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ダンジョンに現れるモンスターは、その土地に関連する姿形をとっていることがおおい。例えば先立っての雑司ヶ谷ダンジョンなどは、元が雑司ヶ谷霊園である事から、出現するモンスターは妖怪染みていたり幽霊染みていたりした。
ではこの蒲田西口ダンジョンはどうなのかといえば、答えは「鼠」だ。近年、大田区は増加する鼠害に悩まされていた。これはダンジョンがどうこうとか大変異の時代だからああだとか、そういう事は関係ない。
繁華街には鼠が出るというのは至極当然だ。沢山出るというのならば行政の方でも業者を使うなり、対応は考えるだろう。
しかし大変異以降──特に初期の頃は、ダンジョンの管理に行政の体力が多く使われ、鼠駆除に回すリソースの余裕など欠片も無かった。結句、いざダンジョンが出来てみれば現れたのは鼠型のモンスターである。
左右に並ぶ人気のない店から、鼠の群れが甲高い鳴き声をあげながら雲霞の如く押し寄せてくる。無数の赤い光点が薄暗いアーケードを埋め尽くしていく。鼠達はとある一点を目指していた。それは歳三達の眼前で殺意に濁った眼を向けてくる巨大な化け鼠だ。どういう理屈か、鼠達はその化け鼠に飛び掛かる様にして……その体内に取り込まれていった。
常人が見れば卒倒しかねない悍ましい光景にしかし、歳三はある光景を想起する。
それは人だ。人の群れ。通勤中の人の群れ、通学中の人の群れ。目的を持って移動する人々に、往時の歳三は劣等心を甚く刺激されたものだ。
彼等は皆社会人だ。あるいは学生だ。企業に属し、学校組織に属している。それらは社会の一部といっていいだろう。社会から認知されているのだ。社会という何かよくわからない巨大な存在の視界に、しっかりと入っているのだ。
では歳三はどうか。
歳三とて限りなく無職に近いとはいえ、完全なる無職ではなく、配食デリバリーでは次はあちらを配達、こちらを配達、その後はチラシを配って──というような事をしていたが、そういった仕事は歳三の生活の助けにはなっても魂の助けにはならなかった。
結局歳三はどうしたかったのかと言えば、簡潔に言えば社会を通して自身の存在意義を見出したかった──と類推されるだろう。
他者から必要とされることを諦め、では社会から必要とされようと藻掻くがそれも叶わず、それでもそんな日常をどうにかしたくて「日常を非日常へ」などという陳腐なキャッチフレーズに惹かれて、歳三は探索者になったのだ。
歳三は滑稽である。
必要とされるも糞も、既に豊島区内どころか都内、いや、全国規模で見ても歳三より戦闘能力が高いものは少ない。
そして戦闘能力が高いという事は、より高難度のダンジョンを探索できるということだ。それは希少な素材の数々を持ち帰るという事でもある。
日本という国が探索者に求める役割を十全に熟しているのだから、社会は歳三を大いに必要としているといっても過言ではないだろう。
それの何処が滑稽なのか。察しが悪すぎてそれに全く気付いていない辺りが滑稽なのだ。
際限なく湧いてくる鼠の群れを見ながら、歳三は暫時郷愁に浸る。
──自分なりに努力はしてきた。俺はあの頃の俺より立派になれただろうか?
『……スター』
『マスター! 精神汚染を受けたのでしょうか。聞こえていますか。提案があるのです』
歳三の耳元で『鉄騎』の機械音声が響く。どうやら昔を思い出していたようだ、と歳三は謝罪し、『鉄騎』の提案とやらを聞く事にした。
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『マスター、当機に内蔵されている戦術AIが当該個体をイレギュラーと判定しました。「鉄衛」との連携により探索者協会とのデータリンク開始……該当アリ。当該個体は個体名「アルジャーノン」。乙級相当のモンスターとなります。区分はイレギュラー。本来はサンライズ蒲田ダンジョンに出現する魔物です。当機は速やかな撤退を提案します』
『鉄騎』の提案は歳三の頭を上滑りした。緊急時であるためか、いつもより早口にまくし立てられたせいで、理解が及んでいないのだ。
歳三に限った話ではないが、決して低能ではないものの、ゆっくり話してもらわないと何もかもよくわからなくなってしまう者というのは往々にして存在する。
とりあえずイレギュラーである事は分かった歳三の次に取った行動は散弾をぶっぱなす事であった。
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この散弾というのは、勿論銃器でぶっぱなす訳ではない。歳三は銃を使わない。使えない。怖いからだ。外国では銃乱射事件が珍しくないが、そんな物騒な社会は流石に嫌だなと歳三は思っている。
だから、歳三は脚で散弾をぶっぱなすのだ。
歳三はサッカーのシュートめいた体勢で地面をつま先で蹴りつけ、瓦礫を前方──つまり鼠達の群れへと吹き飛ばした。そんな子供のお遊びで乙級相当のモンスターをどうにかできるのかという話だが、歳三がダンジョンで子供のお遊びをやると遊びじゃ済まなくなる。
