俺の目の前には、湖が広がっていた。透き通った水の中を小さい魚たちがすいすい泳ぎ、水面はゆったりと揺れている。霧に視界を遮られどれだけの大きさかはわからないが、少なくとも元居た路地裏にこんなところはない。先程まで地面に転がっていたランケードの姿もなかった。
あまりに理不尽な状況に、額に右手を当てうなる。
「……何がなんだかサッパリだ。ついさっきまで路地裏にいたってのに――」
――まて、前にもこんなことがなかったか?
「そうだ、あの変態ドクター……!」
変態ドクター、というのは以前敵対したカンザキコウスケという医者のことだ。
彼は
あの時は俺もドクターの世界に閉じ込められたが、親友の力を借りてイヴともども無事に脱出することができた。
またドクターが何かを仕掛けてきたのかもしれない。だが手術室の扉なんてくぐっていない。じゃあドクターじゃないのか?
本当に、いったい何が起きたというのか。
「考えてばっかじゃー、答えはでねェか」
とりあえず、今できることから始めよう。俺はそう意気込む。まずはここがどこなのかを知ることが必要だろう。
湖の周りを探索しようと、湖に沿ってゆっくりと歩き始めた。辺りは静かで、人の気配はない。湖の周りを歩いているとなんとなく大きさが分かってきたが、思ったよりも小さそうだ。この分だと一周するのに30分もかからないだろう。
黙々と探索を続けていると、合流するはずだった仲間の姿が浮かんだ。
あっちからすると俺が突然消えたように思ったはずだ。さぞ心配しているだろう。スヴェン達が嘆き悲しんでいる様子が目に……目に…………。
だめだ、怒ってる姿しか浮かばなねェ。特に姫っちは帰った途端に
「うーむ、どうやって機嫌を取るか……」
二人に土産でも持って行くかと悩む。湖を見て、魚でも釣っていこうかと思ったが、鮮度が心配のために断念。
「どーすっかねぇ。……おっ」
思わぬ難問に頭をひねっていると、湖の近くにぽつりと立つ白い物体を発見した。近づいて調べようと足をのばす。
「これは、かまくらか?」
白く、半球状に作られたそれは、なめらかで頑丈にできていた。触ってみるとつるつる冷たく手が滑る。このかまくらは雪ではなく氷でできているようだ。そして不思議なことに、今の季節は冬ではないのに溶けた様子が微塵もない。
どうしたらこんなかまくらが作れるのだろう。俺が興味津々で壁を触っていると。
「あっ! あたいの家でなにしてるの!」
「おっと、すまねぇな、おジョウちゃん……?」
後ろの方から高く若い声が聞こえたので振り返ると、霧でかすむ場所に浮きあがる少女の姿があった。髪は薄い水色でふわりとウェーブがかかったセミショート。目の色と同じ青いワンピースを身にまとい、背中には氷の結晶が六つ、羽を広げるように浮いている。
そして彼女は、すっと飛びながらこちらに近づいてきていて。
「さては、ドロボーさんね! あたいの家に来るなんて、いい度胸じゃないっ」
「……いや、そんなつもりはなかったんだが。しかし嬢ちゃん、ずいぶん自然に飛んでいるが、どうやってんだ?」
「妖精が飛ぶなんてあたりまえじゃない。さてはあんた、馬鹿ね!」
「妖精……?」
「そう! あたいは最強の妖精、チルノよ!」
ふんす、と腕を組みながらこちらを見下ろしてくるチルノと名乗った少女。いろいろと驚くことがありすぎてまともな反応ができねぇ。
「そ、そうか。最強なのか、そいつはすげェな」
「っ!! そう、あたいはすごいの! あんた、人間のくせしてなかなか見る目があるじゃない!」
上機嫌で返事をする少女。隠そうと表情を取りつくろっているが、その顔は誰が見ても分かるくらいに嬉しそうだった。ほめられ慣れてねぇのか?
…………。
「それはありがとな。でも嬢ちゃんほどじゃねえよ」
「あ、あたり前よ!」
「しかも驚きの可愛さだぜっ。とても俺じゃかなわねぇ。いよっ、世界一!」
「ふふん、当然ね! あたいは世界一最強で、天才で、ぷりてぃな妖精なのよ!」
チョロい、チョロすぎるよ嬢ちゃん。お兄さんは将来が心配だ。
余りの素直な反応に、何か忠告したほうがいいのかと考える。
しかし、少女はそんな俺の様子も気にせずにこちらをびしっと指さして。
「気に入ったわ! あんた、名前は?」
「トレイン=ハートネットだよ」
「そう、トレインね! トレイン、あんたを私の子分にしてあげる! 光栄に思いなさいっ」
自信満々に笑顔を向けて、そんなことを言い放った。
俺に、子分になれと。
「…………ッフ、バーーッハッハッハッハ!!!」
なんて愉快な嬢ちゃんだろう。今までいろんな組織に勧誘されたことがあったが、ここまで清々しい誘いは受けたことがない。
面白い。
自由気ままに生きると決めてはいたが。
こんなご主人ならば、飼われてみてもいいかもしれない。
「ハハッ、わかったぜ。嬢ちゃんの子分になるよ」
「嬢ちゃんはやめなさい。あたいにはチルノという名前があるわ」
「そうか。これからよろしくなっ、チルノ親分」
この地に来てからの初めての出会い。そこで俺は、可愛い妖精の親分ができたのだった。