夜の21時。 犬走椛はクタクタになりつつ、どうにか自宅に帰り着いた。彼女はそのまま荷物を放り投げると、ベットに顔面から倒れ込んだ。ボフンと布団と気持ちの良い衝突を果たした。こうなると予測して、朝に布団を敷いていたのは正解だった。
「あぁあ、づかれだ~~~~」
犬走椛は、どうしてこれほどまでに疲れているのか?
まず彼女は。自身の本業である山の警備を、14時頃に上がった。それから今の今まで白狼天狗の後輩たちに稽古を着けていたのだ。内容は100人の白狼天狗一人ずつと一対一での勝負。椛に一撃でも入れる事が出来れば、後輩たちの勝ち、逆に一撃も貰わずに全員を降参させたら椛の勝ちというものだ。結果は椛の勝利。彼女は次世代を担う彼女たちに、戦いを通して、厳しくも丁寧にさまざまな事を教えた。それは教える側の椛にも良い勉強となり、白狼天狗達にも犬走椛の強さが、改めて伝わり、目標を再認識する事ができた、とても有意義な時間だった。
「いやいやいや、なんか良い話になってますけれど、私も一応か弱い女の子ですよ。休まず100人と連戦なんて、流石に応えるわ・・・。オエップ、ぎもぢわるい」
食欲はないが腹は減る。椛はどうにか身体を起こし、お茶漬けと漬物という簡単な夕食の仕度をした。
「お茶漬けは楽で美味しいから好きです。食欲がない時も、これならなんとか入るし。まあ本当はもっと栄養のあるものを食べるべきなのでしょうけれど。まあ仕方がない」
独り言のあと、鮭茶漬けを勢いよくかっこみ、河童特性のきゅうりの浅漬けをパリっと口に入れる。満腹とまではいかないが、少しの満足感が、彼女の疲れを更に呼び起こし、まぶたを重くさせた。
「ご馳走様でした」
洗い物を手早くすませ、そのまま倒れ込むように布団に身を投げる。
「まあ、いいです。明日は久しぶりの休日。 こんなに疲れた時は、あれに限りますね・・・」
椛は明日の事を想像して笑顔になる。が次の瞬間には、深い眠りへ落ちていた。
チュンチュンという小鳥のさえづりが、椛の意識を覚醒させた。
「ふぇ。さっき眠ったばかりなのに、もう朝ですか。それにしても、身体が重い」
時計は朝の六時を指していた。普段ならば朝稽古が終わったくらいの時間ではないか。
「それに、あぁ。昨日着替えてもないし、お風呂にも入ってないから汗臭い・・・」
椛はそのまま浴室でシャワーを浴びて、丁寧に身体を洗う。他所行の時のみに使う石鹸とシャンプーの甘い香りが、彼女を戦士から少女へと変える。その後は昨日余った米に漬物という簡単な朝食をすませてから、がっつり二度寝をした。
午後11時に、椛は眼を覚ました。身体はさっきよりずっと軽い。勿論汗臭さもない。あるのは空腹と、美味しいものを頬張りたいという欲求だった。
「行きますか。今日は鯢呑亭のカニチャーハン大盛を、ガツガツとやりますよ」
考えただけで、口内には味が蘇り、よだれが溢れてくる。椛は髪と尻尾を整えてから、前回のように、空を飛ばずに歩いて人里へ向かった。
目的の鯢呑亭(げいどんてい)に着いたのは、13時頃だった。この店は最近出来た店で、煮物やご飯ものを中心に、豊富なメニューが揃っている。味はあの十六夜咲夜や魂魄妖夢といった名人級の者が絶品と評するほどだ。その中でも値段がお手頃で、量が多いカニチャーハンは隠れた人気商品で、椛はここへ来ると、必ずこれを大盛で注文する。
「美宵さん、こんにちは」
「あ、椛さん、いらっしゃいませ。お久しぶりですね」
「本当にお久しぶりです。最近は仕事が忙しいもので」
「そうですか。それなら、今はお客様も少ないし、ゆっくりとしていって下さいね」
「ありがとうございます」
(ふふふ、お客が少ない時間を狙ってきたのですからね。いくら私が狼とはいえ、大盛カニチャーハンにがっつくところをあまり人には見られたくないですからね)
椛は空いている席に適当に座ると、美宵がお冷とメニュー表を持ってきた。
「それでは、ご注文がお決りになったら、お呼び下さい」
奥野田美宵(おくのだみよい)は。この店の看板娘である。とても人当りが良く、仕草の一つ一つには可愛さがあるのに、どこか気品すら感じられた。おまけに料理上手でスタイルがよく美人ときた。 このような美しい女性を見ると、椛は胸がもやもやする。
(天は人に二部を与えないって言うけど、あの人はそれを否定する良い証拠ですね。 私は、日々鍛錬と戦いばかりで、汗臭い。料理なんて殆どできないし、筋肉質でスタイルだって悪い。女の子だってわからない人だっている。はぁ・・・)
私は何してるんだろう? 本当は何がしたいんだろう? 椛は考えずにはいられなかった。
ぐぅ~~ギュルルルル・・・。
が、空腹は理性よりも正直なものだ。
