その声を聞く この手を伸ばす 兎の章   作:古今いずこ

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第16回 鷹の贖罪 狼の使命

 太守の平癒を祈願して、病人、貧者、あるいは幼児を抱えた保護者への臨時の支援を行うことと、恒久的な支援制度を今後整えていくことが発表された。それとは別に、〈高奇と高義と高臥の里〉は今年の租税が免除された。後者がセディカの件の迷惑料代わりであることは、公的な使者の私的な言葉として伝えられた。そんなことを突発的に行って大丈夫なのだろうかと懸念したのはセディカだけではなかったが、とにかく、これが太守の(つぐな)いであった。

 そのことを伝えに来たのはセディカを連行しに来たのと同じ一隊で、ただ復帰した前隊長が率いていたらしい。あのときの隊長は一隊員に戻って、思い成しか(すが)(すが)しい表情をしていた。セディカと従伯母(いとこおば)、その他の店員たちに直接詫びたときも、表面的な謝罪とは感じられなかった。あのとき部下が手を出した者たちを集めてほしいと言って、一人一人に頭を下げたくらいだ。

 太守の非道に何も感じていなかったわけではなく、保身に夢中だったということでもないらしい。それでも、そういう人物でも、太守を、その裏にいた妖怪たちを、止めることはできなかったのだ。そうする力は、なかったので。

 寺院の人々だって、役所の人々だって。トシュとジョイドの参戦がなければ、〈通天霊王〉に(あらが)うことはできなかった。チオハ家の人々だって、ノヴァ家の人々だって、自分たちにできる限りのことはしたけれども——。

「セダ」

 耳元で声がして、トシュに違いないのにびくりとしてしまった。

「ちょっと出迎えてやってくれねえか。店じゃなくて裏の方だ」

 説明を欠いた指示であったが、ぼんやりしていたところだったので——本を開いているものの身が入らないところだったので、セディカは速やかに立ち上がり、言われたように家の裏手へ出ていった。トシュとジョイドと同じほどの年齢と思しき男性が、踏ん切りのつかないような様子で(たたず)んでいた。

「ご用ですか?」

 この人物のことだろう、と声をかける。男性は躊躇(ためら)ってから名乗り、また躊躇ってから尋ねた。

「スチェは——いますか」

 中へ戻って知らせると、——スチェは手にしていた薬瓶を危うく取り落としかけた。

 そのまま家の中を駆け出すから、セディカは慌てて追いかけた。一拍遅れて再び外へ出たときには、スチェはあの男性の胸に飛び込んでいた。

 その男性が、先代当主の次男の一人息子であり、セディカから見れば例によって再従兄(はとこ)であり、スチェにとってはそれ以上に夫である——と、セディカが教わるのは少し後のことだった。

 

「女でもいいってチオハ家では思ってても、外からやいのやいの言われたりするからね。『チオハ家の当主』だけは男なんだよ。で、薬屋の主人が女だったら当主と結婚すんの」

「……王家みたいなことするのね」

「昔うるさい太守がいて、女当主は認めないって取り潰されかけたかららしいよ。ま、スチェ姉様たちの場合は割と両想いだったみたいだからいいんじゃない」

 キイは上機嫌であった。

「もう兄様は死んだんだろうから、僕がスチェ姉様と結婚すればいいんだ、なんて母様が口走るからさー。やだよ僕、イッシャとカンみたいな結婚すんの」

 リアクションの取りにくいことを言う。

 再従兄については、無論キイ以外からも聞いた。早くから医者に弟子入りしていて、その医者の勧めもあって帝国に留学して、しかし帰るはずの年に帰らず音信不通になっていたのだと。それをキイに頼まれてトシュが捜し出したのである。期待させておいて裏切るようではすまないからと、みつかるまでキイ以外には黙っていたらしい。

 追い()ぎに遭って路銀を失い、命は助かったが足を痛めて、旅が難しくなっていた再従兄は、トシュに付き添われて故郷への帰途に就いた。途中でトシュはセディカに呼び出されて一時いなくなったが、戻ってきたときには何か不思議な薬を持っていて、再従兄の足は全快した。はっきり聞いたわけではないけれど、トシュの言いようから推すと、太守のために薬を手に入れた残りであったようだ。太守の(やまい)と再従兄の怪我とに同じ薬が効くというのも奇妙だから、きっと仙人の作るような薬だったのだろう。

 それからトシュは別の用事ができてしまったとまたいなくなったが、翌朝になれば自分の代わりが来るからと言い置いていった。果たして翌朝、従順で大人しい白銀の狼が現れた。その背に(またが)ると狼は大地を疾駆し、あっという間に再従兄をこの里まで連れ帰ってきた、という。

