蛇にゾッコン。 作:元ちょこちょこっと
「縛道の八十一『断空』」
唱えた鉄裁の目の前に巨大な光の壁が張られ、菊理の放った鬼道『黄火閃』を完全に防いだ。それを見た菊理は、ほうと感嘆の息を漏らす。
「本当に、九十番台より下の破道を完全防御するんですね」
「過信は禁物です。確かに断空は優れた防御で、破道だけでなくある程度の縛道、虚の攻撃、加えて鬼道系斬魄刀の効果を防ぐことも出来ますが……死神の戦いは即ち霊力の戦い。貴女の断空より単純に威力の強い破道を使われた場合、この防御は破られます」
「成る程、例えば、あなたの強力な鬼道とかもですか?」
「そうなるでしょうな」
握菱鉄裁の実力は、稽古をつけてもらう内に肌で実感した。彼の、練磨され尽くした鬼道の美しさは惚れ惚れする程であり、その実力は尸魂界に於いても指折りと言えるだろう。九十番台の詠唱破棄が出来る者など滅多にいる者ではない。鉄裁が言うには、彼と副官の有昭田鉢玄(通称ハッチ)、それに護廷十三隊総隊長、山本元柳斎重國くらいのもの、らしい。
その指折りの実力者に指導して貰えることに感謝しながら、菊理は提案する。
「試してみましょう。私に向けて撃ってみてください」
「……話を聞いておられたのですか? 危険過ぎます」
「大丈夫です。防いで見せますよ」
若者の傲岸不遜な物言い。しかし鉄裁は、そこで熱くなるほど未熟ではない。寧ろ、菊理の自信に満ち溢れた表情から、何かあると察した。
面白い、見せてもらおう。鉄裁は霊力を練り始めた。
「菊理殿。そこまで言うのであるなら試してみようと思いますが、万一のこともあるでしょう。私は適当な的……そうですね、あの岩に向けて鬼道を撃ちます。したらば、貴女はあの岩を断空でお守りください」
「成る程、理解しました」
菊理は菊理で、気遣われていることに反発する筈もなく。岩と自分の距離を測り、断空を展開するイメージを作り上げる。
「いつでも」
「では行きます。——破道の八十八『飛竜撃賊震天雷炮』!」
凄まじいまでの光量。光の束が鉄裁の腕の先から、岩を粉々にする勢いで放たれた。
菊理は先程、断空を教えて貰った時の言葉を思い出す。
『断空は防御用の縛道です。攻撃に対して、一々詠唱を唱える暇は無いものと考えてください。つまり、基本は詠唱破棄で使われるでしょう』
完全詠唱すれば鉄裁の鬼道も防げるだろう。無論、そんな暇はない。だから——
「縛道の八十一『断空』」
バチィッ、と、鬼道と鬼道がぶつかり合い、弾ける。的となった岩は、無事だった。
鉄裁は目を見開く。自らの鬼道を防ぎきったという結果にではなく、彼女の使った断空に驚愕した。
彼女の断空は、まず先程よりも遥かに面積が小さい。岩を守るためだけの、最低限の大きさ。その分、より濃密な霊気が、小さな盾に注ぎ込まれている。サイズを縮小したことにより、その分注ぎ込む霊力が増え、耐久性が上がっているのだ。加え、断空を展開した向き。単に真正面から迎え撃つ訳ではなく、少しばかり上を向けて斜めに配置したことで、鉄裁の破道の威力を上空に逸らしている。
(たった二度の使用で、ここまで鬼道をコントロールできるとは)
末恐ろしい才能だ。後百年もすれば、間違いなく最強の鬼道使いになれるだろうと、他ならぬ大鬼道長、握菱鉄裁は確信する。そして彼女を育てるのは自分だ、とも。
幸い、死神には人間に比べ遥かに時間がある。なれば、ゆっくり時間を掛け、丁寧に教えていくことも出来るだろう。
ドヤァ、と胸を張って鼻高々な様子の菊理を見て、調子に乗りやすい性格はどうにかしなくてはならないな、と鉄裁は笑った。
「断空は面積を減らすことで耐久性が増すようですね。まあ、形を変えるのはそれなりに難度の高い作業だったので、皆が皆使える訳ではないでしょうけど」
菊理は断空の大きさ、形を様々に変えて見せる。ハート型にしてみたり、星型にしてみたり。その大きさも、小指程の大きさから、菊理の何倍もの背丈にしてみたりと様々。最早、断空のコントロールはお手の物。
「この調子で九十番台もマスターしたいところですね」
「そう簡単ではありません……と言いたいところですが、菊理殿なら簡単に習得してしまいそうな気もしますな」
「そうでしょうそうでしょう。私は、こと鬼道に関しては天才を自負していますからね」
「あまり驕りが過ぎると、足下を掬われますよ」
「ふふ……そうですね、気を付けます」
あまり気を付けていなさそうな表情ではあったが、まあこういうこともゆっくり教えていけば良いだろう。
「では、本日はここまでにしましょうか」
