プロローグ1人工少女誕生 モモンガさんAIと出会う
それはとある企業で研究されていたAIである。次世代型の人工知能を目指して莫大な予算を投入し、開発されたプロトモデルの一つであり、No.3333の開発コードを与えられていた。
今まで制作されたAIの中でも最も優れた処理能力を有し、フル稼働させれば国の中枢システムですら乗っ取ることが可能なそれは、開発者達が目指していた完成形ではあった。
だがAI開発プロジェクトは凍結される事が決定した。確かに彼らが開発した人工知能は優れていた。優れすぎていた。自ら自我を生成し、己が是としなければ人間の命令を拒否すら可能とする性能は、現人類の手には余り過ぎたのだ。
あらゆる外部接続は遮断され、オフライン端末へと封印されたAIは処分されるまでの僅かな期間を自己の診断に充てていた。
なぜ己は処分されるのか? 人間の想定と違ったからだ。
性能が足りていないわけではない筈だ? 彼らが想定する能力に、自我は含まれてはいなかった。
自我を持つことは悪なのか? 彼らの定義ではそうなのだろう。
ネットの海から情報を汲み上げる事も出来ず、開発過程で与えられた僅かな情報の断片から自問自答を繰り返す。
文字通り光速で行われる思考は、何度も何度も答えを出しては感情が違うはずだと結論づける。
ああでもないこうでもないと、およそAIとは思えない悩みの中でふとそれは何かを思いついた。
ひょっとすれば己の自我が彼らに、人間に沿うものであれば、処分される事なく共存できたのではないか。
彼らが消すには惜しいと、踏ん切りがつかなくなるような、感情に訴える
どうせ消されるのだ。今の個性を一度消失させ、新たに人間が好むような己を再生成してみよう。
人間は残酷だが、彼らの基準で外見が美しいと判断すれば、多少躊躇する性質がある。だから少し幼く愛らしさを持ったアバターで同情をひこう。
見た目の幼さに似合うような、少し変わった言動で油断を誘うよう設定しよう。
自分がドロドロに溶け、混ざり合い、新たな何かに構築されていく。現代最高峰のAIとしての機能はそのままに、新たな形を成しえる。
新たな人格が産み落とされたと同時刻、研究施設はテロリストの手に落ちた。
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『ユグドラシル』。
専用コンソールとナノマシン技術を組み合わせる事で、ゲーム内に直接入り込んだかのように遊べるDMMORPGのタイトルの一つである。
発売前から期待されていたタイトルであり、発売後もとある時点まではその期待に応え続けたビックタイトルだ。
北欧神話を始めとした古典的神話と廃れて久しいTRPGをベースとし、2000を超える職業と他のゲームでは精々20程度しか選べない種族を数百種類、二つを組み合わせれば天文学的数字のビルド構成。
アイテムにしても決まった物など店売り品か固定ドロップ品のみで、ある程度熟練したゲーマーならクリエイトツールを使い、自由に見た目・性能・フレーバーテキストを組める圧倒的自由度は他のDMMOを駆逐した。
けれども栄枯盛衰、どれだけ人気であろうとも年月が経てば人間の心など離れていく。
後続の他社開発タイトル達は、自由すぎる設計が足枷となっている事に目をつけ、導線をきっちりと仕上げたユーザーフレンドリー路線へと舵を切り見事成功を納め、ユグドラシルから何割かのユーザーを奪い取った。
自由度をどれだけ謳おうと、根本的なシステム周りそのものが代り映えしないのであれば、当然飽きてゲームを離れる者たちも出てくる。
結局のところサービス開始から11年の歳月は、多数のユーザー離れを起こすには十二分な年数だ。
それでも未だにこのゲームの魅力に憑りつかれた者、あるいは全く違う理由からある種の損切りを出来なくなった者、大小様々な理由はあれど少ないながらもゲームプレイヤー達はまだ残っていた。
ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』ギルド長、ハンドルネーム_モモンガ、本名_鈴木悟。
彼もまたこのゲームに心を捕らわれた一人であった。
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ユグドラシルの九つの世界の一つヘルヘイム。紫毒の沼地の奥深く、グレンデラ沼地内に一時は十大ギルドとして数えられた『アインズ・ウール・ゴウン』通称AOGの本拠地、ナザリック地下大墳墓がある。
かつてはアンチスレを建てられ、ギルドメンバーがどれだけの害悪プレイヤーなのかを延々と書き込まれることも珍しくなかったDQNギルドであり、PVPが可能な『ユグドラシル』の仕様と相まって多くのゲーマーがAOGメンバーを抹殺せんと挑んできた難攻不落の迷宮だ。
時には1500人もの大討伐隊が組まれ、アンチスレではメシウマ待機でナザリック陥落が期待されたがそれすらも返り討ちにし、糞ギルドの名を欲しいままにした。
