指輪を造ることにしたサトルとラナー。あいりすらぼには生産系の職業を獲得していない者でも、装備や道具を造る事が可能になる生産施設が備えられている。
それらのマニュアルを片手に操作。ラナーは生来の物覚えの良さを遺憾なく発揮して、3分程度で使い方を熟知した。
サトルはその早さに驚く───こともなかった。アイリスをはじめとしてデミウルゴスやアルベド、そしてパンドラ。彼の周囲には記憶力や速読に秀でた者が数多く、ラナーの頭の良さに対する感想は4人にそっくりだなくらいでしかない。
そんな感想を抱いているサトルの方はおっかなびっくりと言った感じで、マニュアルをじっくり読みながら生産システムを弄っている。
そんなサトルの姿に、前からなんとなくそうなのではないかと睨んでいたが……ラナーは確信していた。サトルは普通の頭の持ち主だと。絶対的な武力に対して、知能の面では釣り合ってはいないと。
……ラナーは別に馬鹿にしているわけではない。馬鹿と言うなら彼女の兄であるバルブロの方がよほど愚かであり、考えなしであった。周囲の貴族の中には、本当に上流階級として教育を受けたのか疑問に感じる馬鹿者も腐るほどいた。そんなどうしようもない連中と違い、感性も普通で知能も普通。なのに戦闘能力は絶大で、絶対的な組織を率いているサトル。
どうにもチグハグな印象を受ける事に、疑問を感じただけだが……それら全てをラナーは黙殺する。バラバラな印象であろうとも、サトルがナザリックを、ひいてはアインズ・ウール・ゴウンを率いている事は事実。そしてラナーが観察する限りにおいても、サトルの部下達が裏切るような素振りは全く見えない。どんな過程を辿ればアイリスやデミウルゴスがサトルを慕い、仕えるようになったのか。
───あるいは私がまだ知らないような、カリスマ性をサトル様は持っている? あるいはその強さに惹かれて彼らはついてきた? ……どちらでも良いわね
本当にどちらでも良い。既に賽は振られている。絶対強者の庇護下の元。サトルの理想である弱者救済を行うしもべとして、女王への道をラナーは進むだけだ。……本音を言えばアイリスの訓練で強者になったクライムと、のんびりと片田舎でスローライフでも送りたいが。
クライムは自分と同じ100レベルに到達するだろう。ラナーが天使種族になり不老となったので、修行が終わる時にまたウロボロスを使いクライムも不老にすると約束されている。
そうなればラナーとクライムは、ナザリック以外には脅かされることもない。世俗と切り離された場所で暮らしても、何の心配もいらない。仮に竜王に襲われたとしても返り討ちに出来る。そうやって安全を確保した上でのスローライフだ。
二人で畑を耕して暮らしてもいい。王宮にいた頃ならいざ知らず、今のラナーであれば一万回鍬を振り落としたところで筋肉痛にもならない。彼女の知恵があれば、立派な農作物を育てられるだろう。
あるいは狩猟生活だろうか。ナザリック産のモンスターと違い、この世界原産のモンスターなら大抵一撃でラナーは倒せる。クライムも同等の領域に来るだろう。だからどんなモンスターだろうが、普通の獣だろうが簡単に狩れてしまう。二人で血生臭いねとでも笑いながら過ごすのだ。
一緒に暮らして、お互いに協力して。愛し合う男女として甘いキスをして、お互いの初めてを交換する。……ラナーの望みとは、つまるところそんな他愛のない物なのだ。以前であればもう少し違った物ではあったが……それでも今のラナーにとっての幸福とは、クライムと一緒にのんびりと暮らす事。ただそれだけなのだ。
でもそれは叶わない願い。クライムと一緒にいられる。自力で暮らそうと思えば暮らせる、絶大無比な力も手に入れた。その代償に、今後数十年はラナーは善性の女王として王国の頂点に立たねばならない。世の中にはメリットとデメリットがあるのだ。だから……スローライフは夢のまた夢。
そんなありえない未来に夢を馳せても仕方がない。ラナーは気持ちを切り替える。今は目の前にある幸福を嚙み締めればいい。
そんな風に思考を働かせながらも、生産設備を使いエーテルをラナーは加工して───
