蛇にゾッコン。   作:元ちょこちょこっと

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第30話

 霊圧とは、ある程度の霊力を持つ霊体ならば誰でも持っているものだ。それは隊長格でもそうだし、席官でも同じ。一般隊士も、救護隊も。死神でなくとも、流魂街の人々も。無論虚も、常に霊圧を放っている。

 鍛錬次第では、霊圧は抑えることが出来る。或いは高度な鬼道を使えば、完璧に隠すこともできる。しかし、目の前の男がその手の術式を使っていないことは、鬼道の達人である菊理は自らの目に賭けて保証できた。

 

 彼は何もしていない。当然だ。目の前に姿が見えているのに、相手に警戒されているのに、霊圧を隠す意味などない。

 ならば、幻影。あるいは先ほど浦原が使った囮の義骸のような偽物か。いいや違う。それならば、先ほどと姿が変わっていて良いはずがない。

 

 あらゆる考えを尽くしても、目の前のアレが藍染惣右介であるという事実に辿り着く。しかし菊理は、どうしてもそれを否定したかった。全く理解の及ばない存在。

 不気味だった。鬼道に長け、霊圧知覚の鋭い菊理だからこそ、あの藍染の変貌に恐れを抱いた。分からない。分からないから、怖い。それは原初の恐怖だ。

 

「なんだよ……なんなんだよ、アレは」

 

 だが、菊理よりも恐々とする者が一人だけいた。黒崎一護だ。彼は藍染の姿を見て身体を震わせている。その目に宿る、明確な恐怖。それは、菊理のように不理解による不安ではない。理解したが故の、理解してしまったが故の恐れだ。

 つまり彼は、藍染の力を認識出来ている。

 

(————やはり、特別なんだな。彼は)

 

 藍染が監視するのも分かる。今の実力は自分の方が上だと断言するが、彼の才能は出鱈目だ。百年かけて菊理の踏んできた道筋を、僅か数ヶ月で飛び越えて来たのだから。そう考えると、すぐに追い抜かされてしまいそうな気がする。

 

 霊圧が消えた藍染の実力はまさに計り知れない。だが、菊理相手に一歩も退こうとしなかった一護がここまで怯えるとなると、そういうことなのだろう。参ったな、と菊理は頭を掻いた。

 事実、藍染の力は圧倒的に過ぎた。浦原喜助、黒崎一心、そしてそこに四楓院夜一の加わった三人掛かりでも、全く相手にならない。三人はすぐに蹴散らされ、瓦礫の上を転がった。

 

「ギン、菊理。行くぞ。穿界門を開け。尸魂界の空座町へ侵攻する」

 

 菊理は少し迷って、星見華を刀に戻すと門を開いた。一護はそれを制止しようとするが、藍染の新たな変異を前に、言葉を失う。

 ピシ、と霊圧の繭が割れて、中から髪を伸ばした藍染が、漆黒の双眸を開く。それは、蝶の孵化のようだった。

 

「どうやら、蛹籃の時は終わったようだ。有り難い——尸魂界の終焉を、私自身の目で見る事ができる」

 

 また、霊圧が跳ね上がったのだろうか。最早菊理には何も感じない。次元が違う。理が違う。

 彼は黒崎一護に、全てが終わった後でお前を食らうと脅しをかけて、門の中へと入っていった。

 

「……ギン」

「行くよ、菊理」

 

 菊理の言葉に含まれた意図を、察しているのかいないのか。ギンは彼女に急ぐよう促す。菊理は頷いて、穿界門の中に消えた。

 断界。周囲を霊子の塊である拘流がうねうねと揺らめく、狭間の世界。ここに来るのは何度目だろう。あまり多い訳ではない。死神としての仕事をしている時は、地獄蝶を付けて安全なルートで現世へと移動していた。

 だから菊理は、それを見たのは初めてだった。

 

 列車のようなものが、近付いてくるのが遠くに見える。その速度は中々のものだ。瞬歩を多用すれば容易く逃げられるだろうが、走っただけなら追いつかれるかもしれないくらいのスピード。

 あれは、拘突だ。断界における、侵入者を排除する機構。あれに絡め取られれば二度と脱出は出来ないし、かといって追い立てられれば、時間軸のズレの影響に身体がついて行けず死に至る。菊理は時間停止の応用で問題なく脱出が出来るが、早く逃げるに越したことはない。瞬歩を行おうとすると、藍染に動く気配が見られないのに気が付いた。

 

「藍染さん、自殺志願ですか?」

「はよ行きましょ。アレは霊圧の側やのうて理の側の存在やないですか。霊圧でどうこうできるもんちゃいますよ」

 

