蛇にゾッコン。 作:元ちょこちょこっと
花鶴大砲で瀞霊廷に侵入してから数時間。一護ら旅禍の快進撃は続いていた。十一番隊は三席の班目一角、五席の綾瀬川弓親を筆頭に大半が倒され、七番隊四席、一貫坂慈郎坊も戦闘不能。そして十三隊を震撼させたのが、六番隊副隊長、阿散井恋次の敗北だ。
副隊長は各隊のナンバー2。そんな死神を倒せる霊力を持った賊が彷徨いているとなれば、廷中が慌ただしくなるのも致し方ない。
ならばここでさらなる事件が起きれば、護廷隊は大きく混乱し、藍染の真の目的に注目することなど出来なくなるだろう。藍染は着々と準備を進めていた。
既に鏡花水月は瀞霊廷中に掛けられている。その中で、藍染の死を疑える者などいるはずもない。更に死神たちを混乱させるために、雛森宛に手紙を書いた。内容は、日番谷が双殛を手に入れるために藍染を殺し、ルキアを処刑しようとしているというデタラメなものだ。こんな話を果たして信じるのかと菊理は疑問だったが、雛森は藍染を盲信している。彼の遺書となるこれは、信奉者には神の啓示に等しく映るだろう。
そして、翌朝……一護たちが瀞霊廷に侵入して二日目。東大聖壁の前で、藍染の死体が発見された。第一発見者は雛森で、彼女の悲鳴により隊長、副隊長を始めとした面々が集まって、その惨状を目の当たりにする。菊理にはマネキンのような顔のない人形がポツンと置いてあるようにしか見えないので、目の前で泣き、叫び、嗚咽を漏らす雛森や戸惑う隊士たちの様子が、まるで演劇の一演目に思えた。
「なんや、えらい騒々しいなあ」
そこに、呑気な言葉と共に現れたギン。その姿を認めた途端、雛森は激昂した。「お前か!」とギンを犯人と決めつけたように叫び、斬魄刀を抜いて彼に襲い掛かる。無論、それもまた藍染の作戦通りではあるのだが、
(——消すか)
ギンに危害を加えるつもりなら、それはもう明確な菊理の敵だ。鬼道で消し飛ばしてやろうと手に霊力を込めた菊理だったが、吉良の介入を察して手を止めた。三番隊副隊長として、彼はギンを守ろうとしている。良い子だ、と菊理は内心で彼を褒めた。
言い争う二人。やがて雛森が斬魄刀『飛梅』を解放し、刀から爆炎を吐き出す。対し吉良も『侘助』の奇妙な刃で雛森に斬りかかる。さて、同期にして副隊長同士。どちらが上か——そんな疑問を解を得るより先に、日番谷が間に入って二人を止めた。
「拘束しろ。二人共だ」
日番谷の指示に従った副隊長たちは、雛森らを捕らえると彼らを牢へ連れて行き、騒めきを残しながらその場は収まった。人が掃けていく中で、日番谷はギンと、そして菊理を睨み付ける。
「市丸、そして白鷺。てめえら、雛森を殺す気だったな?」
「はて、何のことやら」
「……どうだろうね」
「雛森に血ィ流させたら、俺がてめえらを殺すぜ」
その一言で、菊理は日番谷が心底雛森のことを想っているのを察した。何故なら、自分も同じ気持ちだから。ギンを殺すとのたまった目の前の少年を、先ほどの少女を、縊り殺してやりたいと思う。
立ち去るギン。残った菊理は、未だに日番谷を睨み付けている。尋常でない様子に、流石の彼も息を呑んだ。しかし、ここで屈するような弱者でもない。
「白鷺。雛森はてめえの教え子じゃなかったのか。何故アイツを殺そうとした」
雛森は、藍染ほどではないが菊理を尊敬していた。彼女は鬼道寄りの能力を持っているが、それを磨き上げさせたのは菊理に依るところが大きい。彼女の適切な指導があったからこそ、雛森は鬼道の達人と呼ばれるまでになった。
嬉しそうに、彼女が菊理のことを話すのを聞いていた。彼女の教え方はシンプルで、一度やり方を見せ、真似させる。それが駄目なら、駄目なところを指摘しもう一度。これを繰り返し、完璧に基礎を固めさせるのだ。お陰でより応用の幅が広がったという。
それだけ熱心に雛森を教えた彼女が、何故凶行に及ぼうとしたのか。警戒と、純粋な疑問だった。
「…………君と同じだよ」
「どういうことだ?」
「君が先ほど見せた殺気と、私の殺意は同質のものだ、ということさ」
自分の殺気。ギンと菊理に向けたそれが真っ先に思い当たり、そして天才はすぐさま理解する。彼女がどういうつもりで教え子を殺そうとしたのか。
「そうかよ」
「秘密にしておくれよ。特に、乱菊にはね」
にこ、と菊理は笑うが、日番谷はそんな気になれなかった。先のセリフ。菊理は、日番谷の雛森に対する並々ならぬ感情を理解している。そんな彼女の言葉を聞き届けなかった場合、誰をどうする気かなんて目に見えている。
