蛇にゾッコン。 作:元ちょこちょこっと
市丸ギンが白鷺菊理を救ったのは、全くの偶然だった。藍染より、実験用の虚の捕獲を命じられたギンは、虚圏の強い虚よりも、流魂街に出るような弱い虚の方が捕まえるのが楽だと考え、態々治安の悪い地区まで足を運んでいた。治安の良い地域では、巡回する死神があっという間に虚を討伐してしまうし、万一目撃されれば面倒だからだ。
その点、犬吊のように治安の悪い地区になれば、周囲も馬鹿な魂魄が増えてくる。虚などには近付かないだろうし、死神が虚を捕獲したとして、不思議に思う輩もいないだろう。それに、目撃者を消したとして、誰も気にも止めやしない。ここはそういう場所だった。
一先ず街を歩き、霊圧を探ってやろうと考えた矢先、地面に倒れる少女の姿を見て取った。赤い長髪が、血の川のように流れている。覗く横顔を見ると、目鼻立ちの整った美しい少女だった。その姿を、ギンは、かつての乱菊と重ねた。
「もしもーし。大丈夫かー?」
自然と声を掛けていた。こんなことをしている余裕は無い、というのは頭の中で分かっていたが、乱菊と同じような境遇の娘がいると知って、そのままにしておくことはできなかったのだ。
その助けた少女が、今度は殺されそうになっている。一度助けて、希望を見せておいて、もう一度殺すなんて、非道極まりないことだ。ギンにも、乱菊のためなら非道な行いをするという覚悟はあった。しかし、今回の相手は、その乱菊を重ねた少女だった。
現場に到着したギンは、まず驚いた。菊理が、東仙を既に拘束しているではないか。これで、油断して菊理を逃した、という言い訳も通りやすくなるだろう。
菊理が、星見華の引き金を引こうとしているのを見たギンは、神鎗でその左手の腱を浅く切った。ここで東仙を殺せば、菊理の命は無い。
「…………ギン?」
菊理の泣きそうな声を聞いて、心を痛める。しかし、今それを顔に出しては、計画が水の泡だ。
「あかんやん要。簡単に捕まってしもうて」
「……面目無い」
菊理の問いに答えず、東仙の方に話しかける。未だ脱出は叶わず。流石、動揺していようが鬼道のスペシャリストという訳だ。その菊理と言えば、敵の前にも関わらず、星見華を拾うこともせずにその場にへたり込んでしまった。
「……君が、東仙さんの上司なのか?」
「違う。けど、同僚やね」
「そうか……」
菊理の吐く言葉には気力というものがまるで無かった。その様子に、ギンは困り果てていた。怒って向かってくるなら良し。こちらが死なない程度に負けてやれば、菊理は逃げられるだろう。その後どうするかまでは考えていないが、当面の危機は去ったはずだ。彼女が逃げるのであれば、適度に追って、彼女が何か対策を講じた時、それに乗ってやればいい。しかし、彼女が絶望し、膝をつくとはまるで考えていなかった。
菊理は聡明で、力のある少女だと考えていたから。自分の裏切りで足を止めるような弱さを持ってはいないと、そう思い込んでいた。実際、それは当たっている。菊理も、他の誰かに裏切られたくらいなら、寧ろそれに向かっていくことができる少女だ。東仙にそうしたように。
だが、今回は話が違う。裏切りの相手は、彼女の想い人なのだから。
「…………ギン。私は、邪魔だったのかな。君の、邪魔をしてしまった?」
聞かれたくない、質問だった。是とすれば彼女の心を大きく傷付け、否とすれば藍染への反逆と捉えられかねない。結果、ギンがしたのは、沈黙だけ。
「……そっか。ごめんね、ギン」
沈黙を肯定と捉えた菊理は星見華を拾うと、自らのこめかみに銃口を押し当てた。
「な——」
ギンは思わず瞬歩で近付いて、星見華を取り上げた。
「何のつもり? もしかして、卍解でもするつもりだったんと違う?」
