蛇にゾッコン。 作:元ちょこちょこっと
ドタドタと、忙しなく走り回る音。ここ最近の鬼道衆内では、よく聞く音だ。
副鬼道長補佐、白鷺菊理。菊理は鬼道衆に入隊し、僅か数年で組織のナンバー3までのし上がっていた。彼女が入隊してから、鬼道衆内は随分と騒がしくなった、と専らの噂だ。
「ハッチさん、これ新しい仕事の資料です。隠密機動から結界形成の依頼に、技術開発局から空間凍結に関して講義の件、それに真央霊術院からは鬼道学の臨時講師の派遣依頼……いやあ、人手が全ッ然たりませんね」
「そう思うなら白鷺さんも、書類を捌くの手伝って欲しいのデス……」
「私はこれから別の仕事がありますから。現世で妙な霊圧が探知されたので、調査隊が組まれたらしいです。非常時には空間凍結が必要になるかもしれないので、私が出ます」
「技術開発局が開発中という自動凍結のシステムを確立してくれれば、我々の負担も減るんデスがね」
「まあ、まだ出来て数年という組織ですし、急かすようなことはしないでおきましょうよ」
ふいー、と可愛い溜め息を吐く、丸々と太った男を見て、菊理が笑う。彼は有昭田鉢玄。鬼道衆の副鬼道長、つまりは菊理の上司であり、鉄裁の部下。その実力は、九十番台詠唱破棄を使いこなすことからも窺い知れる。
性格も穏やかで優しく、紳士的。菊理は彼のことをよく慕っていた。
「では、出発します」
「もう行くのですか?」
「現世行きまではまだ時間があるのですが……早めに調査隊の面子と顔を合わせておこうかと思いまして」
その方が仕事がスムーズに進む。コミュニケーションというのは、仕事を進める上で非常に重要だということは、この数年で菊理も理解している。
「そうデスか……では、これを持って行くと良いデス」
「これは……美味しいお饅頭ですね。ハッチさん、ありがとうございます!」
調査隊の人数は多くないと聞くし、一箱で十分足りるだろう。菊理は、ハッチに貰った箱を持って元気良く駆け出した。
◆
調査隊は九番隊舎に集合ということで、菊理は九番隊を訪れていた。現在の九番隊は、別名六車九番隊として、チームワークの取れた優秀な隊だと聞いている。隊長の六車拳西の斬魄刀『断地風』は太刀筋を炸裂させる斬魄刀で、その威力・射程は絶大である。また、副隊長の九南白は白打に秀で、その戦闘力は非常に高い。他の席官たちの実力も相当なものだろう。
隊舎に上がると、屈強な男たちがじろりとこちらを見てくるが、すぐに視線を外す。菊理の思っていたよりも、強面が多い。十一番隊ほどではないにしても。
菊理は集合場所である会議室に到着した。中に入ると、既に一人の男が座っている。ゴーグルにマスク。顔の全てが覆われており、非常に怪しい奴だという印象を受けた。
「鬼道衆副長補佐、白鷺菊理です。現世への調査隊に同行させていただきます」
「九番隊第六席、東仙要です。此度はよろしくお願いします、白鷺殿」
「…………」
何故顔を隠すのか、問おうと一瞬口を開くが、もし顔に火傷を負うなどしていて隠しているのだとすれば、とても失礼なのではないか。そんな思いがふと浮かんだため、追究することはなかった。しかし、もし健常だとすれば、自然に外させる手はある。
「後の面子はどうなっているんですか?」
「後は九番隊の隊士三人で固めるつもりです。白鷺殿は回道も扱えると聞きましたから、四番隊士はいませんが……問題ないでしょうか」
「ええ、大丈夫です。回道については、卯ノ花隊長からもお墨付きを貰っています」
四番隊長、卯ノ花烈とは多少の親交があった。彼女は回道のスペシャリストであり、斬魄刀すら回復系の能力を有する。怪我をして世話になったこともある。彼女は非常に顔が広い。特に、騒ぎを起こして怪我を負い、病棟で騒ぐ十一番隊士には、病院の恐怖の象徴として知られているのだ。
