蛇にゾッコン。 作:元ちょこちょこっと
遂にルキアの処刑日がやってきた。菊理は双殛付近で視界と認識、霊圧を誤魔化す結界を張り、その上から鏡花水月を掛けられた上で待機。ルキアの魂魄が蒸発した瞬間にそれを奪取し、転移布と呼ばれる移動術式の掛かった布で周囲の空間ごと藍染の下へ転移する算段だ。転移布は使い捨てなので東仙、ギンにも持たされている。
(今頃ギンと藍染さんは清浄塔居林か……吉良を上手く使って日番谷たちを誘き出すつもりらしいけど、どうなんだろ)
吉良には乱菊を殺すつもりで掛かれ、と言い含めてあるらしい。吉良も戸惑っていたが、元々ギンへの忠誠心が高く、規律を守る気質の彼だ。直属の上官の命令には背くまい。
しかし、乱菊を殺す気で、というのは良かったのだろうかとギンに問うと、乱菊の斬魄刀は相性が良いから問題ないという話だ。いざとなれば彼が助けに入るつもりだろう。その場にいなくとも、ギンの実力と刀百本分伸びる神鎗があれば、遠距離から吉良を殺すことなど容易いはずだ。
(……始まったか)
双殛の磔架へルキアの身体が浮かび上がり、矛が炎を纏って姿を変える。火の鳥の如きその姿は
確かに凄まじい威力だが、菊理には箔を付けるための逸話にしか思えなかった。
燬鷇王が、ルキアを跡形もなく吹き飛ばさんと突進する。魂魄を蒸発させる程の熱量がルキアに迫り——そして、一本の斬魄刀に止められる。
無骨な刃。柄も鍔もあったものではない、剥き出しの包丁のような刀だ。身の丈程のそれが、燬鷇王の攻撃を、つまり斬魄刀百万本分の攻撃を止めている!
「へえ」
思わず感嘆の声が漏れた。オレンジ髪の死神、黒崎一護。数日前はボロボロだった彼が、今やあそこまで成長するとは。
そして、戦況は更に混沌とし始める。浮竹十四郎、京楽春水両名が双殛の矛を破壊。そのまま山本重國との戦闘に縺れ込み、浮竹の部下を殺そうとした砕蜂は猫から人間の姿に戻った夜一と交戦。そして、斬魄刀百万本を防ぐ防御力を持つと言われる双殛の磔架を容易く破壊した一護は、恋次にルキアを任せ、白哉との最後の決戦に挑む。
一方菊理は、狛村と共に更木と戦っていた東仙に、伝令神機で連絡する。
「朽木ルキアが奪還されました。彼女を抱えて阿散井副隊長が逃走中です」
『了解した、私が追おう」
「……大丈夫ですか?」
東仙の声は掠れていた。甚大なダメージを負っているらしい。更木にやられたのだろう、と当たりをつける。東仙の卍解はかなり恐ろしい能力なのだが、それを打ち破るとはやはり奴は怪物である、と改めて認識する。
「少し待ってください、治療に向かいます」
『しかし』
「処刑が失敗した時点で、私の役目は終わりです。私の裁量で動いて構わないと、藍染さんが」
『……分かった、治療を頼む』
菊理は転移布を渦のように靡かせ、周囲の空間ごと東仙の居る座標に転移した。彼は息も絶え絶えな上血塗れで壁に凭れていた。
「酷いやられようですね」
「……うるさい。早く治療しろ」
気が立っているらしい。そりゃそうだ、と菊理は思った。平和を望む東仙と更木のような戦闘狂は水と油だ。意見・認識・主張全てが食い違い剣を交え、挙句敗北したとなれば立腹も仕方ない。
菊理は嫌な顔をするでもなく手早く彼を治療し始める。ギンの時は軽傷だったので早く済んだが、東仙の傷は深く、中々時間が掛かりそうだと思った。
「更木剣八は?」
「狛村と戦闘中だ。狛村は卍解しているが、更木剣八……奴は魔物だ。勝負は長引くだろう」
「まあ、こちらとしては好都合ですね」
何せ、敵側の隊長たちが勝手に潰しあってくれているのだ。更木、狛村に加え砕蜂と夜一。極め付けが山本重國と浮竹、京楽。
(全く、藍染さんの手腕には恐れ入る)
総隊長を封じるために教え子二人を当てるというのが彼の目論見である。彼は京楽の思慮深さ、それに浮竹との仲の良さを計算に入れて作戦を実行した。聡明な二人はすぐに違和感に気付いただろう。そして、裏で糸を引いている者がいる、という可能性に思い至ったはずだ。となれば、黒幕の目的である処刑を止めようとすることは必至。
だが藍染が四十六室を支配する今、処刑を止める方法など強行手段しかない。処刑に立ち会う隊長たちの中でそれを行えば、彼らの師である元柳斎とぶつかるのは自明の理だ。