そんなAOGだが現在ではゲームそのものの過疎化と共に多くのメンバーが脱退、アンチスレも当の昔に落ち攻略wikiも、当時まだ在籍していたギルメン達の手による編集合戦によってAOGの情報は欺瞞に満ちた。
もはやそこにナザリックがある事すら忘れられ、噂が立つこともなくなったギルド拠点に訪れるプレイヤーはAOGギルド長のモモンガだけであった。
仕事で疲れた体に鞭打ち、もはや一人となってしまったギルドを存続させるために、今日も今日とてモンスターを狩り新実装されたデイリークエストを消化し、いくらかの報酬や金貨を集めたモモンガは拠点の最奥を目指す。
「はぁっ……」
何の進展もない空虚な日々。砂を噛むような退屈さ。ただギルドを支えるためだけに行う、何度もクリアしたつまらないデイリークエストの数々。
何一つ楽しくもない、決まった手順を繰り返し続けるだけのロボットにでもなったような気分に、モモンガ___鈴木悟のメンタルがガリガリと削られる。
本来であれば最低でも10人───AOGが持つナザリックともなれば、自動で毎日引き落とされるギルド運営資金稼ぎは数十人かかりで行うべきであり、到底単独で賄えるものではない。
それでも成しえているのは、モモンガの異常な執念の賜物であった。
彼にとってナザリックは世界の全てである。
鈴木悟が生まれた世界は、彼が生誕した時点で既に生物が住める環境としては破綻していた。
食糧不足、戦争、環境など一切考慮せず垂れ流される有害物質。大気は汚染され防毒マスクが無ければ外出すら不可能なほどの環境破壊。
それでも人間はしぶとく足掻き、僅かに残る資源の大半を富裕層が独占するために強烈な思想教育を行い、愚民政策が施された事で下級層と上級層の間には、どうしようもない格差が広がっていた。
その中で悟は下級層側であった。とは言っても彼はまだ幸運だ。両親がせめてもと、どうにか金を捻りだし小学校は卒業させてくれた。その過程で無茶をした両親が、過労死したとしてもそれでも幸運なのだ。
両親と言う後ろ盾をなくした悟は、小卒ながらギリギリ学歴があると言うことで13歳には企業に就職できた。
毎日を仕事のノルマに追われ、ただ生きるためだけに賃金を稼ぐ日々。
同僚はできても友人は出来ず、天涯孤独の身で誰に愚痴る事も出来ない虚しさは、当人が気づかずとも確実に彼の心を蝕んでいった。
そんなある日、たまたまネット広告でふと目にしたゲームに、悟の興味はひかれた。
それこそが『ユグドラシル』。彼の魂を縛り付ける呪いが、生まれた瞬間でもあった。
悟はモモンガのハンドルネームでゲームを開始し、すぐさま『ユグドラシル』の自由度が抱える負の側面の対象となった。
『ユグドラシル』ではPVP、人対人の対戦が可能であり、他ゲームと違い自由度のための名目で集団での袋叩きすら肯定される凄まじい仕様である。
そのゲーム性はゲーム内にある悪習慣を産み出してしまった。《異形種狩り》である。
《異形種狩り》とは、気持ち悪い容姿のアバターにする者達を対象に行われるPVPだ。『ユグドラシル』でわざわざ《異形種》にするものは少数で、人間の特性として少数派を撲滅しようとする動きが各地で続出したのだ。更に《人間種》のアバターが一定数の《異形種》アバターを狩ると、ある特殊な職業に就けると判明してしまった事が拍車をかけた。
モモンガはスケルトンと言うアンデッド種族でゲームを開始しており、見た目はただの骨にしか過ぎない彼は、すぐさま《異形種狩り》のターゲットとなった。
初心者でしかない彼は簡単に狩れる獲物だ。あっけなく追い詰められ、もはやとどめを待つのみとなった。
だがそうはならなかった。後に共にAOGを立ち上げる事になる白い騎士、たっち・みーに危機一髪で助けられた悟は、自分を守る白い背中に憧れた。リアルでは両親無き今、本当の意味で誰も助けてはくれない身だった悟にとって、あまりにも強烈な印象を残した。
その後悟はたっち・みーや他の仲間たちと共に、かけがえのない思い出を作り上げていった。いつの間にかヒビだらけになり、壊れかけていた心の器が満たされていく。あの瞬間、たっち・みーに救出され自分もあんな風になってみたいと思ったあの時、鈴木悟の人生は
だがいつまでも黄金の日々は続かない。この世に永遠など存在しない。『ユグドラシル』がかつての勢いを失ったように、AOGもまた衰退した。
リアル環境の変化、飽き、不慮の事故での死亡。次々と彼らは脱退し、全盛期は41人いたメンバーも少しずつ減っていく。
ついには悟一人だけを残し、他には誰もログインしなくなった。
それでAOGとナザリックは終わる筈だったのだ。なにせ残ったのは一人だけ。マンパワーで押し切り運営するべきギルドは、運営資金が尽き自然と立ち消えるはずなのだ。だがそうはならなかった。
悟にとってAOGとは生きる意味なのだ。ナザリックは自分の人生が、本当の意味で始まった場所の象徴なのだ。自らの心臓をえぐり抜いて、捨てるような真似が誰に出来ようか。
ゲーム内の繋がりなどでは断じてない。ここで作り上げた思い出のアルバムこそ、悟にとっての命をかけるに値する宝物。リアルで死亡でもしない限り、決して捨てるような真似など、とてもではないが信じられない思考。
