その声を聞く この手を伸ばす 兎の章   作:古今いずこ

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作中よりも過去における死ネタ、軽度の暴力描写が含まれます。苦手な方はご注意ください。


第13回 変化を数える 不変を悟る

「失敗した」

 〈慈愛天女〉を帰すのではなかった、とトシュは呻った。セディカを食べれば不老不死だか不老長寿だかを得られると、あの金魚が考えた根拠を聞き出さないまま、持っていかれてしまった。ついでに、トシュを呼び出すための呪文をジョイドに化けてセディカに教えたことについても、問い質しておきたいのに。

 宿屋に戻った二人は、もう伏せることもないと、外泊理由を宿屋の者たちに説明した。偽〈霊王〉の残党が悪さをするようなことがないか、しばらく見ておきたかったので、つまりまだ当分出ていかないことになるからだ。セディカの事情と違って、〈通天霊王〉の件は里の人間はみな当事者であるから、()(たら)に話してはいけないということもない。

 セディカが名指しで狙われた理由だけは、帝国の血が珍しかったんだろうなと()()()した。同時に、誤魔化す以前に本当の理由が判明していないことに思い至ったわけである。里の人間たちを安心させなければ、という方に気を取られて、そちらを失念していた。

「俺が南に行って訊いてくるよ。俺のことは俺が行った方がいいだろうし」

 ジョイドが立候補する。

「どうせ行くなら今回の一件についても詳しいことを聞きたいし、そうなると行く前になるべくこっちの状況を把握しておきたいけどね。特に訊いておきたいことはある?」

「そうだな。ああ、やつに心酔してる手下がいたとしたら、あっちでフォローしてくれんのかね?」

 九年の間に偽〈霊王〉に忠誠を誓った者がいたかもしれないし、忠誠心はなくとも順調に出世して利を得ていた者がいたかもしれない。妹の身分を貰っていた魚の娘のように。

 真の〈霊王〉に取り締まってもらいたいところだし、土地神にも手を貸してもらいたいところではある。とはいえ、偽物に屈した〈通天霊王〉は荒事が得意でないのだろうし、土地神はそれほど人間社会に関わらないのが普通だ。池の金魚の監督責任がある〈慈愛天女〉に、できれば一肌脱いでもらいたい。

 そこまで気にしなければならない義務は、トシュにもジョイドにもないのだが。後日セディカに再び呼び出されて駆けつけてみたら、偽〈霊王〉の残党が逆恨みから里の人々を殺(りく)しているところだった、などという未来に到来されては、後味が悪いでは済まない、ので。

「ま、偽のおまえの呪文で呼び出されるのは俺なんだから、俺が行ってもいいわけだが」

 そう言ってみたのは、ジョイドにとって気の進むことではないかもしれないと思ったためである。〈慈愛天女〉は結局のところ、マオを救ってはくれなかったのだから。

「俺もたまにはご機嫌伺いしたいし」

 そう答えたジョイドはあっさりした風で、無理をしているようには、とりあえず、見えなかった。

 ——否、だが、少しの間目を伏せてから、ふ、と息を吐く。

「いつ平静を欠いて、失礼な振る舞いをするかわかったものじゃないけどね。大目に見てくれる人だと思うし」

「そんな危なっかしくは見えねえけどなあ」

「……平気だと思われてる方が、ちょっと、不本意かも」

 相棒は何だか口元を(ゆが)めた。

「おまえが——氷漬けになったときにね。そのままやられるんじゃないかって、一瞬、本気で(おび)えたんだよ。……過敏になってる」

「……妥当なところじゃあねえのかな、それは」

「マオが逝ったときはもっと落ち着いてたのよ」

 ずばりとマオの恋人は言った。

 確かに、うっかり無防備に氷を踏んでそこから襲われたのは、トシュにとって危機ではあったが、致命的だったわけではなかった。ジョイドが偽〈霊王〉の相手を引き受けていたなら、その間に十分自力で破れた範囲だったのだ。敵をうっちゃって飛んできたのは、大袈裟だったと言えなくもない。

 だが、それで千載一遇のチャンスを逃したとか、著しい不利に陥ったとかいうわけではなかった。言い立てるほど重大な支障ではあるまい。マオを亡くして幾らも経たないのだから、知った顔を失うことに対して敏感になること自体は当然であろうし。マオの死んだ直後はそれほどでもなかったのに、という点が引っかかっているにしたって、実感が徐々に湧いてくるというのもよくある話ではないか。……と、トシュが思ったところで、ジョイド自身が納得できなくては仕方ないのだが。