様々な思惑が飛び交い乱れ、争いを起こす。その中で藍染は悠々と目的への足掛かりを掴んでいる。
彼は分かりやすく隙を見せることで、黒幕の存在を主張し、仮想の敵を作り上げることで護廷隊中に争いの種を蒔いたのだ。
しばらく経って、ある程度傷が回復したところで東仙は治療の終了を提案した。藍染への忠誠心故、すぐに仕事を終わらせたいらしい。菊理としては半端な治療は嫌だったが、本人の意思を汲んで了解した。
「では追いましょう。私は転移布を使ってしまったので、彼女らを移動させる際は東仙さんがやってください」
「分かった。追うぞ」
瞬歩で恋次を追う。幸い、尸魂界側の追っ手である副隊長たちは一護によってほぼ倒されていた。隊長たちは同士討ち状態であり、残った一般隊士程度なら、恋次はルキアを抱えたままでも倒せるだろう。
故に、追い付くのは容易いことだった。
「白鷺さんに……東仙隊長?」
恋次たちの前に姿を現わす二人。突然のことに、恋次は驚きと戸惑いの混じった表情を浮かべている。そのまま東仙は転移布を使用し、他の三人ごと双殛に転移した。
「ここは、双殛か!?」
「やあ、久しぶりだね阿散井君。早速で悪いんだが——朽木ルキアを置いてさがりたまえ」
一護と白哉の戦闘痕が残る丘で、死んだはずの男の姿を認めた恋次は目を見開いた。
「藍染、隊長……!? なんで生きて、いや、今なんて……」
「朽木ルキアを置いて退がりたまえ。そう言ったんだよ」
にこやかな藍染。この緊迫する現場で、それはあまりに場違いな表情だった。しかしただならぬ様子を察した恋次は、ルキアを抱く腕の力を強めた。
「お断りします」
「……やれやれ、困った子だ。だが、君も私の元部下だ。気持ちを汲もう。彼女は抱いたままでいい」
しゅら、と藍染が鏡花水月を抜いた。
「腕ごと置いて退がりたまえ」
藍染が恋次に斬りかかる。しかし、彼はそれを既のところで避け、腕に浅い傷を負うに留める。
(遊んでるな)
藍染の悪い癖だ、と菊理は思った。彼は目的への道を最短で通ろうとしない。時にやる気がないのでは、とも思えてしまうが、時折り意味のある場合もあるからタチが悪い。ただ、今回は本当に遊びだろう。ここで時間を割く意味はない。
やれやれ、と肩を竦めていると、大気の霊子が震えだした。
(天廷空羅か……)
霊圧を補足した相手に、離れた場所から声を届けることが出来る縛道だ。菊理は意識を集中させ、自らの鬼道で大気の震えに同調することで、会話の盗聴に成功する。優れた鬼道使いにしかできない、高等テクニックだ。
話しているのは、四番隊副隊長、虎徹勇音。話す内容は藍染らの裏切りについてだった。
霊圧の震えから、この会話は恋次も、そして各隊長格も聞いているだろうことを理解する。早くしないと、この双殛に隊長格が続々と集まってくることだろう。チラ、とギンの方を見れば、彼は肩を竦めるのみ。止める気はないらしい。
しばし藍染が恋次と話し、トドメの一撃を与えようとした瞬間、黒い影が飛び出してくる。一護の卍解、『天鎖斬月』。それが、藍染の凶刃を止めていた。
一護たちは暫し話し合い、藍染たちを倒す方向で結論が出たらしい。ガシャ、と斬魄刀を構え直す。
恋次の技で隙を作り、一護が斬り捨てる——そんな作戦だったようだが、それも藍染の前では無駄だった。一護は胴体に深い斬撃を受け、体を起こすことすらできない。そのまま恋次も倒され、ルキアは再び捕らえられた。
そして、暫し倒れ伏す一護と語らう藍染の前に、怒りを露わにした狛村が現れた。そのまま卍解で逆賊を倒さんと意気込む狛村だったが、
「破道の九十『黒棺』」
詠唱破棄した藍染の黒棺により、一撃の下倒されてしまう。あまりの威力に、狛村の片腕が吹き飛んだ。
「九十番台詠唱破棄! 怖いわぁ、いつの間にそんなこと覚えなはったんです?」
「菊理の指導があったからこそだよ。彼女のお陰でモノにできた」
「いや、藍染さんの才能と努力ですよ。私は足りないところを指摘しただけです」
「自分を卑下するものじゃあない。現に君の指摘のお陰で、私は詠唱破棄で九十番台の鬼道の威力を十全に引き出しているのだから」
