蛇にゾッコン。 作:元ちょこちょこっと
爆風。鬼道の相殺によって両者の視界は遮られ、菊理は転げるようにその場を離れる。次の瞬間には、菊理が先程までいた場所に藍染が『蒼火墜』を撃ち込む。
(くそっ、隙がない!)
既に『禁』の言弾を一発、『黒棺』を一発撃ってしまった。残るは二発。『時間停止』と『禁』。それでも、出し惜しみはできない。
『時間停止』は強力だが、相手が強過ぎると作用しない。停止空間の中を霊圧で無理やり動いてくるのだ。先程十三隊との戦闘で時間停止を使用した際、藍染の様子を確認したが、効果は一秒程しか保たなかった。進化した藍染に、果たしてどれだけ時を止められるか。
(……ゼロコンマ何秒も止められないだろう。時間停止は非効率だな)
使用する霊力に対し、得られる効果が低すぎる。
対峙する二人の顔色は対照的だった。
ぜえぜえと肩で息をして苦しそうな菊理と、いつもと変わらぬ余裕の表情の藍染。お互い目立った傷はないが、どちらが優勢なのかは一目瞭然だ。
「あれだけの鬼道を相殺し続けるとは、大したものだ。九十番台の黒棺を、実に二十一発。それも私の鬼道に対抗できるよう、全力で霊力を注いでいる。並の隊長格なら、とうに霊力が底をつき、行動不能になっているところだというのに」
「く、はははっ。……あと、百発でも、撃ち合い、ますか?」
途切れ途切れになりながら、空元気の強がりを口にするしかない。とにかく強気でいないと、あっという間に押し潰されてしまいそうだから。
「ふむ。まだ元気そうだな。なら次だ。『黒棺』」
「ッ! 破道の九十『黒棺』!」
再び、二つの黒棺がぶつかり合う。詠唱破棄同士での激突。圧倒的な霊圧を持つ藍染の鬼道だが、技術自体は菊理が上だ。詠唱破棄という高等技術においてその差は顕著で、ようやく菊理の鬼道は藍染のそれをギリギリで相殺し切った。
しかし、それにしてもいつまでもそんな無茶が続く訳はない。菊理はとうとう膝を突いた。
「…………ッ……か、はっ!」
霊力の消耗が激し過ぎて、呼吸すらままならない。九十番台を手加減抜きの全力で、休憩を挟む余地もなく撃ち続ける。かつてない疲労と倦怠感。地獄の炎に炙られているかのように胸が熱い。胃の中のモノを戻しそうになるが、口が塞がれれば鬼道使いは終わりだ。吐くことすら許されない。
京楽春水が、かつて茶度泰虎に告げたことには、技には二つの種類がある。一つは消耗限界を迎えると全く出せなくなるもの。二つ目は消耗限界を過ぎても、己の命を削って出し続けることのできるもの。
鬼道は後者だ。
藍染は菊理の怯んだ隙を逃さず、鏡花水月で斬りつけた。菊理は今度も瞬歩でそれを避けようとするが、疲労により足がもつれ、失敗する。結果、
「あ、ぐぅッ!?」
左目が切り裂かれ、鮮血が舞う。斬られた熱が左の顔面を襲いかかり、声をあげてしまう。元々、目を閉じていたので支障はないとはいえ、痛い。顔の傷は特に痛い。回道や空間回帰で治せるとはいえ、菊理にとっては大きなダメージだ。
…………しかし、ピンチとチャンスは表裏一体。策を弄するには丁度良い。菊理は意を決した。
「…………もう止すんだ。これ以上続ければ、君の魂魄がもたない。バラバラの霊子になって消えるぞ」
「……………………」
菊理は応えない。俯いたまま、痛みに震えている。今までにない程の苦痛に乱れる呼吸を整えるのに必死で、藍染の話を聞いちゃいない。
「破道の四『白雷』!」
バチ、と藍染の霊圧に、菊理の鬼道が弾かれる。星見華で威力を増して、それでもこの弱々しい雷。
(限界だな)
もう見るべきところはない。十分だ、と藍染は判断する。気絶させ、彼女を脇に抱えながら王鍵を創成すればいい。
「破道の三十一『赤火砲』」
菊理は詠唱破棄で三十番台の鬼道を撃つが、藍染は最早避ける気にもならなかった。どれだけ霊圧を込めたとしても、三十番台の鬼道では藍染の髪一本を焦がすことも出来やしないのだ。
藍染が鏡花水月を振るうと、その風圧だけで爆炎が晴れる。しかし、目の前の光景に、藍染は目を疑った。菊理の姿がない。
(空間転移か?)