 どこへ向けてか、ジョイドは目を()らした。

「俺は……『マオが実は生きてた』ってことを受け止めきれてなかったんじゃないかと思う。マオは死んでるのが、もう、自然で」

 口元が歪んで、笑みらしい形を作る。

「周りに迷惑をかけずには済んだけど、やっぱりね、寂しい」

 少し間を置いて、両手で顔を覆った。

「セディをあんなやつに食べさせるくらいなら、可能性に賭けてマオに食べさせたのに、くらいのことは思いたかったなあ……」

「どれだけ狂うかで測ろうとすんな」

 トシュはたしなめた。

 引きずっているなと反省される一方で、悲しみに潰れてしまいたいとも思うのだろう。ふとしたことが認めがたかったり、受け入れがたかったりしては、こじつけのような傷になることもあるのだろう。マオを助けられなかったのに、他人は助けたことだとか。護符を描き損ねるようなミスも犯さなかったことだとか。そのくせ、トシュまでも失うかもしれないという恐怖に駆られることはできたことだとか。

 マオの死が迫っているときだって、同じことを言っていた。これからも繰り返し、同じことを思うのだろう。マオが死んでもこうなのだ、と思うたびに。または、マオが死んだときはこうではなかった、と感じるたびに。

 だから。

「病気のことさえなけりゃ、おまえとマオは一緒になるべきだったよ。そうなりゃ俺の道行きも変わっただろうが、まあ、ちょくちょく手を借りに行っただろうな、一人じゃ何もできやしねえし。連れ出しすぎだっつってマオに怒られたりして」

 こちらに向いた目を、逃すまいと(とら)える。

「おまえに自信がなくたって、俺は言うぞ。おまえはマオに相応(ふさわ)しかった。今もな」

 この役は自分が務めねばならない。マオが死んだという揺るぎない事実が相手なのだ。一人で立ち向かわせるのは、酷ではないか。

 子供たちを、セディカを、この里を、思うように助けられなくてこそ、マオへの想いが証明される——などという理屈があって(たま)るか。そんなことで否定させてなるものか。

「いつまでも引きずってたって落ち込んでたって構わんけどな。俺がいる限り、一々口は出すぜ。——マオはおまえを変えたくなかったんだろうが。だからまあ、マオのせいで変わりたかったっつって嘆いてる今ぐらいがちょうどいいんじゃないか」

「……全部言われちゃったなあ」

 ジョイドは苦笑した。

「後さえ追わなきゃ何でもいい」

 さらりと、何気ない風を装って、トシュは言った。

 何でもいい。生きてさえ、いるなら。……その「生きてさえ」が、マオは叶わなかったのだけれど。

 ややあって、うん、と小さな返事があった。立ち直ってはほしいけれども、立ち直らなくても構わない、とトシュは胸のうちで呟き——例の大喜利に合わせて表現を工夫する気分にはならないなと、思った。

 

 セディカが注目されるようになったのは、気のせいではなかったろうし、致し方ないことだったろう。マオの一件のときにも噂にはなっていたのかもしれないが、そのときの比ではない。気まずい顔や後ろめたい顔をされることもあるけれど、こちらは一々覚えていないのだから、素知らぬ顔をしてくれれば気がつかないのに——あのとき、生け(にえ)にしてしまえと、薬屋に押しかけてきた顔だったとしても。

「がっきのおねえちゃあん!」

 遠くから発見して手を振る子供に、以前なら人目が気になったかもしれないが、今では寧ろほっとした。先だっての騒動を理解していないだろうからだ。まあ、理解しているだろう母親も一緒にいるのだけれど。

「せんにんのおにいちゃんなの!」

「うん」

 セディカとトシュは目を見合わせて微笑んだ。トシュが「仙人のお兄ちゃん」であることは当のセディカが教えたのだけれど、恐らく「これは仙人のお兄ちゃんである」ことではなくて「ここに仙人のお兄ちゃんがいる」ことを言いたいのだろう。

 トシュはセディカを見た。

「寺院か?」

「うん」

「俺もなんだが」

 どうしたもんかねとばかりに見下ろした先では、女の子がトシュの上着の(すそ)を握っているのである。おかげで母親が焦ったり恐縮したりしている。

 セディカは身をかがめた。

「ねえ、お兄ちゃんに仙術見せてもらわない?」

「みせてもらう!」

「じゃあね、一、二、三で手を叩いてみて。お兄ちゃんが消えます。一、二、三」

 三、でパタンと手を叩けば、トシュは空気を読んでパッと消えた。セディカと同時に手を打ち合わせた子供はきゃあきゃあ言ってはしゃいだ。出てきてもらおう、ともう一度叩けば、さりげなく少し離れた、子供の手が届かない位置に現れる。

