蛇にゾッコン。 作:元ちょこちょこっと
腹が減った、と少女は思った。
霊力のある魂魄特有の事象に見舞われ、彼女は目を回す。くるるー、と鳴る腹は食べ物を求める。何か食べたい。しかし、少女に食べ物を与えてくれる者は、周囲にいなかった。
流魂街第七十八地区、犬吊。治安の乱れが目立つそこで、少女は一人空腹に倒れる。別に、珍しくもない光景だった。子供が倒れているなんて、死体が転がっているなんて、ここでは極普通のことだ。
もし普通でないところがあるとすれば、
「もしもーし。大丈夫かー?」
彼女を助け起こす手が差し伸べられたことだろう。
「……誰だ?」
付していながら、目だけを声のした方へ向ける。まだ幼い、少女と同じくらいの少年だ。黒い着物に銀の髪。細められた目から、彼の感情は読み取れない。そんな彼が、手を差し伸べてくれている。だが、体力の限界だったためか、その手を取ることは出来なかった。
「誰でもええやろ。飯食わしたるから、着いてき」
「お腹が減って、歩けないんだ」
「なら、これ飲み。少しはマシになるやろ」
着物の懐から水筒が取り出され、彼女の乾いた唇に宛行われる。こく、こくと喉を小さく動かして、空っぽの胃に水を注ぎ込む。余程腹が減り、喉も渇いていたのだろう、すぐに水筒の水は飲み干された。未だふらつく足で、しかし少女は確りと立つ。
死神の少年は、少女より少しだけ背が高かった。
「ふう、生き返った……助けてくれてありがとう。私はお礼に何をすれば良いかな?」
「別に。礼が欲しくてやったんとちゃうし。それに、まだ腹減っとるやろ。ご飯食べさせたるから、着いてき」
言われるがまま、少女は少年に着いて行った。信用した訳ではないが、腹が減って死ぬくらいなら、何をされても平気だと思ったからだ。
「君の名前は?」
「市丸ギン。一つ注意しとくと、人の名前聞く時はまず自分で名乗るのが礼儀らしいで」
「そう、覚えておくよ。私は
菊理——と口に出して反芻して、ええ名前やなあ、とギンが笑った。
「君はどうして私を助けてくれたんだ?」
彼もまた自分の体が目当てなのだろうか、と聞いてみると、彼はそれを見透かしたように手を振る。
「変なコトは考えてへんよ。唯、ボクの昔馴染みもこうして倒れてたことあってん。それ思い出して、世話焼きたくなっただけ」
ギンの見せる貌は、その話をした瞬間だけ、酷く柔らかいものになった。気味の悪い表情をしていると思っていたものだから、不意打ちを食らったように、菊理は口を噤んだ。
見惚れてしまった。思わず。彼の、細められた瞳に宿る、ほんの僅かな温もりに、引き込まれた。
「菊理、腹減る言うことは、霊力あるんやろ?」
問われ、隠すようなことでもないので、菊理は頷いた。彼女には霊力がある。それも、かなり高い霊圧を持ち、その辺のゴロツキなど相手にならないくらいのものがある。そんな彼女でも、空腹には耐え切れなかったのだが。
ギンの問に頷くと、彼は一層笑みを深めた。彼は常に、顔に笑みを貼り付けている。仮面のようだと、菊理は思った。
暫く歩き、やがて犬吊を出る。森の中を幾らか進むと、小さな川に出た。
見とき、とギンが脇差しを抜いた。細められた目は、川を悠然と泳ぐ鮎に狙いを定めている。投げるのだろうか、と訝しく思っていると、彼が小さく呟いた。
「射殺せ、神鎗」
ひゅっ、と空気を裂く音が涼やかな川原に木霊する。脇差しと思われたそれは素早くその刀身を伸ばし、鮎の腹を容易く貫いた。
ギンが刀身を戻すと、刺された鮎がビチビチと苦しそうに踠いている。
「それは、斬魄刀かい?」
「うん。ボクの斬魄刀、神鎗や。チカラは見た通り、伸び縮みするってだけ。刀百本分伸びるから、百本差しとか言われたりするんよ」
「便利だね。高いところにある果実とかも取り易そうだ……しかし、こんなことに使って良いのかい?」
「ホントは無闇に解放したらあかんのやけど、バレなきゃ大丈夫や」
「成程。悪い人だね、君は」
にやりと笑ったギンはその調子で魚を捕り続け、やがて四匹の魚が砂利の上に転がった。
「焼いて食べよ」
「ああ。火、起こすね」