藍染のベタ褒めに適当に頷きながら、菊理は一護を見下ろした。もう虫の息、といって過言無き姿ではあるが、それでも彼は身体を起こそうとするのを止めない。しかし藍染はルキアから崩玉を取り出し、ルキアを殺すようギンに指示する。神鎗が彼女の身体を貫こうとしたその時、藍染の魔手からルキアは奪還された。
他ならぬ彼女の兄によって。
しかし神鎗の刃は躱し切れず、白哉も深い傷を負う。止めを刺そうとゆっくりと近付く藍染だったが、その身体は二人の暗殺者によって拘束された。
四楓院夜一、砕蜂。尸魂界中最速の二人。
しかも、次々と現れる隊長たちに、彼らは捕らえられてしまう。ギンは乱菊に、東仙は檜佐木に。菊理は身体こそ拘束されていないが、京楽・浮竹という古参の隊長二人に睨まれては動くに動けないというところ。
これで藍染一派の野望も終わりだ、と思われたその時、天に開いた黒腔から伸びる光『
光に包まれた際になっても、菊理はギンから目を離していない。だからこそ、彼らの会話が聞こえてしまう。
「……ちょっと残念やなあ、もうちょっと捕まっとっても良かったのに」
ギンの顔は、とても寂しそうだった。
「さいなら、乱菊。ご免な」
地面が剥がされ、菊理たちが宙に浮いていく。それを止めようとする者もいたが、総隊長が無駄と断じ、誰もがそれを険しい目で見る。彼らには、問いただすことしかできない。浮竹は藍染に。狛村は東仙に語りかける中、菊理には乱菊が問う。
「どうしてよ、菊理! アンタもギンも、なんでこんな……」
「ギンの真意は私も知らない。ただ言えるのは、私は君に出来ないことをするためにこちらに着いたと言っておこう」
菊理が藍染の下にいるのは、全てギンのためだ。尸魂界という強大な組織を敵に回す中で、共に戦い、彼を守るためだ。それはきっと乱菊には出来ない。菊理にしか、出来ない。
だから彼女は、それが誇らしかった。ギンが愛しているのは乱菊で、乱菊もきっとそうなのだろう。けれど、乱菊よりも自分の方がギンを愛している。そう声高に叫ぶ、それだけの自信が菊理にはあった。
(だって君は、この事態になっても『着いてくる』とは言わないじゃないか)
もしも。もしも逆の立場で、乱菊がギンと共に藍染に着いて、菊理が見上げる側だったとすれば、彼女は間違いなく自分も連れて行けと叫ぶだろう。もしそれが受け入れられず、残った十三隊に殺されることになろうと、菊理は間違いなくそうする。菊理は常にギンの味方でいたいのだ。
「藍染さんが何をするのか、したいのかなんてどうでも良い。けど、私はこちら側でなくてはならない。そうしないと、私には万に一つの勝ち目すら無くなるから」
「さっきから、何を言って——」
「君には分からないよ、乱菊。君はただ待っていれば良いんだから」
なにしろ、彼女は既に菊理に勝っているのだ。こちらへ寝返る理由など、何一つない。それが菊理には腹立たしかった。
「っ、アンタもギンも、何も言ってくれないじゃない! 私に何も言わずに居なくなって! もっと、もっとちゃんと理由を教えてよ!」
「…………さっきも言っただろう? 君には分からないよ。多分、一生ね」
親友に対して、裏切りの言葉を叩きつけた菊理は目を伏せた。乱菊がどんな顔をしているのか、見たくなかった。
そしてそのまま、彼女らは黒腔に呑み込まれ、一連の事件は一先ず終わった。
◆
虚圏へ向かう道中、ギンが小さな声で語りかけてきた。
「菊理は乱菊のこと嫌いなん?」
「嫌いじゃない、寧ろ好きだよ。彼女は快活で優しいからね。でも、だからこそ譲れないところもあるというだけさ」
「そっか、良かったわぁ」
「……ギンは、あれで良かったのかい。もっとちゃんとお別れを言う機会もあったと思うけど」
「良えの良えの。あんま話し過ぎるとお互い良くないし」
決心が鈍る、と言外に言っているのが分かる。ギンは、これが乱菊との別れだと決意している。何のために彼が愛する女を捨ててまで尸魂界と敵対するのか。気にはなったが、菊理はそれを問うことはしない。余計な詮索はしない方が良い。嫌われたくない相手なら尚更。
「賢明だ。特にギン、君と松本乱菊は昔馴染みだ。情が移るようなことはしない方が良い」
「分かってますよ、藍染隊長。だからこうしてキッパリお別れしてきたんやないですかぁ」
「分かってるなら構わないよ」
黒腔を抜けると、常夜の砂漠に出る。虚圏。今日から暫くは、この娯楽に欠ける黒白の世界で過ごさなければならないという事実に、溜め息を吐きたくなる。しかし、そうも言ってられない。早速仕事が一つあるのだ。
前々から存在は認知していたものの、藍染が手を出さず放置していた虚が何体かいる。虚夜宮から遥か離れた地点、石英の木の森の深くに、その内の一人がいた。
何をするでもなく、眠るようにそこに在るのみ。それはまるで石像のような虚だった。
(……かなりの霊圧だ。この時点で並みの破面など軽く凌駕している。最上大虚か)
だが、霊圧そのものより菊理が脅威に感じたのは、彼の在り方そのものだ。彼はまるで気配を感じさせない。意思も、感情も、心も、何も。人形に語り掛けるような気すらしてくる中で、なんとか菊理は言葉を紡ぐ。
「やあ」
返事はない。死んだように、否、最初から生きていないかのように動かない。もしや彫刻か何かなのでは、と思ってしまう。とにかく、話しかけていくしかない。
「こんにちは、良い天気だね。と言っても、虚圏はいつもそうか。あはは……って、今のは笑うところじゃない? まあ、良いけどね」
「………………………………」
「そういえば自己紹介がまだだったね。私は白鷺菊理。君と話がしたくて来たんだ。ああでも勘違いしないでくれよ、君に気があるとかそういうのは一切無いから。いや、嫌いなわけではないよ、そこは安心してくれて良い」
「………………………………」
「……いやあそれにしても、この辺は随分良いところだね。あくまで他の場所に比べればだが、砂塵から身体を守ってくれる木々があるのが大きい。他の虚も洞窟を見つけたり、城跡を根城にしたりと様々だが、私は特別ここが好きだな。ほら、白一色の森というのも中々乙なものだろう? いや、君の方が長くここにいるのだから、私に言われずとも分かっているかもしれないが」
「お前、死神か」
虚がやっとこさ口を開いたことにほっと一安心して、菊理は嬉しそうに頷いた。
「ああ。といっても、訳あって尸魂界から離反した者だけどね」
「成程。だから虚圏にいるのか。で? 死神が俺に何の用だ」
「いや、興味があるかは分からないけど、もし良ければ私たちの仲間にならないか? 石みたいに固まっているだけよりは有意義だと思うけど」
「何が有意義か、あるいは無意味かは個人の主観に過ぎない。俺にはこうしている方が有意義だ。お前たちのように瑣末事に拘っているよりはな」
「うっ……確かに、全く正論だ」
菊理は参ったなあ、と頭を掻いた。まさか虚に論破される日がくるとは思っていなかったのだ。対し虚は、じろっと応答に困る彼女を見つめていた。
虚には彼女の様子が新鮮だった。笑ったり、眉を寄せたり、得意げだったり、ペラペラと話したり、彼女は表情が豊かだった。今まで会ったことのない存在だ。
「まあ、一先ず今日は退散するよ。君の心変わりを待つとしようかな」
「——心?」
気になる単語を拾った虚が、思わず反芻する。
「どうかしたかい? 何か変なことを言ったかな」
「虚に心などない」
「あー、成程」
確かに、一般的に虚とは心を喪った魂魄であるとされている。しかし、菊理の考えは違った。
「私も死神だから、多くの虚を見てきた。確かに、心なんて持ってないようなのも山程いたさ。でも、最近は多いよ、心を持ってるような虚を見る機会は」
虚夜宮の破面たちを思い浮かべる。個性的な面々。彼らは皆、己の意思に従って行動している。怒りもする。呆れもする。悲しみもする。嘆きもする。あるいは狂気に堕ちたりもする。
彼らに心が無いなどとは、菊理にはとても思えない。そして、目の前の彼にも。
「私は、君も心を持ってるんじゃないかと思うけどな」
虚は目を見開いて驚いた。しかしすぐに、何を馬鹿な、と吐き捨てる。そういうところさ、と言いたくなる衝動を抑え、菊理はじゃあねと手を振った。
「また来るよ。ええと」
「ウルキオラ・シファーだ。もう来なくて良いぞ、死神」
「折角教えたんだから、名前で呼んでおくれよ……」
苦笑した菊理は、今度こそ石英の森を抜けた。
残されたウルキオラは、また元の石像が如き在り方を続ける。しかし、動かない彼の頭の端には、菊理の言った心についての疑問がぐるぐると回り続けていた。
数日後、答えを求めたウルキオラは藍染の下で破面化することになる。