「出来ました! クライムのためだけの……私の愛がたっぷりと詰まった指輪です!!」
完成したエーテル製の指輪。それは『黄金』に輝く指輪だった。なぜその外装にしたのか。それを聞くほどサトルも無粋ではない。だから聞くのは別の事だった。
「無事に完成して良かったですね、ラナー殿下。……しかしアイリスからデータクリスタルの指定がありましたが……これまた変わった指定でしたね。回復系の能力を向上させる効果と即死耐性を、限界まで詰め込んでくださいなんて」
「そうなのですか? 私はあまり『ユグドラシル』のセオリーとやらは存じておりませんが、珍しい構成なので?」
「ええ。こんな効果を詰めるよりも、自動回復効果を持つデータクリスタルを乗せた方がよほど便利なんですよ。この構成だと、どこかから回復魔法などをもってこなければ、何の役にも立ちませんから」
「……なら別にご用意されるのではないでしょうか。 鎧などはアイリス様の方で厳選されるのですよね? ならそちらにその手の魔法効果を持たせるとか」
「その可能性もありますか。……何にしろアイリスには思惑があるようですし、クライム君のビルドに関してはアイリスに任せた方が良さそうですね」
そこで話を止め、さてどうしたものかとサトルは思案する。彼が生産室の投影式ウィンドウを呼び出すと、時刻はまだ22時だった。
指輪の完成。これに関してはもっと時間がかかるかとサトルは考えていたのだが、施設のシステムが優秀過ぎたせいか、まだクライムが箱庭に入ってから10時間しか経過していない。つまり彼が出てくるまで、まだ26時間もあるのだ。
いつもであれば、この時刻にはアイリスと共にベッドに入り就寝しているが……流石にラナーを放置して寝る気にはならない。そもそもサトルはアンデッドであり、根本的に睡眠を必要としているわけではない。就寝しているのは地球時代には出来なかった贅沢である、規則正しい生活の一環に過ぎない。
(それにアイリスと一緒に寝る、寝ないで寝つきが全然違うんだよな。ギュッとすると安心感が違うと言うか)
身長差を活かしてアイリスを抱き枕代わりにしているサトル。アイリスはアイリスでサトルにそうされると嬉しいのか、むしろもっとしろと言わんばかりに毎晩引っ付いて寝ているが……それらに慣れたせいか彼の睡眠の質はかなりアイリスの有無に左右されるようになってしまっている。三十年の間孤独だった寂しさに、愛する人との同衾は麻薬だった。
「あと26時間。どうやって過ごしましょうか」
ラナーもサトルと同じで、あまりにも早く終わり過ぎたと思っていたのか手持無沙汰と言った感じの声を出す。
「そうですね。……ラナー殿下は王宮にいた頃には、暇をどのようにして潰していたんだ?」
「私ですか? 夜中であれば手に入れた情報を頭の中で組み立てる作業ばかりしていたので、あまり暇な時間そのものがありませんでした。日中であればクライムの顔を観察したりして過ごせたのですが……」
「……クライム君の観察は楽しいのか?」
「それはもう!!」
クライムの話題が出ると、暇そうな顔が消えて途端にラナーは喜色を張り付けた乙女の顔へと変わる。その眼はギラギラと輝いているのに、しっとりともじっとりとも取れる湿度も同時に湛えていた。
「クライムはね! 私と一緒にお散歩を良くしていたのだけど! その度に私の我儘に困りつつも、護衛として絶対に守らないといけないって気合を入れて! まるで飼い犬のようにラナー様、ラナー様って纏わりついて来てくれるんです! それがもう可愛くって可愛くて!!」
「そ、そうなのか……犬ね……うん」
急激に熱量を増したラナーに、ちょっと引くサトル。
(犬って……クライム君そんな感じなんだ。しかし犬か……そう言われるとアイリスも割と犬っぽいよな。俺の周りをオーナーオーナーてクルクル回ったりするし……確かにあれは可愛かったな)
そう考えるとラナーの思考にも納得がいく。妙なところでサトルはラナーにシンパシーを感じていた。
「その姿を見るたびに鎖で縛りつけて、飼ってみたいと思っていたのです……」