 その狼はつまり、トシュ自身だったのだ、とセディカは確信したけれども、勝手に言い触らすわけにはいかない。少しでも早く連れ帰るために狼の本性を表したのだろうが、とはいえ自分が狼であると知られるわけにはいかないから、用事があると言って去ったふりをしたのだろうし。

「全然知らなかった」

 そうとだけ、少女は呟いた。

 一つ屋根の下に暮らしていながら、スチェがそうした事情を抱えていることなど全く気づかなかった。従伯父(いとこおじ)夫妻は親戚と顔を合わせる機会をしばしば作ってくれているから、あの再従兄の両親とも何回か会っているのだけれど、やはり、一人息子が行方不明になっているとは気づかなかった。

 タブーみたいになってたかんね、とキイは言う。キイだって、キイ自身のことやノヴァ家のことはあれこれ喋ったけれど、再従兄のことは話さなかった。セディカの方も自分の事情でいっぱいいっぱいだったから、気を遣って避けてくれたということかもしれない。とはいえ——自分のことや、わかりやすいキイのことばかり気にしていて、わかりやすく知らされなかったことは気づきもしなかった、のだ。

 自分一人が不幸だと思っていたわけではないけれど。わかりきっていることながら、自分の見えないところにも、様々な形の憂いや悩みがあって。歩み寄って解消できたり、耐えて受容するしかなかったり、追い払えたり乗り越えられたり、ままならなかったり膝をつかざるをえなかったり、するのだ。……わかりきっていることを、忘れかけていた、気がする。

「めでたしめでたしでいいじゃん。何が不満なのさ」

 キイが半ばからかうように、半ば苛立つように唇を(とが)らせた。セディカは苦笑いする。確かに、再従兄の帰還という喜ばしい事態を前にして、自分のことでうじうじしているのも自己中心的だ。

「キイがトシュに頼んでくれたおかげだものね。〈通天霊王〉様のときもそうだったし」

「そーそー。僕を称えなさい」

 けらけらと笑う様子は見慣れたものであった。しばしみつめて、呟かれる。

「キイが——チオハの人たちと仲良くする気になってくれて、よかった」

 途端にキイはぴたりと笑いを止めて、()(げん)そうに覗き込んできた。セディカはしばし、躊躇った。

「ねえ、キイ。わたしが……いなくなったら、寂しい?」

 

「わたしがおまえの姿を借りてあの子に教えた呪文のことかい」

 無論と言おうか、女神はそのことを隠そうともしなかったし、見抜かれて慌てることもなかった。そうだろうと思っていたから、ジョイドは意外にすら感じない。

「あの子がわたしに、慣れないながら懸命に祈りを捧げたものだから、目に留まったのだけれど。危うげな体を持っていたから、念のために教えておいたのだよ。思ったよりも早く、必要になったね」

 つまりその祈りは、儀式的な祈願としては間違っている一方で、素朴な祈りにしては形式張っていたのだろう。〈慈愛神〉の加護を願う守護呪のことなどをなまじ教えたことがあるから、その形式に(なら)おうとして、結果として中途半端な文言ができあがってしまったのかもしれない。〈慈愛神〉ならば形式不備を咎めることもあるまいが。

 セディカのためには随分親切にしているようなのに、マオを助けてはくれなかったのだな、と恨むのは筋違いである。自分にそう言い聞かせて無理に諦めているのではなく、実際、ジョイドは理解していた。神は人間が期待するほど、思うままに何でもするわけではないし、勝手でもないし、気紛れでもない。

 偽の〈通天霊王〉に仕えていた海老が、トシュの声を真似てセディカを(おび)き出そうとしたとき。セディカが騙されて出ていこうとしたなら、ジョイドは止めた。偽物だと教えても信じずに、あらゆる手段を駆使して飛び出していこうとしたなら、熱意に折れて認めた——などということはありえない。トシュのためにもセディカのためにもならないことは明らかだったのだから。それと同じことなのだ。地上の出来事に、天の神が手を出すときも、敢えて手を出さないときも。守られる側、救われる側が、信じなかろうと認めなかろうと、大抵は最善手を取ろうとしてくれるものだ。

 ……結局、自分は八つ当たりもできないのだなと、思う。マオを救わなかったではないかと、理不尽な憎しみをぶつけることもできなくて、何が恋人か。

「あの子のための呪文だから、おまえに教えるわけにはいかないよ」

「はい」

 その言葉にも苦笑された。何気ないことだし、妥当なことだが、これまた自分の不出来ぶりが身に抓まされる——そんな呪文を教わらなくともトシュなど容易に呼び出せる、ということはないので。

