蛇にゾッコン。 作:元ちょこちょこっと
聡明な人。それが菊理の、藍染惣右介に対する印象だった。知的な笑み、誰に対しても分け隔てなく接する物腰柔らかな態度、様々な知識を擁する博識さ。どれをとっても一流で、人望が厚いのも頷ける。彼は、女性隊士にもかなり人気があるらしい。ファンレターも貰っていたことだし。
「大鬼道長殿に稽古をつけてもらっているらしいね」
「はい。霊術院では教わらない、高度な術を教えていただける……。ありがたいことです」
「そうか、それは何よりだ。ところで、そんなに畏まらなくてもいいよ。普段通り——そうだな、ギンと話す時のように、砕けた態度で構わないさ」
「それは……目上の方に対して、失礼ですから。程々にしておきます、藍染
「ふむ。まあ、君の好きにすると良い。強制することでもないしね」
食事処まで連れて行かれ、僕が奢ろう、と言葉をいただいた菊理は、遠慮なく料理を頼んだ。鯖の味噌煮定食。瀞霊廷の料理は美味である。
「それで、私に話とは何でしょう?」
「回りくどい話は嫌いかな?」
「いえ。ただ、少し気になって」
「ふむ。なら、単刀直入に話そう。——僕の下で働かないか、白鷺君」
ピタ、と箸を持つ手が止まる。想定外の提案。取り敢えず、持ち上げた分を口に入れ、よく噛んで飲みくだして一息入れてから、菊理は口を開いた。
「……私はまだ霊術院の、一回生ですよ?」
「ギンだって、ついこの間までそうだったさ。前例がある以上、実力のある者をいつまでも腐らせておくのは、勿体ないと思ったんだ。ギンは卒業してからスカウトしたが、あらかじめ優秀な生徒に唾を付けておくのも良い手だからね」
君は既に鬼道衆に目を掛けられているしね、と藍染は笑う。成程、優秀な新人の奪い合いが発生しているということだ。
「何故、私なのですか?」
「単純且つ明快な話だよ。君が優秀だからだ」
「鬼道に関しては、そうかもしれません。しかし、私は斬術がさっぱりで」
「構わないさ。僕は器用貧乏な能力など必要としていない。僕が求めるのは、研ぎ澄まされた一本の剣だ。君の鬼道は、賞賛すべきものだよ」
静かで、それでいて熱心な様子。しかし、菊理はそれに応えるつもりは無かった。藍染惣右介は五番隊副隊長である。彼の下に就くということは、即ち五番隊に入るということになる。
それはできない。菊理はギンと、五番隊には入らないということを約束したからだ。理由は今をもっても分からないが、ギンがそう望むなら、菊理はそれに従う。
「ごめんなさい、藍染さん。私は五番隊に入ることはできません」
「そうか、残念だね」
拍子抜けした。
もっとしつこく勧誘されるかと内心身構えていた菊理は、あっさりと引く藍染に拍子抜けしたのだった。
キッパリと断ったものだから、これ以上は無駄だろうと考えたのだろうか。それとも、引き際を心得ていただけなのか。とにかく、あまりにあっさり引き下がるものだから、逆に菊理はむっとした。それを出すのも大人気ないから、表面上は冷静を装ってはいるが。
「気が向いたらいつでも来てくれ。歓迎するよ、白鷺君。君にならすぐにでも席次を与えよう」
「光栄です、ありがとうございます……でも、それって隊長が決めることなんじゃ?」
「そうだよ。けれど、その内僕が隊長になるつもりだからね」
「あはは、藍染さんって意外に野心家ですね。平子隊長に聞かれたら怒られますよ?」
藍染の言葉を冗句と受け取った菊理は、細い目をもっと細くしながら怒る平子を想像し笑った。
それきり、勧誘の話題は藍染の口からは出てこなくなった。その代わり、鬼道に関する話を始めとした、菊理の興味を引く様々な話題を提供する。さてはこの人モテるな、と菊理は当たりをつけた。実際その通りである。甘いマスクに、大人の雰囲気を纏う知的な男。副隊長という立場もあり、女性隊士の中で藍染の人気はかなり高い。
「ところで、ギンと共に斬魄刀の解放に向けた訓練をしているそうだね」
どこから情報を仕入れているのか、と問い詰めたくなるも、それをぐっと堪える。
「ええ。でも、全然上手く行かなくて。対話までは出来たんですが、同調がまだなんです。何でも、私の一番大事な気持ちに、私自身が気付いてないからだとか」