「本当はあんまし見せびらかすもんじゃねえんだ。今のは特別だぞ? あんまりやると、俺が師匠に怒られちまうからな」

 わかったな、と決めつければ、わかった! とよい返事がある。頭を下げる母親に微笑みで応じてから、青年と少女は連れ立って歩き出した。

「あの家族には、〈慈愛天女〉のご利益はあったのか?」

 トシュが問うたのは角を曲がってからである。

「最近は体調がいいって言ってたわ。いつまで続くかはわからないけど」

 (かえ)って戸惑って、薬屋に相談に来たのだ。〈慈しみの君〉を拝んだ恩恵だろう、という結論は、薬屋の知識と経験によって導き出したものではなかったが。

「それと——親戚と仲直りしたみたい」

「おお。頼れるような親戚はいないんだなと思ってたが」

「あの子たちのお父様のお姉様だったかしら」

 子供たちの祖父母も健在らしいが、父方とも母方とも疎遠だと聞くし、特に好転したとは聞いていない。三人目にやっと男子が生まれるまで辛く当たられてきたとか、引っ込み思案な長女が扱いづらいと邪険にするとかで。

 子供たちの伯母(おば)とは、そうした確執はなかったが——三人の子供のうちの、一人だけでも引き取ろうか、と言われたことを許せずに、それから絶縁状態にあった、らしい。何も母子や姉弟(きょうだい)を引き離すことが主目的だったわけではないから、あれは浅はかな提案であったと謝ってきたそうで——(もっと)も、謝るつもりは前からあったようで、どちらかといえば謝られる方がやっと話を聞く気になったのだ。

「じゃ、ちょっとした失言だとか行き違いだとか、話し合う気になりゃあ歩み寄れるレベルの悶着は解決した感じか。体の不調も、『不調』レベルなら——病気は知らんが、『慢性的な不調』程度までは解消したのかね」

 トシュは納得したように頷いた。そういうことじゃないんだよなと困るようではなかったから、やはり、〈慈しみの君〉の恵みであると解釈してよいのだろう。

「キイも——」

 セディカは呟いた。

「最近、キイがよく、お店に来るの。薬草園を管理してる従伯父(おじ)様のところにも行ってるみたい。チオハの家の人たちと仲良くする気になったみたいで——誰もね、今さら何だって言わないんだって」

「結構なことじゃねえか。何が気になる?」

「……キイのお母様は、変わらないみたいなの」

 目を伏せた。自分の親のことでもないのに言ってしまってよいものか、とも躊躇(ためら)われるけれど。

 セディカが妖怪に襲われたのは自分の母親の差し金かもしれない、とキイが考えるような。イッシャとカンが妖怪に差し出されていればよかったのに、と言うのではないかと恐れられるような。キイを追いつめている、きっと、一番の原因。

「人間を変えちまうわけじゃねえんだろうな。そこまでやると——人間を神の慰み物にするようなことになっちまう」

 そういう風に言われれば、なるほど変わってしまう方が恐ろしいのかもしれないが。

 どうにもならないと宣告されたような——不治の(やまい)だとでも、言われたときのような。

「本人が変わりたいと思えば違ってくるんだろうがな。周りとしては——まあ、周りにはどうにもできんと見切りをつけるのも重要だろうさ」

 方向転換できるしなと言い添えたトシュの脳裏には、マオを救う手立てを探すのは断念して、()(どう)と桃を調達しに行ったときのことが浮かんでいたのだが、セディカには語られなかった。

「キイが——気の毒だわ」

 セディカは呟いた。

「支えてやれよ、再従姉(はとこ)どの。結果何ともならなかったとしても——支えてくれるやつがいたっていう経験は、大きいぞ」

「自己満足にならない?」

「自己満足になるかもしれんっつって手控える方が問題だろうよ」

 三姉弟の伯母のことを考えると気持ちだけでは役に立たない気もしたけれど、それを何もしない言い訳にするのは確かに違う。

「やってみたって、思うようにはいかないかもしれんが。おまえは別に、自分が気にかけてやってんだからいい加減に立ち直れやっつって逆ギレしたりはしねえだろ」

「それは、まあ」

「それでおまえの方が潰れちまってもあれだが、自分には何もできないとか思いながら気を揉んでたって潰れるだろ、おまえは」

「……そうね」

 こう聞くと自分は随分面倒な人間であった。

 そもそもキイを支えることに文句があるわけでもないのに、ああだこうだと言い募るのもおかしいだろう。自己満足に陥ることを恐れるにしたって、この自信のなさでは自己満足にすら至らないのではないか——前向きになのか後ろ向きになのかわからないけれど。