 藍染は、二人の言葉に応じず、立ったまま動かない。菊理がギンを抱えて跳ぼうとした瞬間、藍染は拘突を破壊した。

 流石の菊理も、ぽかんと口を開けて驚いてしまう。それくらい、あり得ないことが目の前で起きた。

 

「……………………」

「何を恐れることがある? 理とは、理に縋らなければ生きていけない者が使う言葉だ。さあ、行こうか————理の涯てへ」

 

 この人には、もう誰も勝てないのかもしれない。諦めにも似た感情が、菊理の心を支配する。

 ギンの言う通り、拘突とは霊圧で破壊することが出来ない。菊理がどれだけ便利な鬼道が使えようが、どれだけの破壊力を持った鬼道を使えようが、関係ない。それが道理だ。世界のルールだ。

 しかし、藍染はそれすら超越してしまっている。存在としての格が違う。桁が違う。最早別の生き物だ。いや、そんな表現すら生温い程のチカラの差を、菊理はひしひしと感じ取っていた。

 同時に、彼女は酷く後悔する。自分は判断を誤った。

 

 藍染に続き、断界を悠然と歩く。拘突が消えた今、最早脅威となるものはここにはない。精々、拘流にうっかり触れないように気をつける程度か。

 ……例えば、ここで藍染の身体を押して、拘流に突き出したとしよう。それでも恐らく、藍染は容易く抜け出してしまうだろう。恐らく山本重國でさえあれに身体を絡め取られれば抜け出せないが、今の藍染にはあらゆるルールが通用しない。

 最早、鏡花水月がどうこうのレベルではない。目の前の男は、最早死神ですらないのだから。

 

 断界を抜けると、流魂街の森に出た。空座町では、ない。正確な座標が分からなかったから、致し方ないことではある。

 

「あらら。藍染隊長がムチャしはるから、座標がズレたのと違います」

「……そうだな、済まない。少し歩こうか」

 

 菊理は、藍染の言葉に大人しく従った。

 しばらく歩き森を抜けると、流魂街には似つかわしくない、近代的な街並みが姿を見せた。レプリカではない、本物の空座町だ。視線を彷徨わせると、高い柱のようなものが幾つか端の方に見える。あれが、転柱結界の要となる柱だろう。

 妙な感じだ。尸魂界に、この光景は合わない。

 

 藍染が空座町に入ると、眠らされているらしい住民の姿がちらほらと見える。しかし、藍染がそれに近付くと、彼の発する霊圧に耐え切れずに人間の身体が弾け飛んだ。彼らの身体も、転界結柱の作用で器子から霊子に変えられているようだ。とはいえ、仮に彼らの身体が器子だったとしても、結末は変わらなかったかもしれない。

 

 藍染はゆっくりと歩いていた。急ぐのは性に合わないらしい。確かに、藍染が時間に追われるというのは、どうもイメージに合わない。

 歩くだけで、彼は屍の山を築きあげる。十人程が藍染の犠牲になった頃、菊理は空座町の街並みに、見知った顔を見つけた。十数年に及ぶ一護の監視を行う中で何度も見かけた、一護の友人だった。名前は確か、有沢竜貴。その背中には、同じ制服を着た小柄な少女が乗っている。近くには、浅野ケイゴの姿もあった。

 

「……ああ、あれは黒崎一護の仲間だね」

「ええ。高等学校の同輩ですね」

「成程」

 

 藍染が、彼女らに目を付けたのが分かった。何故、と視線で問いかけると、彼は何でもないことのように答える。

 

「黒崎一護は、恐らく新たな力を手にして私を追ってくるだろう」

 

 そうだろうな、と菊理も思った。彼は藍染の力に一時的に屈しはしたものの、藍染のチカラを理解出来ている以上、藍染を倒せるのは彼しかいない。浦原喜助はどんな手を講じてでも、一護を戦わせるだろう。普通に自分で再起する可能性もあるが。

 

「彼女らの死は、それをより完璧に近付けるはずだ」

 

 成程。霊力の強さは、即ち魂の強さ。感情が昂ぶれば、より強大な力を手に入れる可能性はある。一護の友人を殺すことは、彼の感情を大きく揺さぶることだろう。動揺するに決まっている。友人が殺されて、心の乱れない者などいない。

 藍染は、これ程の力を手にしてまだ、更なる進化を望んでいるらしい。一護を喰らって、その力を取り込もうと企んでいる。

 それだけの力を引っさげて、彼が来ると確信している。

 