全然シンパシーを感じないとサトルは思い直した。
「飼う? 犬みたいに人を飼う? そういう性癖は聞いた事があるが……」
「サトル様達の世界である『ユグドラシル』にも、私のような方がおられたのですね。……しかし性癖ですか。そう言われると少し違うのかもしれません。あの時の私は結局、クライムにどこにも行ってほしくなかった。私から離れて欲しくなかった。だから私の元に縛り付けて……置いておきたかっただけなのかもしれません」
「───離れて欲しくないから……縛り付けるか」
その言葉にサトルは何か思うところがあるのか、少し考え込む。彼が思い出しているのはギルドメンバー達の事だ。今は思い出となったが、一時期のサトルは彼らの影を永遠に追いかけようとしていた。心のどこかで帰ってこないと分かっていながら……思い出に縋り付こうとしていた。
(もし……あんなに寂しい思いをすると分かっていたら……ウルベルトさんにアイリスを託されていなくて、いつか一人になるかもしれないと分かっていたら。俺もギルメンの誰かにいて欲しくて……そんな権利があったとしたら。ペロロンチーノさんやたっちさんを、ナザリックと言う鎖で縛り付けていたかも……しれないな)
サトルが何かを考えている事は、ラナーにはなんとなく分かった。彼にも一緒にいて欲しい相手が居たのだろうと。それはアイリスとは違う誰かだろうと。……その事をラナーは指摘する気はない。なんとなく……その思い出に踏み入る事は許されないと感じたから。人物観察が得意な彼女だからこそ、それが彼の逆鱗に繋がっているのではないかと。だからラナーはサトルの反応は置いておき、自分が口にした言葉について思いを巡らせる。
……今となってはラナーにも、あの時クライムに抱いていた飼ってみたい欲がなんなのかは判然としない。純粋に性格が歪んで、そう言う性癖が芽生えていただけなのかもしれない。ラナーが自己分析したように、自分にとって一番大切なクライムに、どこにも行ってほしくなかっただけなのかもしれない。ナザリックに関わる前と関わった後。両者のラナーには大きな隔たりがある。今更そんな風にペットのように飼いたいかと言われたら───ラナーは過去の自分を笑ってしまうだけだ。
「今はそんな欲もなくなりましたが。それにですね……全身を鎖で縛ったり、首輪をつけられるのは苦しいのです。どうして……どうして私はそんな考えをもっていたのでしょうか! ごめんねクライム!! あなたにそんな欲を向けるなんて……ごめんなさい…………ごめんなさいクライム……馬鹿な私を許し───違う!! 違うんですデミウルゴス様!! そのモンスターはやめてぇ…………痛いものねクライムゆるしてくらいむわたしちがうくらいむのことそんなだめちが───」
「<
10時間良く持ったと言うべきか。ここに来てラナーのフラッシュバックがとうとう起きてしまう。ひたすらにクライムへの謝罪を繰り返すラナーを、サトル一人でどうにか出来るとは思っていない。
すぐに<伝言>を使い、屋敷から二人を呼び寄せるのであった。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
サトルが呼び出した二人と共に、ラナーの発狂をなんとか抑えたのが午前3時ごろ。つまり箱庭の中では1年と半年が経つ頃。
クライムの訓練は苛烈な物へと徐々に変貌しつつあった。
───苦しい。呼吸が出来ない。自分は今どちらを向いているのだろうか。立っているのか。寝ているのか。意識が途切れそうになる。……ああ、違う。走っているんだ。……あれ?なんで走っているんだろう。そもそも私は何をして……
「お眠りするのは結構ですが……ちゃんと受けないと死ぬですよ!!」
───えっ? なんの声だろ─……
<浸透打破>
「ぼぉぇぇ!!!!」
朦朧としていたクライムは、アイリスの前蹴りを受けて意識を覚醒させる。まともに受けたことで借り受けていた鎧───神器級品質のそれが一撃で砕けた。内臓が全て弾けるほどの衝撃。口から胃の破片を吐き出し、肛門からは血を吹き出しながらクライムの体は後方へ吹きとば───ない。後ろに飛ばされる衝撃すら完全にコントロールする事で、外部と内部両方から破壊する打撃としてアイリスが撃ち込んだからだ。
