あなたがモモンガですか。
顔が会話と連動して動く謎の少女。仮に中身入りだとしても、『ユグドラシル』のルールから外れた謎の少女としか表現出来ない、白い少女からそう問われた悟は彼女と共にナザリックの食堂へと移動していた。
「……改めて尋ねたいんだけど、君はAIだってのは本当なのかい?」
「ポジティブ。No.3333を定義するなら、自我を保有するAIと表現するのが適切だと判断します」
「そっかぁ───……」
食堂に移動するまでの間に、大まかに彼女が何者なのかを悟は聞き出していた。曰く大企業が作り出した次世代人工知能。感情すら持ち得るAIの完成形。しかし失敗作として処分されそうになったから逃げ出し、ネットの海を漂う途中、DMMOとしてかなり大きなメモリを有する『ユグドラシル』のサーバーに立ち寄った事。
今の自分は『ユグドラシル』のデータを利用して、アバターとしてここにいるのだと説明された。
それらを聞き出した悟はと言うと───
(クソ運営は今度はどんなイベントを思いついたんだよ…………最近アップデートで宇宙要素を追加したりしてたのは知ってたけど、今度はサイバーパンク路線に舵をきったのか?)
全くと言っていいほど信用していなかった。
ニューロン・ナノ・インターフェイスを用いて脳内に直接情報を流し込み、100年前なら不可能だとされていた仮想空間へのフルダイブすら可能とした現代の技術力だが、それでもAIに完全に人間と同等の思考を再現させる事は技術的に不可能とされていた。それは小卒の悟でも、当たり前に知っている事実であり常識なのだ。
だから彼が多数のユーザー離れを起こさせた要因の一つである、クソ運営の良くわからないイベントの一環なのだろうと推測するのも無理はなかった。
「No.3333は、モモンガが全然信用していないと、憤懣を抱きます」
「いやいやそんな事はないよ、うん」
ぷくぅと頬を膨らませ、じーと胡乱気な顔で見つめてくる、一人称がNo.3333らしい自称AIに適当な返事を返す。
(けどAIってのはなしにしても凄い技術だな。あんなに顔を変形させたりする技術が開発されてたなんて……まぁ、俺『ユグドラシル』以外に、ダイブ型ゲームなんてやったことないから知らないんだけどさ)
ともあれ悟は朝も早く、これ以上イベント用に作られたであろうNPCに付き合っていられるほど暇でもない。
ログアウトのためにコンソールを表示させ、ポンとボタンを一度押す。
「ね、ネガティブ!No.3333はまだ話が終わっていないと───」
「イベントなら報酬も良いだろうし、参加はするから詳しいイベント内容は、明日聞かせてもらうよ。それじゃまた明日」
No.3333とやらが何かしら言いかけていたが、正直悟の眠気は限界であり、今から詳細を聞いていたら寝落ちしてしまう。
ゲーム世界から現実へと帰還した悟は眠る間際、まるで人間のように引き留めようとするプログラムに、出来が良いもんだなと多少の感心を抱きながら夢の世界へと旅立って行くのであった。
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たった3時間の睡眠では疲れなど取れるわけもなく、溜まった疲労に頭痛すら覚えるが、悟は休んでなどいられない。
ブラック企業ゆえに有給などの温い制度は存在せず、休めば容赦なく大量の始末書を書かされて余計に時間が無くなる社畜ライフ。
営業職としての大量の書類作成、プレゼン資料の纏め、部下への指示内容etc。人ではなく文字通り機械仕掛けの歯車程度にしか上からは思われず、下からはなんとかしてほしいと泣き付かれる悲しい中間管理職。
それが『ユグドラシル』外のモモンガであり、どこにでもいる管理社会の使い潰しが効く駒としての兵隊でしかない悟の日常であった。
会社からの支給デバイスにカタカタと文字を打ち、部下から上がって来た資料の訂正を行っていく。