 ふう、と菊理は息を吐いた。

 確かに、友人の死は一護の霊圧に何かしらの変化を及ぼすだろう。しかし、それは霊圧を高める結果になるとは限らない。霊圧が上がるか下がるか、どちらにも転び得る。しかし、間違いないのは、友人が死ねば、彼は平静でいられないということだ。そんな状態で、藍染と渡り合うことなど叶うまい。ここで有沢竜貴らを殺されてしまえば、本当にお終いだ。藍染を止める術は、無くなる。

 天秤に掛ける。菊理にとって、一番大切なものは決まっている。ならば比べられるのは、彼の命と心の重さだ。さて、彼の目的と、彼の命。どちらを優先するか——決断は一瞬で終わった。

 

 瞬撃。

 クイックドロウと虚弾。平子真子が反応すら出来なかった、最速と最速の掛け合わせ。それを全くの不意打ちで放った。が、貫通力が足りていなかったのか、藍染の肌を傷付けることすらできなかった。とはいえ、躱されなかったことに菊理は内心ホッとした。

 

 藍染は、突如背後から攻撃してきた菊理を睨む。しかし、その顔に戸惑いはない。こうなることは、百年前から予見していただろう。

 

「菊理。どうしたのかな」

「……………………」

「無言、か。君らしくもない」

 

 藍染は菊理を敵と定めたのか、鏡花水月の切っ先を彼女に向けた。それを待っていたかのように、

 

「まあまあ、藍染隊長。何かの気の迷いですやろ。菊理のことは、ボクに任せてください」

 

 蛇が、その刀身を、そっと押さえた。

 あまりに自然。それが当然であるかのような運びで、彼は鏡花水月に触れた。それが合図だった。

 ギンは着物の陰に隠した刀で、藍染の胸を刺し貫く。卍解、『神殺鎗』。彼は現世での戦いが始まった瞬間からずっと、卍解を解いてはいなかった。始解と卍解で姿が変わらない彼の斬魄刀の特性を活かした、完璧な不意打ち。音速を遥かに超える最速の斬魄刀は、進化した藍染といえど躱せない。

 鏡花水月の呪縛から逃れる唯一の方法は、発動前に刀に触れておくこと。かつての藍染との会話を、思い出す。

 

「結局、最後の最後に菊理に頼ってもうた。けど、まあこれで終いや」

「——知っていたさ。君の狙いも。菊理を利用せず、私を打倒しようとしていたことも。君一人で何が出来るか、私は非常に興味があった。だから君を下に置き続けた。だが残念だ、この程度で私を殺せると……」

「思ってません」

 

 ギンは神殺鎗を藍染に見せつける。その刀身の中央には、欠けが出来ていた。ギンの斬魄刀の能力で、藍染の貫いた胸の中に置いて来たという。そして、彼の刀の内側には、細胞を溶かし殺す猛毒がある。

 

 

「何か言うつもりなら、今の内に言うといた方がええですよ。まあ、死ぬもんは死ぬんやけど。——(ころ)せ『神殺鎗』」

「ギン……貴様……!」

「胸に孔が空いて死ぬんや。本望ですやろ」

 

 藍染の身体が、破裂する。胸の辺りが吹き飛び、崩玉がその全容を現した。すぐさま、ギンはそれを手中に収めると、藍染が恐らく最後の力を振り絞り、ギンに殴りかかった。だが、それも叶わない。菊理がギンを抱き寄せて躱し、瞬歩で建物の陰へ身を隠す。

 

「助かったわ、菊理。ありがとうな」

「お礼は良いよ。……目的は、藍染さんじゃなくて崩玉だったのかい」

「まあ、両方やね」

「理由、聞いても良いかな」

「………………それは」

 

 言葉の途中で、爆風が吹き荒れた。何かが起こったのを察して、菊理は最も危険だと考えられる藍染の方を見遣る。藍染の身体から羽根のようなものが生え、姿がまた変わる。身体も再生していた。まだ、生きていたのか。

 しかし、まだ気付かれてはいないはずだ。どう隠れ、逃げるかと菊理が画策していると、藍染の胸の十字が輝き、空間を侵食した。

 消えた。そうとしか形容しようがない。藍染の存在はその場から掻き消え——菊理の背後に現れた。それは即ち、ギンの目の前ということでもある。

 

「!!!」

 

 空間転移など生温い。菊理は、これがどういうものか一息で理解した。これは、瞬間移動だ。座標から座標へ、ゼロコンマ一秒より遥かに短い間の転移。それは、この世のどんな歩法よりも速い。つまり、誰も逃げられない。