 ふと思い出すことがあって、セディカは口元を歪めた。

「キイと言えば。ミクラなんて言うから、何のことって訊かれちゃったわ」

「ん? 触れられたくなかったか?」

「そうじゃなくて。……わたしが変な意地張ったことがバレるじゃない」

 山の中で、トシュとジョイドに助けられたとき。父の姓を名乗りたくなくて、代わりに母の旧姓を言ったのだ。それがつまり、ミクラ——である。

 今となっては二人も、セディカがセディカ゠ミクラではなくセディカ゠テュールであることを知っているけれど。そこを敢えてミクラと呼びかけたことは、本物であるというよいアピールだったのだ。子供じみた抵抗だったと、セディカの顔が熱くなるだけで。

「変な意地たあ、結構な心境の変化じゃねえか。——今は、気にならねえのか?」

「チオハの者ですって言うことが多いせいかな」

 セディカ゠チオハになったわけではないのだけれども、実際問題として、テュール姓を伝えたところで大抵は意味がないのだ。それに対して、薬屋のチオハ家の人間であることには大きな意味がある。自分はセディカ゠テュールなのだ、と主張する方が、何なら(うっ)(とう)しいかもしれない。

「あの家に連れてったのは正解だったみてえだな」

 満足そうに言われて、少女は微笑んだ。自分は——自分ばかり——幸運だ。

 ……いや、一度ならず二度までも、妖怪に狙われたことを考えれば、幸運一辺倒でもないのだが。結局は颯爽と現れた青年たちに守られたのだから、同じことだ。

 

 自賛のようだったろうか、と宿屋に戻ってジョイドの顔を見たトシュは思った。客観的に考えて、マオを亡くしたジョイドを自分こそが支えているところだ。

 女神の訪問を先延ばしにしたいということでもないだろうが、一回で済ませたくはあるらしい。ジョイドは寺院に赴いて偽〈霊王〉の(うろこ)を使った法術の仕掛けを改良したり、本物の方に会いに行ったり、土地神と話をしたりと、地上でばかり忙しくしていた。天命に頼る前に人事を尽くそうとするのはいつものことだし、口実を作って引き延ばしていると解釈するのはねじくれているだろうが、口実を作らなくても引き延ばせてありがたいとは思っているかもしれない。

「土地神が結構やる気出してんだな。土地神にしては」

「〈慈愛神〉手ずから(すい)を授けられたからかもしれないね。寺院の方は何だったの?」

「今回のことを記録に残そうっつうあれだよ。……正確を期すのはいいんだが、セダの衣装にどういう意味があったのか訊かれてもな」

 それらしい格好をさせただけだと答えたら、記録係の僧侶に何だかがっかりした顔をされたけれども、そんなところで期待されても困る。ナナラの真似にすぎないし、それもうろ覚えだったし、ナナラの方には意味や由来があったのだとしても自分は知らない。

 熱心でいいじゃないのとジョイドは笑った。それから、

「多分もうここでやれるだけのことはやったし、そろそろ、南に——」

 さらりと自分から切り出したので、トシュは半ば無意識に向き直ったのだったが、意外な形でそれは(さえぎ)られた。

 キイが訪ねてきたのである。

 顔を見合わせて、青年たちは少年を迎え入れた。

「おかげさまで、イッシャとカンは元気だよ。ご当主がお礼をしたいって言って、うちの母様が反対して揉めてるけど」

「おまえも苦労すんなあ」

「セディカに訊いたら、あんたらは別に見返りがなくても怒らないと思うって言ってた」

「そりゃ、当然のことをしたまでと言えば当然のことをしたまでだからな」

 助ける方にとっては当然でも、助けられる方にとってまで当然ではないだろうから、助けられた方に当然だという顔をされれば癇には障ろうが。

 値踏みのような躊躇のような間をキイは挟んだ。

「あんたら、何でもできんの?」

「何でもはできんぞ」

 過大評価を制して、青年は少年を見返した。

「何をさせたい?」

 