咄嗟に口を突いて出たのは、思ってもいない予測。彼女が始解を手に入れたのは数年前。卍解の修業は本来、何十年、何百年と掛かる場合すらある。それを、彼女が扱える筈もない。今の行動に対する、東仙への言い訳染みた言葉だ。
だが、真実は違う。菊理は、今、死ぬつもりだった。自らの鬼道で、自らの頭を吹っ飛ばして、死ぬつもりだったのだ。
「そんなの、習得してないよ。……君にとって私が邪魔なら、構わない」
「構わないって」
「私は死んでも構わない」
絶句する。マスクをする東仙も、隠れているが同じ表情をしていた。
「何で、ボクが邪魔と思うだけで菊理が死ぬんや」
「だって、生きる意味が無い」
「どういうこと?」
「私は——」
そこまで言って、菊理は逡巡する。果たして、ここで、こんなタイミングで、自分の想いを伝えて良いものか。ギンは自らが殺す対象にこんなことを言われて、どう思うだろう。
思い上がりかもしれないが、ギンは苦悩してくれるかもしれない。後悔してくれるかもしれない。もしかすれば、彼を愛する自分を殺したことは、ギンを苦しめるかもしれない。
(……私を殺しに来ているんだから、それは無いだろうけど)
だから菊理は、迷った末に、同じ想いを別の言葉にする。万が一にも、ギンに、愛する人に、そんな傷を残す訳にはいかないから。
「私は、君に救われた。本当は私は、あの日終わっていた筈なんだ。私が今生きているのは、全て君のお陰なんだ。私に命をくれた君が死ねというなら、私は死ねる」
喜んで、とはあくまでも言わないが。しかし事実だ。菊理は、ギンがそう望むのならば何だってするつもりでいる。
ギンが死ねというなら死ぬ。ギンが生きろというなら生きる。ギンが求めるなら、喜んで身体を捧げる。
そういう気持ちだった。つまり、彼女は、菊理はギンにゾッコンで、そして彼を
「私は君の言う通りにするよ。私の命は、君に拾われたあの時から、君のものだから」
静寂。
ギンも、藍染に忠誠を誓う東仙ですら、どうしたら良いのか分からなかった。単に任務を遂行するのなら、彼女に自害しろと命令すれば済む話なのだが。
「————ふむ。つまり、白鷺君。君はギンの命令なら、何にでも、どんなことだろうが従う、ということだろうか」
そこに割って入ったのは、途方も無い霊圧だった。周囲の全てを押し潰さんとする、比べるのも馬鹿馬鹿しいような霊圧を感じ、菊理は声のする方を見遣る。そこには、見知った理知的な顔があった。
「……藍染、副隊長」
「やあ、白鷺君。君の話は聞かせて貰ったよ」
伝令神機を掲げて、藍染はいつもと変わらぬ顔で笑う。それが、菊理にはどうしようもなく不気味だった。こんな場面に遭遇してなお、表情を崩さない。そして、先の口振り、この霊圧。つまり、彼が、黒幕。
「話は、本当です。私はギンの為なら死ねる。でも、何にでも従うって訳じゃない」
「ほう、例えば、どういう場合が該当するのかな?」
「ギンを殺す、とか」
「成程」
藍染は、菊理の思考回路を今の遣り取りで大体理解してしまう。単純明快。市丸ギンを他の何よりも優先している、ということだ。
「ではもう一つの質問だ。君はギンが望むなら、世界全てを敵に回すことが出来るか?」
「はい」
即答だった。
にや、と藍染が笑う。
「ギン、要。命令は撤回だ。彼女を我が旗下に加える」
藍染が手を翳し、東仙に掛けられた縛道を解く。東仙は、主の言葉に大人しく従った。一方、ギンは少し反応を遅らせて、分かりました、とぎこちなく答えるのだった。
菊理はと言えば、緊張の糸がプツリと切れたことで、気を失ってしまうのだった。
◆
「……はっ、夢か」
「夢とちゃうよ」
「ギっ……!?」
パチリと目を開けると、飛び込んできたのは想い人の顔。茹で上がるような熱さを感じて、菊理は思わずベッドの中に潜り込んだ。
「……あれ、ベッド?」
「うん。ここ、藍染さんのアジトや」
