のところ、フィアンマの行動はローマ正教の本意とは言い難いものとなっていた。そのことくらい、この少年は理解しているはずだ。
つまり、駿斗は右方のフィアンマから距離を置いてみろ、と言っているだけで、アニェーゼたちのようにローマ正教から離れろ、とは言っていないのである。
今まで1か月の間、十字教最大宗派の最暗部から指名手配を受けていた、という自覚が足りないのではないだろうか。
そんなことを考える3人であったが、当然ながら駿斗はそんなことを気にせず、自分を『ベツヘレムの星』へ転移させるための魔法陣を描いている。
はっきり言って、隙だらけだった。
(……まったく、この男は)
他の魔術師を圧倒する才能を持ちながら、それに自信を持ってはいても、誇示することはない。そして、あらゆる魔術を使っておきながら、神を信じることはない科学の街に育てられた少年。
そして、それこそ『神上』にさえ届くのではないかと思われるほどの力を持っていながら、一番肝心なところでは、右手の拳に頼る。
生まれながらにして魔術の世界だけで育ってきた彼らにとって、それはとても奇異な生き方だった。
しかし、それでいながら、それは羨ましさすら感じるものであった。
(いけませんね。こんなことを感じては)
ローマ正教徒の最暗部たる自分が、他教徒、それも科学の街の学生に、神々しさを覚えるなど、あってはならない重罪だ。
それでも、この男の生き方には、何かを感じさせる。
神や神の子とは、確かにほど遠い。比べるのも失礼なほどに。
にも拘わらず、大勢の聖人と肩を並べても遜色ないほどの、結果を出してきた。
(
神也逸登。
神より逸れる存在へ登りつめる者。
「よし、これで一気にあの星まで行く!」
歪な形の船をくみ上げた彼は、そう言ってみんなに合図する。
神の御加護があらんことを。
彼が消える瞬間、誰かがそう呟いた。
「もっと右! もうちょい! もっと近くに寄って!」
御坂美琴は、VTOL機の中で操縦桿を握る
ここまで来てやっと、あのバカと同じ時間、同じ空間に到達できた!
「
「ぶふっ!? そ、そんなことにゃい! 比較対象がアンタだからおかしな判断になってるだけよ!」
妹達はわずかに機体を傾けるような格好で、VTOL機の右の主翼の先端を要塞に接近させていった。
あと数メートルほどの位置であるが、要塞が不規則に揺れているため、適切な距離がつかめないでいる。
「ここがギリギリ……着陸は難しいかもしれません、とミサカは操縦桿を握りしめます」
VTOL機は地表にゆっくりと着陸させるものだ。そのため、大きく震動する要塞に無理やり着陸を試みれば、胴体部分を激突させてしまうかもしれない。
「できるだけバランスを保たせて! 私が直接、主翼を辿って、あの馬鹿を引きずり上げる!」
彼女はベルトを外すと、磁力で貼り付きながら四つん這いで主翼を移動する。
しかし、その途中でがくん、と要塞が大きく震動した。徐々に高度が下がっていく要塞は、先ほどまでのような安定感を失っている。要塞を支えていた糸が、一本ずつちぎれていくかのような感じだった。
(届け!)
その時。
彼女は、ツンツン頭の少年と目が合った。突如として降って湧いた脱出手段に戸惑っている様子である。
美琴は、全力で手を伸ばす。
しかし。
少年は突如として、首を横に振って伸ばそうとしていた手をひっこめた。
声は聞こえないが、唇の動きで言葉は分かった。
――まだ、やるべきことがある。
ガコン! と一層大きく揺れる要塞を見て美琴は、ここであの馬鹿を回収しなければ、と強く感じた。しかし、その直感とは反対に、妹達は機体を大きく揺らして要塞から遠ざかる。
「ちょっと! どういうつもりなのよ!」
「要塞の震動が一定値を超えました、と、ミサカは報告します。これ以上接近を続ければ、この機体が激突する恐れがあります」
「――ッ!」
美琴は主翼に張り付いたまま、磁力を操った。学生服のボタンでも、ベルトの金具でも何でもいい。とにかく、強引に引きずり上げてやる、と。
しかし、その糸はプツリと簡単に切れてしまう。
「えっ……?」
意味が分からず呆けるが、しかし彼女はすぐに理解した。
あの少年の右手に宿る、能力を無効化させる謎の力。それが最後の命綱を断ってしまったのだ、と。
たとえ、どれほどの戦車をまとめて相手にする力を持っていたのだとしても、核ミサイルの発射すら阻止することができるのだとしても。
たったひとりの少年を、救い出すには足りなかったのだ。
御坂美琴の絶叫が、ロシアの上空に響き渡った。