(わ、私はお腹空いたからネガティブになってるだけかも。とりあえずメニューを確認するけれど・・・。まあ、カニチャーハンの大盛で決まりなんだけど、それでもメニューは見たくなるんですよね。新メニューとかあれば、文さんの取材の役に立つかもしれないですし)
椛は一通りメニューを見る。すると、オムレツとチキンライスの真ん中に捻じ込まれるように、赤いマジックで『新メニュー オムレツライス』と書かれていた。
(オムライスじゃないのかな。それにしてもこの目立たないように見せかけて、ものすごく主張してくるやり方、気になります・・・。いやダメ!ここに一人で来た時はカニチャーハン大盛と決まっているじゃありませんか!他のメニューならば、文さんと来た時に食べればいい。そしたらメシ代だってうく)
ザワ ザワ 椛は感情の揺らぎを感じた。 ザワ ザワ これは、好奇心が理性を浸食していくあの感覚だ。
(いやいやあり得ない!!目の前に、しかも無難に手が届く位置に幸福があるというのに、それを放棄して危険な冒険を取るというのか? これが任務や戦闘ならば、それは勇敢と称えられるかもですが、これは休日の食事!仕事を忘れて、立場や称号とかも関係なく、私が私らしく過ごせる大切な時間!飴玉のように自分に甘くなって、カニチャーハンをお行儀悪く食らう!それこそが至高にして至福!それをこんなパッと出のメニューに邪魔されるというのか!?いや、そんな事はあり得ない!!わ、私は新メニューなんかに興味ないんだからね!安定のカニチャーハンを食べるのだから!!)
椛はスゥっと息を吸い込んだ。
「すいません美宵さん」
「はいお決まりですか?」
(さぁ言うんだ私!)
椛は心の中でせーのと言う。鼓動の音が耳まで届いた。
(カニチャーハンを大盛で!)
「オムレツライスを1つ、お願いします」
(えぇええええぇえええぇええええぇええ!!)
椛は心で絶叫した。ムンクの叫びみたいになっている。
(わ、私はいったい何を!?心と口が別の言葉を発した??まさか、まさか勝ったというのか?ほんのわずかに好奇心が、冒険心が、約束された安定を上回ったというのか???)
「・・・畏まりました。少々お待ちください」
(しかも今の間はなに?ひょっとしてこれ、外れメニュー???)
美宵が厨房に入るのを見届けてから、椛は大きく深呼吸をして、水を飲んだ。
(まずは落ち着くんだ犬走椛。社畜の休日で一番大切なのは平常心です。これがないと楽しめるものも楽しめない!大丈夫です。ここのメニューは好みの差はあれど、基本的に外れはありません。 それにオムレツライスとはいえ、基本的にはオムライスの類とみて、まず間違えないでしょう。ご飯ものが美味しいこの店で外れを引き当てるはずがない。 それに考えれば楽しみじゃないですか。ここは卵焼きもチキンライスも、ドリアだって絶品です。オムレツライス、いったいどう攻めてくるのか? 余分な好奇心と浅はかな冒険心、幼稚な遊び心。これらはいつも人生を台無しにする。しかし同時にこれらがないと、人生が豊にならない事もまた事実。このオムレツライスが、我が休日を、豊かなものにしてくれるか、それとも・・・。さぁ勝負です!)
「おまたせしました」
「あ、ありがとうございます」
「オムレツライスです」
(うんうん、さて、どんなオムレ・・・、えぇ!?)
美宵がテーブルに置いたお盆を見て、椛は声が漏れそうになった。そして次の瞬間には絶句していた。
(オムライス、じゃない。オムレツとライスでオムレツライス、いやいや、これはただのオムレツ定食じゃないか・・・)
メニューはいたってシンプルなものだった。ケチャップが少なめのオムレツに、千切りキャベツ。それに漬物とご飯。という内容だ。
「それでは、ごゆっくりどうぞ」
「あ、は、はい、どうも」
痛恨!! まさかの読み違え! アリーナにとどめをされた魔物も、こんな気分ではないだろうか?
椛は美宵が去ったあとで、大きなため息を吐いた。
「ごゆっくりって言われてもね・・・。これじゃ山のオムレツ弁当の方がまだマシですよ。うぅ、これならカニチャーハン大盛にすればよかった」
ちなみにオムレツ弁当とは、妖怪の山の昼時に配られる弁当だ。内容は合いびき肉のケチャップ煮を玉子でくるんだものと、赤ウインナーと白ご飯といったものだ。卵が半熟で柔らかいわけでも、具材にこれといった工夫があるわけでもないが、300円と安く、量も多いので、白狼天狗たちから人気があるお弁当だ。
椛は茫然とするも、折角アツアツのオムレツが出て来たのだ。お金を払うのだから、美味しく頂かなければ、サイフに勿体ない。
「それに、オムレツそのものは結構好きですしね」
とりあえずはしを持つ。
「いただきます。さて、と」
プチュ! ほわぁあ、トロ。
「!!これは」
箸つたいに、感触が電波する!