ドボとかグボとかグチャリだとか、とにかく気持ちの悪いくぐもった音と共に肉片が飛散した。少なくない鼠たちが瞬時にミンチとなったのである。
戦車のパワーで散弾を撃てばどうなるか? M1エイブラムスの百二十ミリキャニスターシェル弾の殺傷力にも匹敵する歳三の飛礫は、たちまち鼠たちを物言わぬ挽肉へと変えてしまう。
だが、歳三は自身の牽制打が全く通じていない事に気付いた。これは探索者に限った話ではないが、殺しに慣れると、ちゃんと殺せたかどうかというのが何となくわかるのだ。
事実、全体の数は全く減った様に見えない。鼠達はキイキイと不快気に啼き、次々と「アルジャーノン」の肉体と同化していく。融合速度は凄まじく、しかし不思議な事に「アルジャーノン」の肉体が膨張しているだとか、そういった変化は見られない。
ただ、刻一刻と変化しているものがあった。それは「圧」である。
歳三をして警戒せしめる圧が「アルジャーノン」の肉体から発せられている。
『ヴィイイ! ヴィイイイ! テッタイ! テッタイ! アブナイ! シヌ! マスタ! アイテ! ヨクナイ!』
『鉄衛』が喚きたてた。ちなみに『鉄衛』にはブザーを鳴らす機能がないため、システム音声でヴィイイイと叫ぶ。
この時歳三は、一人なら問題なく逃げられるかもしれないが、二機を連れてでは逃げ切れないと踏んだ。そして、目の前の鼠が少なくとも雑司ヶ谷霊園のイレギュラーなどは話にならないレベルで強大な個体だとも看破した。
「逃げろ」
歳三は二機に短く告げる。歳三の意図は単純だ。二機を逃がす為にここで「アルジャーノン」を食い止めようという事である。
歳三の等級は乙級探索者。「アルジャーノン」も乙級。
等級としては同格であった。ただし──
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「しゃあッ」
二機の返答を待たず、歳三は爆発的な踏み込みから生み出される推進力で前方に吹き飛んだ。両の腕を交差させ、そのまま「アルジャーノン」へ肉薄する。
彼方の化け鼠の体勢は四足を地面につけて、まるで飛び掛かろうとしているような体勢であったが、やはり全長が六メートルというのもあいまって、頭部──特に顎の先から地面までは約二メートルほどの高さがあった。
その懐に歳三は潜り込み、交差した腕を前方に押し出し体当たりを敢行する。威力は十分で、「アルジャーノン」の腹部は吹き飛び、歳三は鼠の血に塗れた。そして身を屈めて、背を「アルジャーノン」の上半身に叩きつけるようにして思い切り立ちあがる。
要するに、八極拳に伝わる所の
「アルジャーノン」は腰から上をグチャグチャの挽肉にしたにも関わらず健在であったからだ。
──再生か!
肩口には鼠の咬み痕。アラミド繊維より強靭な歳三の筋肉繊維が食いちぎられていた。
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『鉄衛』が相手が悪いから逃げろと喚いていたのは、「アルジャーノン」が群体生物である事が理由であった。
全にして一、一にして全。無数の鼠と有機的共存関係を築いた化け鼠は、文字通り無数の生命力を誇る。殴ったり蹴ったりというだけでは埒があかない。勿論それはそれで殺りようがないわけではないが、物理攻撃に特化した歳三だとやや相性が悪かった。
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『やーい、妖怪ひょうすべ! 病気をまき散らしてるんだろ? 最悪だな!』
『ひょうすべ! ひょうすべ!』
肩口から流れる自身の赤い血を見た歳三の脳裏を、往時の忌まわしい記憶が蘇る。
それは小学生時代の話だ。とにかく不細工だった歳三は、『妖怪ひょうすべ』という不名誉な渾名をつけられ虐められていた。
ひょうすべとは九州地方に出没するといわれるけむくじゃらの猿にも似た不気味な妖怪なのだが、これは「ひょうひょう」と啼く事からつけられたそうだ。目撃すると病になって死んだりするのだとか。ナス畑を荒らすひょうすべを目撃した農夫が、全身を紫に染めて死んだという逸話もある。
ともかくも、不細工猿であった歳三はかくの通りに虐められていた。なんと暴行を受けた事もある。妖怪の血の色は何色だと、コンパスの針で手を突きさされた事を歳三は今でも忘れていない。
人間なら赤い血の筈だ、人間なら、人間なら……
歳三は「アルジャーノン」から食いちぎられた傷を見て、不敵に笑う。
「俺は、人間だ。血が赤いからな。お前は……どうかな」
自分は人間だと改めて認識できたことに、どこか安堵を覚えた歳三がハードボイルドなウルフ気分でそんなことを言う。格好良く威圧したつもりなのだ。
しかし「アルジャーノン」の血もまた赤い事を歳三はすっかり忘れていた。今さっき体を吹き飛ばして、その血を浴びたばかりだというのに。
しょうもない。