モモンガ様リスタート   作:リセット

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クライムリスタート

 クライムとラナーは挨拶もそこそこに、自分達が当分の間暮らす事になる屋敷をメイドに案内されていた。

 

「こちらが化粧室です。男性用と女性用で分かれていますので、お間違えのないようお願いします」

「こ……これが化粧室……つまり、便所、と言う事ですよね?」

「その通りで御座います。何か不審な点がおありですか?」

「……私の知る便所とは随分違いますので、少し驚いたのです……」

 

 クライムは面食らったような言動をするが、彼がそのような反応をするのにも理由がある。彼が知っている便所と比較すると多機能過ぎるのだ。

 

 サトル達が転移した場所───人類国家の文明レベルは地球で言えば中世から近世の欧州に近い。

 

 魔法やマジックアイテム、身体能力の違いなどから細かい部分───服飾技術や医療体系などは大きく発展しているが、それ以外の部分ではやはり中世~近世レベルに留まっている。

 

 その一つがトイレ事情だ。

 

 例えばカルネ村であればそれぞれの家庭に排泄物用の桶を用意し、それを集めて肥料に加工したり川に流して処分する。

 

 クライムのような兵士であれば木で出来た共用の汲み取り式便所で用を足し、当番制で排泄物の処理や便所の掃除を行う。

 

 ラナーのような上流階級であれば、川と直結し一日の特定量の水を出せるマジックアイテムが備えられた水洗式の便器を使う。

 

 だがサトル邸のトイレはそれらとは一線を画す。

 

 まず当然のように室内にある全てがマジックアイテムとなっている。絶対に汚れることのない黒曜石に似た材質で出来ている洗面台。汚れることも朽ちる事もない大きな鏡。手を差し出すだけで温水の出る複雑な紋様が刻まれた蛇口。手を乗せると一瞬で乾かしてくれる台座。

 

 化粧室内は常にラベンダーの香りが漂い、自動調光調色機能付きの光源が内部を照らし落ち着いた黒モダンの床や壁と併せて安心感を与えてくれる。

 

 便器周りも便利機能満載だ。感知魔法による便座の開閉機能。排泄物を栄養豊富な土に分解し森へと転移させる魔法。排泄器官を清潔にさせる魔法。常に綺麗な状態を維持させる魔法。便座の温度を調整する機能とかなりの魔法が仕込まれている。

 

 多機能なのはトイレに限らない。全館空調による快適な温度を保つシステムに、屋敷のどこにいても会話が出来る内線通話。屋敷内であればプライベートルームなどを除いて、誰でも転移魔法が使えるようになるなど利便なシステムがごまんと仕込まれている。

 

「この館は元々この都市に建てられていた古い家屋……なのですよね? 僅か数日でそれをここまで改築するなんて」

 

 ラナーから見せられた世界そのものとしか言えない刀。あれが標準品な時点で、クライムの予想でも別格なのだろうと考えていたが……彼の主が仕えていた存在達は、別格なんて言葉では済まないようだ。

 

 サトルが買い取った屋敷は、一般庶民からすれば高嶺の花だが、王宮暮らしの王族からすれば些か手狭に過ぎる。エ・ランテルで王族のラナーが暮らすのに相応しい屋敷があるとすれば、都市長であるパナソレイの邸宅くらいだ。

 

 だからこそ父親であるランポッサは王宮での暮らしに慣れた娘を、エ・ランテルに滞在していると言う謎の神とやらに預ける事を渋っていたのだ。ヴァランシア宮殿より劣るような建造物しかない、城塞都市に赴かせるなどありえないと。

 

 だがその考えは間違いだろうとクライムは思う。ランポッサの狼狽ぶりはラナーの隣にいた少年も知っているが、このサトル邸を見れば王の心配は取りこし苦労に過ぎない。

 

 外から見る分には庭に白くて丸い建物が建っている王族基準ではみすぼらしい屋敷だが、この屋敷の改築にはウロボロスが───世界級アイテムが使われている。

 

 内部は大幅に拡張済み。先ほど紹介された利便な魔法機能が実装され、広い廊下に飾られている調度品は全て高品質なマジックアイテム。

 

 時折2m近い白金の鎧を着た人物とすれ違うが、全員屋敷を護衛する召喚モンスターだとクライムはメイドから説明される。全ての護衛がハンゾウと同じ、難度240を超える聖騎士たち。

 

 ようするにエ・ランテルのサトル邸とは、簡易的なナザリックのロイヤルスイートなのだ。快適性・利便性・荘厳さ。あらゆる要素が、まともな建築方法で建てられた王宮を遥かに凌いでしまう。一夜過ごした『漆黒の剣』が、ここに慣れたら二度と冒険者向けの宿では過ごせないと思ったほどには色々と詰め込まれている。