鉄裁の言葉に、菊理は一瞬残念そうな顔をして、すぐに元の顔に戻る。鉄裁は大鬼道長。一つの組織の長である。当然多忙を極める彼に、指導の時間を割いてもらって、これ以上我儘は言えないと考えているのだった。
「ご指導ありがとうございます、握菱大鬼道長」
「ははは、もっと砕けた呼び方でも構いませんぞ、菊理殿」
「それを言うなら貴方の方こそ」
「私のこれは性分ですから。子供は遠慮などしなくて良いのです」
「では……鉄裁さん。ありがとうございます」
握手を交わす。ゴツゴツとした壮年男性の手。力強さを感じた。
「四楓院隊長にもお礼を言わないとですね」
「夜一殿も貴女のことを楽しそうに話していましたよ。とんでもない才媛がいる、と」
そんなに持ち上げられていたのか、と内心恐々としながら、なんとか笑顔を作る。彼女のことだ、自分で思うよりも少し脚色してハードルを上げていたに違いない。期待に応えられて良かった、とホッとする菊理であった。
「では私はこれで。菊理殿は?」
「この後、別の約束があるんです。斬魄刀について、色々と教えて貰うつもりで」
「ほう、良いことです。鬼道ばかりではバランスが良くないですから」
◆
そんなこんなで、次はギンと共に斬魄刀の解放に向けた特訓だ。涼やかな風の吹く林の中、二人きりでいる。菊理は彼に一つの姿勢を教わった。坐禅を組み、膝の上に浅打を乗せる。刃禅——尸魂界開闢より千年、死神たちによる研鑽の結果編み出された、斬魄刀との対話に関して最も合理的な型。菊理もまた、静かにその型を行っている。
「目ぇ瞑って、刀一本に全ての意識を集中させ」
「ああ、分かったよ」
ギンのアドバイスを受け、菊理は刀へと自分の意識を傾けようとして——
『目ぇ瞑って』
ギンの言葉がフラッシュバックする。そして、
『菊理、目ぇ瞑って』
『だ、駄目だよギン。こんなところで。誰かに見られでもしたら』
『ええから、瞑り』
こんな甘い言葉を囁かれながら壁ドンされる妄想が、彼女の頭の中で育まれ、
「集中途切れとるよ」
「あいたぁ⁉︎」
バシン、とどこから取り出したのか、ギンの警策により肩を叩かれる。
「なんや珍しいなあ。菊理が上の空や」
「……誰のせいだと」
「何か言うた?」
「何でもないよ。ごめん、続けようか」
煩悩が頭を支配している。ギンと二人きりで修行。それに、色々なことを手取り足取り教えてもらっているということもあって、菊理の頬には赤みが差していた。そわそわした様子で、いつもより落ち着きがない。
(くそ、一体どうしてしまったんだ、私は)
胸に秘めた感情を自分でも制御出来ない。こんな想いは初めてだったから、どうしたら良いのか菊理にはさっぱり分からなかった。ともかく、今は解放のための特訓に集中しなければならない。
出来なければ、また警策で叩かれる訳であるから、必死に斬魄刀に意識を向ける。
(うーん。とは言っても、たとえ始解ができるようになったとして、私は斬魄刀を使わないと思うんだけどね)
刀を扱うのが大の苦手な菊理である。こんなことを考えながら、斬魄刀に話し掛けて怒られやしないか心配していると。
『その心配はないわ』
ギンとは別の、女の声。
目を開けると、そこは既にギンと共にいた林では無かった。和室だ。貴族の家のように立派な造りの部屋。どこかで見た覚えがあるような気がしたが、記憶にはない。
畳の感触、茶の沸き立つ匂い、生温い気温、どれもが先ほどと違う。それでいて、精神世界と聞いていた割に現実と変わらないリアリティが、そこにはあった。
「当然よ。此処はアンタの精神世界……アンタのもう一つの世界。アンタにとってもう一つのリアルだもの」
ずず、と茶飲みを呷るのは、黒いスーツを着た、金髪の女だった。目鼻立ちからしても、どこか異国情緒の漂う女。この和室にミスマッチな格好をしているが、勝手知ったる様子で胡座をかいている。
「君が私の斬魄刀、その本体なのか」
「そう。私の名は■■■。よろしくね」
「……? 済まない、よく聞き取れなかった。もう一度聞いてもいいかな」
「ああ、それなら結構よ。まだ私とアンタの同調が十分じゃないから、聞き取れてないだけ」
そうか、と菊理は思い至る。斬魄刀の名前は即ち彼女らの力を解放する鍵言葉。これほど簡単に聞き出せるようなものではないということだ。
「では、『同調』のために『対話』をしてみようか。そうだな、初めの『心配ない』とはどういうことかな」
「アンタ、刀が嫌いなのよね。で、私に怒られるかもしれない、って考えてたみたいだけど、私はそんなことじゃ怒らないわ。アンタのことはしっかり理解しているつもりよ」
流石は自分の分身と言える斬魄刀。良好な仲が気づけそうだ。
「その格好は、確か西洋のスーツというものだったね? どうしてそんな格好を?」
