◆
池袋北口。
歳三は駅から地上へ向けて階段を昇り、適当な壁にもたれながら権太を待っていた。右手には大きな白い塔が見える。大変異の前からそれが何なのか、今度調べようと思いつつも、歳三はいまだに調べていない。
権太は十分ほど遅れてやってきた。
「やあ~、佐古さん。待ちました?」
歳三は「いえ」と言いながら首を横に振る。
「いえねぇ、先日雑司ヶ谷のダンジョンで若い子のチームが消息不明になっちゃってね。あそこもほら、ウチの管轄だから。親族の方が怒鳴り込んできたわけでしてね。でもまあダンジョン探索中の事故は全て自己責任ってことになってるでしょう? その辺を説明したんだけれどどうにも興奮しちゃってねぇ。最初は怒っていたんだけれど、ついには泣き出しちゃって、もう参っちゃいました。とりあえずウチの方でも救出依頼を出すということでね、でもじゃあ報酬はどうするんだって話になるじゃないですか。ウチも慈善事業じゃあないんだから……」
到着と同時に怒涛の勢いでまくし立てる権太に、歳三は大変そうだなとは思いながらも、それ以上の感想は持たなかった。若い子のチームなど、歳三にとっては南アフリカだかどこかの
「ああ、すみませんね。じゃあいきましょうか。といってもすぐそこですけど」
権太が指したのは、北口の出口から歩いて十五秒、まさに目の前の居酒屋であった。
居酒屋「超都会」。
センスの欠片もない名称のその店は、営業時間が二十四時間というアル中御用達の名店である。つまみは余り美味しくないし、店内は汚いし、浮浪者じみた連中も多い。ただ、そういう人生の落後者の様な連中はなんというか、まぶしくないのだ。
前途有望な若者を視界に入れるだけで陰鬱な気分になる歳三だが、自身と同じ様に小汚く、何か前科的な意味で
店内の薄みっともない中年オヤジたちも、かつては成功を追求していたのかもしれない。しかし熾烈な競争の中で挫折し、年齢と共に希望が失われていったのだろう。そんなオヤジ共は歳三にとって痛みを伴う鏡像ではあるが、しかしどこか慰めや安らぎに似た何かを与えてもくれる。
「あ、佐古さん、あっちに空きがありますよ」
権太が居酒屋の奥に目を向ける。
歳三は頷き、カウンターの方へ歩いていく。自分と同じ道を辿ったであろう中年男性たちが、酒を飲みながら無言の慰めを求めていた。歳三は権太の隣に座り、取りあえずとばかりにビールを注文した。権太もビールだ。
「や、や、や。まあお疲れ様でした」
権太がビールのジョッキを両手に持ち、歳三のジョッキの下半分と合わせようとする。しかし歳三もまた権太のジョッキの下半分に合わせようとするため、中々乾杯が出来ない。やがてどちらともなく笑いだし、ガチンとジョッキをあわせて黄金色の液体を飲み下した。
「そうそう、さっきの話。救出隊なんですが、報酬は結局その親族が出すことになってね。まあ、今依頼を出してる最中ってわけですわ。でもねえ、多分無理でしょうなあ。場所がちょっと悪いです。お気の毒様ですけどねぇ」
歳三は端末を取り出していじくりまわす。スマートフォンに似ているが、それより更に高機能だ。
探索者専用端末、Stermである。サーチャーズ・ターミナルを省略した名称のそれは、ダンジョンから産出された特殊な素材でつくられている。異様に高い耐久性と耐磁性を備え、一般的な電子機器なら容易く壊れる厳しいダンジョン環境の中でも動き続ける。精密な地図の作成、探索者同士の位置情報の共有、遭遇しうる生物や罠の照会、加えて損傷した部位を自ら修復する機能まで持つ。要するに大抵の探索者にとっては、人間の相棒より余程頼りになる代物である。ちなみに歳三はこれを買ってから一度も説明書を読んでいない。