「知りたいことはこれで全部かね」

「はい。お時間を()いていただき、感謝致します」

「では、わたしから言うことがある」

 女神は微笑んだ。

 

「気持ちでどうにかなるなら、おまえのお母様は生きてるさ」

 それがトシュの言だった。

 セディカが宿屋を訪ねると、トシュだけがいてジョイドは不在だった。ちょうどトシュがいただけでもタイミングがよかったわけだが。

「おまえが自力じゃどうにもできないのだって、従伯母(おば)様たちがどうにもできないのだって——俺だって、三日で解決できるもんならそうしてやりたいが、できない以上は、できないからな。死に物狂いになれば奇跡が起こって、才能に目覚めるってわけじゃない」

 わかってるだろうがな、と言い添えられた通りではあった。

 従伯父も従伯母も、扱いづらいだろう従姪(いとこめい)を大事にしてくれた。スチェも自身の悲しみを隠して、再従妹(はとこ)に親切にしてくれた。キイも何かと構ってくれた。セディカが単なる父母と祖父母のいない子供であったら、遠縁たちは暖かく守り続けてくれただろう。

 けれど——従伯父も従伯母も、スチェも、キイも、帰ってきたスチェの夫も。寺院や役所の人々に頼んでみたとしても。妖怪を呼び寄せるというセディカの体質を、その仕組みを解明することはできないし、変容させることもできない。技術も、知識も、取っかかりも、持たない。狼の牙を持たないように、鷹の翼を持たないように。——セディカが母をどんなに慕っていても、どんなに(なつ)かしんでいても、母を生き返らせることはできないように。

 能力の問題だ。愛情や責任感の問題ではない。

「キイに泣かれちゃった」

 セディカは困ったように口元を(ゆが)めた。それだって——泣かせるようなことになったのだって、キイを嫌いになったとかキイに飽きたとかいう問題ではない。自分が招き寄せる危険に、自分で対処する能力がないから、なのであって。

「……わたし、この里が好きよ。この里の人たちが好き。……わたしがいるせいで、この里が危険な目に遭うのは、辛いわ」

 だから、行くしかないのだ。去るしかないのだ。自分自身が害であるなら、愛しいものからは遠ざかるしかない。

 それでいて、憎い父親の元へ戻って巻き込んでやろう、となるわけでもないのだから理に合わない。父親の元になど戻れば、いつか妖怪に襲われるのを待つまでもなく、その時点で自分が不幸になるだけだ。

「といっても、偽〈霊王〉も太守の岳父も、元々悪さはしてたんだからな。おまえのおかげで膿が出たとも言えるわけだ」

 トシュが指摘した。そう、幸い、今のところはそれで済んでいる。ただの偶然だが、結果的には。

「悪いことばっかりじゃ、ないのよね」

 呟かれたのは本心だった。

 どうしてこんな目に、と泣き(わめ)いても許されるだろうけれど。泣き喚いても解決はしないぞと言ってくるような者も、周りにはいないだろうけれど。それでも、泣き喚く他にできることがないほど、全てが閉ざされたというわけでも、ない。

 セディカがのんびり神琴の(けい)()をしたり、自分の進退で悩んだりしている隙に、トシュはてきぱきと再従兄を救い出してしまった。考えてみれば、〈通天霊王〉の件だって太守の件だって、何なら再従兄の件よりもすばやく、トシュたちやセディカの耳に入ってからは一日かからずに片づけてしまったのである。それだけの腕前と心映えの持ち主が、手をかけてやろうと向こうから言ってくれるのだから、その点セディカは恵まれているに違いないのだ。……そんなトシュとジョイドでさえ、西の果てまで(はる)(ばる)行くしかないというのなら、結局、不運にも違いないだろうが。

「そりゃ、無理に泣けとは言わんが」

 トシュが渋面を作り、セディカは苦笑した。泣き喚いたって困らせるだけだろうと思うけれど、聞き分けがよすぎても困惑させるらしい。

 

「だってねえ、順当に行けば、俺はマオの夫になってたわけだから」

 夫、などと言うからセディカはどぎまぎした。

「潜在的な原因は君の体にあったとしても、顕在化させたのはマオだからね。妻の償いを肩代わりするのは夫の務めでしょ。西まで案内するくらい、どうってことないのよ」

 マオのことを語るジョイドは普段と変わらないように見えた。立ち直れたのだろうか、とセディカが案じるのもおかしな話だが、結局、マオの恋人である前に、ジョイド——なのだ。

