(完結)しょうもなおじさん、ダンジョンに行く   作:埴輪庭

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日常65(飯島比呂、四宮真衣、鶴見翔子)

 ◆

 

 朝だ。時刻は午前7時を回った所だった。

 

 自室のベッドに寝転びながら、飯島 比呂は天井に掌を掲げている。

 

 華奢な掌だった。

 

 指は細く、白い。

 

 爪は短く切り揃えられている。

 

 どう見ても女の手だ。

 

 女らしいのは手だけではない。

 

 肩は丸く、柔らかそうなラインを描いている。

 

 ヒップラインは緩やかな曲線美を描き、胸のふくらみは明らかに鳩胸だとか胸筋だとか、そんなものには見えない。

 

 悩ましい声と同時にため息が漏れる。

 

 仕方のない事だった。

 

 今の飯島 比呂は女だからだ……少なくとも生物学的には。

 

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 はァと一つ、比呂は息をついた。

 

 元の体に戻りたいと比呂は思う。

 

 望んで得た体ではなかった。

 

 男の体と女の体では何から何まで違う。

 

 ──何でこんな事になっちゃったんだっけ

 

 比呂が自身の身体に明確な異変を感じたのは歳三、ティアラ、ハマオらの四人で食事に行った時の事だった。

 

「歳三さんを見てたら、なんだか体が熱くなって」

 

 その時の感覚はこれまで比呂が感じた事のないものだった。

 

 欲情だとか恋情とか、そういう生々しいものではない。

 

 実際に体が熱くなったのだ。

 

 細胞の一つ一つが熱を発した様な感覚に比呂は狼狽え──…

 

 ──ティアラさんにトイレに連れていかれて、それで

 

「なくなっちゃったんだよなぁ」

 

 比呂はうんざりした様子で吐き出し、ベッドで二転三転とゴロつく。

 

 ナニが無くなったかは明白であったが、比呂も探索者として丙級まで昇級している身であり、自身に何が起こったのかは理解していた。

 

 ──『ああ、これはトランス・ジェンダーね。比呂君も知ってるでしょう?胸を見れば明らかだけど、一応最終確認は自分でなさいな。私は後ろを向いていてあげるから』

 

 多目的トイレに比呂を連れていき、服の上からまるでボディチェックの様に各部を確認したあと、ティアラはそんな事を言った。

 

 トランス・ジェンダーとは大変異前のトランスジェンダーとは似て非なる用語だ。

 

 後者は生物学的性と性自認が一致していない者の事を言うが、前者はダンジョン干渉によって生物学的性が転換する現象の事を言う。

 

 大変異前のトランスジェンダーは時に胡乱な目で見られることもあったが、トランス・ジェンダーは世間から完全に受け入れられているというか、世間からは少々珍しいものの一般的な事として認知されている。

 

 これはダンジョン発生に伴って世界規模で発生した認識の歪み・上書きが原因もあるが、探索者協会がプロパガンダに励んだ結果でもある。

 

 何せ、トランス・ジェンダー現象は結構頻繁に発生する。ダンジョン干渉による肉体変異の中でも、生物の階梯をあがるような変化ほど困難で、時間が掛かるとされているが、性別の転換はかなり早い段階で達成されてしまう。

 

 しかもゲームのアバターを変える様な感覚で性別をころころ変える探索者もおり、だからこそ世間がトランス・ジェンダー現象に対して否定的だと協会としては都合が悪いのだ。

 

 探索者が過ごしやすい環境を構築するのも協会の仕事であった。

 

 とはいえ、良い事ばかりでもない。

 

 探索者ならば簡単に性別を変えられると聞いてトランスジェンダーの一般人がダンジョンに無許可で潜り、そのほとんどが未帰還となった。一部のダンジョンを除いて、戌級ダンジョンですら一般人にとっては非常に危険なのだ。

 

 ともかく、そんなトランス・ジェンダー現象であるので比呂はそこまで深刻にはならなかった。またすぐ男に戻れるとおもっていたからだ。少なくともこの時点では。

 

 ──『でも不思議ね。トランス・ジェンダーは通常、ダンジョン内で発生するのだけど。遅延して現象が発生する事もあるのね』

 

 ティアラの言葉が多少気にはかかってはいたが。

 

 ◆

 

 目覚めた比呂は手早く身支度を整えた。

 

 私服ではない。

 

 探索者用の装備だ。

 

 空の蒼さを思わせる鮮やかなカラーの軽鎧であった。

 