歳三がアクセスしたのは探索者協会の依頼掲示板である。探索依頼、アイテム収集、特定のモンスターの討伐、内部の詳細な探査、そして救出依頼。多種多様なものが随時発布され、協会所属の全探索者へ開放されている。期限も報酬も細かく明示されているので、己の能力と相談して選べばよい。
目を走らせると、確かに権太の言う救出依頼が掲載されていた。
場所は雑司ヶ谷ダンジョン。救出対象は三名の探索者で、皆二十代前半の若者たちだった。彼らが進入したのは約一週間前のことで、それ以来一度も出てきていないという。数日をダンジョンの中で過ごすのは探索者にとって珍しい事ではないが、一週間も音沙汰がないとなれば話が変わる。
彼らが携帯していたStermからの通信は途絶えたままで、何度連絡を試みても返答がないという。単なる通信トラブルなのか、それとも内部の怪物や罠に食われたのかは不明である。依頼はダンジョンへ侵入して彼らを探し出し、無事であれば安全に外まで連れ出すことを求めていた。
難しいだろうな、と歳三は思った。
雑司ヶ谷ダンジョンは比較的新しいダンジョンだ。住所としては東京都豊島区南池袋四丁目、広さは約十ヘクタール。十万平方メートルというと、東京ドーム一個分の建築面積が約四万七千平方メートルである事を考えれば、それなりに広い。タイプは平面型で、階層が分かれていると言った事はなく、平面上にダンジョンが展開されている。
元はといえば雑司ヶ谷霊園という広大な霊園であり、大変異後もその形状を変化させたりはしなかったのだが、つい最近になってついに変化してしまった。元々ダンジョンでない建築物や広場が、ある日突然ダンジョンに変化してしまうというのは、大変異以後はままあることであった。
ともかくも、新しいダンジョンには未知の素材が眠っている可能性があり、そういったものは莫大な財となる事も珍しくはない。だから新しいダンジョンが見つかればすぐに探索者の手が入るのだが、雑司ヶ谷については調査が遅々として進まない。元が霊園だからであろうか、不気味なモンスターが数多く出没するのだ。
囁き声が耳元で囁き、腐った死体がヒタヒタと背後から迫り、白骨死体が立ち上がって刃物を振るってくる。ダンジョン全体の雰囲気も、元霊園らしく不気味で陰鬱だ。こんな場所を好んで探索しようという者は余りいない。
「まあ御察しの通りなんですけどねえ。ま、仕事は仕事ですから」
権太はビールを煽り、面倒そうに言う。
仕事は仕事か、と歳三は何かを感得した様に頷いた。面倒な事、理不尽な事であっても、仕事は仕事だと割り切って淡々とやるという姿勢は、歳三にとって好ましいものであった。自身がまともな社会人ではない事を自覚している歳三は、しかしそれゆえに「まとも」というものに憧れている部分がある。
権太がタバコを咥えると、歳三は右手の人差し指と親指を合わせてその先へ近づけ、強くこすり合わせた。バチンという音と共にタバコに火がつく。
どうも、と権太は頭を軽く下げ、一服しながら歳三にもタバコの箱を差し出した。歳三もまた、どうも、と頭をさげて一本貰い、指ぱっちんで着火して深く深く紫煙を吸い込んだ。アルコールとニコチンが体内を巡り、ふわりといい気持ちになっていく。
薄汚い店内の天井へ向けて煙がたちのぼるのを見ていると、地を這うような人生にやや飽きたらなさを感じる。歳三は内心、「嗚呼、俺もあんな風に昇っていけたらいいのに」などと思うのであった。
◆
翌朝。
歳三の元に一本の通信が入った。
電話ではない。通信である。
Stermは電話回線を使わず、専用の信号塔から送出される特殊な波長を利用する。これにより、ダンジョン内部のような電波の届かない場所でも問題なく通信が可能となっている。