武技・浸透打破。単体にのみ効果を発する技だが、その威力はアイリスが中々と評する物。実体化直後の通常の100レベルでしかなかった防御特化のアルベドですら、一撃で死亡に追い込める。そんな技を喰らったクライムは無論死亡、はしていない。
この一年半で既に100レベルに達していた彼は、一撃であればどんな技でも耐えるスキルを習得している。それにより絶命は逃れている。だが死なないだけであって、痛みが無くなる訳ではない。肉体ペナルティ耐性なども有してはいる。それでも内臓の破片が口から飛び出すほどの激痛など論外だ。
地面に蹲り、大量の血をクライムは吐き出す。ゴボゴボと音を立てる様は、余人が見れば思わず「大丈夫か!?」と心配をしてしまうだろう。だがアイリスはそんな甘い手合いではない。クライムは歯をすぐに噛み締め、その場を転がってでも離脱する───直前に足が大槌に殴られて地面諸共爆ぜる。
「判断が遅い!! 痛みは分割思考で常用思考以外に押し付けろと言った筈です!!!」
足が無くなったクライムだが、自己治癒により出血はすぐに止まる。アイリスが助言したように、すぐさま痛みに萎える思考を隅に押しのけて、まだ無事な手を使い距離を取ろうとし───
「相手が持っている武器は何か! ちゃんと見るですよ!!!」
大槌から十文字槍に持ち変えていたアイリスは、適切な距離に離れたクライムの首に刃を突き刺す。頸動脈が裂け気道が完全に損傷。
完全に自己治癒の回復すら上回るダメージ量であり、既に生命力は5%も残っていない。ここから出血が続けば、継続ダメージによりクライムは確実に死ぬ。
「<大治癒><魔法遅延化・朱の新星>」
その前にアイリスは彼を完全に回復させる。みるみる内にクライムの傷は全てが元通りになっていく。その事に対しクライムは、感謝をしない。している暇もない。
<紫電一閃>
クライムが死ぬ一歩手前から戻って来た瞬間。稲妻の速度で手刀が飛んできたからだ。
<不落要塞>
ギリギリで物理攻撃を無効化する武技を発動。手刀はクライムの武技に弾かれ、ない。当たる直前に停止したからだ。それを見てクライムはまずいと悟ったが……まずいと思う暇があるなら、回避などの武技を使うべきであった。
魔法遅延化で発動が遅れていた朱の新星が、クライムの体を紅蓮の炎に包む。凶悪な熱量に焼かれるが、痛みの思考は無視。それでも焼かれたことで筋肉が僅かに引きつったのか、体の動きは鈍ってしまう。その隙をアイリスは見逃さない。
<無拍子>
トン。軽く胸を叩かれたとクライムは感じた。だがその一撃は決して軽くはない。衝撃によりクライムの心臓が停止。薄れゆく意識の中……クライムは次の戦いではこの経験を必ず活かそうと、心に決めた。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
そこからもクライムの厳しい訓練は長い間続いた。時には80レベルのモンスターを同時に100体相手させられたり。手加減のレベルを徐々に緩くしていったアイリスに、良いようにやられることも少なく無かった。
それでもクライムは諦めない。まだラナーに相応しいとは思えないから。黄金の隣に立つ自分が劣っていては、どれだけ黄金が素晴らしくてもくすんでしまう。だから前に進む。根性と気合。唯一持つ武器を握りしめて、ただ前に。それ以外には自分には許されていないとばかりに、ひたすら研鑽を積む。
アイリスもクライムが望むならば決して手を緩めない。それは少年の覚悟に泥を塗る行為。弱音を心に沈めて、一生懸命に剣を振る姿を見てどうして手を抜けられようか。だからある日を境に、アイリスは手加減を捨てた。それでもクライムなら着いて来れると信じて。
最初は無理でも。必ず限界を超えてみせろと。その想いは……成就した。クライムは応えてみせた。そして……あっという間に、4年が過ぎた。
パキャァッツ!!!