 トシュは野暮用で里を離れている——と聞いて、セディカは幾分おかしく思った。用が片づいたときには、この里に「帰って」くるのか、と。

 ジョイドは寺院に赴いては、本物の〈通天霊王〉や里の土地神を(まつ)る方法について、僧侶たちの相談に乗っているらしかった。〈通天霊王〉が歌や語りを供えよと言ったのは、生け贄のみならず物質的な供物は不要だということだろう、という。つまり、収穫祭で収穫の一部を神々に捧げるに当たって、〈通天霊王〉の取り分を加える必要はないのだ。偽物の鱗を使った、偽物を寄せつけないための仕掛けは残しておくらしい。いつか戻ってこないとも限らないし、万が一手下が悪さをしても困るからと。

 セディカはその〈通天霊王〉に奉納するための神琴を()くことになって、その打ち合わせに何度か寺院へ赴いた。琴の練習が当座の仕事になって、やるべきことが明確なのはかなり気が楽になると思った。

 とはいっても、そのときは神琴の練習をしていたのではなく、薬屋の、それともチオハ家の、昔の人間が残したという、薬の処方についての本を読んでいたところだった。

「太守様のお使いが、お嬢様をお迎えにいらしたそうです」

「太守様……?」

 呼びに来た使用人は、セディカの反応に不安そうな顔をした。

 〈金烏が羽を休める国〉においては、太守という地位は郡を治める長官を指すのだったはずだ。「里」よりも上の単位における、長。

「帝国にいらした頃のことか何かで、心当たりはありませんか?」

「……何も」

「……物々しくて……少し、恐ろしいです。悪いことでなければよいのですけれど」

 使用人は前以てそう教えてくれたけれども、だからといって、あるいはだからこそ、無視するわけにもいかない。廊下を急がずに歩きながら、セディカは無意識に、トシュを呼ぶ呪文を頭の中で復習した。

 店の外には兵士が十人ばかりいた。制服や何やらで見分けられるほど、セディカは〈金烏〉の各種制度に詳しくなかったが、太守配下の兵、ということだろう。()(しき)(どん)()に覆われた輿(こし)が一台控えていて、確かに迎えらしくはあった。

 従伯母(いとこおば)が隣りにいることを心強く感じるのが半分、従伯父(いとこおじ)が親戚の家に行っていて不在であることを心細く感じるのが半分、といったところである。通行人も足を止めて、何事かと眺めているようだった。先頭にいる男性が、いでたちからしても隊長と思しかった。

「セディカ゠テュール、か。帝国と〈金烏〉の血を共に引く」

「……はい」

「太守様の岳父どのの推薦により、太守様のご病気の治療にそなたが必要とのこと。我らと共に来てもらう」

「必要……?」

 隊長は奇妙な具合に顔を歪めた。

「心臓が薬になるそうだ」

 ——その言葉を理解したとき、セディカは言葉以上のことも理解した。またも——なのか。マオに続き、〈通天霊王〉の偽物に続き。

「何を……何を(おっしゃ)るんです!」

 従伯母が慌てて従姪(いとこめい)を抱き寄せたが、兵士たちがそれぞれを捕らえて引き()がした。店の内外がざわめき、制止するような声も上がったが、抜いていないとはいえ武器を携えた兵士相手に、力尽くで(とど)めようとする者は流石(さすが)になかった。従伯母(おば)様、と手を伸ばしながら、少女は自分の意志でなく輿へと近づく。

「待たれよ」

 凛とした声が横合いから響いた。見れば、寺院で出会ったあの役人だった。

「これはどういうことだ。この里の人間を連れ去ろうとは」

 はったと隊長を睨みつけた目つきや口調から推すと、互いに見知った間柄なのかもしれない。

「〈通天霊王〉の一件には梨の(つぶて)で、今、この暴挙か」

「太守様のご命令だ」

 隊長はすげなかった——と思うや、皮肉めいた、しかしやはりどこか違和感のある表情を浮かべた。

「何故、俺がこの仕事を仰せつかったと思う。前隊長が太守様に逆らって任を解かれたからよ」

 里の役人は顔色を変えた。

「太守様の治療を妨げようとは、太守様の暗殺を企むも同じ。反逆者の汚名を着たくなければ邪魔立てをしないことだ」

 隊長が顎を振って合図し、兵士がぐいとセディカを引き立てる。

「待って」

 はっとして叫んだ。

「お別れを——お世話になった人にお別れを言わせてください、どうか」

「太守様のお命は明日をも知れないのだ」

「セディカ!」

 従伯母が叫ぶ。従伯母と、他にも一人二人、兵士に止められているのが見えた。

「——ジョイドに伝えてください!」

 その言葉を最後に、少女は輿に押し込まれた。

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