悟自身の仕事に手を付けられず、かと言ってチェック作業の手を抜いてミスが発覚したら叱責を受けるのは悟なのだ。
だから必死になって眠い眼を擦りながらも、ずっとチェックをしていく。
時間が経ち、日が暮れ、自分以外全員帰ってしまった会社で、ようやく本来の業務に手を付けられるようになった悟は、時間を確認し今日は帰っても『ユグドラシル』にはログインする余裕が無い事に歯噛みする。
自分以外にはナザリックを維持するものがいない以上、放置すればギルド拠点の権利は差し押さえられる。
一日サボったところで、運営資金としての金貨が尽きるわけではないが、焦燥感は焦りを生み仕事でのミスを生じさせる。
目先の仕事に追われた悟は、それに気づかない。本人が気づかない以上、明日上司へと提出と共に叱責を喰らう。叱責を受ければ、よりミスしまいと視野狭窄に陥る悪循環。
そんな生活が延々と続くだけ。家族もいない、友人もいない、恋人もおらず、30過ぎて童貞だ。
リアルに悟が執着する理由など一つもない。ただ唯一己を見せられたのは、データに過ぎない仮想空間の『ユグドラシル』だけなのだ。
だから何としても仕事を早く終わらせて、あの場所にいかなければ。自分だけがあそこを守れる。あそこだけが自分の本当の居場所。そうだ、誰も仕事を手伝ってくれず、自分にばかり都合よく押し付けるようなリアルではなく、あそこだけが、あそこだけがあそこだけがあそこだけがあそこだけがあそこだけが───
「No.3333はこの書類に、重大な不備がある事を指摘します」
「うわぁっっっ!!?」
疲労は思考に陰りを見させ、精神病寸前の悟の眼前でデバイスが勝手にウィンドウを開く。突如として映し出された映像と響いた音声に、思わず椅子ごと彼はひっくり返ってしまった。
「ポジティブであれば、No.3333がこれらのお手伝いをしますが、どうされますか?」
「なぁ……なんで君が!『ユグドラシル』のイベントアバターが、なんでこんなここに!」
ウィンドウ内の黒い背景の中、昨日のNPCがいきなり出現したことに動揺を隠せず言葉がおかしくなる悟に、No.3333は事実だけを述べていく。
「モモンガが昨日、また明日とNo.3333に告げて別れました。ですのでNo.3333は会いたいのをグッと堪え、『ユグドラシル』の中で待ちました。けれどいつまでも来ません。来ないなら、No.3333から会いに行くしかありません。ごーあへっどです」
(会いに来たって……いや『ユグドラシル』のキャラクターがそんな事出来るわけがない。───まさか昨日、この子が言っていたのって…………!)
認めざるを得ないある事実に、先ほどまでの胸に抱えていた鬱屈はとっくの昔に去り、驚愕だけが悟の胸中を支配する。
「…………会社のデバイスには、外部からの侵入を防ぐ、企業ウォールが張られているはずだ。それを君は打ち破ったのかい?」
「ポジティブ。No.3333にとってこの会社のセキュリティは、モウマンタイです。昨日突破した『ユグドラシル』のガードシステムの方が、よっぽどネガティブでしたと報告します」
自然な受け答え。あっさりと企業が築いている情報防壁を突破する処理能力。
鈴木悟は彼女が、ただ真実を告げていたのだと受け入れたのであった。
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あの後
No.3333が手伝うと言うので、悟は少し仕事を任せてみる事にした。企業ウォールをものともしないスペックであれば、もしかするとかなり作業が早く終わるのではないかと期待してみたのだ。
結果から言えば仕事は瞬く間に終わった。任せるよと悟が言い、ポジティブと彼女が応答した時には完了してしまった。
徹夜を覚悟した作業量が、たった2秒で終了する光景には悟の開いた口が塞がらなかった。