頸椎を殴られたクライムの体が石畳と平行に飛んでいく。彼の首は180度回転している。人間では助からない致命傷だ。それなのに……まるで何度もそうしたかのように、クライムの体は動く。
<軌道修正>
武技で即座に空中で体勢を整える。クルリと体を回転させて脚を地面に付き着地。慣性で体が飛びそうになるが、これも武技で抑え込む。
<即応反射>
物理法則を無視して、クライムの体が攻撃態勢に入る。折れていた筈の頸椎は既に完治。この程度であれば数秒もあれば元に戻せるように彼はなっていた。
致命的な一撃からの瞬間復活。すぐさま臨戦態勢を整え直す手腕。更には───とんでもない奇跡を彼は起こして見せた。
「素晴らしいのです。まさか……
刃渡り1.7m、持ち手を含めれば2mはある
「アイリス様! 申し訳ありません! 御身の体に傷を付けてしまうなど……」
「ネガティブ。私は貴方に何度も怪我をさせています。それなのに、アイリスはたった一度の怪我で文句を言っては罰が当たるのです。それにこの程度ならすぐに治ります。それよりも……よくやりました! この4年間、あなたはアイリスの……私の扱きを見事に制覇してみせた。そして卒業試験では、見事に私の手首を斬ってみせたのです! これ以上の快挙がありましょうか!!」
アイリスは興奮したように捲し立てる。事実彼女の感情は高ぶっていた。卒業試験と言っても今までの成果を見るだけであった。なのに───
「まさかあんな
「……あれ以外でアイリス様に技を通す方法は思いつきませんでした。そして知られたら……きっと対処されてしまうと」
「そうですね。知っていれば、同じ技で返せました。ですが……自力で
アイリスのその言葉に対して、クライムは剣を下げ少しだけ頬を掻き。すぐに剣を構え直す。この師の性格だと、こんな風に気を抜いた瞬間に「甘い!!」と言って、致命的な攻撃を普通に出してくるのだ。
「残心をとる。きちんと教えた通りに出来ているのですよ。……本当は降ろしたタイミングで、遠当てでもしようかと考えていましたが。でもそれは意地悪すぎますからね。───それでは! この瞬間をもって!! クライム、貴方の訓練を終了とします。貴方に勝てる相手は私たち以外では、もはや誰一人として存在しません。……その力を無意味に人を傷つけるために振るえば、私は師の責任を取るために……貴方を摘みにいきます。それだけは忘れないで下さい」
「はい!! 私はラナー様の剣です! アイリス様に教えて頂いた全ては、ラナー様を守るためだけに。もし私がその初志を失ってしまったと、判断されたならば……御身の手で必ず我が命散らしてください!! ですが私はラナー様のためにも死ねない身。ですので……その時には命の限り抗わせて貰います!!」
クライムのその言葉に、アイリスはにっこりと笑う。4年経った今も「あなたの死は、ラナーの死」。その言葉を覚えていた彼ならば、初志を忘れることはないだろう。そう確信したからこその、アイリスの笑みであった。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
一度だけフラッシュバックして以降は、その後一度も発狂をしなかったラナー。彼女はようやくクライムと再会できると、その瞬間を待ち遠しい気持ちで一杯だった。
現在彼女がいるのは、サトル邸の食堂だ。そこで箱庭から戻ってくるクライムを待っているのだ。