しかし、どこに転移したのか。まさか、このタイミングで逃げる訳でもあるまいと訝しんだ、まさにその一瞬。藍染の身体を、縛道の九十九『禁』が拘束する。
「む」
「捕らえたっ!」
菊理が、突如目の前に姿を現す。何もなかった空間から身体を出したのを見て、藍染はそれが『曲光』によるものだとすぐに理解し、改めて菊理の鬼道に舌を巻く。
『曲光』は対象の姿を見えなくする、という利便性が高い鬼道だが、難易度として初級、低級に属するものだ。隊長レベル同士の戦闘には用いられない。霊圧を隠すことはできないし、素早く張ろうとすればするほど雑になり粗が出る。菊理はその欠点を、霊圧を遮断する結界を張り、そして自らの技量で一瞬にして完璧な『曲光』を自らに施した。これほどの技術は、藍染すら持っていない。
そして、彼女はまだまだ藍染を驚かせてくれた。
ぎゅん、と腕を引いた彼女の衣服、その背中と両肩の部分が弾け飛ぶ。背に鬼道を背負い、拳の一撃の威力を極限まで高める戦闘術——四楓院夜一が瞬鬨と呼ぶ技術。
当然、菊理の白打の腕は夜一と比べるべくもないが、今の藍染は縛られている。そこに叩き込めば、彼女の腕は藍染の腹を貫くことができるだろう。拳打の未熟を霊圧でカバーしている。
しかし。そう何度も、同じ手段で拘束される程藍染は甘くない。彼は少しばかり全身から霊圧を漲らせることで、『禁』による拘束を引っぺがしてしまう。
「な——」
これでは、避けられる。これを避けられれば、菊理には後がない。一瞬で思考を巡らせて、出した答えは苦し紛れのものだった。
突き出した拳と逆の手に握る、星見華の引き金を引く。それによって、言弾に封じられた『時間停止』が極めて短い一瞬の内に発動。藍染の動きをコンマ数秒だけ止める。
拳を振り抜くには、それだけあれば十分だ。
菊理の拳が、藍染の胸を貫いた。
ポタポタ、と血が滴る。それなりのダメージを、果たして藍染は負っているのだろうか。目的は果たした。ともかく、早く離脱しなければ。腕を引き抜こうとして、違和感に気付く。
(腕が、抜けない!)
「捕らえたのはこちらの方だ」
藍染が、動かない菊理の腕を掴む。罠。そんな言葉が脳裏を過ぎった。同時に、藍染が鬼道の詠唱を始めた。しかし、菊理にそれを相殺する霊力は残っていない。咄嗟に、卍解の鏡を盾にしようと自分と藍染の間に割り込ませるが、それを待っていたと言わんばかりに、藍染が刀でそれを叩き割る。
「まったく、大したものだ。瞬鬨もそうだが……先の白雷と赤火砲。わざと威力を抑えることで、あたかも霊力が限界を迎えたように見せかけるとは。威力を高めるよう調節できるならば、低めることもできるのは道理だが、こんな調節は滅多にすらものではあるまい。目の傷を治さなかったのも、霊力が枯渇したと見せかけるための一手だろう?」
「…………破道の——」
「おっと」
藍染は菊理の首を掴み、絞めあげる。さらには手に持つ星見華を弾き飛ばした。菊理の攻撃手段が、全て封じられる。鬼道の詠唱も、星見華の銃撃も行えない。
完全な手詰まり。最早菊理は、藍染のことを睨み付けるより他ない。
「君の負けだ、白鷺菊理。いや、元より君に勝ち目など無かったのだから、健闘したと讃えるべきかな」
「……………………ッ」
苦しい。呼吸ができない。菊理はどうにか藍染の手を振り解こうとするが、霊体の膂力が違い過ぎる。何をしようともビクともしない。鋼鉄の輪で挟まれているかのようだ。
意識が朦朧としてくる。脳に酸素が渡らない。
「安心してくれ、殺しはしない。気絶程度に収めるつもりだ」
(このっ、鬼畜め……こちらがどれだけ苦しいか、分かって言っているのかっ!)