いつの間にか薪を拾ってきたらしい。ギンが鬼道で火を起こそうとすると、それに先んじて、菊理が薪に手を翳した。掌に、霊力を込める。
「破道の三十一——赤火砲!」
彼女の掌から、ビー玉大の火の玉が生まれ、薪に火を点けた。パチパチ、と火花が飛んで、やがて大きな火になる。
テキパキと、菊理は魚に木の枝を刺して、魚を焼く準備を整えていく。何事もないかのような彼女の仕草だが、とても無視できることではない。
「それ、死神の鬼道やないの。何で君が使えるん」
「この辺に来た死神が、前に使ってたからね。真似してみたんだ。本当はもっと派手に炎が出るんだけど、薪に火を点けるにはこれくらいで丁度良いから」
一度見ただけで、そこまでコントロール出来るようになるとは。ギンは頭を掻いた。容易く行っているが、とんでもないことだ。
「他にも使えるん?」
「まあ、少しはね。あると色々便利だと思うよ。自衛にも使えるし。
縛道のことだろうか。ギンは少し考えて、焼けた魚を頬張る菊理を見る。流魂街、それも七十二地区に住んでいただけあり随分とみすぼらしい格好をしているが、容姿は優れている。くり、と大きな紅の目。髪は長く、燃えるような赤。焔のような少女。流魂街の底辺と言っていい場所で暮らしていたというのに、その立ち振る舞いには品がある。
やはり、思った通り。名前もそうだし、何処か、昔の彼女を思わせる。
「菊理。これからどうするつもりや」
食べ終え、また生き返った、と声を上げた菊理に、ギンはそう尋ねた。
「どう、って。どうもこうも無いよ。何しろ、こんな治安最悪なところに住んでいるんだ。精々死なないように頑張るってだけさ」
「でも、今日は死にかけとった。明日か、明後日か、次そうなるのは何時か分からん。それ、ちょっと嫌やない?」
「まあ、それはね」
「なら、死神になったらええよ」
そう言われて、菊理はきょとんとした顔を作った。
「無理だよ」
瀞霊艇は住み良い処とは聞くが、彼女は自分が死神に成れるとは欠片も思っていなかった。
「無理じゃない。菊理はもう鬼道を幾つか覚えとる。霊力もかなりあるようやし」
「無理無理。だって私は、刀なんて扱えないよ」
そんなことを、あっけらかんと言い放つ。思わずギンも呆ける程、単純な理屈だ。
「死神って、斬魄刀を使えないとなれないんでしょう。なら、私には無理。だって私は、刀なんて使いたくないし」
「どうして、怖いん」
「うん。刀だから。刺せば人は死ぬし、刺されれば私が死ぬ。痛いし、怖い。素人の私なんかが扱ったら、余計な人死にを出すだけさ」
これまた端的な答えに、ふむ、と一考するギン。彼の頭には、既に別の解決策が幾つか浮かんでいた。
「刀使わんでも成れる死神はあるよ」
「そうなのかい?」
「救護・補給専門の四番隊は、必ずしも斬魂刀を携帯する必要は無い。回道、回復用の鬼道を覚えるのが絶対条件やけど、鬼道上手い菊理なら問題無いやろ。それか、護廷十三隊やのうて、鬼道衆に入るか」
「鬼道衆?」
聞きなれない単語だった。流魂街の奥の奥である犬吊においても、死神、護廷十三隊という言葉は実例と共に識られている。しかし、鬼道衆という言葉は聞いたことが無い。
ギンが説明することには、鬼道衆は名の通り、鬼道の扱いに関する研究と研鑽を行う集団であり、彼らもまた斬魂刀を好まず、専ら鬼道ばかり使うのだという。鬼道の使用に長けた集団。自分の同類たちが集まる場所と聞いて、菊理の興味がそちらへ傾く。
「へえ。面白そうだね!」
「ま、どっち道、先ずは霊術院入らんとなあ。護廷隊にしろ鬼道衆にしろ、ボクらみたいのんは学校出えへんと入隊も出来ひんから」
ギンもまた、霊術院出の死神だ。正確には、死神候補か。本来六年掛けて習得する課題を、僅か一年で修めた若き天才。それを成し得たのは、ひとえに彼の仮面の裏に隠す激情故なのだが——巧妙に隠されたそれに気付ける者は、いなかった。
ギンの誘いに乗った菊理は、真央霊術院への入学を決意する。それには、試験に受かる必要がある、ということだった。試験と言っても、難しいことをする訳ではない。単に、その者の霊力が如何程か、というのを見定める場だ。
◆