 

 王宮すら超える場所で暮らす。かつての野良犬が、随分と偉くなったものだとクライムは自嘲した。

 

「ラナー様とクライム様の私室はこちらになります。荷ほどきが終わりましたら、このベルを鳴らしてお呼びください」

 

 最初は別々の部屋で分ける予定であったが、ラナーを一目見たアイリスがクライムと同じ部屋にした方が良いと判断したので、彼は主と同じ部屋を共有することになった。

 

 その判断にクライムも異存はない。現在のラナーはいつ発作を起こすのか分からない、非常に不安定なメンタル。王宮に帰ってからの間も、忍者や隠蔽能力を保有するナザリック産モンスターの力を借りてクライムはこっそりと自室を抜け出し、昼夜問わずラナーに付きっきりだった。

 

 殆ど夜這いも同然の行為であり、うら若い男女が夜を共にすれば間違いがあってもおかしくないが……ラナーにもクライムにもそんな余裕はなかった。なにせ本当にいつフラッシュバックを起こすのか、誰にも読めないのだ。ラナーにも制御が効かない心の地雷原。それの撤去作業を、ラナーの傍周りに見つからないように、クライムはかなり神経を削っていた。

 

 しかしここならそんなこそこそと隠れるような真似をせずとも、同室で暮らせばいつでも慰められる。その点に関してはクライムにとっても、ラナーにとっても非常に楽と言えば楽だろう。とは言え───

 

「ラナー様。御身の時間で36時間……私の時間では4年ほどお別れとなります。次にラナー様に会う時には、必ず! 必ず隣に立つに相応しい戦士となって見せます! それまでは……どうかお元気で……」

「───クライム……」

 

 昼前にはラナーのアイテムボックスに放り込んでいた荷物の整理も終わり、後はベルを鳴らせばメイドがクライムを呼びに来る。そうなれば暫し二人は別れることになる。

 

 理由は簡単、クライムだけ『砂の箱庭』に入り訓練をするからだ。最初はクライムと引き剥がされることをラナーが拒み、自分も入ると言葉巧みに嘆願したが、アイリスは首を縦に振らなかった。ラナーがトラウマを発症すれば、クライムの訓練の妨げになる。だから36時間だけ我慢して欲しいとお願いされ、不承不承ながらラナーは承諾した。

 

 しかしながら36時間我慢するのはラナーのみ。時間の流れが外の一千倍で流れるのが箱庭。外で36時間も経てば、中では1500日もの歳月が流れる事になる。クライムの主観では、これから4年間ラナーとは離れ離れになってしまう。

 

「クライム……辛かったら絶対にアイリス様に言うのよ? あの方なら悪いようにはしないから」

「ラナー様……私は辛い訓練であってもこなします。今までと変わりありませ───」

「クライム!! ナザリックの訓練は、あなたが積んできた自己研鑽とはわけが違うの! ……良いのよクライム。別に強くなんかならなくても……むしろ私がどんな脅威からも守ってあげるから。貴方が隣にいてくれるだけで良いの。私を心配させないで……」

 

 金切り声を上げたかと思えば、今度は撫で声を出すラナー。ナザリック式育成術第一号として、その身で地獄を味わった彼女にとってクライムを死地に送るような真似はやはりしたくはないのか、彼が箱庭に行こうとするのをこれでもかと渋る。

 

 カルネ村では「いずれ強くなる。悲観する事はない」。そう彼を慰めるようなことをラナーは口にしたが……王宮でトラウマに苦しみ、その度彼に慰めて貰って。クライムへの愛は比例するようにより重くなり。愛しい彼を守らないと。その想いが非常に強くなってしまっていた。

 

 しかしクライムにはラナーの心が全て分かるわけではない。ゆえにラナーがなぜそこまで渋るのかは分からないが……それでも自分の身を案じてくれていることには感謝しかない。でも……だからこそ───

 

「───ラナー様……私はラナー様に命を救って貰ったのです。それなのに我が身を案じて、命惜しさに使命を投げ出すような真似など出来ません。それに言った筈です。傍に居続けると。貴方を守る剣で在りたいのです。ですからどうか……私に機会を下さい。ラナー様の隣に立つのに相応しいだけの、強さを得られる機会を」

 

