「んっ……」
誰かにゆさゆさとゆさぶられている。
「んんー……」
眠たい目を擦りながら体を起こす。視界がぼやけているが、何度か瞼を瞬かせているとはっきりしてくる。
横を見ると、アスクの姿があった。
「おはよう、アスク」
アスクはサムズアップで返事をしてテントから出て行く。
もぞもぞと寝袋から出る。この寝袋、普段使っている布団とは感触が違くてなんとなく違和感がある。これから何度も使うんだから慣れた方がいいんだろうけど。
寝間着を脱いで、制服に着替える。
そういえば、小学校の時は体育とかで体操服に着替えていたけど、アルテミスに入ってからは屋内屋外関わらず制服でいることが多かった。寮の私室ではさすがに部屋着だ。同室の子にいつも着替えろって言われていたけど。彼女がいなかったら年中制服で過ごしていたかもしれない。
ペガサス校の制服は通常の学校のものとは違い頑丈に作られている。アルテミスのものは自身が使うALISで傷つかないために防刃性があるが、『プレデター』との戦闘ではないよりまし、程度のものでしかない。もっとも、『プレデター』の攻撃に対して有効な防御力を持たせようとすると、今度はペガサスの動きを制限してしまうような、それこそロボットのようなスーツが必要になってしまうので今の制服が最適、らしい。
そもそも、『プレデター』の攻撃は防ぐより避けた方がいいのだから、ミツミもそんな鈍重そうなものを着るぐらいなら今のままの方が良いと思っている。
それに、アルテミスの制服は頑丈なだけではなく、デザインも良いらしい。ミツミはその辺りには興味がないのでよくわからなかったが、同級生にとってこの制服は憧れであったらしい。あの子はペガサスについて特集された雑誌をよく見ていたな、と思い出す。そのとき映っていたペガサスの先輩に会えたことを彼女は喜んでいたが、その喜びは長く続かなかった。
嫌なことを思い出してしまったな、と思いつつテントを出る。このテントはファミリー用で大きめのものだ。そうでないとアスクも入れない。
天気は曇り空。もしかしたら雨が降るかもしれない。
3日目の朝である。今いるのは廃校になった小学校を利用したキャンプ場だ。
周囲にアスクの姿はない。近くの川か用水路に水を汲みに行っているのだ。
飲料水は持ち運んでいるが、それ以外に使う水はこうしてアスクが汲んできてくれる。当然ミツミは自分もやると言ったが聞き入れられていない。
川の水は飲んでも平気らしいが、沸騰させてから飲んだ方が良いとも本に書かれていたのでミツミにはいまいちよくわからない。何十年も人が手を加えていないのだから、何か変なものが入っていると言うこともなさそうだし、最悪P細胞がなんとかしてしまうから大丈夫なのかもしれない、と思うのだが。
昨晩使ったかまどに火を付け、お湯を沸かす。かまどと言ってもコンクリートブロックを並べただけなのだが。
それと同時に朝食の準備もする。メニューはシンプルにおかゆだ。
缶詰を開けてもいいのだが、実は嗜好品扱いで数が多限られている。なので夕飯のときだけ食べるようにしている。
おかゆなら味付けも塩だけでいいし、塩、それから砂糖は賞味期限がないから安心して使うことができる。市街地のスーパーにたくさん残っているからなくなる心配もない。
お米は昨晩から飯盒で水に浸けておいてあるのでこのまま火にかければ良い。こうすることで調理時間を短くすることができる、と本に書いてあったのだ。
沸かしたお湯を火から下ろして、飯盒を火にかける。お湯はマグカップに注ぐ。白湯と言うらしいが、お湯とどう違うのかよくわからないので、たぶん格好つけた言い方なんだと思う。
火の様子をみながら、お湯を飲む。これからだんだん寒くなってくるからこういうのを飲む機会も増えそうだなぁ、と思う。世界がこうなる前はコーヒーを飲むことがあったが、例によって嗜好品だから本当にたまにだった。
アルテミスの食堂の倉庫にはまだ残っていたはずだが、賞味期限の問題があるから遠からず飲めなくなるときが来る。
となると自分で作るしかなさそうだから、そのあたりも勉強しなくてはいけない。
やることがたくさんだなぁ、と思っているとアスクがバケツを片手に戻ってきた。
アスクはバケツを置くとミツミの対面に座る。地面に直に、ではなく廃校の中から拝借した椅子にだ。
しばらくしておかゆが出来上がったので飯盒の蓋にアスクの分を取り分け、スプーンを添えて渡す。
「いただきます」
ミツミが両手を合わせると、アスクも同じように手を合わせる。ミツミの真似をしている、わけではないらしい。
アスクとは紹介されたときに1度会っただけなので、彼がどういう人物(と言って良いかはわからないが)なのかは知らない。だが半年も過ごしていれば見えてくるものもある。
彼はミツミにひどく献身的に尽くそうとしている。
なぜ彼がそうするのかはミツミにはわからない。だが彼がそうしたいのなら、と思うがままにさせている。
食事を終えると、バケツの水を使って食器を洗いテントを片付けてリアカーに積み込み、拝借したものは廃校に戻しておく。
出発の準備を整えてから地図を広げる。
現在位置は霞ヶ浦と言う湖の西側だ。近くには湖を渡す橋が架けられている。川の橋と違って、この橋は『プレデター』の侵攻には影響しないのか放置されている。もし壊れていたら湖の周囲を迂回しなければいけないところだが、昨日調べたときは無事だったので問題ないだろう。
距離からすると今日の昼頃には海が見えるところに着くはずだ。
あの写真集には青と白の原色に彩られた海岸が陽光に照らされている情景が映し出されていた。
あれと同じ光景を見ることはできるだろうか?