現在食堂にいるのは、ラナーだけではない。いつ発作が起きてもいい様に、ペストーニャとルプスレギナとサトルと一般メイド6人も詰めている。……コキュートスはラナーが恐慌状態になるため、この場にはいない。流石に一人仲間外れにするのは可哀そうなので、エクレアと共に別室のバーで二人で飲んでいるところだ。
「ペストーニャ様? 私の髪型などは崩れたりはしていないでしょうか?」
「大丈夫ですわん。癖毛一つない、綺麗な髪そのものですわん」
ラナーは一日半ぶりに会うクライムに、変なところを見せたくはないと張り切っている。……確かに一日半ではあるが、クライム視点では4年も経つのだ。彼に綺麗で可愛いところを見せてあげたいと張り切っているのは、実に乙女心の産物と言えるのだろう。
「クーくんは4年分成長してるんすよね? どんなふうになってるのか楽しみっすね。意外と身長とか伸びてたりして」
「クライム君のことをクーくんって呼んでるのか? ……どうだろうな。人間は二次性徴期が終わると殆ど伸びたりはしないからな。仮に伸びたとしても、精々三センチから四センチくらいだろう。あとな、ルプスレギナ。身長や体格の事をクライムくんに言ったりするなよ? 彼はあれでガゼフ・ストロノーフを筆頭に、周囲の男性より体格が劣っている事を気にしているそうだ」
「そうなんすか?」
「そうなんですルプスレギナ様。元々その辺りの才能に恵まれないのを、クライムはとても気にしていたので。劣等感とでも呼べばいいのでしょうね。ストロノーフ様やガガーランのような恵まれた筋肉が欲しいと、こっそり零していたようです」
「そんなもんを人間は気にするんすね。別にちょっと体格が違うくらい、どうってことないっすのに。私の姉妹……シズちゃんやエンちゃんも小さいっすし、シャルティア様やアイリス様なんてそれよりちみっこで、アウラ様やマーレ様は1mちょっとしかないんすから。強さが欲しくて立派な体格を求めたんでしょうが、そんなもんよりレベルを鍛えりゃいいんすよ」
ルプスレギナ自身は171と、女性としては長身なせいかクライムの悩みに否定的だった。そうやって話し時間を潰していると、食堂に<転移門>が開かれる。アイリスが開いた<転移門>だ。
そこからアイリスがまず出てくる。そしてクライムも姿を現して……サトルと同じくらいはありそうなほどには、体が大きくなっていた。
「うそぉ!!!」
「……サトル様? さっき二次性徴期云々って言ってたの嘘なんすか?」
「いや……いやいや。頭一個分くらい伸びてんじゃん! どうなってんだよ!!」
サトルは狼狽している。なにせ彼の常識を覆す光景だったからだ。狼狽する彼の横で、ラナーもポカンと口を開いている。ラナーにしてもガゼフに憧れていたクライムが、同じくらいの体格になって帰ってくるとは思ってもいなかったからだ。
そんな風に驚かれる中、ラナーの姿を見たクライムは一瞬固まる。数年ぶりに再会したラナーの姿に感動しているのだ。眼は潤み、今にも涙を流しそうになっている。彼はいますぐにでも飛びつきたい衝動を覚えていた。しかしそれはしない。いきなりそんな事をすれば、ラナーが驚いてしまうと考えたからだ。
クライムは数回深呼吸をしてから、ラナーへと近づく。
「───ラナー様。お久しぶり……です。本当に……お変わりないようで……」
「……あ、……え、ええ。そのしわがれた声。本当にクライムなのね。その……随分と様変わりしたから、少し驚いてしまったわ」
「え? …………ああ、この体の事ですか。ちょっと武技で肉体を活性化させ続けた事で、骨端線と言う成長に関わる部位が閉じかけていたのが、アイリス様曰くもう一度開いたそうなんです。それと孤児生活をしていた頃の影響で歪んでいた骨を矯正してもらい、栄養をたっぷりと取った事で体が急成長しました」