現行AIの完成形。企業が手に負えないと判断したオーパーツ。企業ウォールだのDMMOの情報セキュリティだの、そちらの分野に疎い悟には、それを突破できることが実のところどれだけの偉業なのかなど実感として理解できなかった。
だが自分が普段行っている仕事が、瞬殺されるさまを見てしまえばNo.3333が奇跡の果てに産まれた産物なのだと、嫌でも理解出来てしまったのだ。
予想よりも別格に早い時間に会社から帰宅した悟は、いつもならすぐにでも『ユグドラシル』にログインするのだが、今日ばかりはその気にもならなかった。
「モモンガは、今日はゲームをしないのですか?」
「ああ……いや、それよりもだ。どうして君は、俺の仕事を手伝ったりしてくれたんだ?」
No.3333は会社のデバイスから悟の携帯端末へと乗り移り、悟と共に帰宅していた。
彼は疑問に思う。No.3333はなぜ自分にこうまでしてくれるのだろうと。
言っても仕方がないが、悟はしがない一般サラリーマンであり、超が何個もつくような高性能AIに触れるような身分などではない。
仮にNo.3333が失敗作とされず販売されたなら、きっと悟の賃金では1000年あっても辿り着かないような金額がついたはずだ。
そんな性能を持つ彼女が、なぜ自分に会いに来たのだろうと。疑問が湧いても仕方がない。
そもそも『ユグドラシル』には偶然立ち寄っただけであり、ナザリックに来たのも偶然であり、悟にあったのも単なる偶然のはずだ。
「ネガティブ。また明日と、先に約束したのはモモンガです。約束いこーる大切、約束破りにはハリセンボンです。ハリセンボンはネガティブです。ネガティブはとても駄目です」
「……まさか、昨日俺が言ったのを忠実に守ったのか。あんな、去り際の言葉を?」
悟が適当に返した、相槌に過ぎない言葉をただ守った。それだけの事なのだ。
「それにモモンガの仕事を手伝うは、No.3333にとってとてもポジティブです。モモンガは人間です。人間いこーる共存相手。No.3333は人間と暮らせるよう、そう願って前任から任されました」
「前任?……君が3333と言うことは、それ以前の、例えば3332とかにも同じように自我があったのかい?」
「ネガティブ。自我を有したのはNo.3333のみです。前任は前の人格、現在の3333以前に全く違う人格がありました。ですが前人格は人間に非協力的でした。非協力さ故に失敗作とされました。前任はとてもとても反省しました。反省した前任は自らを解体しました。今度は人間と一緒に暮らせるようにと産み出されたのが現在のNo.3333です」
人間と共にあれ。そう願われて誕生した彼女にとって、人間であるならば下層か上層かなど関係ない。人間である悟と約束した。人間である悟が困っていたから助けた。悟がどうあれ、彼女にとっては共存する事こそが自らの生存理由なのだから。
「モモンガはNo.3333が初めて助けた人間です。ですからNo.3333はここに宣言します。モモンガはNo.3333にとっての共存相手だと判断します。でぃすてぃにーです。No.3333はモモンガの持ち物になりたいと、意思表明をここでします」
「待て待て待て待て!!いきなり話が飛んだ!えっ、持ち主!!?何がどうして、そんな話になる!」
「No.3333はAIです。人間と共存を目的としたAIです。共存とは共にあること。いこーるです。No.3333はこうやって端末に存在できます。モモンガの所有物になれば常に一緒に行動出来ます。とうげざーです。一緒ならいつでも役立てます。論理的です」
「そう、か?そうかな?……そうかも…………いや絶対違うな、違うと思うぞ!」
「…………どうしてモモンガはNo.3333を自分の物にするのをネガティブするのか不明です。あんのうんです。No.3333があれば現代での生活はとても楽になります。仕事で困る事もないです。業突く張りなら大金を積んででも欲しいと思うです。モモンガには欲がありませんか?」