東京地区からも海が見えはしたが、海は『プレデター』の支配領域、そんな場所を直視したがる人間はいない。だからミツミにとって海は未知の場所だ。
実のところ、知的好奇心と言うべきものがミツミには欠けている。そうする必要がある、と言う思考で生きてきたから、未知のものは解き明かし処理するものであって、好奇心を刺激する、と言うことはなかった。戦闘に関わらないことに興味を向けなかったから、その土台となる教養がないと言うのもあるだろう。
海に行こう、と言ったのも同級生の願いを叶えようと思ってのことだ。
確定したわけではないが、戦う相手も、守るべき者もいなくなってしまい、ペガサスとしての鰐口ミツミはその存在理由を失っている。
だからまあ、この旅が何かを得る機会になればいいな、とミツミは思う。
「いこう、アスク」
リアカーをアスクが引き、その隣をミツミが歩くと言うポジションがすっかり定着している。わたしが代わる、とミツミが言ってアスクが受け入れないのも定番だ。
ミツミにとって東京地区やアルテミス女学園の外で行動するのは初めてのことだ。
東京地区から学園へ向かうときも無人の輸送列車で運ばれたし、戦闘は学園外の市街地で行われたがあそこは学園の一部みたいなものだから外に出たとは言えない。
だからと言って新鮮味があったかと言えばそうでもない。東京地区だって既存の市街地を流用しているし、外であっても見た目に極端な違いはない。
違うのは長い時間放置されたことで多くのものが崩れていることだ。
人がつくったものは、人が手入れをしないとずいぶん簡単に壊れたり崩れたりしてしまうのだと知った。
人がいた痕跡なんて、あとどれぐらい残るものなのだろうか。
自分が生きている間にみんななくなってしまうかもしれない。
あと、どれぐらい生きられるかわからないけど。
目的地である海浜公園に到着した。
売店だったらしい建物の近くに荷物を置いて海へ向かう。
風がなんだか重いと言うか、肌に張り付く感じが海に近づくに連れて強くなる。
匂いも緑に浸食された市街地とも違う。植物とは別種の生物から漂っているように思う。
おまけに口も何だか塩辛い気がする。そういえば、海って全部塩水なんだったっけ。
海岸に沿うように植えられた木々の向こうには、どんな光景が待っているのだろうか。
灰色の雲に覆われた空。
遠くでは雷が鳴っていて、今にも雨が降り出しそうだ。
波しぶきが起きる度に白く変わる海。
波が高く、下手に入りでもしたら簡単に飲み込まれてしまいそうだ。
そして漂着物だらけの海岸。
端的に言って汚い。
当然だ、市街地ですら荒れ果てていたのに、どうして海岸だけが何事もないことがあろうか。
写真で撮られるような海岸は時間と場所を選び抜いた上で撮影がされている。当然そんなことができた時期なら海岸の整備もきちんと行われている。
目の前の光景はその逆だ。
「思ってたのと違う」
アスクがポン、と軽く肩を叩く。慰めているつもりなのだろうか。
「えー……」
なんだろう。こういうのを期待外れ、と言うのだろうか。
「どうしよう」
ミツミは、もしかしたら、はじめて途方に暮れると言う感覚を味わったのだった。
アスクヒドラは鰐口ミツミが就寝している間はその半径5mとか離れることは許されません。
離れる場合は鰐口ミツミの起床を確認してから行ってください。