(完結)しょうもなおじさん、ダンジョンに行く   作:埴輪庭

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しょうもなおじさん、ダンジョンに行く⑦

 ◆

 人の身体とは、言ってしまえば水と脂質とタンパク質の集合体だ。

 創傷治癒の理屈とは何か。

 

 それはタンパク質を材料に線維芽細胞が膠原線維を編み上げ、血小板由来因子が寄ってたかって新生血管を呼び込み、最後に上皮細胞が蓋をする──理屈だけ並べれば、骨折したら牛乳を飲めというのと同じくらい単純明快である。

 もちろん市販の絆創膏で湿潤環境を整えたほうが早いし、「擦り傷を負ったからと言って肉を食えば即完治」などという荒唐無稽は通用しない。

 ──しかし、歳三は。

 森の奥へ一歩、また一歩と進むたび、土門との死闘で裂けた皮膚は綴じ、紫色に滲んでいた打撲痕はみるみる薄墨色に退き、ついには肌色へ回帰する。

 歳三は血肉にしているのだ、このダンジョンというものそのものを。

 

 肉とは糧、そして糧には活動の本源という意もある。

 

 而(しこう)して、歳三の活動の本源とは何か──それはダンジョンであった。

 最もダークで、最もルナティックで、そして最もドレッドフルな甲級指定「富士樹海ダンジョン」に於いて、歳三は遅咲きの全盛期を迎えていた。

 歳三は鼻を鳴らす。

 

 ──この富士樹海で俺はしっかり仕事をこなす。比呂には悪りぃが、偵察だけじゃ終わらせねぇ

 

 胸の奥に、ほんのわずかな罪悪感があった。

 

 やはり自分たちの手で、足で探索をしたいだろうから、という思いがある。

 

 だが比呂とその仲間たちがここへ挑む前に、自分が先んじて潜れて良かった──そうも思うのだ。

 ──あの爺さんもそうだが、ここは危険だ。今の比呂君じゃあどうしようもねえな

  

 恐らくは会敵二秒で死肉と化すだろうというのが歳三の見立てである。

 

 それは鉄騎や鉄衛だって同じであった。

 

 ──置いてきて正解だった

 

 歳三は心底そう感じていた。

 

 ◆

 腐葉土を踏む足音が吸い込まれるほど静謐な森。

 

 その静けさを裂くように、歳三の眼前がゆらりと揺れた。

 

 空間そのものが水面のように歪み、その歪みから鋭い刀身が突き出てくる。

 

 歳三は眉一つ動かさず、首を傾けて刃を歯で噛みとめた。

 

 がちり。

 

 金属が欠け、火花が散る。

 歪みから人影が一つ滲み出た。

 桜花機動殲隊仕様の特殊光学迷彩スーツを着込んだ、男か女かも定かではない人影──だが中身は“なれ果て”、白濁した眼を宿す亡者。

 

 感じる圧からして、その戦闘強度はざっと飯島 比呂の十人分といった所だろう。

 

 歳三は短く息を吸い、無造作に右脚を跳ね上げた。

 

 瞬脚の先端はは音速を優に超え、ソニックブームが血潮と共に人影を粉砕する。

 

 破砕された肉片が飛沫の如く散り、森の闇に吸い込まれるよりも早く、歳三は掌を合わせていた──合唱。

 

「成仏しろよ」

 

 ぽつりと呟き、唇を薄く結ぶ。

 

 例え相手が“人”であろうと、敵意を以て挑まれたからには死を以て報いるのが歳三の戦闘流儀である。

 

 が、別に殺しについて何も思わないわけではない。

 

 ──アンタもこんな場所にこなけりゃあな

 

 そんな風に思う程度の情がある。

 歳三の視線は森の奥へ向いた。

 

 その視線の険しさは常の歳三には珍しいものだ。

 

 そう、歳三には視える──病み、あるいは闇が、森の奥へ奥へと収束していくさまが。

 まるで無数の黒糸が、一点へと吸い込まれていくかのような悍ましい幻視であった。

 

 が、歳三はその光景に恐怖ではなく嫌悪を抱く。

 

 ──趣味が悪りぃ野郎だ

 

 土門にせよ、先ほど吹き飛ばした者にせよ、果たして芯から戦いたいと願っていただろうか?