 これはZephyr Innovationsの新作で、AI制御による衝撃分散システムを防御の主軸に置いて、軽量化と動きやすさを向上させている。従来のものは中世騎士を思わせる重厚なデザインだったが、新作はかなり現代的なデザインだった。

 

 体の線に沿うようにフィットしており、軽鎧とはいうがバトル・スーツめいている。鎧の表面は滑らかで継ぎ目がほとんど見えない。また、肩や肘などの関節部分にはタフだが柔軟な素材が使われ、動きやすさを確保している。

 

 なぜ比呂が朝からこんな恰好に着替えているのかといえば、この日は幼馴染である四宮真衣、鶴見翔子らと探索に行く予定で、もう少しすれば二人が家にやってくるからだ。

 

 今日は三人で探索に向かう日であった。場所は青梅。やや距離がある。稼ぎと訓練に有用という情報を真衣がどこかから聞いてきたのだ。

 

 ちなみに探索日の朝は大抵比呂の家に集まる事になっている。真衣の家はとにかく散らかっており、翔子の家は無理だ。翔子は自分の家に人が入る事をとにかく嫌う。嫌悪していると言ってもいい。この妙な拘りは、PSI能力保有者にはよくある事だ。

 

 それに対して比呂の家は小綺麗だし、翔子と違って拘りを持っている事もない。

 

 ──そろそろ来る頃かな

 

 比呂がそんな事を思っていると、玄関のベルが鳴った。

 

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「それでさー、この前もスカウトに声かけられたんだよね」

 

 綺麗なボブカットに切り揃えられた黒髪の若い女──…四宮 真衣が苛立った様に言う。ボディスーツの赤が彼女の怒りを表している様にも見える。真衣は麦茶が注がれたグラスを一息に煽って、再びごちゃごちゃと文句を言った。

 

 三人は比呂の家のダイニングで朝食を摂っていた。簡単なサンドイッチとサラダだ。これは真衣と翔子が協力し、6秒で完成させた。

 

 切れ味鋭い包丁を構えた真衣に対し、PSI能力で食材を突撃させる。食材は真衣が一呼吸で切り刻み、宙に飛散した食材は翔子の念動の手によってサンドイッチとサラダに形成されて皿に納まった。普通に作るより早いのは間違い無いが、食材に対するリスペクトには欠ける……と比呂は思う。

 

「怒り風自慢はやめなよ。自慢したいなら普通に自慢した方が良いと思うよ。私は聞かないけど」

 

 真衣に冷や水をかけたのは翔子だった。

 

 チクチク言葉であった。しかし翔子という女は三人の中で一番穏やかそうに見えて、一番遠慮がない。真衣も比呂もそんな翔子の性格にはいい加減慣れていた。

 

「自慢じゃないんだって、っていうかスカウトっていっても変なスカウトじゃないよ。DETVのスカウト!」

 

 真衣の言葉に翔子はああと納得する。

 

「最近増えてるらしいね。戌級や丁級の探索者が引き抜かれてるって青葉さんが言ってたよ。丙級の人とかも数は少ないみたいだけどDETVに行っちゃう人がいるんだって」

 

 青葉さんとは池袋本部の買取センターの職員、青葉日美子(第一話『佐古歳三』参照)の事である。

 

「稼げるらしいね」

 

 散文的な様子で比呂が会話に参加した。

 

 如何にも興味なさそうな様子ではあるが。

 

「協会は中抜きされるもんね。DETVは配信の利益と素材の売却益がそのまま懐に入る。それで?真衣はスカウトを受けたの?」

 

「ウケる」

 

 翔子の愚問に対して、真衣は愚答で応じた。

 

 ◆

 

 東京都は青梅市某所の廃病院、丙級指定 『青梅市廃病院ダンジョン』に "それ" は出る。

 

 都市伝説がダンジョン化を喚び込んだと見られ、このダンジョンは他と比べてやや特殊なものだった。

 

 そんなダンジョンに出没する "それ" と比呂達は対峙していた。

 

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 翔子がハンドマグナムを構えて3度、4度と引き金をひく。

 

 一般人なら手首の骨が砕ける程に反動が大きいハンドマグナムだが、翔子は片手で銃撃している。

 

 これは勿論比呂や真衣に向けてひいたわけではない。

 

 "赤肌" と呼ばれるモンスターに向けてひいたのだ。

 

 3m近くの巨体、巨大な頭、ぎょろりとした大きな目。

 

 胴体に比して頭がアンバランスな程に大きく、不気味さを補強している。

 