「ふむ。一番大事な気持ち、か」
藍染は顎に手を当て考える。
「本当は分かっているんじゃないのかい」
「……え?」
「君にとって最も優先されるべきことが何か、ということをよく考えれば、自ずと答えは出るだろう。何せ、『一番大事な』気持ちなのだから」
「私が、最も優先すること……」
脳裏に浮かんだのは——
「大丈夫かい。顔が赤いよ、白鷺君」
「いっ、いえ! そんなことはありません! アドバイスありがとうございます、私はこれで!」
残った分を慌てて掻き込んで、菊理は足早に定食屋を出ようとする。藍染が何か言おうとしていたが、これ以上の追及は御免だとばかりに話を切り上げた。
しかし。ふと鎌首をもたげた疑問がふと浮かび、思わず口にしてしまった。
「ギンも、優秀だったから三席に迎えたんですか?」
押し黙る。藍染は、その問いに一頻りの空白を置いてから、
「ああ、その通りだよ。彼は優秀な部下だ。まだ若過ぎるくらいではあるが、能力に申し分はないと考えている」
「——そうですか。それでは、失礼します。今日は、ありがとうございました」
ぺこり、と一礼して、定食屋を出た。陽も沈み始めた女子寮への道を進む。その中で菊理は、藍染に言われた言葉を思い出していた。
自分に取って一番大事な気持ち。それが何なのか、薄っすらと理解してはいる。しかし、菊理は頑なにそれを掴もうとしない。そんなはずはない、と自らに言い聞かせて。
一方、菊理の去ったところで、藍染は一人呟く。
「……やはり、上手く使えそうだな、彼女は」
彼女の力量も、本心も、そしてその気質も、大体は把握出来た。故にこそ、彼は確信する。彼女を傘下に引き入れることは、やはり容易いことだと。
◆
翌日は霊術院では稀な休日だった。乱菊と何処かへ遊びに行こうかと考えたのだが、彼女はまたギンに突っ掛かりに行くようだったので、菊理は遠慮した。乱菊とギンが二人で会う。それを考えると胸が痛んだが、それを目撃するのはもっと嫌だったので、フラフラと彷徨くことにした。
しばらく、目的もなく歩いていると、不意に知っている霊圧を知覚する。
(この霊圧は——白哉か)
偶然、朽木家の近くを通り掛かったらしい。声を掛けに行こうかと一瞬考えたが、自分のような身分もない、一介の学徒が四大貴族である朽木家の敷居を跨ぐことなど、一生かかってもあり得ない。そう思い至り、菊理はそのまま通り過ぎようとした。しかし、
「白鷺菊理!」
長髪を揺らして、白哉が目の前に現れた。瞬歩でこちらにやって来たのだろう。しかし、何故。その理由が、菊理には分からなかった。
「やあ、白哉。どうしたんだい」
「
「態々挨拶に? ありがとう、嬉しいよ」
白哉は、特に表情を変えず頷いた。もしかすれば、菊理が朽木家に入り辛いと考えるのを見越して、わざわざ向こうから来てくれたのかもしれない。そう考えると、白哉が凄く優しい人に思えた。
「私は今日の午前中は予定が無くてね。もし良かったら、一緒に何処かへ行かないか?」
「構わぬ」
端的な返事に、白哉の実直さが表れている。それが何処か可笑しくて、菊理は小さく笑った。それを見た白哉が、ムッとした顔を作る。
「何故笑う!?」
「ごめんよ、悪気は無いんだ。白哉があんまり素直なものだから」
「……あの化け猫にも、似たようなことを言われた」
「へえ、夜一さんが」
「会ったのか?」
「ああ、楽しい人だったよ、とても」
素直に印象を語ると、白哉の顔がこれでもかというくらい歪んだ。余程彼女のことが苦手らしい。
「兄の感覚はおかしい。あの化け猫は、身勝手で、悪戯ばかりで、いつも私を揶揄い、そして瞬歩は私の上を行く! 腹立たしいことこの上無い!」
「ちょ、ちょっと白哉」
「大体、ヤツは五大貴族の当主という自覚が足りないのだ! もう少し銀嶺爺様や父様のような落ち着きと礼節を持ってだな」
「ほお、随分な口を利くようになったの、白哉坊」
白哉の愚痴がエスカレートしてきたところで、噂の人物が姿を現す。褐色の肌、艶のある短い黒髪、猫を思わせる瞳。そして二番隊の隊長羽織とくれば、彼女の正体はようとして知れる。四楓院夜一。隠密機動『刑軍』総轄にして、『天賜兵装番』四楓院家初の女性当主だ。何処の品であろうか、食い差しの饅頭の箱を持っている。