言外の彼女の意図を察した日番谷は、むざむざ危険を冒すような真似はするまい、と大人しくそれに従うことにした。元々喧伝するつもりもない。ふん、と鼻を鳴らして、日番谷は総隊長への報告に向かった。
一人残された菊理は、一連の忌々しい出来事を思い出し、爪を噛んだ。
◆
旅禍と尸魂界の戦いは、熾烈を極めた。一日おいて復活した一護は
「処刑まではまだ日がある。三日で修業が終わるなら、成程良い具合に間に合うようだ」
「ならば処刑の日取りを早めればいい。四十六室の命令を偽造しよう」
藍染の行動は思ったよりもずっと大胆であった。如何に鏡花水月が強力だといえど、これでは違和感を覚える者も多いのではないだろうか。それほど四十六室は愚かだということで通っているのか、それとも計画が挫かれてほしい、という願望でもあるのか。
思えば、藍染の計画には遊びが過ぎる部分がある。雛森らを争わせ必要以上に尸魂界を刺激したり、崩玉の依代であるルキアを一護の下へ向かわせたり、四十六室の指示もそうだ。態々妙な指示を出し続け、挙句恋次に「四十六室の指示が奇妙である」と話してさえいる。
完璧にこなそうと思えば、藍染は容易く尸魂界など落とせるはずだ。それをしないのは、何か意図があってのことなのかもしれない。
「それにしても、彼の成長速度は驚異的ですね。つい数日前までは限定霊印の刻まれた阿散井にさえ敵わなかったのに、今や更木隊長と相討ち、そして朽木白哉を超えようと言うのですから」
「更木剣八か。丁度良い、君には話しておこう……これから離反した後、戦うことになるだろう相手、その中でも特に注意すべき敵を」
注意すべき敵。菊理にとっては何よりギンを脅かす者がそれなのだが、敵の主戦力を聞いておいて損はない。
「まず、言わずもがな山本重國だ。彼は最強の死神。恐らく直接戦闘では私でも敵うまい。戦うのは避けるのが賢明だ」
彼に関しては、既に炎を封じ込める改造虚の開発が進められている。菊理の鬼道を封じ込めた虚をベースに、感情や言語機能等を丸々削り取っている。犠牲にしたものが多いほど、炎を防ぐというその一点が研ぎ澄まされるのだ。
「次に浦原喜助。彼は私を超えた頭脳を持っているかもしれない、油断ならない相手だ。研究者という意味で言うなら、涅マユリも驚異だろう」
研究者とは恐ろしいもので、それはザエルアポロが証明している。格上のネリエルをノイトラが倒せたのは、彼の発明で不意を突いたからだ。藍染に対しても、同じことが起こり得る。
「そして、更木剣八、卯ノ花烈——否、卯ノ花八千流と呼ぶべきか」
「やちる?」
草鹿やちると同じ名前に、菊理は面食らった。卯ノ花にその名前が付いているなんて、欠けらも知らなかったのだ。
「更木剣八は底知れない戦闘能力を有している」
「……現時点での一護君に負けるようでは、心配は要らないと思いますが」
「どうかな。何せ彼は卍解も、更に言えば始解すらできない状態での戦いだった。それはつまり、まだまだ伸び代がある、ということだ」
菊理は戦慄した。隊長格であり、更に眼帯を外せば桁外れの霊圧を放つあの現状でさえ、あの男には未だ通過点に過ぎないというのか。
「そして、卯ノ花八千流。彼女は初代十一番隊隊長——つまり、初代剣八だ」
「な——」
初代剣八、延いては初代護廷十三隊。菊理も噂くらいは聞いていた。曰く、かつての護廷隊はとんでもなく殺伐とした集団であり、彼らが通った後には草木の一本も残らぬ荒地となったという逸話だ。しかも、最強と謳われた初代十三隊の、最も戦闘に特化した部隊長。それがあの温厚な卯ノ花だったというのか。
だが、思い返せば彼女の見せる笑みの一端には、底知れぬ霊圧が宿っていたのを思い出す。十一番隊すら軽く捻る彼女が弱いはずがないが、まさかそこまでとは。
「護廷十三隊にはこれだけ要注意人物がいる。君の働きに期待しているよ」
「……頑張りますよ、ええ。ギンのためならね」
とはいえ、菊理もギンのためなら、命を賭して敵を殲滅する覚悟だ。そのために、様々な修業を続けてきた。最早彼女に鬼道で追い縋ることの出来る者など皆無だろう。加え、虚化を習得したことで、霊圧が飛躍的に上昇している。初代剣八だろうが浦原喜助だろうが、負ける気は毛頭無い。
増して——まだ未熟な隊長格に敗北するなど、あり得ないとすら考えている。
◆
氷輪丸を解放した日番谷は、どうしようもない怖気を覚えて、戦闘中だというのに振り返ってしまう。雛森が藍染の遺言に従い、日番谷を殺そうとした。藍染の手紙を偽造したのがギンだと思った彼は、斬魄刀を解放してギンに襲いかかったのだが——
「なんだ……この霊圧は!?」
巨大な霊圧。刺すようなプレッシャーを持ったそれは、日番谷に向けられている。直後、日番谷に向けて巨大な光線が放たれた。