「あ、そうだ。これ、良かったら皆さんで食べてください。ウチの副長から、お饅頭です」
す、と一箱の饅頭を差し出す。これこそ、東仙に素顔を晒させるための一手だ。饅頭を食べるためには、マスクを外すしかない。その際、傷痕が見えぬようなら、ゴーグルも外すように促すことがし易くなる。傷痕があるならそれはそれ、触れずにいれば良いだけのこと。
さあどうする。
「申し訳ない、私は甘いものが少々苦手でして……他の隊士に食べさせてやってください」
(なん……だと……)
目論見は失敗に終わった。
菊理が項垂れていると、会議室に三人の隊士が入ってくる。長髪の優男に禿げたチョビ髭の男、悪そうな顔をした厳つい男。
「紹介します。衛島、笠木、藤堂。我が九番隊の席官たちです」
三人は順々に挨拶をしてくる。菊理も丁寧に一つ一つ返答し、チームの挨拶を済ませた。その後、今回の調査に関して簡易なミーティングをしてから、穿界門を開ける。
「皆さん、地獄蝶はちゃんと持ちましたね?」
ここでしっかり確認しておかず、誰かが地獄蝶を忘れた場合、断界の中を通ることになる。非常に危険な道のりだ。もし、侵入者を捕らえる拘流に絡め取られれば、時間の流れが緩やかな断界の中で一生を過ごすことになるだろう。もしくは、拘突と呼ばれる列車のようなもの、それに追われれば、尸魂界と現世の時間差に身体がついてこれず、死んでしまう恐れがある。まあ、現在は技術開発局の努力もあって、以前よりは安全に通れるようになってはいるのだが。
東仙を始めとする四人は頷き、菊理もそれぞれの周囲に人数分の地獄蝶が飛んでいるのを見て取る。最後に、自分の地獄蝶を確認し、斬魄刀を鍵のように扱い、穿界門を開いた。
「解錠!」
円形の襖が現れ、シャッという音と共に開く。
「では、行きましょうか」
◆
現世。こちらに来るのは、菊理も久々だった。とはいっても、風景はそれほど尸魂界と変わり映えがある訳ではない。ところによっては瀞霊廷の中心と同じか、それ以上に栄えているところもあれば、流魂街の外れのように貧しいところもある。今は明治時代だが、百年も経てば今この景色とは全く様変わりしてしまうということを、菊理たちが知る由も無い。
「では、手分けして霊圧を探りましょう」
「では、私は白鷺殿と行きます」
え゛っ、と思わず声をあげそうになった。提案した東仙の表情も、目線すら隠れ、菊理は確認出来ない。
「そうか、ではこちらは我々三人で当たる。注意しろよ」
「ああ」
「あの、ちょっと」
びゅん、と三人は瞬歩で消えてしまった。
「では参りましょうか」
「…………そうですね」
気味が悪いな、と思いながら、菊理は東仙の後を追う。
(……なんで私と、しかも二人で組みたがるのだろうか。もしかして下心でもあるのか? 嫌だなあ、こんな顔も分からない人と二人きりなんて)
気分が頗る良くない。それもこれも、この男の表情も何も見えないからだろう。分からない、知らないということは何よりの恐怖だ。
……失礼に値しようと、最早構うまい。どの道このままでは、良好な関係など築けそうもないのだから。
「あの、東仙さん」
「なんでしょう」
その声色は先ほどとは変わらない。上ずった様子もない。
「会ったばかりで、事情も知らずにこんなことを言うのは大変失礼とは承知しているのですが……その、ゴーグルとマスクは、外していただく訳にはいきませんか」
これで怒鳴られるようなら仕方ない、今回は最悪の仕事だったと諦めるだけだ。しかし、想定していなかったことだが、東仙は一言「分かりました」と告げて、カチャカチャとマスクとゴーグルを取り去った。
浅黒い肌が見えるが、それよりも菊理が注目したのは、彼の瞳だった。
「東仙さん、貴方、目が」