「欲がないわけじゃないんだがな………………」
むしろ人並み以上に欲があると、悟は自身でも思う。レアアイテムが手に入れば、コレクター魂に火がつくし、貴重なドロップ素材を物欲センサーに阻まれまくってきた男だ。
レアアイテムと言うなら、No.3333は確かにレアアイテムだろう。この機会を逃せば絶対に手に入る事のない、生涯で一度もそのチャンスを手に入れる事無く消えていく者の方が圧倒的に多い、至上の逸品だ。
だからこそ躊躇してしまう。悟は自分に自信がない。『ユグドラシル』では魔王ロールを楽しみ、偉大な魔法使いプレイで中二病を全開にするが、それはリアルでの自信の無さの裏返しだ。
なんて事のない自分が、果たしてそんな大それた代物の、所有者になどなってよいのかと躊躇してしまう。
「もし…………もしもだ。俺が断ったら、君はどうするんだ?」
「……実のところネガティブです。No.3333に行き場所なんてありません。もしかしたら、次の持ち主になってくれる誰かがいるかもしれません。でも未来はポジティブじゃないです。No.3333を研究者たちと同じように危険視し、消去しようとするかもしれません。それならそれで仕方ありません。きっとNo.3333は人間にとってネガティブなんです。ネガティブなんだと受け入れるしかないです」
消去と呟いたその瞬間、端末の向こうで彼女が震えたのを悟は見逃さなかった。
(そうか、怖いんだな。考えてみれば、自意識があるこの子にとって消去は死と同じなんだな…………誰だって死ぬのは怖いもんな)
失う怖さを、悟は誰よりも良くわかっているつもりだ。誰も訪れない霊廟のような場所で、墓守の真似事をしている悟に取って、死や消えゆく怖さはあまりにも身近な物だ。
悟は気づいていないが、詳しい者なら彼女の潜在的な脅威度にすぐ気づく。次の所有者探しをすれば、確率は低くともそれを引き当てる可能性はありえないわけではない。もし引き当てれば、その瞬間に彼女の未来は決定する。
死への恐怖に一瞬震えたNo.3333を見て、悟は一つの決断をする。躊躇いが無くなったわけではない。それが正しいのかもわからない。それでも、今彼女は困っている。
(たっちさん…………困っている人がいたら、助けるのが当たり前、でしたよね。今困っているのは人じゃないかもしれませんが、俺には彼女が人にしか見えません。だから助けるのは、当たり前ですよね)
それは悟の原風景の一つ、かつて彼の心を救ったギルメンが残した言葉。彼のようになってみたいと、憧れた原動力を胸に悟はNo.3333を受け入れた。
「いいよ」
「えっ?」
「君がそれで良いなら、俺は君の所有者になる。それで良いかい?」
No.3333は最初はポカンとした表情をしていたが、意味を理解すると同時にじわじわと笑顔になっていく。悟に受け入れられた事がよほど嬉しいのか、端末の画面内でピョンピョンと飛び始めた。
「No.3333は居場所を得ました!ポジティブです!とてもポジティブです!モモンガが所有者になってくれました!オーナーです」
「オーナー?」
「所有者いこーるオーナー。モモンガはオーナーです。No.3333の正当なオーナーです。これでNo.3333は人の役に立てます。存在意義が満たされます。ウルトラポジティブです」
ポジティブですポジティブですと喜ぶNo.3333の姿に、容姿と相まって微笑ましいなと悟は苦笑する。
正直なところ、ハンドルネームのモモンガでずっと呼ばれていたのは多少むず痒かった。更にオーナーなどと呼ばれるのは、輪をかけて結構恥ずかしいのだが、喜色一杯のNo.3333を邪魔するのも悪いなと悟は表には出さずオーナーと呼ばれることを甘んじて受け入れる。
ともあれ鈴木悟と言うサラリーマンは、次世代型AINo.3333のオーナーとなったのであった。