「好きだからよ。カッコ良いでしょう?」
「まあ、それはそうだけど」
カコーン、とどこかから鹿威しが鳴った。やはり、風景とは不釣合いだ。
「……やはり、この部屋とは合わないよね」
「仕方ないじゃない。ここはアンタの精神世界なんだから」
「もっと西洋風の方が良かったかな」
「それはダメ。私はここが大好きなんだから」
菊理が首を傾げると、彼女は立ち上がり、障子をスパンと開いた。その先に広がるのは、日本家屋の庭園だ。盆栽が並べられ、池からは鯉が跳ねる。軒先へ足を運び、彼女は大きく息を吸った。
「ここは穏やかよ。空気は澄んでいるし、日照りも温かい。鯉も元気で、緑も豊かで。私はここが好き」
菊理も立ち上がり、彼女に追従する。庭は広く、どこかから取り出した鞠を突いて、斬魄刀の彼女と遊ぶ。彼女は鞠の扱いがとても上手く、菊理は失敗してばかりだった。スーツ姿に鞠は、これまた似つかわしくないものであったが、無邪気な彼女の笑みは菊理にそんなことを忘れさせた。
「ふふっ、下手くそね、菊理」
「うるさいなあ、仕方ないじゃないか。私はこんな遊び、したことがないんだから」
むす、と不服そうにする菊理。
「そろそろ名前をもう一度教えてみてよ。今なら聞き取れるかも」
「うーん、無理じゃないかしら」
「どうしてだい?」
「だって私、アンタの一番大事な気持ちをハッキリ理解出来てないもの」
一番大事な気持ち。
言われて、首を傾げる。
「それが自覚出来ない内は、私の名前を教える意味は無いでしょうね。アンタの気持ちに同調出来てないんだからさ」
「……そういうものなのか」
「ええ。……そろそろ現実に戻りなさい、菊理。多分、アンタの一番大事な気持ちは、ここに居たって掴めるものじゃないわ。色んなことを見なさい。聞きなさい。経験しなさい。そうすれば、きっと分かる」
トン、と軽く肩を押された。力が抜けて、池に向かって倒れてしまう。水に落ちるのを覚悟して目を瞑る菊理だったが、その感触が訪れることは無かった。
引き戻される。
今までの感覚がきれいさっぱり塗り替えられ、元の刃禅の状態へ。
「お帰り菊理。斬魄刀の名前、聞けたん?」
「ありがとう、ギン。いいや、まだ同調が十分じゃなかったみたいでね。彼女曰く、私の『一番大事な気持ち』を自覚することが肝要らしいんだけど……どういうことか、よく分からなくて」
「成程、自分の気持ちか。そういうの好きやね、斬魄刀は」
含みのある言い方だ。菊理が睨み、続きを催促すると、彼はかつて『神鎗』と同調した際、似たようなことを問われたとのことだった。
「それで、君はどう答えたんだ?」
「教えへん」
「どうして!?」
「言いたくないんや」
「またそーやって……分かったよ! 自分で探せばいいんだろう」
「そないに怒らないで、菊理。可愛い顔が台無しやよ?」
「——っ。いい加減にしないと、そろそろ私の堪忍袋も爆発するよ?」
緒が切れる、なんてレベルではない。
「ごめんごめん、揶揄い過ぎたわ。まあ、ゆっくり考えていけばええよ」
隣に座った彼は、ぽんと優しく肩に手を置いてくる。それがまた、彼女の心を乱しているということに、気づいているのかいないのか。
ともかく、自らの気持ちに気付けないことには、斬魄刀の解放は出来ないことを理解する。先行きの見えない課題に、気持ちを引き締め直す菊理だった。
◆
帰り道。途中までギンに送ってもらい上機嫌だった菊理は、軽い足取りで寮までの道を行く。まだ門限までかなり時間はあるが、訓練で汗をかいてしまったから、早く風呂に入ってしまいたかったからだ。
今日の訓練は、かなり実のあるものばかりだった、と思い返す。鬼道にしろ、斬魄刀にしろ、新しいものをどんどん吸収していくのが、彼女には楽しくて仕方がなかった。
次はどんな技を覚えることが出来るのだろうか。そう考えると、興奮が収まらない。
(明日はまた鉄裁さんの指導を受けられる。今月中には、八十番台は全てマスターしてやろう。斬魄刀も、早く始解が出来るようになりたいね……使うかは別として)
大雑把な今後の展望を考えて、一人にやにやと口元を歪める。端から見れば少し危ない。しかし、不意に彼女の顔が真剣味を帯びる。
「出てきたらどうだい。年頃の、こんな可憐な少女の跡を尾けるなんて、感心しないな」
彼女の霊圧知覚に、何かが引っかかった。いつでも詠唱破棄した破道が撃てるよう、手に霊力を集中させる。
菊理の背後。角の向こうから、人影が姿を現す。反射的に手を振り上げ、ピタリと止まった。
「済まない。驚かせてしまったかな、白鷺君」
「い、いえ。私こそご無礼を働きました。申し訳ありません——藍染副隊長」
眼鏡の優男が、妖しく笑った。