 ジョイドだって、マオがセディカを食べようとした上で死んでいなければ、つまりマオの代わりという理由がなければ、セディカを助けようとはしなかっただろう、とは思われない。……これはつまり、ジョイドに助けてもらえることを、当然と思っているのかもしれないけれど。

 やはり、自分は幸運なのだ。トシュに出会え、ジョイドに出会えた。自分を(おびや)かしたマオさえ、自分が守られる理由に変わっていった。自分と違ってマオは死んだのだし、——母だって、死んだ。不運だったばかりに——夢のような救い主が現れなかったばかりに。

「ジョイドにも直接言えてよかったわ。じゃあ、明日、来てくれる? 従伯父(おじ)様が直接お願いしたいって」

「明日ね、了解」

 微笑むジョイドに同じく微笑みを返して、セディカは宿屋を離れた。ちょうど辞そうとしていたところにジョイドが戻ってきた、これも小さな幸運だと思ってから——あまりにも()(さい)なことを拾い上げるのは、(かえ)って後ろ向きだなと、思い直した。

 

「順当に行けば、ねえ」

 しげしげとこちらを眺めながら呟いた相棒は、しかし、それ以上は続けなかった。ジョイドは含みのある笑みを返すに(とど)めた。

 何を以て、結婚が成立するのか。

 式を挙げれば——儀式を行なえば——神に誓えば?

 

「マオ」

 変わり果てた恋人の手を握って、ジョイドは告げた。

「結婚してほしい」

 大きく見開かれた目に微笑みかける。

「君を——この先、ずっと。君のことを、妻と呼びたい」

「……考えたこともなかった」

 (かす)れた声が答えた。

「『夫』なんていう(おぞ)ましい名前で、あんたを呼ぶことなんて。……けど」

 目から涙がこぼれると同時に、口からはこちらも微笑みがこぼれた。

「あんたが……あんたが、あたしを、妻と呼ぶのか……」

 あれはただ二人きりの会話だった。結婚するんだと二人で告げたのもトシュに対してだけだ。それだけでよかった。

 ——のだけれど。

「いずれおまえの妻が再びこの世に生まれたときは、きっとおまえとまた出会うだろう。そのとき、おまえの妻であると思うか、そうではないと思うかはおまえ次第だが」

 これはおまえの姿を勝手に借りた詫びだよ、と微笑んで、〈慈愛天女〉は言った。

 未来を見通したとしても、天の神々が人間や妖怪にその一端を明かすとは、めったにない、珍しいことだった。ひょっとしたら、それを明かす口実を作るために、敢えて無断でジョイドの姿を使ったのではないか、と思われるほどに。

 いつかまた会えると、言い。——おまえの妻と、言った。

 妻、と。

 

 結局のところ。

 まだほんの十三歳にしかならない少女を食べようとして、思い(とど)まりはしたものの、恐怖と罪悪感を植えつけた、加害者を。

 すぐに死んだからでもなく、哀れな事情があったからでもなく、妖怪と人間との間では話が違うからでもなく——ただ、恋しているから、自分は赦しているのだ。

 だから、マオの代理を気取るまでもなく、これはジョイド自身の償いなのである。マオを変わらず愛していることへの。マオの——マオがこの世に残した——被害者への。

 

「行って帰ってくるのに、何年かかるかわからない。もし、十年二十年かかったとしたら——戻ってきたとき、あいつの居場所はここにあるか?」

 お願いしますと頭を下げられた去り際に、セディカの目を盗んで店主を捕まえ、トシュはそう尋ねたのだった。

流石(さすが)に結構な道(のり)なんでな。苦労して引き返してきた結果、誰にも受け入れられないってんじゃ、きつい」

「何十年でも待ちます」

 そう誓った店主とその妻は、その後、セディカと正式に養子縁組をしたらしい。収穫祭を待たずに神琴の奉納だけを行ったときには、()き手は「セディカ゠チオハ」の名前で紹介された。〈通天霊王〉はこの里を見守っているのだから、神琴を奉納する予定があったことも知っているはずで、だから中止にはできないという理屈は、あるいは少女に晴れ舞台を与える口実であったかもわからない。

「浮かれていたわ。子供を持てたことに」

 店主の妻は自嘲気味に笑んだ。

「浮かれすぎて——天が水を浴びせたみたい」

 店主夫妻、スチェとその夫、番頭以下の店員または使用人が三人ばかり、それにキイも見送りに来ていた。人買いのような気分だとトシュは思う。キイが赤い目で睨んでくるから、なおのこと。