「やあ、やあ、歳三さん。寝起きですか? すみませんねぇ、ちょっと急用がね。ありましてね。もしお時間があるようでしたら、センターまでご足労願えませんか? どぉ~~しても! 歳三さんに会いたい、会って話がしたいという人がいるんですよぉ……。直接連絡すればいいのかもしれませんが、ほら、歳三さんの個人通信先を知っている人は少ないでしょう? ウチも規則でそういうのは教えるわけにはいきませんから。まあほら、個人依頼っていうやつです。正直ね、面倒な話だとは思います。だからアレでしたら断ってくださってもいいんですよ。でもねぇ……」
歳三は権太の話がもうしばらく続きそうだと感じ、ともかくそちらまでいくと答えた。この男は悪い男ではないが、何かのスイッチが入ってしまうととにかく話が長くなるのだ。そしてねちっこい。
急用だというので
◆
「やあやあやあ、歳三さん、わざわざすみませんねぇ、それで用事というのは……」
「は、はじめましてっ……! 私は四宮由衣と言います。佐古歳三さんですよね、お噂はかねがね……。佐古さん、お、お願いがあります。雑司ヶ谷ダンジョンで消息を絶った私の妹の救出依頼を受けてくださらないでしょうか。わ、私が行ければいいのですが、私は雑司ヶ谷ダンジョンへの入場を許可されていないのです……。救出依頼は出してもらったのですが、いまだに受注してくださる人もいなくて……。佐古さんがこんな依頼を普段は受けない事を知っております。モンスターとの死闘にしか興味がない方だというのも。ですが、それを押してなおお願い致します……妹は私にとって……」
権太の言葉に被せるようにまくしたててきたのは、歳三の知らない娘であった。パープルのボディスーツの腰には大振りのナイフが
ワァワァと言い募る彼女の話を要約すると、探索者の妹が仲間達と共に雑司ヶ谷で消息を絶った。救出依頼を出したが誰も受けてはくれない。お前の噂は聞いている、強いんだって? だから助けてくれないか。と言った所だろうか。
歳三は唸り声をあげた。悩みの発露としての唸り声で、怒っているとかそういう意味ではない。受けるべきかどうか悩んでいるのだ。
雑司ヶ谷ダンジョンは余りデータがない。データが無ければどうなのか? そう、危険である。
だが歳三が悩んでいる理由は危険だからではない。助けるのはいいにしても、間に合わなかった場合、失敗した場合が怖いのだ。
無事救出できればいいが、出来なければ? 大なり小なりバッシングされるだろう。依頼という形で受けるのだから、全探索者に結果の情報が公開される。歳三は炎上の恐ろしさをよく知っている。故に即断できかねた。
しかし、断るというのもどうにも気分が良くない。歳三は「まとも」に、「真っ当」に生きられればいいなと常々思っている。人助けとはそれらを為す大きな一助足りえるのではないか?
だが失敗すれば……。
歳三は延々と悩み、ようやく結論を出した。
「さ、佐古さんっ! お願いします! お願いします……どうか……」
背を向けて立ち去る歳三の背に、由衣の嗚咽めいた声がぶつかり、弾ける。
◆
一時間後。
歳三は雑司ヶ谷ダンジョンの入場口の前に立っていた。一つの策を巡らせたのである。
あの場では受けずに、黙って救出に赴く。無事ならそのまま救出、しかし間に合わなければそれはそれで仕方ないと撤退。この策の最大のメリットは、仮に失敗したとしても責任を負う事がない、つまり炎上しないという点にある。デメリットは報酬が出ない事だろうか。
しかし、それは仕方がないと歳三は割り切っていた。大体、金ならあるのだ。そう、唸るほどある。
歳三はダンジョンに入る前に、ヤニを補充しておくことにした。ちなみにこのヤニは特別製で、微弱な向精神作用を持つ成分が含まれている。勿論合法的なものだ。
鯉の様にパクパクと口を開閉すると、不細工な煙の輪がいくつかできて歳三は嬉しくなった。
輪は〇の意味を持つ。そして〇は合格、及第点という意味だ。歳三はこの形が好きだった。×ばかりの人生だったからかもしれない。