 探索者用のハンドマグナムから放たれた銃弾は一般人用のそれとは比較にならない威力を持つが、赤肌は大きな頭を振り回して銃弾を1発、2発と弾き飛ばしてしまった。

 

 残り2発。

 

 次瞬、翔子は目を見開き、空いている方の手を握りしめた。

 

 すると宙空の銃弾が大きく軌道を変えて、弾き飛ばされる前にあらぬ方向へ飛び去り、再び軌道を変えて別方向からモンスターに着弾した。

 

 硬い頭部ではなく、肩口に。

 

 弾丸は今度こそモンスターを負傷させ、モンスターは苦悶の声を漏らす。

 

 それはモンスターを倒すには至らないが、とっかかりとするには十分だった。

 

 真衣がだらりと腕を垂らし、しかし抜刀はせずに奇妙な動きを見せた。

 

 突っ込むと見せかけて僅かに戻り、左右にふらふらと揺れるような体捌きはダンスをしている様にも見える。急激な緩急の切り替え。

 

 そんな真衣の眼前を赤肌の裏拳が通り過ぎ、前髪が数本、宙に飛び散った。頭に当たれば頭が吹き飛ぶし、4tトラックに当たればトラックは10数メートル吹き飛ぶだろう。そういう威力の一撃だった。

 

 しかし当たらない。

 

 "当てさせない動き"をしているのだから当たらないのは当然であった。更に、負傷が赤肌の動きを若干鈍らせていたし、諸々の条件から導き出される結論──…空振りは必然であった。

 

 だがそれはそれとして、当たれば死ぬのだから真衣としてはおっかないのだが。

 

 そしてモンスターは困惑する。

 

 何故ならば真衣が2人に増えていたからだ。

 

 明確に2人に増えたわけではなく、掠れ目の視界の様にブレているのだ。

 

 足捌きによる幻惑だ。

 

 真衣はこの手の技を佳く使う。

 

 彼女が何かしらの武術家だというわけではなく、独学であった。

 

 真衣はサブカルな気質があり(日常22参照)、しばしばインスピレーションを働かせて変な事をやる。

 

 今回ならば分身(もど)きだ。

 

 困惑が僅かにモンスターの注意を削ぎ、その隙に後ろに回り込んでいた比呂が背後から渾身の力で赤肌の背をハンド・ランスで突いた。

 

 比呂は木の棒を持って先端を大岩に押し付けているような感覚を覚えたが、構わず更に力をこめる。この時華奢な白い腕に込められた力の大きさは、重機並みかそれ以上のものだった。

 

 力を注ぐにつれて槍先から伝わる感覚が変わる。

 

 大岩の感触が樹皮へと変わる頃には、込められた力の大きさによって比呂の皮膚が破れた。

 

 樹皮の感触が硬質のゴムのような感覚に変わる頃には、比呂の筋繊維が断裂していった。

 

 更にいくつかの感覚の変化を得て最終的に赤子の柔肌の様に感じられた時には、比呂の腕の骨にはヒビが入り、骨折寸前となっていた。

 

 比呂は歯を食いしばって激痛に耐え、槍先に更に力を込める。

 

 すると切っ先が皮膚を破り肉に食い込んでいき、遂には貫いた。

 

 貫いたのは肉だけではなく心臓もだ。

 

 赤肌が低く野太い絶叫をあげ、絶叫は掠れるような声へと変わり、やがて大きな音をたてて床に倒れ伏した。

 

 比呂は荒い息をつきながら、治療キットを取り出して血塗れの腕に注射した。医療用ナノマシンが細胞単位で比呂の腕を治療していく。

 

 そして槍を杖代わりにつかい、「悪くないけど、なんか不安だな。なんで桜花征機とコラボなんかしたんだろう」などと言う。

 

 比呂はZephyr Innovationsの重厚感が好きなのだが、桜花征機の製品はどれもこれもがちょっと尖りすぎている様にも思えて好きになれない。

 

 そんな比呂を真衣が睨みつける。

 

 彼女は桜花征機マニアなのだ。

 

 翔子については使えればなんだって良いと思っている。

 

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 比呂はハンド・ランスも新調していた…というか新作を企業から供与されている。

 

 新調された比呂のハンド・ランスは普通のランスではない。いわゆる超振動ランスというやつである。黒と銀色を基調としたシックな色合いの手槍で、全長は大体160cm程度。先端部から発せられるウルトラ・ソニック・ヴァイブレーションにより強力な貫通力を発揮する。

 

 しかし何度も使えばランス自体が壊れるという欠点がある。

 