何が殺しはしない、だと内心吐き捨てる。ギリギリと万力のように絞めあげられて、菊理は口をぱくぱくと開閉することしかできない。
(まずい、意識が……)
菊理が苦悶の表情で喘いだその瞬間、藍染の手が緩んだ。空気が肺を満たし、目を見開いた彼女はその隙を逃さず藍染の胸を蹴り、拘束を振り払う。げほげほと咳き込んで、無様に転がりながら距離を取る。ようやく呼吸を落ち着ける。一方の藍染は不思議そうに自分の掌を見つめていた。
「何をした?」
そんなことを聞かれて、菊理は押し黙った。何をした、と聞かれても、何も、としか答えようがない。あの状況で、菊理にできることなど無かった。寧ろ菊理の方こそ、何故力を緩めたのかと問い返したい。
しかし、あの藍染の様子からして、理由は自分でも分かっていないのだろう。
「君が苦しむ様子を見たら、力が緩んだ。私の視覚に何か特殊な鬼道でも仕込んだ、といったところか? 器用なものだ、首を絞められながら」
「……………………ええと」
それは多分、と口を開こうとして、やっぱり閉じる。今、それを口にしたとてどうなる訳でもない。なにより、それを自分が言うのはさすがに憚られた。
それより問題は、先の時間停止で正真正銘、菊理の霊力が底を尽きたことだ。最後の奥の手のために、九十番台一発分だけ残しておいた霊力を使わされてしまった。おかげさまで、とっておきを使うことができない。
(参ったな、本当にからっけつだ。せめて一護くんが来るまで、と思ったんだが……上手くいかないものだ)
ここまで清々しい程の完敗だと、負け惜しみも言えやしない。
だが、戦闘に負けて勝負には勝った、と言えなくもない。なにせ、藍染は自分を伴侶にしたいようであるから、殺される心配は恐らくない。もう十分なくらいに時間も稼いでやった。後は一護が、藍染を倒せるくらいの急成長を遂げるか、あるいは零番隊が到着するのを待つか。どちらにせよ、ここで倒れても、何も問題はない。
目の前の景色が眩み、前のめりになる。ああ、やけに眠い。このまま倒れて寝てしまったら、どれだけ気持ちが良いだろう。全て投げ出して、ぐっすり眠りたい。
暗闇に落ちようとする菊理の脳内に、その時一筋の光が射した。
————菊理。ボク、君のことが好きや。
「っっっっ!!!!!」
踏みとどまる。
意識が覚醒する。
血が巡り、顔を上げ、霊力を無理やりにでも絞り出す。
何を寝ようとしている。ここで倒れてみろ。それこそ自分はおしまいだ。今まで、何のために生きてきたと思っている。
「遂に意識を手放したかに見えたが。頑張るね、菊理。何故だ? 私はここで君を殺すつもりはないというのに、何故それ程まで死力を尽くす?」
「…………それは」
にや、と菊理が笑った。
(確かにここで倒れても、藍染は私を殺さないだろう。しかし——私にとって、ギン以外のものとなるなんてこと、それ自体が死と同義だ)
菊理はかつて、鏡花水月の催眠をかける儀式を断った時のことを思い出していた。
(私の心は私だけのものだ。誰を愛し、誰に寄り添うかは私が決める)
たとえそれが一瞬でも、ギン以外の女になるなんてのは願い下げだ。増して今は、ギンと相思相愛になれたというところ。
「私の魂が叫んでるんだ。私の全ては彼のものだ、ってね」
菊理の頭のてっぺんから爪先に至るまで、髪の毛一本一本すら全て好きな人に捧げている。
藍染が顔を歪ませる。菊理は残った霊力の残滓を掻き集めて、星見華で増大させる。
「これで本当に最後だ。多分、これでもあなたは倒せないだろうけど、精々びっくりさせてやるさ」
藍染は身構える。瞬間移動の準備は万端整っている。そうでなくとも、反鬼相殺で菊理の鬼道を相殺しても良いし、単純に瞬歩で避けることだってできる。ともかく、藍染には菊理の動きを見て、鬼道の詠唱を聞き、それが発射されるのを見てから躱す自信があった。
(どんな鬼道だろうと、一発ならば工夫のしようもない。君はとうに限界だ。次の鬼道を相殺すれば、それで全てが終わる)
藍染は注意深く菊理の唇を見つめる。さて、彼女は何を撃ってくるのか。
やはり九十番台だろう。ならば、最高威力の『五龍転滅』か。それとも、ここまで二十回以上使い続け、練度を上げてきた『黒棺』か、はたまた技の出が早い『千手皎天汰炮』か。いずれにしろ、藍染の余りある霊力ならば相殺は容易だ。
しかし、そんな予想はあえなく覆されることとなる。
「破道の九十六」
(何、だと?)