(このオムレツの柔らかさ。暖かいのに半熟という理想の中の理想!しかも持ち上げてわかるこの重さ。かなり具が多い)
ふわぁトロぉのオムレツを持ち上げて、具とその香りを確認してから、一気にそれを口へ頬張る。
「お、美味ひい!!」
(噛んだ瞬間のこのとろける卵の柔らかさと、口を引き締めるしょっぱさは・・・。スモークベーコン!それに飴色になるまで炒めた玉ねぎに、コーン!全部卵に合うものばかりじゃないですか! しかも、しかもこのオムレツ、混ぜてある。神々の調味料と呼ばれながら、誰の口にでも入る最高にして、最上級の調味料! マヨネーーイズ!!)
椛は口の中のものを飲みこむと、美味さの残る息をぶはっと吐いた。
「だけどマヨネーズの風味を残しつつ、コクと香ばしさまで出すのは相当に難しい。おまけにそれをオムレツの生地にすれば、ただ油っぽくなるだけだったりする。それをこれほどまでに完璧に・・・。美宵さん、やっぱり恐ろしい料理の腕です。フフ、ケチャップが少し少ないと思ってましたが、これなら問題ない。いやむしろご飯が足りなくなるか心配になっちゃいます!」
最初の絶句や、ムンクの叫びが、いつのまにか嬉しさの悲鳴に変わっていた。
~ 少女食事中 ~ パクパク、もぐもぐ ガツガツ!
(このベーコンのコクと塩っ辛さが、重労働で大量の塩分を失った身体に、しみる!染み込んできやがります!そこにこの玉ねぎとコーンの甘さが合わさると、ジャンクなのに、どことなくお洒落な風味になる。それらを優しく柔らかく包み込む卵がまた最高! しかもこの少量のケチャップの酸味が、味をばっちりと引き締めてくれる)
椛は漬物とキャベツを交互に食べる。漬物はコリコリ。キャベツはシャキシャキと心地よい歯ざわりが、口内をリフレッシュさせてくれる。
(油っぽくなった口を休めるための千切りキャベツと、きゅうりの浅漬け。すべてのメニューに真心が行き渡っていて、一寸の隙も見当たらない!! これは、もう・・・!!)
大当たりだぁああ!!
っと椛は叫びそうになる。 食べれば食べるほど、オムレツライスの魅力に脱帽せずにはいられない。オムレツそのものは当然として、キャベツや浅漬けまでが、オムレツの旨味を最大限に引き出し、よりライスと合うように計算されている。オムレツライスとは、よく言ったものである!
「くぅ~~~~!! ご馳走様でしたァ!!」
気が付くと犬走椛、満面の笑顔で、ものの数分で、オムレツライスを完食ゥ!
最高の瞬間を終えた後に残るのは、最高の余韻とどこかもの悲しい切なさだ。 椛は最後の旨味を腹に治めようと、水をグイっと飲み干した。
(あぁ、美味しかったぁ。 フフ。一時はどうなる事かと思いましたがね。 ですが、カニチャーハンを食べられないのが、少し寂しい気も・・・)
「はい。カニチャーハンミニ、お待ち同さまです!」
「へ、い、いや、頼んでいませんが・・・」
オムレツライスのお盆と引き換えに、テーブルに置かれたミニカニチャーハンに、椛は唖然として美宵を見上げる。美宵はいつもの笑顔で口を開く。
「あれ、そうですか?椛さん、いつもこれの大盛を頼むから、間違えて作っちゃいました」
「み、美宵さん・・・」
「まあ、サービスサービス」っと言いながら、美宵は、厨房に下がっていった。
椛はしばらくカニチャーハンの香りを楽しみ、見た目を楽しんだあと、それを口へ運んだ。
「美味しい・・・!風味豊かなカニと、カニみそのわずかな苦味とコクが、チャーハンに合う。くぅ~この安定した美味しさですよ!」
椛は思う。ミニにしては、少し多いカニチャーハンを精一杯味わいながら・・・。
(こういう優しい人がいるから、仕事はやめられないのです! 正直キツイとかもうイヤだとか思う時も多いですが、それでも)
椛は食べ終えたレンゲを置き、新たに注がれた水を飲み干し、両手を合わせた。
「ご馳走様でした!」
(これで明日から、また頑張れる!!)
会計を済ませ店を出る。 外はいつもと変わらない日常が広がっていた。30分ほどしか店にいなかったという事実に、少し驚く。それほどに濃厚な時間と食事を頂いた。
「フフ、まあいいか。楓と桜と文さんにお土産でも買って帰ろう」
来た時よりも軽い足取りで、とても充実した気持ちで、犬走椛は、今日を楽しみ尽くすのだった。また明日からの忙しい仕事を頑張るために!
あとがき
悟れなかった流星です。 ここまでのおつきあい、ありがとうございました。
再びギリギリで本日2作目です。楽しんで頂けたなら、評価や、ご感想、ご意見などを、お寄せいただけると励みになります。