試験当日。ギンの紹介で霊術院の試験を受けることになった菊理は、教員の注目を受けていた。天才、市丸ギンの連れてきた少女だ。彼ほどでないにしろ、有望なのは間違いなかろう、と。
もう一つの理由としては、彼女の優れた容姿だ。数日前の汚れた格好とは違い、清潔な着物に、綺麗に梳かれた、燃えるように赤い髪。大きな目は紅蓮。輝く焔のような少女だ。
「受験番号五十八番、白鷺菊理。よろしくお願いします」
試験までの期間、菊理がギンに学んだことと言えば、敬語の扱い方くらいだ。試験官に対するイメージは重要だし、これから護廷隊、もしくは鬼道衆に就く際、覚えておいて損はない。
逆に言えば——それだけ教えておけば、試験には容易く受かるだろうという、ギンの確信があったという証左でもある。
「ええ、よろしくお願いします。霊力があるのは、市丸君の推薦で分かっていることなので——そうですね。霊力の扱いを見せて貰いましょうか。鬼道が使えるそうですし、一番強い縛道を見せてください」
縛道。鬼道の中で、特に相手の捕縛・撹乱など、支援に重きを置くもの。攻撃型の破道と組み合わせることも出来る。
「私を縛道で拘束してみてください」
試験官は、護廷隊の元席官だった。たとえ拘束されようが、本気を出せば菊理の縛道を破れると考えていた。それに、彼女が使えるのは、精々縛道の一、『塞』か、縛道の四『這縄』くらいのものだろうと予想していたのだ。それでも全く構わない。足りないことは霊術院で学んで行けばいいのだから、と。
「分かりました!」
すう、と、菊理は大きく息を吸う。普段は詠唱はあまりしないが、今回は試験だ。時間はたっぷりあるし、相手も動かない。本来の威力で縛道を使おう。彼女は組んだ両手を前に突き出した。対象は試験官。詠唱を開始する。
「鉄砂の壁。僧形の塔。灼鉄熒熒。湛然として終に音無し。縛道の七十五」
「な——」
試験官は驚愕する。致し方なし。何しろ、鬼道というものには番号が振られており、数が大きいほど霊力を食うし、何より威力が高い。彼女の使うこの縛道は七十番台。使える者も限られた、高度な鬼道だった。
「『五柱鉄貫』!」
霊力で編まれた五つの五角柱が、試験官の身体を容赦なく床に叩き伏せる。首、両手足を拘束された試験官は、その圧迫感にまたも驚いた。この霊圧は、霊術院生のレベルを遥かに超えている!
試験官は抵抗を試みる。が、脱出は不可能だ。元より、七十番台の鬼道を素手で打ち破るなどということは、隊長格にだってそうそう出来ることではない。膂力を殺すために縛道があるのだ。
ならば、と試験官は霊圧で術を掻き消しに掛かる。霊圧は、より強い霊圧によって封じ込めることが可能だ。だが。
「馬鹿な……」
菊理の『五柱鉄貫』は依然ビクともしないまま、彼の身体を貫いている。圧倒的霊力。菊理の込めた霊力が、元席官である試験官を更に上回っているのだ。
「……ええと。もう解いてよろしいですか?」
菊理は心配そうに試験官の顔を覗き込んだ。彼女の実力に間違いはない。合格は間違いないだろう。これ以上は試験時間の無駄である。
「……はい、結構です」
元席官としてのプライドをどうにか抑え込みながら、試験官は苦々しい表情で、彼女に術を解くように頼んだ。菊理が手を振ると、柱は形を崩し、霊子となりて空に溶ける。圧迫感から解放された試験官は身体を起こすと、コホン、と軽く咳払いをした。
「白鷺さん。参考までに聞きたいのですが、貴女の使える鬼道……破道で一番強いものは、何ですか?」
「破道。それなら、今使える中では七十三番が一番強いと思います」
七十三番。『双蓮蒼火墜』——かつての十一番隊隊長、痣城剣八も愛用した強力な鬼道。霊術院に入らずして、七十番台という超高度の鬼道を扱えるとは。才に満ち溢れた生徒を前に、試験官は圧倒される。ギンのような才能ある生徒にまたも出会えて、嬉しさ半分、羨ましさ半分といったところか。
「君なら席官入りも確実だろう。それに、市丸君のように飛び級で早く卒業出来るかもしれないね」
「……そうだと良いのですけれど」
褒められ慣れない菊理は、困ったように薄く笑うのだった。