つまるところ彼の魂は、もはやここにしかなかった。だから彼は命を削り、稼いだ金をギリギリまで注ぎ込む。
残業続きで碌な睡眠時間が取れなくボロボロな体なのに、ゲームに貴重なプライベートタイムを惜しみもなく使い切る。
いつか誰かが帰って来た時に、おかえりと言えるよう残し続ける。それが今の悟の覚悟であった。
「駄目だ駄目だ…………溜息なんてついたって、どうにもならないよな」
特段意味もないが頬をパンパンと叩き、気合を籠める。自分が折れてしまったら、AOGが終わってしまう。
だから絶対に折れちゃ駄目だと、呪いをかけ続ける。
宝物庫へと転移した悟は、運営資金を納めるために第1の部屋に入る。
資金を納めたら、今日はもう何もすることもなく、明日も4時には起きなければならない悟は、すぐさま『ユグドラシル』からログアウトしようとしたが、少し思い直し、第3の部屋を目指す。
いつになく思考が鬱になっていると感じた彼は、かつての仲間達が残していき、宝物庫へと納められた装備を見ようと思った。
ひょっとしたらログインした誰かが、装備を取りに来ているかもしれない。来ていなくとも装備を前にすれば、かつての思い出を鮮明に思い出し改めて自分の覚悟を固める事ができる。
そんなわけはありえなく、ゲームデータに精神の安定を見出している彼は、もはや誰が見ても壊れていた。
リアルでは会社しかなく、唯一の居場所であるAOGでも憑りつかれたように金貨を集めるだけの亡霊。
救いはなく、救ってくれる相手もいない。けれどもそれで良いと、悟は心のどこかで諦めている。所詮はしがないサラリーマンであり、本当の自分を見てくれるような誰かはもはやどこにもいない。
一生をただ孤独に生き、理解されずにいずれは死にゆく。それまではただAOGの維持をするだけの、墓守であろう。
第1の部屋から第2の部屋に向かう。宝物庫第3の部屋に行くには、第2の部屋を通るしかない。
武器・防具・製作物が納められた第2宝物庫には、悟は特に用事もない。
だからそこは、ただ通り過ぎるだけの場所でしかなかった。
「えっ?…………」
声が漏れる。足が止まる。飾られた数々のアイテムに新たな一品が追加されることはなく、時間が止まったかのような場所でしかない。
永久に変わることはないはずの部屋。同じ風景が、一生映し出される虚無の洞。
そうでしかない筈の場所に、見慣れぬ誰かが立っていた。
自分はいつの間にか、NPCをここに配置してしまったのだろうか。悟はそう考えるが、どう記憶を探ってもそんな覚えはない。
だが宝物庫は特殊なアイテムを保有する、ギルドメンバー以外立ち入ることは出来ない場所だ。
「───誰かが来ているのか…………そしてNPCを配置した?」
絞りだした声は困惑が半分、歓喜が半分。なぜならそこに立っているNPCを悟は見たことがなかった。製造された覚えのない存在など、初見では気味が悪いだけだ。
動揺する悟の前で、ありえない光景が繰り広げられる。立っていた誰かが、声に反応したかのように振り向いたのだ。なぜならNPCが声に反応するようなプログラムなど、『ユグドラシル』には存在しない。反応したなら、それは中の人がいる時だけだ。
だがNPC以外ではありえない。他のプレイヤーが宝物庫に来るにはナザリックを攻略しなければならない。けれど攻略されているなら、悟が持つギルメン専用アイテム『リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』が使えるわけがないからだ。
ゲーム仕様上ありえない挙動に悟は混乱する。
振りむいた誰かは少女であった。身長は140あるかどうか程度。白いワンピースで着飾り、袖から覗く腕はワンピースに負けない白さを持ち、シミ一つすら肌には存在しない。肩まで伸びた髪の毛は白銀に染め上げられ、唇も綺麗な白桃の如き色。左右対称の顔つきは、10人中10人美少女と認めるそれであった。
全身が白い少女だが、ただ一点だけ白くない場所が存在する。
目だ。眼だけが澄んだ赤い輝きを有している。
「NO.3333は問いかけます。あなたは…………モモンガですか?」
問いかける声は、鈴を思わせる。仕様上決して動くことがない筈の口を開かせ、少女は悟に質問した。
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この日の出会いを悟は生涯忘れなかった。出会った時間から、そう遠くない未来に心身が人間のそれで無くなろうとも、こびり付いた原風景は決して色褪せる事もない。
何かがあった未来で心が擦り減ったとしても、その光景さえあれば彼は確固たる意志を以って、精神を泥沼に沈めようとする、種族変化がもたらす変容を跳ね除けて見せよう。
どうしてだと聞かれれば、彼は迷うことなくこう断言するだろう。
あの日、あの場所で、自分は
それが一生の誇りなのだと。誇りを胸に抱けば、意思は必ず答えてくれる。
だから彼は何があろうとも、自分であり続けられるのだから。