(完結)しょうもなおじさん、ダンジョンに行く   作:埴輪庭

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巣鴨プリズン⑤

 

 歳三は胸中に(もや)が広がっていく思いがした。

 

 靄は明確に悪性だ。

 

 強い酸性を帯び、心の内壁をじゅくじゅくと溶かしていく。

 

 どうにかしたいとは思っていてもどうにも出来ない無力感の棘が、逆棘となって心の肉に食い込んで離れようとはしない。

 

 それは紛れもなくこの巣鴨プリズンダンジョンを司る何かの苦悶の思念であった。

 

 だがこれでいて根が表皮が分厚い事で知られるサイの皮膚感覚より鈍い歳三であるので、そんなことには全く気づく様子もない。

 

 賽の河原の歌では「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため」と歌われるが、歳三は一体誰のために、何のために拳を振るっているのだろうか。

 

 空気との摩擦により赤熱した拳があげる轟々とした唸りは、あるいは歳三の自身の社会不適合性を嘆く心の泣き声であるのかもしれない。

 

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 一体どれ程の拳打が叩きつけられたであろう、ひとしきり暴れ倒した歳三はふと正気に戻った。

 

 ──ドアの向こうに、誰かがいる

 

 そう思うやいなや、歳三のマインドは腐れメンヘラから実力派探索者のそれへと回帰し、ゆっくりとドアが開かれた瞬間に強烈な前蹴りを放った。

 

 ダンジョン内に於いて、ドアや扉の向こうに気配を感じた時は "蹴り飛ばして先制攻撃を仕掛ける"というのは極々基本的なダンジョン仕草として知られており、この辺りは戌級の座学講義でも教えられている。

 

 ◆

 

 歳三の前蹴りは空気との摩擦により赤熱し、宙空へ赤い軌跡を残しつつドアへと炸裂した。

 

 だがこのダンジョンの特性に遮られたか、ドアの破壊には至らない。

 

 しかし蹴り開けられたドアはその向こうに佇む誰か、あるいは何かに直撃した様だ。

 

 水袋が破裂するような音が響き、途端、歳三はその場に膝をついた。

 

 精神と肉体──……双方に圧し掛かる凄まじい重圧! 

 

 歳三の頭の中に声が響く。

 

 ──『444番、所内でいきなり暴力沙汰か。懲罰房で反省してもらうとしよう』

 

 特殊な "法則" を持つダンジョンは少なくない。例えば東京都八王子市鑓水八王子、丙級指定 "道了堂跡ダンジョン" などは取り憑かれた(ホーンテッド)車と戦闘が可能だが、入場の際に特定の条件を満たす事で若い女の怨霊と戦闘ができたりする( 道了堂跡ダンジョン 参照)。

 

 巣鴨プリズンダンジョンのそれはある種の行動規範を強制するモノだ。入場した者はこのダンジョンの法則に縛られる。

 

 所内で不当な暴力を働いた歳三の意識が暗転していく……

 

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「ここはどこだ……?」

 

 歳三は古ぼけた畳敷きの部屋にいた。

 

 広さは三畳程度に過ぎず、目の前には冷たく無機質な鉄格子があり、三方は無機質な打ちっぱなしのコンクリートの壁に囲まれている。

 

 部屋の隅々には湿気を好むカビが生い茂り、空気は湿って冷たい。

 

「独居房ってやつなのかな」

 

 歳三は呟くなり立ち上がり、鉄格子へ近づいてそれを掴み、(リキ)を込めた。その時その時で出来る事をするというのがダンジョンでの作法というものだ。

 

 歳三の腕の筋肉が盛り上がり、顔には一筋の汗が流れ落ちる。満身の力を込めて鉄格子を曲げようとするが、びくともしない。

 

「条件があるって事か」

 

 歳三は先の狂乱が嘘の様に冷静になっていた。自分なりに状況をかみ砕き分析するべく、あらためて周囲を見渡す。すると──……

 

 ──うう、ここから出してくれ

 

 ──もう殺さない、犯さない、だから……

 

 ──くそ、なんでこんなことに……

 

 苦悶の呻き、後悔の慟哭。

 

 そんな呻き声や囁き声のようなものが、遠くから断続的に聞こえてきた。

 

 こういったネガネガしい泣き言を聞いていると、ともすれば精神の均衡を崩しかねないのだが、歳三は逆であった。

 

 むしろ精神を慰撫されている感覚さえも覚える。

 

 他人の悲観的感情や悲劇的経験に対して共感的に理解する──……負け犬の傷の舐めあい的行為に心が慰められるという事もある。

 

 だから根が生来の負け犬気質にできている歳三にとって、この辛気臭い空間はむしろ居心地が良かった。

.

 

 だが──……

 

 ──『巣鴨プリズンダンジョンの最奥部で "在監証明書" が受け取れる筈です。それを受け取り、戻ってきてください』

 

 今井 友香の依頼を果たさねばならない。

 

「だがよ、どうやってここから出れば……」

 

 悩んでいると、ふと鉄格子の先、向かいの部屋に誰かがうずくまっている姿が目に入った。

 

 青年だ。

 

 ──あれは、どこかで見たような。確か、ええと……

 

 一度会っているはずだが、歳三はその名を思い出せない。

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