「ええ、生まれた時からこうなのです」
「あの、すみませんでした。私、勝手に貴方のことを怪しい人だと……」
「いえ、気にしないでください。私も、初対面の方に素顔も明かさないなど、とんだ無礼を働いていました。申し訳ない」
やはり、表情が見えるというのは良いものだ、と菊理は思った。東仙は、菊理が思うよりずっと純粋な心持ちの男だった。周囲の霊圧を探りながら、二人は話し続けた。
彼は正義について熱く語った。正義はこうあるべきだとか、だから自分はこう在りたいとか、その言葉に、菊理は感心させられた。初めの疑念が嘘のように、菊理は東仙と打ち解けていた。少なくとも、菊理はそう感じていた。
話している内に、街の外れにまで来ていることが分かった。妙な霊圧とやらは、感じられない。どうやら外れらしい、と菊理は考える。
「東仙さん、戻りましょう。向こうの方からも連絡はありませんし、別口で探した方が——」
と、そこまで言って。
自分の後ろを歩いていた、東仙の姿が消えていることに気付く。
「え?」
そして、霊圧が、一気に噴き出した。
「これは——
虚の住まう世界、
滲み出る霊圧から、
菊理も、経験は浅いとはいえ死神。虚と戦ったのは一度や二度ではないが、これだけ強大な霊圧を持つ虚は初めてだ。その虚が、姿を現す。細い人のような身体に、傷のある平たい仮面。四足獣が仮面を被り、人のように立ったような印象を受けた。
「お前、東仙さんを何処にやった?」
果たして、言語を話すだけの知性があるのかどうか。菊理は試す。しかし、黙ったまま虚は動かない。意識して黙しているのか、はたまた単に話せないのか。分からないが——
「痛みを与えれば、自ずと知れるだろうね」
虚にも痛覚はある。痛ければ叫ぶだろうし、無視出来ない程のダメージを与えられれば、知性を持つ虚なら怒り、言葉を発することだろう。意味のある言葉を思わず零すかもしれない。
「破道の三十三『蒼火墜』」
詠唱破棄した中級鬼道。その速度は並ではなく、また菊理の霊力から放たれたそれは攻撃範囲も並外れている。虚に直撃し、もうもうと煙が上がった。軽く風系統の鬼道で煙を払い、敵の姿を確認する。もし、これで死んでいるようなら、それはそれで構わないが——
「……傷一つ負っていないのか?」
虚の身体には、目立った怪我も無ければ火傷の痕も無い。つまり、菊理の鬼道が完全に効いていない、ということだ。ギリ、と歯を噛み締める。そんな筈はない。菊理のプライドが、何よりそれを赦さなかった。
「破道の六十三『雷吼炮』!」
今度は、先程より更に高威力の破道を使う。六十番台。上級と言って良い威力を持つ鬼道だが。
それでも、虚には傷一つ付けることが出来ない。対面する虚は、ついにその巨体で菊理に迫ってくる。スピードはまずまず。油断していると捕まりかねない。
くそっ、と悪態をつきながらも瞬歩で身を躱した菊理は、苛立ちのままに、遂に九十番台の鬼道の使用を決意する。自力で、半径三百霊里に渡る空間凍結を済ませ、現世への霊的影響を極力抑えたところで——
「千手の涯。届かざる闇の御手、映らざる天の射手。光を落とす道、火種を煽る風。集いて惑うな、我が指を見よ。光弾・八身・九条・天経・疾宝・大輪・灰色の砲塔。弓引く彼方、皎皎として消ゆ——破道の九十一『千手皎天汰炮』」
渾身の一撃。菊理の習得した中でも、最強レベルの鬼道——それも、完全詠唱した上での九十番台だ。これをマトモに受けて立っている筈がない。もうもうと立つ煙が晴れる。そこには。
「……なん、だと…………!?」
やはり傷一つない虚が、痛がる素振りも見せずに立っている。
あり得ない。九十番台の鬼道を真正面から受けて、原型を留めるなど、増して傷一つ付いていないなんてことが、あるはずがない!