笑顔で隠しているが、彼女の額には青筋が浮かんでいる。どうやら、白哉の愚痴を聞いていたらしい。そんな様子に、白哉は気付いていないようで、彼女の姿を認めるや否やすぐに臨戦態勢に移った。
「また出たな、化け猫!」
「おお、菊理も一緒か。どうじゃ、鉄裁の指導は。為になるじゃろうて」
「夜一さん。その節はどうもお世話になりました、ありがとうございます」
「構わん構わん、鉄裁のヤツも期待の新人というヤツが嬉しいようじゃからの。どんどん頼って、鬼道衆に入ってやれ。あ、饅頭をやろうか?」
「私を無視するな!」
白哉は怒りのまま、詠唱破棄した『白雷』で夜一を狙う。そしてその鬼道が、彼女の胸を貫いた——ように見えた。少なくとも、菊理には。
「え——」
次の瞬間、夜一の姿は搔き消え、彼女の持っていた饅頭の箱が、鬼道に貫かれた状態で残っているのに気が付く。
「隠密歩法『四法』の参『空蝉』。まだまだ、儂を捕らえるには未熟も未熟よの、白哉坊」
プップー、と笑い出しそうなドヤ顔をかます夜一を見て、白哉の怒りが頂点に達する。あ、結構熱くなりやすいんだ、と初めて見る一面に関心がいく菊理。
「……そこまで言うなら見せてやろう。私の瞬歩が、既に貴様のそれを超えているということをな!」
「それこないだも言っておらんかったかの?」
「あ、鬼事ですか? 私もやっていいですか?」
「おお、菊理も瞬歩を習得しておったか。良いぞ、白哉坊と何方が先に儂を捕まえるか競争じゃ。……まあ、儂は捕まる気は毛程もありはしないがの」
煽る言葉に、菊理もまた闘志を燃やす。そこまで言うのであれば、彼女としてもやってやろうという気になる。
「では、いつでも良いぞ」
余裕綽々、といった顔の夜一。その背後に、突如白哉が現れた。口上の間の接近。大人気ない、とは言うまい。正当な戦術である。それに、単純に速い。これは決まりだ、と菊理は思った。手で触れれば、鬼事自体は勝利の筈だが、白哉はなんと手刀で首を狙っている。
(そこまでしなくても!)
菊理は心の中で叫ぶも、白哉には届かず。手刀は振り下ろされ、空を切る。そう、外れた。
「おっと。危ない危ない。惜しかったの、白哉坊」
「あれだけの瞬歩でも躱されるのか……ようし」
脚に霊圧を込める。普段は調節し易いように、極力霊圧を抑えているが、瞬神相手に甘いことは言っていられない。正真正銘、体が壊れない程度に全力で、菊理は地面を蹴る!
凄まじい風圧を感じながら、最早自分でも追えないほどの速さで後ろに流れていく景色。やがてそれは、目標である夜一さえも超えて——
「って超えちゃ駄目だよ! 縛道の三十七『吊星』!」
空中で吊星を発動させ、トランポリンのように反動をつけた菊理は、夜一のいる方向に再度突撃する。夜一の背後からの突撃。しかし、彼女も油断はしていない。尸魂界随一の速度を誇る瞬歩により、これまた回避されてしまう。
「避けられるなら縛道で止めるまでです。縛道の六十二『百歩欄干』」
菊理の手の中に、光の槍が生まれる。この光には殺す力は無い。ただ敵の霊体を貫き、霊子を縛り付けるのみ。夜一を拘束せんと、光の槍を投げる。当然のように避けられるが、それも想定の範囲内だ。元より菊理は、一発で仕留められると思うほど、自分のコントロールに自信がある訳ではない。だから——
「何百回でも避けてください。私は避けられなくなるまで打つだけだ」
菊理の手には、既に新たな槍が生まれている。次から次へと、無尽蔵とまで思われる量の『百歩欄干』。これには流石の夜一も驚いたようで、目を見開いている。
「成程、速力に長けた相手には、縛道で速度を殺す——合理的だ、白鷺菊理」
白哉もまた、機動力での戦いから搦め手へとシフトする。彼は指を夜一へ向け、鬼道を放つ。
「縛道の六十一『六杖光牢』」
そこに菊理も『百歩欄干』を合わせ、夜一を捕らえた、かに思われた。
「鈍いの」
搔き消える。夜一の姿が消え、声だけが残った。速過ぎる。既に霊圧知覚にも引っかからないところまで逃げられているようだ。即興とはいえ、白哉とのコンビネーションは悪くなかったと思われたが、流石隊長格。菊理たちの一枚上手だった。