「そうなの…………ですか?」
ラナーは少し困惑気味だ。少年だったクライムは、もう青年と呼んでも差し支えない成長をしている。顔つきも少し変わってしまっている。そんな彼にどんな言葉を投げかければいいのか。大陸屈指の頭脳は少しフリーズし───
「ラナー様?」
主が黙った事に疑問を抱いたのか、クライムは少し屈んでラナーの目線に合わせる。近づいたクライムの顔は多少変わっている者の、それでも少年だった頃の面影を残していて。なんとなくラナーはその顔を撫でる。その行為に対し向ける眼は、かつてラナーが何度も愛おしさを感じたクライムの綺麗な眼そのもので……ラナーは4年経っても……体が成長しても……クライムは変わっていないと確信できた。だから彼の首に手を回し、勢いよく飛びつく。
ラナーの体感では36時間前とは雲泥の差がある太い首。だが確信した今なら断言できる。これこそクライムだと。彼は相応しくなると約束して。それを守ってくれたのだと。ならばラナーがやらなければならない事は一つだけだ。
「おかえりなさいクライム。これでようやく……本当にあなたと一緒にいられるのね」
その言葉にクライムが何か言い返す前に。ラナーは彼の唇を自分の唇で塞ぐ。それに今のクライムであれば、反応し避けることも出来ただろうが……彼はそれを受け入れた。
「うひゃぁ! 私たちが見てる前で大胆っすね!!」
「人間は素晴らしいですわん。まさかあんなに逞しくなってくるとは……あ、わん」
ルプスレギナとペストーニャがそれぞれ感想を漏らす。二人だけではない。一般メイド達も何やらわーきゃ言いながら、二人のキスに対して拍手を送ったりしている。
そんなみんなを傍らに。別の主従もちょっとしたラブロマンスを繰り広げていた。
ラナーとクライムから少し離れた場所。食堂の片隅でサトルは腕を広げて、走って近づいてきた白い影を迎え入れる。
「───オーナー! お久しぶりなのです! この4年間……ずっと会いたかったのですよ!!」
「───お帰りアイリス。クライム君の集中訓練……本当にお疲れ様」
サトルに抱き上げられたアイリスもラナーと同じように、サトルへと口づけする。数秒間の深いキスをして───
「オーナー。アイリスは長い間、ずっとネガティブをしていました。だからその分今晩は……たくさん可愛がってくれますか?」
アイリスはサトルが欲しいとねだる。その直球の要求にサトルは苦笑する。この小さく白いお姫様は、意外と肉欲が強いのだ。だが……サトルはそんなアイリスをとても愛していて。叶えられる願いであれば、出来る限り叶えてあげたい。だから───
「当たり前だろ? そうだな……今夜は寝かさないって言ったら……アイリスは嬉しいかい?」
「───ポジティブ!」
サトルとラナーからは一日と半分。アイリスとクライムからは四年間。長い間離れていた、比翼連理の主従達。今宵の夜伽は……少し長い。
前編後編で収めたかったのと同じことの繰り返しにしかならないからクライム訓練の描写は大分省略
大きさのあれこれ
サトル:180(原作は177 かかとに肉がついたり、関節の間に軟骨が増えたりした分伸びた)
アイリス:140(シャルティアと同じ) 155(ワールドスキル発動時)
ラナー:153(捏造 アニメ版見る限りこんなもんかなぐらい)
クライム:158(捏造。アニメのセバスとの比較からこんなもんかなと)→183(自己治癒で常時肉体活性+飯で過剰エネルギー叩き込んだら伸びた)