菊理は酷く動揺した。己の鬼道に絶対の自信を置いていた彼女からすれば、それが全く通用しないなどということは、今までの努力を否定されたに等しいからだ。そして動揺は油断に繋がり、虚の接近を許した。
「しまっ……」
細長い腕で、首を掴まれ持ち上げられる。ギリギリと、ゆっくり首が締め付けられる。
苦しい、苦しい、苦しい!
「か、はっ」
口から残った空気が漏れる。目がチカチカ瞬いている。頭がぼうっとする。このままでは死ぬ、と本能が悟った。心臓が脈打つ。死に抗わんと、血液を回し続ける。しかし、首を絞められていては頭に血液が回らない。呼吸もままならない中で、遂に菊理が意識を失いそうになった時。ギンの顔が、頭に浮かんだ。
想い人のことを考えた瞬間、菊理の瞳が見開かれる。
死ねない。
「私は、まだ死ねない。死んでたまるものか!」
◆
「藍染さん、菊理を殺すつもりですか?」
言葉の割に、声の調子は落ち着いている。ギンの言葉を聞いた藍染は、ゆっくりと彼の方へと振り返った。
モニターの並ぶ、現世に隠されたアジトの一つ。二人はそこに居る。モニターに映し出されているのは、虚と対峙する菊理の姿だ。
「アレは
「白鷺君か。彼女は良い娘だよ。聡明で、明るく、容姿も優れている。それに、鬼道に関しては大鬼道長の握菱鉄裁も認める程の才覚を持つという。——そんな彼女の始解。その情報を得ていないというのは、我々の計画の妨げになりかねない。違うかい」
ギンは、以前の菊理との会話を思い出す。始解を習得したという菊理。しかし、その実態を教えてくれることは無かった。秘密だよ、と笑うばかり。彼女が鬼道衆に入り、彼女が戦う機会もなかったことで、始解を見ることは無かった。この場にいる二人は、もしかすれば菊理以外の誰も、彼女の始解を知らない。
藍染の言葉に、ギンは押し黙る。情報を得られれば良し。そうでないなら——
菊理は、彼から完全に目を付けられているようだった。一体何時。まさか、あの五番隊舎で出会った時、一目で彼女の力を見抜いたというのか。
(この男は、どこまで——)
とにかく、このままでは菊理は死ぬ。あの虚には特殊な改造が施されているのだから。菊理には絶対に勝てないような改造が。
まさかこの実験も、菊理を殺すために仕組まれたことなのではないかと、思わずギンは疑ってしまう。藍染の薄い笑みからは、真実を読み取ることは出来ない。
どうすれば良い。助けるのか、彼女を。それはつまり、藍染に反抗するということだ。只でさえ、素の力にも圧倒的な差が有る上、鏡花水月の術中に落ちているという最悪のディスアドバンテージがあるこの状況で。
戦闘になれば、勝てない。敵う要素がない。それでは、ギンの目的は果たせない。しかし、そのために菊理を見捨てるのか。自らがかつて救った、あの少女を?
歯を噛み締める。どうすれば良いのか、考えに考えても、答えは出ない。やがて、モニターの中の菊理は、虚の腕に捕まった。
首を絞められている。まずい、殺される。
「何も、殺すことはないんと違いますか?」
「何故?」
「いや、菊理はボクの友達なんですよ。殺さずに済むなら、それに越したことはない思っただけです」
「君は、私の計画と友達、どちらを取るのかな、ギン」
藍染の視線。その、背筋が凍るような冷たい視線に、気付く。自分は今、試されている。大切なものが危機に陥った時、一体どういう反応をするのか。藍染に牙を剥くのか、大人しく従うのか、本心では何を考えているのか。
ギンは黙り込む。このままでは、全てが水の泡だ。しかし、それで菊理を見捨てることはできない。考える。全てが丸く収まる、最善の解決策を模索する。しかし、そんな都合の良い答えが、何処かに転がっている筈もない。
一体、どうしたら良い。ギンが極限まで追い詰められた、その時——画面に光が奔った。