 まずい。ギンが、斬られる。菊理は咄嗟に空間転移を使い、斬られる前にギンの身体を空座町の端辺りまで飛ばす。そして、すぐさま自分も同じ場所まで転移した。

 

「ギン!」

「……菊理。今のは」

「藍染だよ。まさか、あれだけやられて生きていたとは。マズイな、いくらなんでも速すぎる。まともにやり合ったら勝ち目がないね。とにかく、霊圧を消す結界を張ったから、これで——」

「隠れたつもりかい?」

 

 掛けられた言葉に、思わず振り返る。聞こえる筈のない声が、真後ろから響いた。

 

「なん、だと…………!?」

 

 あり得ない。菊理の結界生成は完璧かつ最速だった。転移した瞬間に霊圧を遮断する結界を張る、超高等技術。菊理と同レベルの実力者が完全詠唱した『摑趾追雀』でも使わない限り、霊圧を補足することは不可能だ。ましてや、こんな一瞬で追い付かれる筈がない。

 思わず動きを止める菊理は、それでもギンと自分を逃す道筋を探す。一体何故、この男は自分たちを追ってこれるのか。何か、目印でも————

 

「————!」

 

 菊理はギンの手の中にある()()に空間転移を施し、出来る限り遠くに飛ばした。藍染は、冷や汗を滲ませそれでも自らを睨み付ける菊理を見てにやりと笑うと、再び瞬間移動で姿を消した。

 それを見届けた瞬間、菊理は思わず尻餅を突いた。長い息を吐き出す。どうにか、ギンを守り通すことが出来た。あの化物から、まんまと。

 

「その、ごめん、ギン。崩玉、藍染に渡ってしまうと思う」

「…………菊理のせいやないよ。ボクが甘かった。まさか、あれだけ準備して、殺し切れへんなんて思わんかったんや。藍染隊長の怖さ、一番知っとるんはボクなのに」

 

 ギンは、百年前からずっと藍染に支え続けてきた。その目的は、藍染の殺害と崩玉の奪取だった訳だが、百年の前準備も、水泡に帰してしまった。藍染は、彼の想像を容易く飛び越えた。

 

「……………………さっき転移させた時、間接的に崩玉の霊圧に触れて気が付いたんだ。あれ、乱菊の霊圧が混じってるよね」

「————————————」

「いや、言わなくていいよ。成程、君が執着する理由が分かった」

「菊理、ボクは」

「ごめん、ギン。君は自分の手で崩玉を奪い返したいと、そう考えてるんだろうけど。……私がやるよ。君は退がってて欲しい」

 

 菊理の言わんとすること。その意味を理解して、ギンは声を張り上げた。

 

「菊理、駄目や」

「君が居ると————足手纏いなんだ。鏡花水月に掛かって、私を攻撃されても困る」

「菊理」

「私はこの時のために、目で見ないでも戦えるよう鍛錬してきた。それは、平子さんとの戦いで見ていただろう?」

「菊理、ボクも一緒に戦う」

「藍染のチカラは最早手に負えない。失敗したよ。私は判断を誤った。君の命を守ることだけ考えるなら、崩玉を取り込む以前に全力で戦い、彼を道連れにしておくべきだったんだ。ただ、君の目的を果たせないだろうと思って、しなかった。君に嫌われたくなかったんだ。このミスは、私の命で償うよ」

「————菊理!」

 

 ギンの声に、身体を震わせる。最低だ。彼は自分の身を案じてくれている。本気で心配してくれている。だというのに、彼の心を今は自分が満たしていると考えるだけで、こんなにも心が弾むなんて。

 ギンを悲しませることなんて、本当はしたくない。けれど、彼に生きていて欲しいから、菊理は躊躇いながらもそれを選択する。

 

「今までありがとう、ギン。最後にこんなことを言うのは卑怯かもしれないけれど、私は、君を————————————」

 

 それ以上は、言えなかった。

 言葉にしようとした口先を封じられたからだ。

 

「………………………………!?」

 

 理解が及ばなかった。

 

(ギンの顔が近い。目の前。目と鼻の先。近い近い近い近い近い。まつ毛長い肌白い眉綺麗目ぇ合ったヤバいヤバいヤバいカッコいいカッコいいカッコいいカッコいいカッコいいカッコいいカッコいい————あ、なんか柔らか、ッ!?)

「ぷはっ。菊理。ボク、君のことが好きや」

「な、な、な——————」

 

 色々言いたいことはあったが、取り敢えず。

 

「なんてタイミングで言うんだ———————!?」

 

 菊理の叫びが空座町に木霊した。

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