破道の九十六。それは藍染もよく知っていた。先ほど、それによって山本重国に辛酸を舐めさせられたばかりだ。成程、確かに先ほど通じた『一刀火葬』を、恐らく星見華でより強化して撃てる菊理が選択するのは道理だ。しかも、藍染はこれを
なぜなら、『一刀火葬』は犠牲破道と呼ばれる代物で、自らの体の一部を焦がし、触媒としなければ発動できないからだ。
しかし、だからこそ藍染は、これだけは撃たれないと頭の選択肢から消していた。何故なら、菊理の方こそ火傷したところなど見当たらないからだ。彼女は上手く藍染の鬼道を捌いていた故に、目立った傷すら少ない。精々が、藍染の刀で斬られ、今も血を垂れ流す左目くらいのもの————
(しまった!)
「『一刀火葬』」
菊理が引き金を絞った瞬間、藍染の身体が爆発した。
体の内側から燃え上がる、刀状の爆炎。藍染の高い霊圧硬度を無視した、体の内側からの攻撃。藍染の身体は爆発し、全身が黒ずむ程の火傷を負う。
「っ、はーッ……………………」
菊理は膝を突き、荒い息を吐き出した。
これで、全てだ。全てを出し切った。仮に藍染が虫の息になっていたとしても、とどめを刺せるだけの力は残っていない。
しかし、これだけの一撃を喰らえば、さしもの藍染も、
「……素晴らしい、一手だった」
「……………………!」
菊理の目の前で、真っ黒になってしまった藍染がそう洩らした。
既に崩玉の再生が始まっており、傷が再生していく。底なしの霊力、生命力。ギリ、と知らず知らず菊理は奥歯を噛みしめる。
「悔いることはない。君の一撃は見事、私に突き刺さった。見事だ、白鷺菊理。君の知略と、そして勇気に敬意を表する」
「そりゃ、どうも。その言い分では、私がなにをしたのか、理解したみたいですね?」
「ああ。油断したつもりは無かったが、まさか私の身体に
菊理の今までの行動に、二重の意図があったことを理解した藍染は、彼女を褒めそやす。一方の菊理は、あれだけ痛い思いをしたというのに、藍染がそれ程ダメージを受けていないことに腹を立てていた。治せるとはいえ、苦痛を取り除ける訳ではない。ギンのためなら目玉の一つや二つ、という心づもりではあるが、それがどれだけ痛かったか。
「でも、通用しなかった」
「無理からぬことだ。寧ろ誇るべきだよ。崩玉を従えた私に、これ程傷を付けたことに」
藍染の手が、菊理に伸びる。
菊理は項垂れながら、目をキュッと強く瞑ることしかできない。
(ギン…………!)
しかし、藍染の手が菊理に触れることは無かった。
「あかんやろ、藍染隊長。人の女に手ぇ出すんは」
「…………ギン」
藍染の呼ぶ名前に、思わず顔を上げる。そこには、藍染の腕を掴み、仮面のような笑みで心情を隠すギンの姿があった。
「ギン、どうして……」
「間に合って良かった。大丈夫。ホントはボクが藍染隊長を殺したかったんやけど、どうも無理みたいやし」
「何を——」
次の瞬間、ギンに襲いかかろうとした藍染の身体が弾き飛ばされる。
「今の君になら、任せても良さそうや」
それが誰なのか、一瞬分からなかった。ボロボロの死覇装。無造作に伸ばされたオレンジの髪。右腕と一体化した斬魄刀。それが黒崎一護だということを理解するのに、数秒を要した。この短時間で、一体何をしたのか。
その顔は自信に満ち溢れている。瞳に迷いは一欠片もない。
知らず知らずの内に、菊理は安堵していた。彼の力強い眼に、何故か安心させられた。
(ギンがあそこまで言うのも、分かる気がする)
「じゃあ、ボクは菊理連れて逃げるわ。一護くん、藍染隊長を頼むよ」
「ああ」
短く返して、一護は臨戦態勢を取った。一護の霊圧もまた、感じ取れない。次元を、理を超えた者同士の対決。巻き込まれれば唯では済むまい。しかし、菊理はギンに背負われて気が抜けたのか、眠るように気を失った。