(完結)しょうもなおじさん、ダンジョンに行く   作:埴輪庭

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しょうもなおじさん、ダンジョンに行く⑭

 

 ◆

 

 “これ”は滅びを望んでいるわけではない。

 

 むしろ生けるもの全てを「救う」ために森を広げ、そこへ誘わんとしている。

 

 生老病死をはじめとする無数の苦しみに囚われる人間があわれだと考えている。

 

 かつてこの森に命を落とした自殺者たちが湛えた絶望、他ならぬ彼らが放った「救われたい」という叫びこそが“これ”──千獣千眼真如寂滅観音を形作った。

 

 寂滅観音はより多くの者を森の懐に取り込み、己の祝福を施そうとする。

 

 その救済は、人の形を棄て苦悩なき魔の眷属になること。

 

 グロテスクな方法論であれ、生きながらにして不死の魔となるならば、もはや食事や睡眠は要らない。

 

 愛別離苦も、怨憎会苦も、求不得苦すらもない。

 

 死を恐れる必要もなく、飢えに泣くこともなく、心を砕く裏切りに震えることもない。

 

 それこそが寂滅観音の言う「悟り」である。

 

 しかし今、この広場に現れた佐古歳三という男が、その“救い”を拒んでいるように見えた。

 

 歳三の身体からは血の匂いと狂気の熱が立ち上り、己の領域を穢すかのごとく暴れまわっている。

 

 幾多の亡者や洗脳された探索者を踏み越えてここへ至った。

 

 ──『何故、抗う』

 

 寂滅観音は声を発しない。

 

 それでも満身から発する気配がそう言っていた。

 

 幼少に受けた蔑み、幾度も味わった疎外感、どれほど強くなっても誰にも受け入れられないという孤独。

 

 その暗い感情をこそ、寂滅観音は救おうとしている。

 

 ◆

 

 寂滅観音はゆっくりと片腕を掲げた。

 

 見ると、その手には一本の剣が握られている。

 

 これは本来は自らの煩悩を断ち切るための祈りが刻印された宝剣だ。

 

 しかし今、その聖性は反転していた。

 

 宝剣ならぬ魔剣。

 

 刃と柄の境目さえ分からない黒い邪剣である。

 

 ところどころに錆にも似た斑がこびりつき、かすかな息遣いのごとき脈動を感じる。

 

 刃を振るうための剣ではない。

 

 それは単に“結果”を導き出すための道具だ。

 

 相手を滅ぼすと決めれば、その結論を現実へと押し付けるだけの魔具。

 

 歳三の視界に剣ともつかぬ漆黒のモノが映った瞬間、まるで目に見えない刃が振り下ろされたかのように、左腕がぼとりと落ちた。

 

「あがッ……!」

 

 歳三の口から一瞬吐息が漏れる。

 

 自覚もなく、一瞬前まで確かにそこにあった腕が消えていた。

 

 血飛沫はほとんど上がらず、熱だけが左肩から湧き上がる。

 

 キリキリとした痛みよりも、何かをごっそりと奪われた感覚に歳三は息を呑んだ。

 

 しかし怯まない。

 

「やるねぇッ!」

 

 血の香りが立ち込める中、歳三は痛みを訴えることなく吠えた。

 

 みるみるうちに肉が蠢くがそれだけだ。

 

 傷が治る気配もない。

 

 何故ならば、再生の因果すら奪われているからだ。

 

 それほどまでに、寂滅観音の「魔剣」は徹底して結果を確定させる。

 

 しかし歳三は足を止めない。

 

 失血は激しいはずなのに、右拳を固めてなお前へ出る。

 

 闘いこそがこの男を支える拠りどころ。

 

 迷いだらけの人生で、唯一すがってきた生きる術。

 

 ならば腕の一本を落とされた程度で止まるわけにはいかない。

 

 歳三は踏み込み、膝を曲げ、全身のバネを収束させる。

 

 狙うは寂滅観音の胸部。

 