 だから比呂はこのランスを必要な時にのみ使用するようにしていた。先程比呂が言った様に、桜花征機とのコラボ商品だ。

 

 この超振動機能を、比呂は "最初の一回" 以外は使っていない。

 

 流石に一度では壊れないが、何度も使ううちに壊れてしまったら困るからだ。

 

 だから赤肌の頑強な皮膚、肉を刺し貫いているのは比呂の膂力による。

 

 ◆

 

「倒した……けど、これでもう八回目なんだよね」

 

 真衣は疲れた様に言ってその場にしゃがみこむ。翔子も比呂もしゃがみこみこそしないが、表情に疲労を張り付かせている。

 

「そろそろ帰ろっか」

 

 翔子がそう言いながら比呂を見た。

 

 比呂は少し考え、頷いてから言った。

 

「ここ、戦闘訓練にもなるし稼ぎもいいね。ただ……」

 

 比呂の言葉はやや切れが悪い。

 

 まあねーと真衣が続けた。

 

「青梅だからね。遠いよ。それに戦利品もかさむしさ。それとココってなんだかホラーだよね。気分があがらないっていうかさ~。まあモンスターが一匹しか出ないのは楽っちゃ楽だけど」

 

 三人はここまで車で来ている。

 

 運転は比呂だ。

 

 免許は三人とも持っているのだが、真衣は過激な運転をするという大きな欠点があるし、翔子も冷酷な運転をするという大きな欠点がある。

 

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 青梅市廃病院ダンジョンは少々特殊なダンジョンで、領域内には "赤肌" と呼ばれるただ一体のモンスターのみが出現する。このモンスターは領域内を彷徨い歩き、侵入者を見つけると襲い掛かってくるのだ。

 

 対モンスター用のマグナム弾を無傷で弾き飛ばす硬質の頭部が特徴で、この頭部は盾でもあり矛でもあった。

 

 強靭な肉体と頑強な防御力を誇る企業のボディスーツを頭突きの一撃で叩き潰すのだ。

 

 力が強く、タフ。

 

 典型的な "THE・モンスター"で、これを倒すにはゴリ押しだと少々厳しい。更に苦労して倒したとしても、しばらくするとまた現れる。

 

 比呂も真衣も翔子も、何度かの戦闘で赤肌の行動パターンを把握していた。だからこそ今の比呂達にとってもそれなりに強敵であったにも関わらず、ただの一当てで仕留める事ができたのだ。

 

 とはいえ初戦は随分と苦労した。

 

 比呂などは両腕の骨を粉砕された。

 

 赤肌の鋭く重いパンチを受けたのだ。

 

 比呂は歳三から教えてもらった最硬の防御力を誇るとれるクロス・アームブロックでパンチを受けたが、クロス・アームブロックは別に最硬の防御力がある受けではないので、当然のごとくぶち抜かれて大怪我をしてしまった。

 

 だが何度か戦ううちに赤肌の呼吸を覚え、対戦が5回を超えるあたりからは比較的楽に勝てる様になってきた。

 

 この様に廃病院ダンジョンでは探索者達は赤肌の追跡を回避するか打倒するかして、領域内に点在する物資を回収する事になる。

 

 この日の比呂達の稼ぎは4千万円程だった。平均よりはかなり高い。ただこれは8体分もの赤肌の素材分が含まれる。

 

 ただし支出も大きい。ボディスーツの類は破損が激しく、買い替えが必要だった。ボディスーツの価格はピンキリだ。だが稼ぎに比してそこまで高いものではない。安いものなら2、30万円。高いものでも1000万円を超える事はないだろう。車だとかのほうが余程高い。

 

 治療キットをいくつも使ったし、こちらも補充が必要だ。

 

 更にいえばナノマシン系の治療薬による残留ナノマシンの除去も必要だ。

 

 ナノマシン系の治療キットは効果は大きいが、常用すると体内に残留ナノマシン……つまり、用を果たして機能が停止したナノマシンの残骸が残る。

 

 これは放置すると様々な体調不良を引き起きたり、ともかく大抵は余り良い事にならない。

 

 だから定期的な除去が必要だった。

 

 ◆

 

 帰路、ハンドルを握る比呂は思案する。

 

 果たして今日の探索で自分達はどれくらい強くなったのだろうか、と。

 

 比呂の脳裏に過日の仇の姿が描かれる。

 

 大きな一つ目の怪物だ。

 

 ──まだ、早いかな。でももう少し。そんな気がする

 

 比呂はそんな事を思い、次いで巌の様な背を思い出す。




赤肌(イメージ)

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