 ……今のラナーはどう見たって精神的に弱っている。クライムは彼女が金切り声を上げるのなんて初めて耳にして……媚びるような撫で声を出せるのも初めて知った。その弱った姿に後ろ髪を引かれないかと言えば嘘になる。ラナーの実時間では36時間でも、クライムの体感では4年も彼女を放置することになるのだ。

 

 自分の方が、どこかで……もしかしたら参るかもしれない。自分の主は今まで自分が積んできた訓練とは、度合いが違うと怒りすら露わにしてこれからの安否を気遣ってくれる。

 

 だがここで「はい、わかりました」と諦める訳にはいかないのだ。もうこれ以上自分一人では強くなれないと、クライムは悟っている。だからこれが最後のチャンスになるだろう。ここを逃せば……自分はラナーの隣にいる資格などない。ラナーがどう思うかではない。クライム自身が納得出来ないのだ。弱いままの自分でいてもいいと逃げて、何が掴めるのか。逃げた先にある物こそ、本当の死に他ならない。

 

 ラナーは潤んだ瞳でクライムを見るが……彼の視線は揺るがない。だから説得は諦めた。その代わりに───

 

「では……クライム? 私の愛を受け取ってください。私を忘れないように。4年分の……気持ちを───」

 

 長い時間離れる彼に、せめてもの祝福を。ラナーとクライムは長い口づけを交わした後。テーブルに置かれていたベルを鳴らした。

 

 

 

    ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 

 

 

「これが……あのマジックアイテムの中ですか」

「ポジティブ。ここはいくら壊しても、自動で修復されます。外の時間からも切り離されたここは、訓練を積むには最適な場所なのです」

 

 クライムはあいりすらぼへと連れてこられて、アイリスと二人で『砂の箱庭』へと入り込んだ。そう……アイリスと二人きり。サトルは今回留守番である。

 

 なぜ留守番なんてしてるかと言えば、ラナーのメンタルを思いやっての事だ。仮にラナー1人を残し、サトルもアイリスもクライムも箱庭に入ったとしよう。その場合彼女が頼れる相手が屋敷に一人もいなくなってしまうのだ。

 

 性質が穏やかなペストーニャやエクレアもいるが……それでもラナー側が信用できる相手となると、エ・ランテル組の中ではデミウルゴスを全力で止めてくれたサトルとアイリスくらい。そのためどちらかがラナーの為に残る必要があった。

 

 となるとあとはどちらが残るかだが...今回訓練するクライムは戦士系の職業構成。そうなると彼を鍛えるのはアイリスの方が適任だ。……「戦士系ナラバ私ノ出番デスネ!」とコキュートスが張り切っていたのだが───

 

「クライムを殺さないで!! 私のクライムが死ぬのやぁああぁ…………」

 

 幼児退行したラナーが号泣して反対した為、彼はクライム育成計画には不参加だった。ラナーの中でデミウルゴスの次に怖いのが、自分の頭を棍棒で殴って破裂させたり、首を斬り落としてきたコキュートスである。ゆえに反対するのも是非無しだろう。なおなぜ号泣したかは、クライムにはコキュートスがラナーの元戦技教官で、その時の記憶が鮮明に残っていると説明した。

 

「ではでは早速ですが、クライムにおまじないなのです。……蛇よ、貴方に願う。彼のレベル制限を外したまえ」

 

 いつの間にかウロボロスを取り出していたアイリスが、世界級アイテムを使用してクライムの上限を開放する。彼女の言葉と共に、クライムの体が薄らと光る。

 

「これは!」

「レベル制限を解除しました。……レベルの話はラナーから聞いていますか?」

「はい! あらゆる生命に備わっている機能で、それが上がると壁越え……進化と私たちが呼んでいる現象が体に起きると伺っております」

「ポジティブ。その認識で概ねあっているのです。……私たちの元いた世界と、この世界の基幹法則は実によく似通っています。体を鍛えるよりも、レベルを上げた方がよほど筋力も耐久力も敏捷性も向上する。ゆえにレベルの高さが強さに繋がるのです。……残念な事に貴方のレベルはすでに才能の限界値に達しています。言い方は悪いですが、貴方には才能がなかった。だからマジックアイテムを使って───」

「───制限を外した?」

「ポジティブ……少し複雑そうなのですよ」

 

 アイリスが言うように、クライムはなんとも言い難い表情をしている。

 

 彼自身、自覚はあったのだ。ある日を境に壁越えをしなくなった体。どれだけ努力をしても伸びることの無い凡夫。ガゼフのように強くなりたいと願ったことがある。あるいは蒼の薔薇のガガーランのようにもなりたいと。でもそれは叶わぬ願い。それでも諦めきれず……ラナーの従者に相応しくなりたいと足掻き続けた。