「ちっ!」
瞬歩でそれをどうにか避ける。その間にも、遥か彼方からの狙撃らしい鬼道の雨は日番谷を狙い続ける。日番谷は少し考えて、逃げるのではなくギンにくっついて剣戟を交わす。その途端、ピタリと攻撃が止んだ。
(やはり、市丸の仲間……白鷺か)
味方撃ちを避けるためだろう。攻撃を控えている今がチャンスだ。ギンの腕を凍らせようと霊圧を上げる。ギンの腕に氷が纏わり付き、彼の腕を封じた。
「終わりだ、市丸」
止めの一突きを放とうとした瞬間、ギンの目が開いた。
「射殺せ『神鎗』」
眼球の直前まで、猛烈な速度で伸びてきた斬魄刀をかろうじて避ける。しかし、ギンの方は渾身の一撃を避けられたというのに、良えの、と日番谷に語り掛けすらしている。
「死ぬで、あの娘」
「——雛森!」
神鎗の一撃は雛森を貫くかに思われたが、間一髪、刀と彼女の間に入った乱菊によって防がれた。彼女はギンを睨み付け、これ以上続けるなら自分が相手になる、とまで宣った。これ以上、ギンは戦えまい。彼は大人しく瞬歩で菊理の下へ向かった。
彼女はギンの姿を認めると、足早に彼の下に寄ってきた。その顔は青ざめており、ギンは不思議そうに首を傾げたが、その理由はすぐに分かった。
「ギン、早く腕を見せて!」
ギンの腕は、日番谷の斬魄刀に氷漬けにされている。その上怪我までしており、その様子を見た菊理は顔を蒼白にしているのだった。
一方、乱菊に非難の瞳を向けられて気の立っていたギンは、ぞんざいな返事をする。
「平気や」
「そんな訳ないだろう。こんな氷漬けにされて、凍傷になる! 今すぐ治療するから」
「良えよ、痛くないし」
「感覚が麻痺してるだけだ! 良いから早く——」
「しつこいな、良えって言うてるやろ」
言ってから、それが失言だったとギンは気付いた。
菊理の方を見ると、先ほどよりずっと顔色が悪くなっている。
「あ、ご、ごめん……ごめんなさい。私、出しゃばって余計なこと言っちゃって……ホントにごめん。私、私、ギンが良いって言ってるのに。で、でも、本当に危ないんだよ? そのままにしたら凍傷になって、腕が腐って使い物にならなくなっちゃうから……って、これじゃまるで脅しみたいだよね、ごめん。でも、だからこそ治療しないとダメだよ。その、私に治されるのが嫌なら四番隊でも良いから……」
「ごめん、酷いこと言うて。ちょっと苛々しとったもんから……菊理に治されるの、全然嫌やない。これ、治してもらっても良え?」
これ以上は彼女の精神が危険だと感じたギンは、凍った腕を差し出した。元々悪いのは自分だという自覚はあったので、抵抗は無かった。
菊理はその言葉にパッと目を輝かせて、任せて、微笑みながらギンの腕に空間回帰を掛けた。見る見る内に、指定された空間内が元に戻っていく。
「おお、流石や。キレーに治してくれてありがとうな、菊理」
「勿論。怪我したらすぐに言ってくれ。私がいつでも治してあげるから」
褒めれば褒められた分だけ、彼女はますますギンにのめり込んで行く。愛は、より重く深く。
ギンが愛しているのは自分ではない。そう理解していても、菊理は彼への想いを捨てることはしない。
「菊理、さっきの狙撃もありがとうな」
「大したことじゃないさ。拳銃で狙撃っていうのは、変な感覚だったけどね」
「撃ち出すんは鬼道やから、ホンモノの拳銃と違ごうて射程も長いんやね」
しかし、遠すぎて狙いが甘かったのもまた事実。簡単に避けられるようではいけない、と菊理も自省する。
「ボクはもう派手に動かん方が良えかもしれんなあ。日番谷隊長に目ぇ付けられとるし」
「私が守ってあげるよ」
「菊理も同じや。ボクらが動いたら、すぐ日番谷隊長も動くに決まっとる。それは避けた方が良えと思う」
「…………成程、それもそうだ」
内心面白くないと思いながら、それをおくびにも出さないで菊理は頷いた。
ギンの言葉の裏を、菊理はきちんと理解している。彼が注意しているのは日番谷ではない。その副隊長、つまりは乱菊だ。乱菊とぶつかりたくない。乱菊に嫌なところを極力見せたくない。だから、彼は日番谷に注意を払っているのだ。一方的に日番谷の攻撃を受けていたのも、隊長を攻撃すれば副隊長とも戦うことになるからだろう。
胸が痛むが、菊理はそれでも良いと思った。ギンの心を焦がさせるのは、きっと乱菊の役目だ。代わりに、乱菊に出来ないことを自分がする。ギンに振り向いてもらえなくても、彼に尽くす。
(私がギンを支える。私がギンを守る)
これから襲い来るだろう、あらゆる敵から。そして同時に、菊理はある決心をした。