ミツミは下着姿のまま、ぼんやりとたき火を見つめていた。
既に日が落ちてからだいぶ経っているため、屋内にいるとは言え気温も下がっているのでアスクがタオルや寝袋を肩にかけてやっている。
ミツミがぼんやりし始めたのは海で1時間ほど遊んで上がったあたりからだった。
アスクがタオルを取って海岸に戻ってきても海の方を向いて立ち尽くしている彼女の姿に覚えがあった。
それはあの破局の日から2週間ほど経った頃のことだ。
世界のどこかで『プレデター』による死と破壊の行進は継続されているはずだが、アルテミス女学園周辺ではとうに過ぎ去った嵐でしかない。
すべてのペガサスたちの埋葬を終え、やるべきことを見失ったアスクの前にミツミがふらりと現れたのだった。
そのときのミツミは完全に呆けていて、アスクが触れても揺さぶってもまともな反応を見せず、ただただ虚ろを瞳に映していた。
なぜ彼女が生きていて、なぜ今まで出会うことがなかったのかはわからない。だが彼女の存在はアスクにとって光明だった。ペガサスたちを助けたい、と言うのが彼の始まりであったとするならば、ただ1人でもいるなら、ただ1人のためになにかをすべきなのだ。
とは言え、彼女のお世話はとにかく大変だった。
食事、着替え、入浴、お手洗い、寝かしつけとやっていることはほぼ介護のそれ。就寝中一緒にいないといけないのは今でも変わっていないが。
そんな状態がひと月ほど続き、ようやくミツミは正気を取り戻したのだった。
あのときに比べれば現在のミツミの状態はだいぶマシな方だ。食事もスプーンを差し出せば口にしてくれるし、お手洗いも自発的に行ってくれる。着替えはしてくれなかったが。
おそらくだが、急激な感情の発散で虚脱してしまったのだろう。
ミツミは感情が読めないと言うか、ほとんど感情を表に出さないタイプだと思っていたので海ではしゃぐ姿には驚かされた。
アスクが触れあってきたペガサスたちは過酷な環境ゆえに情緒がかなり不安定であった。
ミツミも安定しているようで内実はガタガタだったと言うことなのかもしれない。
たき火に薪をくべながらアスクはミツミを見つめる。
アスクからミツミの特徴は、とにかく判断が早いと言うことだ。
正気を取り戻してから即座にこれから何をするのかを淀みなく決定し、実行していく。
呆けていながらも頭の中ではこれからどうするか考え続けていたのかもしれない。あるいはその方針が固まったからこそ復帰したのかも。
しかし、彼女について他の、特に同級生のペガサスは戦闘以外からっきしだ、と言っていたのが信じられないところだ。サバイバルに必要なことはなんでもやるし、わからないことは熱心に勉強してできるようになっていった。
一方、戦闘に関しては中等部の中でもかなり強かったらしく、アスクが初めて参加した大規模侵攻では彼が関わらなかった場所でずいぶん奮闘していたようだ。
もっとも、だからこそ彼女は高等部に上がることはできない、と予想されていたらしい。
それ自体は珍しいことではない。アルテミス女学園で高等部に進学できるのは入学者のうち9割未満、10人程度でしかない。『プレデター』との戦いはそれだけ過酷なものであり、後方支援が主なペガサスであっても魔眼の使用が多ければP細胞の活性化が早まってしまう。そして高等部になったとしても、3年生になれる例は稀だ。
アスクのおかげで活性化の問題は解決しても、彼女が前衛である限りリスクは常に存在していた。
そして、『プレデター』すらいなくなった今、彼女の命を脅かすものはない。
ペガサスである彼女にとって野生動物は脅威たり得ないし、突発的な事故も同様だ。まあ、頭部が著しく破損したり、絶食し続けた場合はその限りではないのだが。
この点はアスクも同じ、つまり、半永久的に2人は生き続けることができると言うことだ。
もっとも、活性化問題を解決したペガサスがどうなるかはわからない。なにしろ実例が存在しないのだからわかるわけもない。
それは今後、何年もかけて明らかになるはずだ。
ペガサスは『プレデター』の一種であるため、P細胞によって戦闘に適した肉体に改造されている。そのため、ミツミもこのまま少女の姿で居続けるのか、それとも加齢するのかわからないのだ。
まあ、そうしたわけだから肉体面では問題はない。問題は精神面だ。
ペガサスと『プレデター』の違いはP細胞による改造が脳に及んでいるか否かにある。P細胞は基本その個体の戦闘能力を維持しようとするため、四肢の切断ぐらいの負傷なら修復してしまうし、体内に悪性の菌やウイルス、寄生虫が侵入しても瞬く間に駆逐してしまう。ペガサスは未成年だから手に入らないが、酒や煙草の有害物質もその例外ではない。
だが脳だけは別だ。反射神経や五感も強化されるからP細胞の影響がまったくないわけではないのだが、脳にかかる負担、ストレスは常人同様に降りかかる。
ペガサスたちの情緒が不安定なのはここに原因がある。訓練された兵士ですら精神的外傷を負うことが珍しくないのだ、多感な少女にとってどれだけの苦痛か、計り知れるものではない。
人類の脅威を戦い、仲間が傷つき倒れ、自身も数年しか生きることができない。
精神に異常を来すも当然だろう。事実、アスクが接してきた年長のペガサスたちは何らかの形でトラウマを抱えていた。
「んぅ……」
うつらうつらとし始めていたミツミが寝袋に潜り込んで横になる。
アスクはたき火から意識を逸らさないようにしつつその傍らに座る。
彼女が眠るときは常にこうしている。少しでも離れようとするとひどい勢いで泣きわめいてしまう。初めて夜泣きされたときは宥めるのにひどく苦労したものだ。
そう、ミツミとて例外ではない。
学園を家、仲間を家族として見ている彼女にとって、それが壊され、失われたことがどれだけの衝撃だっただろうか。
彼女が呆けてしまったのも無理はない。むしろひと月で正気を取り戻したのは奇跡的とすら言える。
どれだけ自覚しているかわからないが、彼女はアスクから離れられない。
今回の旅も、彼女の友人の願いを叶えるため、と聞かされているが、それはあくまで彼女の精神がある程度安定しているから実行されたに過ぎない。
アスクがいなくなったとき、ミツミは生きられなくなる。
もちろん、アスクも彼女から離れるつもりなどない。だが自分自身がこれからも存在し続けられるかもわからない。
ふたりきりの世界に、廃墟と暗澹たる未来だけがただただ広がっている。
翌朝、ミツミは常態を取り戻していた。一晩寝たことで回復したのだろう。
いつも通り朝食を取り、荷物を片付け帰路についた。
同じ道を辿るだけだが、移動のタイミングがずれているから、宿泊地は変わるはずだ。
数日して到着した学園の正門。
1週間ほど離れていただけなのにひどく懐かしく思えてしまう。
……この旅で、彼女はなにかを得られたのだろうか。あるいはまだ胸の中で燻る何かでしかないのかもしれない。
「ただいま」
帰宅の挨拶をするミツミの背中を見つめながら、鰐口ミツミがなにか答えとでも呼ぶべきものを達して欲しいと願わずにはいられなかった。
・トラウマ
実の家族との関係を切ってしまっていた反動かその実ミツミは家族を強く求めている。
これは仲間を家族と考えていることからも明らか。
しかし、それを一挙に失ったことで一人きりになることを非常に恐れている。