(完結)しょうもなおじさん、ダンジョンに行く   作:埴輪庭

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しょうもなおじさん、ダンジョンに行く⑬

 ◆

 

 寂滅観音の顔面が半分吹き飛んだ。

 

 血と呼んでいいのかどうかも分からない液体が、べっとりと歳三の拳と腕を濡らす。

 

「む」

 

 歳三が小さく声をあげた。

 

 毒血が滲み、皮膚が焼け爛れ、その下の筋肉へまで浸食を広げていったのだ。

 

 まるで溶岩の牙を立てられたような灼熱感に、歳三は低く唸る。

 

 痛みと熱が骨の芯にまで響く。

 

 だが歳三も歳三であった。

 

 焼けただれた肉の下から新たな肉が盛り上がったのだ。

 

「相打ちか? でも、お前の方が損したな」

 

 歳三の視線の先には半壊した寂滅観音の(ツラ)だ──頬が奥深くまでごっそりと抉れている。

 

 だが、その表情は苦痛を感じているようには見えない。

 

 まるで苦しみすらも呑み込み、すべてを許容する仏の無表情。

 

 一拍を置かず、観音の腕のひとつ──いや、幾つも連なる千の腕のうちのどれかが、輪のようなものを持ち上げた。

 

 輪は大きくも小さくもなく、くすんだ金属光を帯びた円形──法輪である。

 

 その表面には得体の知れない文字が刻まれ、錆色の魔具。

 

 魔輪はぐるぐると回転を始めた。

 

 はじめは時計周りに、次第に反時計へと切り替わり、その速度をどんどん上げてゆく。

 

 すると寂滅観音の吹き飛んだ顔面が、ぐずぐずと巻き戻るように復元を始めた。

 

 ずるりと断面同士が合わさり、粘土細工をこねるように新しい肉が再生されていく。

 

 歳三の拳が穿った深い裂溝さえもあっという間に塞がってしまった。

 

 なぜかせっかく詰めた距離も離されている。

 

 まるで時が巻き戻ったかの様だ。

 

 だがそれだけでは終わらない。

 

 回転は更に早まり、内から不可視の領域を滲ませる。

 

 寂滅観音を中心にセピア色の空間がぶわりと広がり、歳三をも呑み込んだ。

 

 歳三の視界が途端にぼやける。

 

 つい先ほどまで肌で感じていた痛みや熱を、一瞬だけ忘れてしまうほどの強烈な眠気に襲われる。

 

 ガクンと頭を垂れ、口を半開きにする歳三。

 

 口の端からは唾液が糸を引いて落ち──次の瞬間、カッと両眼は見開かれ、歯がガチンと音を立てて噛み合わされた。

 

「急に眠くなっちまったが……あんたがやったのかい?」

 

 歳三はタフな笑みを浮かべる。

 

 その男ぶりたるや、もしもここにこの銀河系でも数少ない歳三を慕う誰かが居合わせたならば、一秒経たずして股を潤ませていただろう。

 

 しかし別に歳三は男ぶりの良さで()()を耐えきったわけではない。

 

 ()()はそんな半端なモノではない。

 

 ()()とはすなわち、魔輪が描き出す時間の逆流である。

 

 元々の法輪は釈迦の教えを広め、煩悩──欲望や迷いの心を消し去る法具だが、この魔輪は違う。

 

 寂滅観音の持つ魔輪は自身にとって都合の悪い事を消し去り、相手が積み重ねてきた“成長”を打ち消す恐るべき力を発する。

 

 積み重ねてきた幾多の経験、そしてダンジョンで得た力。

 

 それらが全てなかったことになるのだ。

 

 言うまでもなく厄介な能力である。

 

 領域に呑み込まれない事以外に回避方法は存在しない。

 

 どれほどの強者であっても、魔輪が広げた空間に呑み込まれればあらゆる“成長”を打ち消されてしまう。

 

 この力から逃れるには、それこそ生まれついての強者か──あるいは生まれついての弱者のみである。

 

 成長というものを意識しない、あるいは認めない者しかこの力を打ち消すことはできない。

 

 仮に歳三が自分を「成長を積み重ねてきた存在」だと無意識下で強く認めていれば、彼の力は掠め取られ、かつての弱々しい姿に戻っていたかもしれない。

 

 だが歳三という男は積み重ねてきた己の強さを「成長」だとは認めていない。

 

 強くなった。

 

 人よりもモンスターのような力を持った。

 

 しかし、それは本当に“成長”なのか。

 

 強くなればなるほどに、居場所がなくなっていく──と思い込んでいる今の歳三には、自身が積み重ねてきたものは呪いのようなものである。

 

 そう、魔輪がもたらす成長の剥奪は、歳三の存在価値を根こそぎ奪うには至らなかった。

 

 低すぎる自己評価が何重にも鎧のように歳三を覆い、魔輪の力を無効化してしまったのだ。

 

 寂しいねぇ、と歳三は言った。

 

「ずっと座り込んでよ。俺とはまともに()る価値がないって事かい?」

 

 歳三はぼそりと呟き、瞳を細めた。

 

 寂滅観音は黒い蓮華の上に泰然と鎮座している。

 

 ──だったら、よ! 

 

 歳三は短く息を吐き、「しゃあッ」と脚へ力を込めて踏み込んだ。

 

 ──陸津波(おかつなみ)

 

 ◆

 

 最初は小さな震えだった。

 

 だが、歳三が振り下ろす踵の衝撃がどんどん広がり、極大化していく。

 

 大地がめくれ、土が隆起し、苔を剥ぎ取り、根を断ち、石と岩を巻き込みながら巨大な波を作り始める。

 

 それは暗褐色の津波だ。

 

 大地そのものが咆哮を上げて前へ前へと押し寄せ──寂滅観音を呑み込んだ。

 

 しばらくして、土砂の流れは落ち着きを見せる。

 

 巨大な土煙は少しずつ晴れていく。

 

 周囲は無残だ。

 

 倒木が無残に転がり、色とりどりの花もろとも滅茶苦茶な惨状。

 

 が、その中心部に寂滅観音は立っていた。

 

 トン単位の土砂を被りながらもその姿はまったく傷ついてはいない。

 

 しかし発する雰囲気は明らかに異なっていた。

 

 ()()()

 

 凄愴な威圧感を放つ寂滅観音は、明らかに歳三を敵とみなし睨みつけていた。

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