(完結)しょうもなおじさん、ダンジョンに行く   作:埴輪庭

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日常91(歳三、飯島 比呂)

 ◆

 

「すみません、今井さん、ちょっと電話を切りますぜ。知り合いにあってね、はい、じゃあ掛けなおします、ハイ……」

 

 そう言って歳三は通話を切り、比呂に向かって「ああ、 どうも 久しぶり」と言った所でスと身を躱した。

 

 そして、先ほどまで歳三がいた場所に突っ込んでくる影。

 

 言うまでもなく比呂だ。

 

 歳三は反射的に躱したが、比呂の責める様な目つきを見て──

 

 次なる突進は甘んじて受けた。

 

「さ、さ、歳三さぁん……」

 

 甘い香りと押し付けられる胸の感触が、歳三には異次元のナニカであるように思える。

 

 余りにも濃密な雌々(メスメス)しい気配が歳三の四肢を縛鎖する。

 

 結句、この盆暗に出来る事はただ空を見つめるのみだった。

 

 しかしふと白い雲が流れるのを見た時──

 

 わが知らぬ、とほきとほきとほき深みにて

 

 青空は、白い雲を呼ぶ

 

 そんな詩が歳三の頭をスゥと過ぎった。

 

 ──確かあの時、望月君は……

 

 ・

 ・

 

「佐古君、まだ文化祭で皆で作った催し物を躓いて破壊してしまった事を悩んでいるのかい? まあアレは結構酷かったけど、それでも半年前の話じゃないか。皆もう忘れてるよ……。結局ね、僕らは前に進むしかないんだ。でもね、佐古君、君がそのことで悩み続けるのは自分自身を苦しめてしまうだけだよ。過去の出来事はもう変えられないけれど、その経験から学ぶことはできるんだ」

 

 結局ね、()()()()()なんだよと望月少年は続けた。

 

「こんな詩があるんだ」

 

 夏は青い空に、白い雲を浮ばせ、

 

 わが嘆きをうたふ。

 

 わが知らぬ、とほきとほきとほき深みにて

 

 青空は、白い雲を呼ぶ。

 

 わが嘆きわが悲しみよ、かうべを昂げよ。

 

 記憶も、去るにあらずや。

 

 湧き起る歓喜のためには

 

 人の情けも、小さきものとみゆるにあらずや

 

 ああ、神様、これがすべてでございます、

 

 尽すなく尽さるるなく、

 

 心のままにうたへる心こそ

 

 これがすべてでございます! 

 

 空のもと林の中に、たゆけくも

 

 仰ざまに眼をつむり、

 

 白き雲、汝が胸の上を流れもゆけば、

 

 はてもなき平和の、汝がものとなるにあらずや

 

「中原 中也という詩人の詩さ。何を思い悩もうとね、コトは僕らのうかがい知れない場所で、僕らの理解できない理屈で勝手に進んでいってしまうんだ。だったら過去を思い悩むよりも、これからの事に思いを馳せる──反省し、学び、その心のままに生きていれば、やがて浮かぶ瀬も見つかるっていうものさ」

 

 ・

 ・

 

 均衡を崩しかけていた歳三の精神は、過日の記憶によって即座に補強された。

 

 そして、泣きじゃくる比呂の背を一撫でし、一言短く、そして力強く──

 

「大丈夫だ」

 

 とだけ言った。

 

 ──比呂君は何かとんでもない失敗をしちまったに違いない。だから泣いているんだ。泣きたい気持ちはよくわかるぜ。俺の人生は失敗の連続だった。失敗しかしてこなかった。でもまだ今もしぶとくこうして生きてこれている。比呂君よう、アンタはまだ若い。いくらでもやりなおしは出来る筈だ……

 

 ◆

 

 飯島 比呂は歳三に言いたい事が山ほどあった。

 

 なぜ急に姿を消したのか、どこに行っていたのか、あれほど連絡をしたのになぜ全て無視をしたのか。

 

 しかしそれら全ての疑問は、歳三の「大丈夫だ」の一言で消し飛んだ。

 

 歳三が大丈夫だというのなら、それはもう大丈夫なのだ──そんな幻想の安心感が比呂の精神に満ちていく。

 

 そうして比呂は、腕に一般成人男性ならば即死する程の力を込めて歳三を抱きしめた。

 

 ・

 ・

 

「──って事なんだよ」

 

 今、落ち着いた比呂と歳三は公園の隅の追い出しベンチで話をしている。

 

 歳三は巣鴨プリズンダンジョンへ行っていた事、中と外の時間の流れが違っていた事、家を失った事を説明した。

 

「巣鴨プリズンダンジョン……本当にあったんですね。名前だけは聞いていましたけれど……。無事に帰ってきてくれて嬉しいです。あと、家の事は残念でしたね……」

 

「うん、まあ……」

 

 歳三は言葉を濁す。

 

 残念は残念だが、実の所住む場所さえあればどうでもよかったりするからだ。

 

 戌級の頃から住んでいるとはいえ、あちらこちらガタがきており、とても住みやすいとは言えない。

 

 引っ越しをしなかったのは、環境を変える事への億劫さが故である。

 

 根が手遅れ気質にできている歳三であるので、何事も追い詰められないと行動出来ない(ヘキ)に出来ていた。

 

「まあ、ホテルかなにかでも十分だし、協会の人が家を用意してくれるっていうから……」

 

 歳三がそこまで言うと、比呂がズイと体を寄せてくる。

 

「僕の家は世田谷にあるんですが、歳三さんが落ち着くまでいらっしゃいませんか? 一軒家で、部屋もたくさんあるので……ッ!」

 

「いやあ、でも俺は無作法だし煙草も吸うから……」

 

「室内でも吸えますよ、サリンくらいまでなら空気清浄機が全部無毒・無香化してくれます。それに、無作法だなんて……」

 

 ここで比呂は、雌が生来持ち合わせている狡猾な本能の囁きに従ってこんな事を言った。

 

「僕ら、探索者仲間じゃないですか。困ったときは助け合うのが当然だと思うんです」

 

 ──当然……困ったときは助け合いが当然……? 

 

 歳三という男は当然だとか常識だとか、そういう正常性バイアスに酷く弱い。

 

「そう、か? そうかもな……うん、だったら少し厄介になる、か……」

 

 と、こうなってしまうのは至極当然の結果であった。

 

 しかし今井 友香が祖師谷に一軒家を用意してくれるというのに、わざわざ比呂の家に行く必要があるのだろうかという思いもある。

 

 しかし。

 

「家といっても家具とかそういうものを搬入しなきゃいけないですし、色々生活環境を整えるまでは是非!」

 

 比呂が逃げ道を察知して潰してしまった。

 

「そうかい、じゃあまあそうだな、それならよろしく頼みます、比呂君」

 

 そう頭を下げて礼を言う歳三であった。

 

 

 




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