キョロキョロと周囲を見渡す。意識が失くなる前と打って変わって、白亜のように見える壁の中。殺気石、だろうか。ならば、ここは霊圧探知で補足されない、安全な場所と言える。
菊理は大きく伸びをして、すぐにベッドから降りる。霊術院の女子寮は現世仕様でベッドだったが、鬼道衆に所属してからのこの数年は布団で寝ていた。少しの懐かしさと、乱菊のことを思い出してふと微笑む。彼女も霊術院を卒業したらしく、今は八番隊にいるそうだ。隊長である享楽春水のこと、副隊長である矢胴丸リサ、それに後輩の伊勢七緒の話がトレンドである。
「ついてき」
「あ、うん」
死覇装のまま寝かされてようだから、着替える必要は無さそうだ。とはいえ、身嗜みを整える時間くらいは欲しかったが、そうも言っていられないのだろう。菊理は大人しくギンの後に続いた。
「藍染さん、アレ副隊長の霊圧じゃないよね」
「せやね」
「私を旗下に加える、とか言ってたけど、どういう意味なのかな。五番隊に入れ、ってこと?」
「どうなんやろ」
「あの変テコな虚も、君たちの差し金だろう? 何なんだあの鬼道に対する硬さは!」
「ごめんごめん」
「……さっきから、私の話を流してないかな?」
「そんなことあらへんよ」
ギンの連れない態度にムッとしつつ、彼に着いていく。ある部屋の前で立ち止まると、シュッ、とドアが開いた。自動ドア。現世にも現代では存在しないそれを見た菊理は、目を輝かせた。ギンに質問責めするも、彼はその話は後、と菊理の背を押して部屋の中に入れた。
「やあ、起きたね」
「藍染さん。あの……」
「まあ、先ずは座りたまえ。紅茶を淹れよう。……要」
「はい」
藍染の指示と同時、東仙が紅茶を淹れ始めた。
座れ、と言われたので菊理も素直に用意された椅子に座る。尸魂界のモノと随分違うので、座り心地は良いがどうにも慣れない。
「さて、白鷺君。君が気を失う前に話した通り、君には我々の同胞となって貰いたいんだ」
「……それが、ギンの望みだから。ですか?」
「話が早くて助かる」
そう言われれば、菊理には断る術と理由が無い。菊理は、分かりました、と頷いた。藍染が何を目的としているのかも知らないまま。
「菊理、頷くの早すぎやで」
「良いよ。どうせ選択肢はないさ」
「迷いが無くて結構なことだ。では、我々の目的について、少し説明しようか」
運ばれてきた紅茶に口を付けて、藍染は語る。その間、菊理は東仙にミルクを頼む。彼女はミルクティー派だ。レモンティーを好む藍染は、こっそり眉を顰めた。
「私の目的は、霊王を殺すことだ」
「霊王?」
聞き慣れない言葉に、疑問符を浮かべる菊理。藍染は続ける。
「霊術院で習ったろう。霊王とは、瀞霊廷の遥か上空に浮かぶ『霊王宮』に在るモノのことだ。詳しいことは、君が知る必要は無いだろう」
「何か恨みでもあるんですか?」
菊理の、あっけらかんとした態度と質問。寧ろ藍染の方が、それに驚いた。とはいえ、そこは流石というべきか。すぐさま藍染の顔には笑みが浮かぶ。
「恨み、という訳ではないのだがね。私は納得がいかないだけだ。あんなモノに、我々が従わされているなど」
「……でも、それをするためには」
「そうだ。護廷十三隊を下し、ある物質を探し出さなければならない。その物質とは、『王鍵』という。その在り処は、山本元柳斎を除いて知る者はいない」
王鍵の在り処は、護廷十三隊総隊長に対してのみ代々口伝される、という決まりになっている。結成時からずっと山本重國が総隊長なので、あまり存在意義のない掟だが。
「じゃあ、王鍵を探すために色々しているんですか?」
「それもある。今は大書庫に王鍵に関する記述がないか、要やギンに調べて貰っているところだ」
「……なら、なんで私は襲われたんですか?」
