午後19時を過ぎる頃には、ただでさえ薄暗い地底は、星一つない完全な闇に包まれていた。しかし地底の住民は、その闇を恐れる事はなく、むしろ夜が近づくにつれて、徐々に町は活気づいていた。荒くれ、大酒のみ、人妖問わずこれからはこのような者達の時間帯となるのだ。闇を無視するかのように、辺り一面をちょうちんの明かりが照らしている。空から見れば、地面の方に星が散らばっているように見える事だろう。明かりの傍では、陽気な歌をうたう者、酔いに任せて喧嘩を始める者、呂律が回らず、ある事ない事、つちずまの合わない会話を繰り返す男たち。無法者が、無法地帯という一種の秩序を作り上げていた。
犬走椛は、このような地底の空気が好きだった。夏にしては冷たい風、その中に練り込まれている酒や土の臭い。耳をつんざくように大声を出す男たち・・・。こんな環境にいたら、確実に自分は駄目になってしまうだろう。しかし時々来るから、これらの事を楽しいと思える自分がいた。
「さぁて、酔いも丁度いいくらいね・・・」
持っていたカップ酒を一気に飲み干す。ほんの少し足元がフラつく程度の気持ちの良い酔いが、彼女を更に上機嫌にさせていた、
椛がやってきたのは、蕎麦屋『くまや』。 この店は、妖怪の山の元四天王の一人、星熊遊儀が営んでいる蕎麦屋だ。趣味でやっているようなものなので、時々しか開かないが、それでもコシのある蕎麦と、コクがあるのにあっさりとしたつゆが評判の店だ。本人いわく「酒の締めを追求していたら、こうなった」 との事だ。ちなみに予約制だ。
「遊儀様、ご無沙汰しています」
「いらっしゃい。 おお椛、待ってたよ。さあそんなところに立ってないで、こっちでくつろいどくれよ」
狭い店内は、やや濃い醤油の香りと、天ぷらの油の香り、そこへ酔った者たちの酒の臭いが合わさり、なんとも言えない臭いになっていた。カウンターの客は、男ばかりで、椛は座る事に少し躊躇したが、それでも酔いが勇気をくれた。
「本当に久しぶりだね。今日は夜勤とか言ってたね」
「はい。それで仕事の前に、遊儀様のお蕎麦を食べていなと思いまして」
「それはありがたいね。気合入れて作るから、楽しみにしてな」
「ありがとうございます。では私も、気合い入れて食べさせて貰います」
「ふふ、それで、注文は何にする?」
「かけ蕎麦の、熱いところを。なんちゃって・・・」
「あいよ、ネギはどうする?」
「たっぷりとお願いします」
「あのさ、椛。 失礼を承知で聞いてもいいかい?」
「はい、何でしょうか?」
「わんちゃんがネギって。大丈夫なのかい?」
「わ、私は一応狼ですから。それに天狗だから大丈夫です」
「そうかい。いらぬ心配だったね。詫びにコロッケをサービスしとくよ」
「ありがとうございます。コロッケ蕎麦は大好きなんです」
椛は出された水を飲み、一息ついた。 周りの客は男ばかりで、皆既に酒を飲んでいるようだが、特に暴れる様子や、ペラペラとしゃべる様子はなく、静かに蕎麦を楽しんでいた。ズーズーと、蕎麦をすする音と、蕎麦の茹でられる音が、不思議な熱気を醸し出していた。
「ごちそうさん、姐さん、ここに置いておきます。釣りはいりやせん」
「ありがとよ。また来てね」
「へい」
客に背中を向け、確認もしないままなのが、実に彼女らしい。元とはいえ、鬼の四天王の肩書は伊達ではなく、この店で暴れたり、喧嘩があったという話は聞かない。食い逃げや代金を払わないなんて事があれば殺されかねないからだ。
(それでも、私を含め、みんな食べにくるんですよね。遊儀様のお蕎麦は、美味しいですからね)
「あいよお蕎麦おまち!コロッケは別の皿に置いておくよ」
「ありがとうございます」
目の前に置かれた蕎麦からは、大量のネギと、醤油の香りが、ツンと鼻孔を刺激する。量は普通よりも少し少ないくらいで、既に酒を飲んでいる椛には丁度良い、やっぱり少し少ないくらいの量だった。ネギ以外の具は薄切りのかまぼこが二枚だけ。サービスのコロッケは温め直しただけのようで、出来立てではない。
(だけどそこがなんかいい)
「頂きます」
「ああ、ごゆっくり」
早速つゆをすする。じんわりとダシの香りが、口内を通して、身体中に染みわたってくる。
(う~~、熱い!でも地底の少し寒い夜はこれくらいがいいかも!それに醤油の香りとしょっぱさ、ダシのコクが、大量のネギと相性バツグン!お酒の染み込んだ身体に、じんわりと染み込んできやがります!!)