 両の(こぶし)を固く握ったキイは年齢通り一番子供らしくて、大人たちはそこまで感情を見せつけはしない。が、だからとて思い入れが弱いということでもあるまい。

「ちゃんと、帰ってきます」

 セディカはきっぱりと、従伯母、否、養母の目を見上げて言い切った。

「さっき見せていただいた、庭のこちら端の松。セディが西へ向かっている間、あの松は枝を西へ向けて伸ばします。その枝が東を向いたときは、帰途に就いたということです」

 ジョイドがここからは見えないその松の方を指し示す。先ほどセディカの手を幹に当てさせて、何か唱えていたのはそれか。

 つまり、多分、あの松が枯れたときには、即ちセディカが死んだと示すことになる——そもそもそんな目に遭わせるわけにはいかないが。

「行ってきます。お養父(とう)様、お養母(かあ)様、スチェお姉様、……キイ」

 名残惜しげにしばし佇んでいたものの、青年たちに(うなが)されるのを待たず、少女は背を向けて歩き出した。トシュはその家族に一礼してから少女を追った。

 山で拾ったときと違って、セディカはしっかりと旅姿であった。ただ、荷物の中身は見た目よりも多いはずだし、実際よりも軽いはずだ。トシュやジョイドが使っているものと同種の、方士や妖怪御用達の背負い袋を手に入れてきてやったので。それを背負ったときの少女は、何だか理不尽な目に遭ったような顔をしていた。つまりは青年たちの荷物もそれだけ軽かったことが判明したためだろう。

「お母様って呼ぶんだな」

「え?」

 ぽそりと呟いてしまってからまずかったかと思ったが、訊き直したセディカは特に傷ついたということもないようだった。

「いや……『お母様』には(こだわ)りがあるかと」

 ああ、と微苦笑が返ってくる。

「喜んでくれるかと思って。手前味噌だけど」

「いや、合ってたと思うぜ」

 店主の妻が一番、夢中だったのだろう。親戚としての責任や、一般的な同情や親切心を超えて、我が子も同然と見()しうる少女の出現に歓喜していたのだろう。

 セディカは的確に応えたのだ。亡き母を慕う気持ちは変わらなくとも——あるいは、変わらないからこそ。正式に養母となって待つ覚悟を示した相手への、セディカにとって最も尊い返礼であったのかもしれない。

「さっさと行ってさっさと帰ってくりゃあいいさ。人目がなけりゃ、無茶もできるしな」

 軽い調子で言ってから、もう三回くらい同じことを言っているなとトシュは思った。キイに頼まれた再従兄を連れ帰ってきたときのように、自分が狼の姿になって、背に乗せてやって疾走してもよいのだ。といっても、日がな一日走り続けるようなわけにはいかないだろうけれども。

「それはキイに言ってあげた方がよかったんじゃないの?」

 ()()()しとも本気ともつかぬ返事に、キイなあ、と頭を掻く。

 実は、何だったら一緒に来るかと、こっそりキイに尋ねたのである。セディカをどこへ連れていく気だ、とキイの方から押しかけてきたときに。母親との関係も複雑らしいし、トシュとしては本気で提案したのだったが——結果としては、酷な選択を突きつけて、セディカを明示的に諦めさせただけになってしまった。睨まれるわけだ。

「まあ、ああいうやつが一人いた方が、こっちも思い上がらんで済むってもんだ。俺らが途中で投げ出したりしたら、おまえが大目に見てもキイが赦さねえだろ」

「そうね」

 自分のことにかキイのことにか、セディカは苦笑した。西の果てまでは未だ遠く、〈高寄と高義と高臥の里〉からも既に遠い、進むも戻るも厳しいところで放り出されたとしても、トシュとジョイドはできる限りのことをしてくれたのだから、とこの少女は呑み込んで諦めかねない。

 ——もし、この里に初めて辿(たど)り着いたとき、チオハ家の親戚に拒まれていたとして。代わりの居場所をみつけるまでと、セディカをそのまま連れ歩いたとして。それがずるずると長引いて、いつしか三人でいることが当たり前になったのだったら、それもよかったのかもしれない。けれども、今やこの少女には帰すべき場所があり、返すべき家族があり、友人がある。

 だからこれは挿話の始まりでなくてはならないのだ。旅立ちを以て終わる物語であってはならないのだ。人生における一つの寄り道、この里に帰るまでの仮初(かりそめ)の舞台。時を経て振り返ったとき、丸ごと省略してしまえる余分な日々。

 待ってなキイ、と青年は来た道を振り返った。

 

 願わくは、再びこの場所で、遠くない日にこの挿話が幸せに結ばれることを。




この作品は西遊記を下敷きとしており、第十八~十九回(高老荘)、第四十七~四十九回(通天河)、第七十八~七十九回(比丘国)の要素を主に取り入れています。

読了ありがとうございました。
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