「現在、我々は王鍵の捜索と同時に、戦力を蓄えているんだ。王鍵を見つけた際は奪取しなければならないし、いざ王鍵を使おうとすれば、護廷隊に邪魔されるのは目に見えているからね。君を襲ったのは、君が護廷隊の大きな戦力になるのでは、と疑ったからだ」
巨大な敵になる前に潰しておきたかったらしい。褒められているようにも思えるが、全然嬉しくないというのが本音だった。
「戦力って、先刻の虚とかですか?」
「それもある。しかし、我々が従えるのは、彼らより更に強力な者たちだよ」
要、と紅茶を飲み干した藍染が声をかけると、東仙が手を宙に翳す。すると、空間が裂け、黒い口のような穴が広がった。
「黒腔……死神の東仙さんが!?」
「着いてくると良い」
藍染は躊躇いなく黒腔の中に入っていく。一方、促された菊理は二の足を踏んでいた。なにせ、黒腔とは本来虚が移動に使う穴だ。入るのは気が引ける。不安そうにギンの方を見ると、彼は菊理の肩に手を置き、頷いた。
黒腔に、恐る恐る侵入する。上下左右もあったものじゃない。ただただ黒い空間だ。その中で、東仙と藍染は足場を霊力で固めるとスタスタと迷いなく進んでいく。
「ちょ、待ってくださいよ!」
「菊理、踏み外さんようにな。落ちたら戻れへんから」
「今更そんな怖いこと言わないでくれ!」
とはいえ、東仙の霊圧のコントロールは完璧で、足場はしっかりとした道になっている。余程のことがなければ落ちる心配はない。
二人に続き、歩みを進める菊理。しばらく歩くと、出口が見えた。パキ、と空を割って四人が出てきたのは、三日月の照らす白い砂漠だった。ところどころに枯れた枝木が立っている、殺風景極まる空間だ。木に触れてみると、それは実際には石英であることが分かった。
「ここは……?」
「
「なっ」
藍染の言葉を聞いた菊理は、目を見開いて驚いた。虚圏。虚の巣食う世界で、大虚など高位の虚は基本的にここに住んでいるという。尸魂界の死神たちですら、来たことのないような場所だ。
「大丈夫なんですか? その、虚に襲われたりとか」
「当然するが、何、問題は無いよ。少し霊圧を放てば、塵芥はすぐに去ってくれる」
この人こんな俺様な人だったかな、と副隊長だった藍染から性格が変わっていることに不安を抱きながら、菊理は周囲を見渡す。馬鹿に広い。それに、遮るものがなさ過ぎて遠近感が掴めない。
これが、虚圏か。
「この場で強力な配下を集める。それが、現在王鍵の捜索に平行して行っている、もう一つの活動だよ」
「……でも、どれだけ霊圧が高かろうが、所詮は虚でしょう? 隊長格に敵うようなのがいるんですか?」
「
藍染は意味深に言った。その台詞に、ギンの表情がほんの僅か険しくなるのを、菊理は見逃さなかった。
「どういうことです?」
「これは死神にも言えることだが、虚には個体ごとに成長限界というものがある。才能と言い換えても良い。霊体を喰らい、如何に霊力を伸ばそうとしても全く伸びなくなる、成長の限界点だが、これを取り払う方法が一つだけある。それが、虚の死神化。及び死神の虚化だ」
「……つまり、この虚圏で強力な虚を探し、そいつらを軒並み死神化させる、ということですか?」
菊理なりの考えを述べると、藍染はその通りだ、と嬉しそうに言った。
「死神化した虚のことを、我々は彼らの一団の名称から取って『
既に、藍染たちは何体かの破面たちを配下に従えているようだ。菊理は、死神の敵である虚たちをこうも容易く従える藍染に、恐怖を感じていた。しかし、それでもギンの所属する集団の長であることに変わりはない。恐れを呑み込む。
「分かりました、藍染副隊長。私も貴方の下に加わります」
「歓迎するよ、
言いながら、藍染は己の斬魄刀を抜いた。その様子を見て、ギンが何か動こうとするが、思い留まる。今は動けないと、そう判断したのだ。
「私の始解を見て欲しいんだ」