これだけなら少し味の濃いつゆだが、ここのつゆは水が違うのだ。地底のわき水は、野性的な甘みがあり、すっきりとしていて、後口は軽くて涼やかだ。このつゆは水の特徴を最大限に生かしていると言えよう。またその水で茹でて洗った蕎麦も最高だ。またつなぎに使っている山芋も、妖怪の山の特産品で、ねっとりと甘味が強く風味豊かな一級品だ。おまけにあの八意永琳が薬の材料に使うほど、栄養も豊富ときた。それを鬼の怪力で練り込んだ麺のコシとプツンプツン歯を跳ね返す弾力と、心地よい切れ味は、ここでしか味わえない。
(味は力強く、後口は涼やか。山芋の優しさが最高だぁ! さすが遊儀様! お酒のあとに欲しいものをわかっていらっしゃる!)
「そういえばさ、椛」
「はい、なんでしょう」
椛は手を止めず、口をもくもくさせながら、遊儀を見た。遊儀は星隈盃で酒を飲んでいた。酒を飲みながら接客をするのは、彼女だから出来る事だろう。
「あんた今、白狼天狗の総大将だろ? そんなヤツが、わざわざ夜勤に出ないでもいいと思うんだけど。いや文句とかじゃないよ。でもあんたは昔から人の何倍も頑張ってきたんだから、ちょっとはふんぞり返っても、飯綱丸だって文句は言わないと思うがね」
ズズズ・・・、椛はつゆを飲んでから、遊儀を見据える。
「ふぅ。 確かにそうですね。だけど、そうしちゃうと、初心を忘れちゃいそうでして。それに部下や後輩に示しがつかないし。それになんて言うか、やっぱり私って、仕事してる時が、一番充実してるんですよね」
「疲れたりはしないのかい?」
「嫌になる時も多いですよ。仕事しか取り柄がない自分に嫌悪感すら覚える事だってあります。ですが・・・」
椛はコロッケの半分を頬張ってみせる。
「こういう美味しいご飯が待ってるから、やっぱりやめられないんですよね仕事は」
椛がニコリと笑うと、遊儀もガハハハと笑って返し、酒をグイっと飲み干した。
「変わらないねェそういうところ。でも私は好きだよそういうの。おっとすまないね食事を中断させちまって」
「いえ、こうやって遊儀様とおしゃべりが出来て、私も楽しいです」
「嬉しい事言ってくれるじゃあないか!稲荷ずしもサービスしとくよ!」
「おお!ありがとうございます!」
鬼の四天王、星熊遊儀と言えば、純粋な力は幻想郷最強と言われる実力者で、あの飯綱丸龍や、その上司天魔すらも頭が上がらない存在だ。その2人を超える力を持つ射命丸文でさえ、彼女の前では姿勢を正すほどだ。 椛も最初彼女を恐れていたが、つきあいで飲み食いを共にしているうちに、だんだんと距離が縮まって来た。遊儀は、椛の真面目で、誠実な努力家なところが気に入り、椛は遊儀の義理堅く、人情に熱いところを尊敬するようになった。そんな二人は、いつの間にか上下関係、種族関係を超えてつきあうようになり、今日もこうやって、遊儀の蕎麦屋に顔を出しているというわけだ。
(さて、いよいよです)
椛は半分ほど蕎麦を食べ終え、そのまま大口で稲荷ずしを頬張った。
(甘い。だけど酢飯に握りこんであるにんじんやごぼうが、お寿司全体を力強くしている。結構お腹にきますね)
椛は残り半分のコロッケを蕎麦に入れ、更にそこへ七味唐辛子を大目にかける。そして身を正し、一度蕎麦を見据えてから、一気にすすりこんだ。
ずーーーーズ、ズズズーー・・・。「けほ」
蕎麦の熱気と唐辛子の辛みが、喉と腹にむせかえり、少し咳がでる。同時にネギや醤油の香り、その中にはっきりとわかる蕎麦の香りが非常に心地いい。
ズーズズーズーー!
椛は勢いを緩めない。まるで蕎麦と一騎打ちをしているかのようだ。額に浮かんだ玉のような汗は、頬をつたい、その頬は絶えず上下し、ほんのりと紅く染まってきている。
(熱い。それに辛い。だけど色々な味が合わさって、とにかく美味しい!このコロッケが麺にまとわりつく感じ、たまりません!こんな安いコロッケなのに、いもの甘みが蕎麦の風味を引立ててくれる!!)
そのまま丼を持ち、一気につゆを飲み干す。プハァっと思わず声が漏れる。
「結構なお手前でした!」
「お粗末様でした!」
椛と遊儀は、顔を見合わせて、あいさつを交わした。
「では、また来ますね」
「ああ、今度は射命丸か飯綱丸でも連れてきな」
勘定の400円を置くと、遊儀が100円だけ返す。
「コロッケと稲荷ずしはサービスって言ったろ?」
「そうでしたね。ではお言葉に甘えて」
「ああ甘えとくれ。これから仕事だろ。そっちで頑張ってくれればいいさ」
「はい。精一杯務めさせていただきます」
椛は、遊儀の「毎度あり!」と言う威勢の良い声を背中に受けながら外に出る。酒と埃と土の臭い、酔いどれたちの歌声。地底の日常が広がり、列をなしている中、自分の酔いが覚めていