蛇にゾッコン。 作:元ちょこちょこっと
ギンの様子がおかしい。
最近の彼はどうも元気がない。そしてその理由を、なんとなく菊理は察していた。乱菊と会えないからだ。もっと言うなら、離反に際してギンは完全に乱菊と敵対する形になった。それに凹んでいるのだろう。彼はいつもと変わらぬ表情だが、どことなく落ち込んでいるのが察せられた。励ましてあげたいと言うのが本音であったが、下手を打てば逆効果になる。ギンのためを思って起こした行動が、必ずしも彼の為になる訳ではない。
前回、日番谷との戦闘の件で十分にそれを学んだ菊理は、どうしたものかと悩んでいた。
こういう時は気分転換になるようなことをしてやるのが鉄板だが、ここで重くのしかかるのが虚圏の娯楽施設の乏しさである。尸魂界、特に瀞霊廷とは比べるべくもなく、流魂街と比してさえも何もない。博打もなければ飯屋も無い。甘味処も、茶屋も、買い物出来る場所すらもない。
虚圏何もねえ問題。これは今回に限らず、結構深刻なのでは……と思ってしまう菊理だったが、藍染や東仙は気にした様子もない。虚たちもここがホームグラウンドとだけあって、この現状に何の疑問を抱いてすらいない。その環境に慣れきってしまうと、そもそも疑問すら持たなくなってしまうのかと末恐ろしい気持ちになった。虚とて人間だった頃があるだろうに。
「私はどうすれば良いのだろうか」
「私に相談されましても……」
菊理に付き合わされるハリベルは困り顔である。先日も「どうしたらそんなに胸が大きくなるのか」というよく分からない相談を受けて同じような返答をしたのは記憶に新しかった。
「なんだよう。君たちだって恋の一つや二つするだろう?」
「いえ、私は別に……」
「何!? そんな馬鹿な、虚夜宮はこんなに男所帯だというのに。よりどりみどりだよ?」
「私はそもそも、恋愛に興味は無いですから」
カラーン、とティースプーンを落とした菊理は、わなわなと震え出し、やがてハリベルの肩を掴んで前後に揺さぶった。
「君は人生の実に半分、いや七割を損しているぞ! ダメだダメだ、君のような美しい女性は恋愛をしなきゃ勿体無い!」
恋愛が人生の七割という個人的見解を押し付けてくる菊理に辟易した様子のハリベルは、視線で三人の部下に助けを求めた。アパッチ、スンスン、ミラ・ローズ。巷で三獣と呼ばれる、ハリベルの従属官たちだ。彼女らは得意そうに恋愛に関して熱弁を振るう菊理を持ち上げ、元の椅子に座らせる。
「まあまあ、落ち着けよ統括官様。アタシたち破面は戦うための存在なんだ、恋愛なんて必要ねーのよ」
「いやいや、何を馬鹿なことを言っているんだアパッチ。女性は皆恋をしなければならないのだよ。恋は良いぞ。世界が彩りを持つ。これまでの生活が色褪せて見えることだろう。それにホラ、恋をする女性は美しくなると言うだろう」
「ホントかよ? まあ確かにアンタは、アタシから見てもかなり可愛いと思うけどよ……」
「そうだろうそうだろう。これは私が恋をしているからなのだよ」
断言した菊理に、単純な脳味噌をしているアパッチはむむむ、と簡単に言いくるめられそうになるも、ミラ・ローズの拳骨を食らって悶絶し、堕ちるのは防がれた。
「いってえ、てめえミラ・ローズ! いきなりぶん殴りやがって!」
「何簡単に嵌りそうになってんだよ、馬鹿」
「思慮の欠けっぷりが嘆かわしいですわ、お馬鹿さん」
「てめえらぶっ殺すぞ!」
馬鹿呼ばわりされてスンスンも気が立っているようである。しかし、彼女たちとは何度も会っている中だ。強みも弱みも菊理は知り尽くしている。
「良いかい、恋愛をすると女性は綺麗になる。これは本当だ。科学的にも証明されている。女性は男と違って子供を産むことができるから、恋愛するとドーパミンやエストロゲンといった女性ホルモンが分泌される。これにより、女性はより魅力的になるよう身体的な変化が起こる」
「お、おう」
アパッチとミラ・ローズは脳筋なので分かってなさそうである。スンスンは口元を隠していて表情が読みづらいが、なんとなく理解していそうだなと決め付ける。
「それに、難しい話じゃなくてもっと単純な理屈がある。例えば……そうだな、君たちはハリベルを大いに尊敬しているよね」
「あったりまえだろ!」
全員が是と応じる。知ってはいたが、やはり単純である。
「尊敬するハリベルの前に出るとき、君たちは普段どうしている?」
「そりゃ……ちゃんと髪を梳かしたりよ」
「身嗜みには大変気を付けておりますわ」
「それだよ」
ぴっ、と三人で一番賢そうなスンスンに向けて指を指す。彼女が堕ちれば、全員を堕としたも同じだ。菊理は舞台女優のように大袈裟な態度で、バッと手を開いた。聴衆は四人だが、その分一人一人に対する効果は大きい。
「尊敬も好意の一つだ。『好意を抱く相手には良く見られたい』——これは誰しもが持っている心理に他ならない。それは君たちがその口で、行動で証明してくれた! ではここで一つ、簡単な質問をしよう」
一々仕草は大仰に。三人はすっかり菊理の雰囲気に呑まれている。ハリベルは紅茶を啜っていた。
「我々の持つ最上級の好意とは何だ?」
「それは——」
「そう! 愛だ!」
先に言われたアパッチはおい! と叫ぶがそこはスルーして、菊理は続ける。
「愛を注ぐ相手には、より良く見られたい。愛とは、好意として尊敬より更に上にある。つまり、君たちが何気なく行なっている身嗜みという好意は、相手に好かれるようにという衣服や装飾への関心、オシャレや化粧にランクアップする。ほら、恋をするだけで女性はオシャレに、可愛く、美しくなる。納得していただけたかな?」
三人娘はこくりと頷く。その顔には、ありありと菊理への敬意が浮かんでいるようであった。恋愛マスターを見る目だ。実際は彼女は本命を落とせていないのだが、それを指摘する者はいない。洗脳完了である。
「で、だ。私はハリベルや君たちにも恋をして貰いたいと思っているんだ。美しい者はより美しくなるし、美しい者の側には美しい者が相応しい。そう思わないか」
「成る程、確かにハリベル様の側にいるアタシらがダサかったら、ハリベル様まで嘗められちまう」
「それは由々しき事態ですわ!」
三人娘が憤慨する。ハリベルに心酔する彼女らが、自分たちの所為でハリベルが貶められるなんてことがあって良いはずがない。自分たちのやる気を漲らせる彼女らに、トドメの一撃をと菊理はほくそ笑んだ。
「それに——元々美しいハリベルが恋をして、より美しくなったらどうだい?」
「なん、だと……!?」
美しさの極みにあると考えていたハリベル。彼女にはまだ上があったとは。三人にとってはまさに青天の霹靂と言えよう。三人はぐるりと首を曲げてハリベルの方を見遣る。彼女らの視線を一身に受けたハリベルはうっと後ずさった。
言わずとも、彼女らが何を言いたいのかは大体分かった。ハリベルは響転で姿を晦ました。逃げたぞ、追え! いがみ合う普段の彼女らからは考えられない程の鮮やかなコンビネーションで、ハリベルの追跡が始まった。
残された菊理は一人、愉快そうにくつくつと笑いながらカップを傾ける。これで彼女らの誰かが恋愛ごとに興味を持って、たとえば虚夜宮の誰かと良い仲に進展すれば儲けものだ。恋する乙女が一人、相談する相手もいないというのは不便なもので、様々な物が足りないこの宮では自給自足するしかない。
恋愛の師匠すら自ら育てるというある種の矛盾を孕んだ菊理の計画は、着々と進んでいた。
◆
市丸ギンは悩んでいた。
様々な難題が積み上げられ、壁のように彼の前後左右、四方八方を覆ってしまい、にっちもさっちもいかない状況だ。誰に相談することもせず、孤独に戦う彼にとってはあらゆることが障害になり得る。
特に今悩んでいるのは、ある二人に関わる大きな問題である。
一つは藍染惣右介のこと。ギンは元々、彼を倒して崩玉を奪い取り、乱菊の取られたモノを取り返すのが目的で藍染の懐に入った。百年以上前から続く、綿密に練り上げられた計画。しかし、実行の際にはかなり賭けの要素が強くなる、とギンは考えている。
藍染に取り入ること自体は非常に簡単で、拍子抜けした程だ。なにせギンは霊力を持っており、死神としての才能にも溢れていたものだから、そこに執念と怨念が加わった結果、血の滲むような鍛錬の末にたった一年で真央霊術院の過程を全て終え、藍染の目に留まった。彼の思惑通りに使える駒を演じ、五番隊第三席を殺しその地位に就いた。ここまでは全く彼の想定通り、どころか望外なくらい上手く事柄が回っていたものの、問題はもっと根本的なところにあった。
藍染は強すぎた。それは、ギンが知りもしないことであった。当然だ、彼の部下以外には他の誰も知らないことなのだから。彼は並の隊長では全く相手にならない程の実力を備えている。地力だけ見ても、彼を倒すには隊長格が四人、それとも五人は必要か。否、もっと多いかもしれない。そう思わせる程の霊圧、剣技、戦術眼。
極め付けがあの斬魄刀である。それを見せられ能力を言って聞かされた時には、理不尽にも程があると神を呪った。彼の主は何故、鬼に金棒を与えるような真似をしたのか。一分の隙もない、完璧なバケモノだ。
しかし、いつまでも嘆いてはいられなかった。ギンは新たな能力を求め、卍解の修業をし、藍染を倒せる方法を探した。卍解を会得した彼は、その強力な能力を藍染に真には伝えず、どうにか切り札を隠し持つことが出来た。さて、鏡花水月の弱点もなんとか聞き出した彼は、どのように目標の警戒を掻い潜って攻撃するかを考えているのが現状である。
今考えているのは、尸魂界との戦闘の最中、藍染が油断するであろう瞬間に刀を掴み、殺す。そんなアバウトな作戦であるが、問題はそも藍染の刀に触れられるような機会があるかどうか。
彼が本気を出したなら、総隊長以外の死神など蟻を踏み潰すように簡単に倒すだろう。その総隊長も、藍染ではなく彼の産み出した改造破面、ワンダーワイスが相手をすることになる。
さて、どうしたものか。尸魂界の動きが分からない以上、ある程度アドリブで行動しなければならない訳だが、果たしてそれであの藍染惣右介を倒せるのかどうか。ともあれ、やるしかない。腹は百年前からとうに括っている。
さて問題は、もう一つ。もう一人の方が残っている。
白鷺菊理——ギンへの深い愛を持つ少女。彼女は自らの身心全てを惚れた男に捧げる、どこか狂信者染みた性質を持つ。全てはギンのため。それが彼女の行動原理であり、それはギンにとって非常に得難いものだった。
菊理はギンの言うことならばなんでも聞く。死ねと言えば死ぬ。殺せと言えば殺す。勿論、藍染を裏切れと言えば、躊躇いなくそうするだろう。
菊理を
白鷺菊理は、彼にとってのジョーカーだ。
しかし、ギンは彼女を利用するのを是としてはいなかった。
覚悟をしたつもりだった。
己を含む全てを利用し尽くし、藍染へと牙を立てる。そしてその喉笛を引き裂き、乱菊の奪われたものを取り戻すと。そのために、上司も部下も同僚も、全て捨ててきた。しかし、菊理だけは違った。
思えば初めから、彼女だけは庇いだてしてきた。藍染への腹積もりが露呈しかねない状況でも、ギンは菊理を救う方法を考えていたのだ。それは、乱菊と彼女をどこか重ねていたからだと、そう考えていた。
しかし、事実はそうではない。
——心地良かったのだ。彼女といる時間は。
身も蓋もない言い方をすると、彼女はどこまでも、ギンにとって『都合の良い女』だった。当然だ。彼女自身がそうなるよう望み、振舞ってきたのだから。
ギンが辛い時は支えた。嬉しい時は共に喜んだ。悲しい時は慰めた。そうして常に側にいた。常にギンを想ってきた。情が移らない筈がない。
無論、ギンの心の中心が乱菊であることは依然動かしようのない事実である。しかし、その外側か、あるいは隙間を埋めるように、菊理の存在は確実にギンの心に浸透していった。
藍染と渡り合うとなれば、如何に菊理が強いといえど死ぬ可能性は非常に高い。彼女を巻き込むか否か。藍染への裏切りに関して、未だにギンは話せていなかった。
菊理は間違いなくギンに賛同する。藍染を討とうとするだろう。彼女となら、藍染を倒せるだろうか。あの悪夢のような強さの男を。
ギンの苦悩は、結局解決を見なかった。そうこうしている間に、藍染は現世へウルキオラとヤミーを送り込み、黒崎一護と井上織姫に目を付ける。
◆
「やあ、ウルキオラ。現世はどうだった?」
「特に思うところは。霊子が薄く、居心地が悪かったというくらいです」
菊理はあはは、と愛想笑いを浮かべながら、内心で冷や汗を掻いていた。会った時はぶっきらぼうだったというのに、虚夜宮で藍染の配下になってから、藍染や統括官たちには敬語で話すようになってしまい、違和感が拭えない。
「何か興味を持ったことは無いのかい?」
「いえ、特には」
コイツ自分では動かないタイプだな、と石英の森での様子を思い出して、こちらから一つ一つ質問することにする。全く面倒な部下だ、と満更でもない様子で、菊理は質問責めを開始した。
「現世は虚圏よりずっと色彩豊かだろう。綺麗だなと思わなかったかい?」
「いえ、我々には感情など存在しません」
「またそういうことを言って。空は青くて美しいし、緑は心を安らぎに誘う。鮮烈な色の花々は見ていて楽しい気持ちになるだろう」
「私には分かりかねます」
「むむ……じゃあ、人はどうだ。今回のペアはヤミーだったね。彼はどうだ、何か話した?」
「いえ。奴は暴れたいだの壊したいだのばかりで、知性を感じませんでした。探査神経も未熟、はっきりいって十刃の強さにあるのかと疑問に思いました」
散々な言いようである。しかし、彼の言うことは一理ある。ヤミーは解放状態こそ強いが、通常状態では大した強さはない。
ヤミーに関して、戦闘能力への言及はあれど関心は薄そうであり、それはターゲットだった黒崎一護においても同じだった。
「他に何か感想はないのかい?」
「……そうですね。あとは、栗毛の女」
「ああ、織姫ちゃんか」
ヤミーらの相手の内に、可愛らしい少女の姿があったのを思い出す。井上織姫。一護の観察を続ける間に幾度となく見かけた少女で、親はおらず、兄は虚となったという厳しい境遇を持つ。
先の報告においても、ウルキオラは彼女の能力に着目していたようで、何度か彼女の方へ視線を向けていたようだった。
「あの女の能力は特殊です。大男の治癒の様子からしてあれは恐らく空間回帰か、時間回帰ではないかと」
「いや、どちらも違うな。私は空間回帰を使うし時間回帰も見たことがあるが、そのどちらとも違う霊圧の流れだ。あれは恐らくより高次元の力だろうね」
「まさか、人間にそんな高度な——」
「……興味、湧いてきたかな?」
ウルキオラに笑いかける。彼は居心地が悪そうにそっぽを向いてしまうが、鈍い弟を揶揄っているようで、菊理は楽しかった。
そこに通りかかったのは、
「おはよ、二人とも。楽しげやね、何の話しとるん?」
「おはよう、ギン。彼があまりに無趣味なものだから、何かないかと一緒に探してあげているところさ」
「おはようございます」
ギンと菊理か話す間、ウルキオラは彼女の様子をつぶさに観察していた。ギンと話すたびにころころと笑う彼女は、とても楽しそうで、幸せそうだ。やがて何か用事があるのか、ギンはすたすたと行ってしまった。彼の背中が見えなくなったのを見計らって、ウルキオラが聞いた。
「愛しているのですか」
「えっ」
「彼を愛しているのですか」
「き、聞き逃した訳じゃないから!」
菊理は顔を真っ赤にしている菊理を見て、本当に表情豊かであると思うウルキオラは、どうなのだと視線で語りかける。
「うう……こ、言葉にするのは恥ずかしい」
「何故です?」
「なんでもなにもない! 空気を読みたまえ!」
言ってはみたが、心を理解しない彼は絶望的に空気を読む能力に欠けていることを知っているので、溜息を吐く。
「ああそうさ。私はギンが好きだけど、悪い?」
「いえ。ただ、それもまた人間や死神としての心理ですから。どういったものか知りたいと思っただけです」
「……なるほど。じゃあ、君が恋をしてみれば良いよ。そうだ、それが良い!」
ばしばしとウルキオラの背中を叩いて、天啓を得たとばかりにすっきり顔の菊理は、藍染が織姫の能力に興味を持っていることを思い出した。ウルキオラも織姫に多少なり興味を持っているようだし、絶好の機会だと目を輝かせる。
「ようし、じゃあまず私が何冊か恋愛に関する本をあげるから、それを読んでみようか。相手を見つけるのはそれからだ」
菊理は全力の瞬歩で自室まで戻り両手で抱える程の本をウルキオラに押し付けたかと思えば、藍染の下へ出向き直談判。井上織姫誘拐計画の中心にウルキオラを置き、尚且つ彼女が虚圏に来てからの世話を彼に一任するよう頼むのだった。