白哉は追おうとするも、夜一が逃げた方向も分かっていないものだから、どちらに向かえば良いのかと迷っている様子だった。少し待ってくれ、と菊理は彼を制止し、新たな鬼道を使用する。
「南の心臓・北の瞳・西の指先・東の踵。風持ちて集い、雨払いて散れ——縛道の五十八『摑趾追雀』」
墨で描いた陣の中に、夜一の居る座標が映し出される。あの一瞬で、随分遠くまで移動されてしまった。鬼事を楽しみたいからか、そこから動く様子は無い。
「向こうだね。距離は大体五百と言ったところかな」
「追うぞ、白鷺菊理」
「そのフルネームで呼ぶの止めない? なんだか他人行儀で寂しいな。菊理って呼んでよ」
悪戯心を込めてそう言ってみるが、白哉はさして顔色を変えるでもなく答えた。
「分かった。早く行くぞ、菊理。あの化け猫に逃げられる!」
「……君、本当面白い人だよね」
「何か言ったか?」
「何でも。それより、一つ作戦があるんだけど、試してみない?」
◆
夜一は、木の上でゆっくりと追っ手の二人を待っていた。白哉は普段から自分を追いかけているからある程度の実力は知っているものの、菊理は未知数の力を持っている。つい先ほども、吊星を足場にした空中での方向転換は見事だった。鬼道をふんだんに使ってくるだろう彼女の戦略は、興味深い。
次は一体、どんな手を使ってくるのか——楽しみにしていると、二人の気配を間近に感じた。瞬歩で距離を詰めてきたようだ。
木の上の夜一に対し、二人は左右から挟撃する。腹への手刀。夜一は猫のような身軽さでこれを躱し、悔しげな二人にしたり顔を見せた。
「流石です。でも、これはどうですか! 縛道の二十一『赤煙遁』」
灰の煙が、周囲一帯に巻き上がる。目眩しの煙幕。視界を封じるつもりだろう。
(甘いのう)
霊圧知覚も聴覚も無事。ならば幾らでも避けようはあるし、何なら煙幕の範囲から出てやれば良いだけのこと。対処法など幾らでもある。例えば。
「破道の五十八『闐嵐』」
風の鬼道で全て吹き飛ばしてやれば良い。見晴らしの良くなった中で、白哉と菊理の姿を探す。二人は既に次の鬼道の詠唱を終えている。
「縛道の六十三『鎖条鎖縛』」
「縛道の七十九『九曜縛』」
高度な鬼道を連射する二人。まだ正式な死神になってすらいないのに、大したものだと夜一は考える。だが、この程度で自分を捕らえることなど——
「ブフォッ⁉︎」
突如。目の前、何もない空間に衝突し、夜一は間抜けな声を上げた。痛みはない。しかし、まるでクッションのようなこの感触。夜一には覚えがあった。
(『吊星』——『曲光』で隠しおったか!)
致命的なロス。それを見逃す白哉ではない。彼は研ぎ澄まされた瞬歩で、夜一を確保せんと接近する。だが夜一もまた達人。すぐさま態勢を立て直し、白哉から逃げ果せる。彼我の距離は、人一人分も無い。しかし、結局速度では夜一に軍配があがるのだ。——このまま行けば。
「惜しかったの」
「どうだろうな」
今度は、白哉のしたり顔。夜一は気付く。菊理の姿がない——
「縛道の六十二『百歩欄干』」
夜一は周囲を警戒する。上下左右。はたまた背後か。どこから来ようと避けてみせる、と。しかし、彼女の予想は外れも外れ。
白哉の速度がグン、と上がる。彼の瞬歩には上があったのか。否。これは、彼自身の力でなく——菊理の鬼道を受けた、その衝撃による加速!
「なっ、白哉坊ごと——のわっ⁉︎」
一本、二本三本と、次々槍が刺さっていく。痛みはないが、身体がどうにも動かない。
「……私の方からここまで近づくのは久方振りだな、化け猫?」
しかし、菊理への注文だったのか、白哉は右手一本は動かせるよう縛られているではないか。夜一は白哉の顔に青筋が立っているのを見つけた。
「積年の恨みだ、喰らえ!」
夜一の額に渾身のデコピンが入り、バシッ、と痛そうな音が一帯に響いた。
「痛ッ!?」
「ふはははは、ざまあ無いな化け猫!」
「うう、煩いぞ白哉坊! 大体、おぬしも縛られておるじゃろうが!」
「縛ったのは菊理で、我々は仲間だ。我々の勝利、即ち私の勝利だ」
「なんじゃその俺様理論は!」
うだうだと、仲良く縛られながら口喧嘩をする二人を眺めて、元気だなぁと一息入れる菊理だった。