 

 ──あの爺さんはわからねえが

 

 それでも正常とは言い難いものはあった。

 

 歳三にとって、そんなものは不純物だ。

 

 戦いとは、闘いとは、誰かに無理やりやらされるものではない。

 

 少なくとも歳三はそう思っている。

 

 もちろんそれは歳三個人のお気持ちに過ぎないのだが、生来この男は自分の価値観、物差しでしかモノをはかれない視野狭窄気味な所がある。

 

 ──ダンジョンは好きだ

 

 歳三は改めてそう思った。

 

 すると、胸の奥がポウと暖かくなるような心地を覚えた。

 

 まるで自分の中に誰かがいて、その誰かがにこりと笑ったような風情である。

 

 「でも、お前は余り好きじゃねえな」

 

 人の顔色を伺い、人からどうみられるかをことさらきにして生きてきたしょうもないこの男にしては珍しく、言葉に険がある。

 

 その声に応えるように、木々がざわりと揺れた。

 森の闇が低く嗤っている。

 

 ◆◆◆

 

 一方その頃。

 

 時刻は昼過ぎだ。

 

 空は青い──はずなのだが、富士樹海の上空だけがわずかに濁って見えた。

 

 望月は林縁に立ち、手帳ほどの端末を握ったまま雲の流れを追っている。

 

 隣には一際雄大な体躯の男が立っていた。

 

 なぜか空手着を着たこの男だが、サイズがあわないのか前をはだけ、そのたくましい胸筋が丸見えになっている。

 

 遠目には馬鹿か阿呆にしか見えない──が、この男はただの変人ではない。

 

 探索者協会が誇る甲級探索者、「野獣」と渾名される男である(旭真祭①参照)。

 

 「……旦那も本気って事か」

 

 低くくぐもった声が、胸郭の奥でゴロリと転がった。

 

 望月は浅く苦笑し、首を横に振る。

 

 「“相手”が飽きないようにね。まあでも受けられるだろう。でも多少は脅かすこともできるはずだ。核でも使えばよいと思った事もあったけれど、碌な事にならないのが視えたからね」

 

 ──ピッ。

 

 端末が短く震えた。

 

 通話要求のアイコンが灯る。

 

 望月は画面を一瞥し、肩で息をついた。

 

 「甕星(みかぼし)さんから準備ができたとのことです」

 

 甲級、甕星 天(みかぼし てん)。

 

 協会が“保有”する、大規模破壊兵器少女。(日常61(歳三、海野 千鶴、鉄騎、鉄衛、ハル)& ある日のモブ探索者③参照)

 

 PSI能力者の中で最もポピュラーな念動力者、その極点である。

 

 しかし応用など一切きかず、ただひとつの事しか出来ない。

 

 そのただ一つの事とは──

 

 ◆

 

 まず風が止んだ。

 

 森林全体を包む気流が、瞬時に凍りついたかのように。

 

 つづいて乾いた破裂音──異様な音色が、天頂から降りてくる。

 

 真昼の蒼穹に、灼熱色の点が見える。

 

 それは星だった。

 

 大気圏への突入で周囲七百度、核は推定三千度──鉄をも液化させる赤熱。

  

 高度一万メートルを割ると、轟音が地表に届いてきた。

 

 ゴウウウウウッ──

 

 空気そのものが燃えていた。

 

 圧縮された前方の空気がプラズマを孕み、白い尾を十重二十重に引きずる。

 

 赤い。

 

 いや、赤というより灼けた血の色にも見えた。

 

 血滲む隕鉄が、富士樹海の最奥部を狙って一直線に落ちていく。

 

 

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