 まるで猛虎が獲物に躍りかかるように疾駆する。

 

 仁王立ちする寂滅観音は静かに顔を上げた。

 

 まるで“お前はもう終わったのだ”と言わんばかりに、再び魔剣を掲げる。

 

 再度、結果を確定──させたはずだが、落ちたのは歳三の首ではなく、腰に佩いていた刀であった。

 

 古ぼけた鞘もろとも真っ二つに断ち割られている。

 

 寂滅観音は、わずかに驚いたように動きを止めた。

 

 ──からぶっちまったな。プレッシャーに弱いタイプか? 俺もだぜ! 

 

 内心そう吠えながら、歳三は大気摩擦で煌々と燃える拳を寂滅観音の胸へと叩き込んだ。

 

 一発ではない。

 

「まだだ!」

 

 ラッシュである。

 

 歯を食いしばりながらもどこか笑っている様な表情を浮かべ、殴る、殴る、殴る。

 

 そんな連撃を棒立ちで受けながら、寂滅観音は先ほど見た()()について考えていた。

 

 なぜ結果が確定できなかったのか。

 

 仕損じたのか。

 

 それは邪魔が入ったからだ。

 

 どこから顕れたのか、上半身をはだけた厳めしい面構えの侠客が何かをして、そして結果が確定できなかった。

 

 しかしその邪魔者の姿はもうどこにもない。

 

 ならば三度目の正直──とはいかなかった。

 

 魔剣が折れている。

 

 それとも連続の使用に耐えられなかったのか、あるいは()()かにへし折られたのか。

 

 理由は寂滅観音にも分からない。

 

 分かるのは、この拳を受け続けていては駄目だという事だ。

 

 歳三の命を削るような連撃は、確実に寂滅観音の存在核とも言うべき力の中心部へと届いている。

 

 ◆

 

 とはいえ、受け続けては駄目ならば再度癒してしまえばいい。

 

 だがカッと法輪が光り、反時計回りにゆっくり回転をしようというその瞬間。

 

 細く白い腕がぬるりと伸びて、回転を止めた。

 

 寂滅観音は黒い着物を纏った黒髪の少女の姿を視る。

 

 半透明の姿、なにより発する魔気。

 

 明らかに人間ではない。

 

 では何なのか。

 

 ──同種

 

 寂滅観音はその少女に自身と同じ、“ダンジョンの意思”を視た。

 

 ◆

 

 この星のありとあらゆる存在の、生物としての階梯をより高みに引き上げるというのがダンジョンの本来の目的だ。

 

 しかし、その少女(ダンジョン)は正しい在り方で顕れたわけではなかった。

 

 旭 道元という一人の人間の特定の個人の欲望を満たすために作られたのだ。

 

 ゆえに在り方も捻じ曲がって当然。

 

 特定の個人を贔屓するようなこともあるだろう。

 

 事実、少女(ダンジョン)は何度も歳三を贔屓してきた事がある。

 

 が、その贔屓もここまで。

 

 確かに少女(ダンジョン)は甲級相当のダンジョンではあるが、同じ甲級でも格差はある。

 

 富士樹海ダンジョンの意思──その具現たる千獣千眼真如寂滅観音の持つ魔具の起動をほんの一瞬食い止める事が精一杯だった。

 

 少女は僅かに発された魔輪の光を浴びて、その在り方を自律した意思を持つ以前の、ただの力の塊へと逆行させられて思念体を霧散させた。

 

 少女(ダンジョン)が出来た事はほんの僅かな助力にすぎない。

 

 しかし、その僅かな助力が──

 

(タマ)ァ! ()ッたぜぇ!」

 

 連撃につぐ連撃で、歳三の残った腕も返り血による腐食が進んでいる

 

 ろくに(リキ)もはいらないその腕で果たして止めが刺せるのか。

 

 ──刺せる。これが俺の最期の業だ、望月君

 

 歳三の右つま先がぎゃりんと月輪を描く。

 

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