 

 その努力は実を結ぶことなく。マジックアイテムに頼らなければ、根本的に強くなることすら出来ない自分の才の無さを突きつけられたのだ。クライムでなくとも、言外にお前はアイテム頼りの弱さと言われてすぐさま呑み込めはしないだろう。

 

「……ネガティブですか?」

「……いえ。私に才がないことは、私が一番理解しています。今更それを悔やんだところで、強くなれるわけではありません。例えどんな手段を取ろうとも……私はラナー様を守れるだけの力が欲しいのです」

 

 そうクライムは言うが、マジックアイテムによるドーピングには否定的なのか、浮かない顔をしている。今の今まで、正道の方法で強くなろうとしてたからこその葛藤。その顔を見て、アイリスは───彼女は同じく自分の命よりも大切な存在を守ろうとする者として、クライムに助言をすることにした。

 

「ポジティブ。あなたは理解はしても納得はしていない。そんなところなのでしょうが……甘い」

「!! アイ……リス様?……」

 

 アイリスの雰囲気がガラリと変化したことにクライムは困惑する。

 

「貴方はラナーを守れるくらい……つまり彼女よりも強くなりたいのですよね?」

「それは……そうです! ラナー様は私よりも何倍もお強い! それでも……泣いているあの方を抱きとめるのに相応しいだけの戦士に……強者になりたい!!」

「───泣く人を抱きしめ慰められるだけの強者になりたい……その気持ちは良く分かります。その在り方に共感するからこそ、私は貴方にこの言葉を贈ります。『ずるい卑怯は敗者の戯言』」

「ズル……ですか……」

 

 クライムはなんとなく、アイリスにその言葉は似つかわしくないと感じた。柔和な笑顔に、清廉な空気。目の前の少女はそう言った言葉こそが相応しく、ズルや卑怯とは縁遠いと───

 

「意外ですか?」

「えっ……意外……とは?」

「クライムは顔に出やすいので、ポーカーフェイスも学びましょうか。……私は努力は尊いとは思います。生まれ持った能力を磨き上げる。とても良い行いだと感じはします。ですが……私自身はより手軽かつ強くなれる手段があれば、そちらを選びます」

「そうなのですか?」

「ポジティブ。───クライム。貴方がラナーを守ると誓っているなら、負ける事は許されません。貴方の死は、ラナーの死です。だからどんなチート(ズル)を駆使してでも、絶対に勝たなくてはならない」

 

 ラナーの死。その言葉の前では、クライムの矜持など些事に過ぎない。だからクライムはズルを受け入れる。ラナーの隣に適当な男に。それだけが今の目標だから。

 

「アイリス様……私は……ズルをした私なら、今よりも遥かに強くなれますか?」

「ポジティブ」

「ガガーラン様や、ストロノーフ様よりも……強くなれますか?」

「ポジティブ」

「───ラナー様よりもですか」

「───ポジティブ。4年間みっちり貴方を鍛えます。その過程であなたが折れない限り……私は貴方を()()()()()にしてみせます。それが───」

 

 ───私たちの都合に巻き込んでしまった少女への、せめてもの償い。

 

「アイリス様? 最強の戦士の後が聞こえませんでしたが……」

「な~んで~もな~いで~すよー。るんたったです! では……始めましょうか」

「───はい!」

 

 クライムは気合を入れる。最強の戦士への道。それはどんな訓練を積むのだろうか。

 

「まずはそうですね。貴方のオリジナルの武技である脳力解放を見せてください」

「分かりました!」

 

<脳力解放>

 

 限界を超えるためにクライムが創り出した、専用の武技が発動される。脳のリミッターが外れ、身体能力や五感が引き上げられた。

 

 脳力解放、それは戦士レベルを一時的に最大3も引き上げるクライムの奥の手中の奥の手だ。限界をなんとかして超えたい。そんな思いが形を成した結晶であり、凡才が努力の果てに掴んだ確かな形だ。

 

 しかし凡才の技だからこそ……欠点がある。無理矢理リミッターを外す事で成立させている武技がゆえに、体にかかる負担が大きいと言うデメリットが。

 

 だからこそ、ここぞと言う場面で使う武技なのだが───

 

「ではクライム。貴方に一つ、命じます。これから4年間。3万6千時間の間、脳力解放を常に維持してください。どんな時でも、絶対に解除してはいけません。寝ている時にも維持できるように、脳を半覚醒させて武技を維持する方法も並行して覚えて貰います」

「……………………え?」

 

 クライム育成計画。それはかなりの無茶ぶりからスタートした。

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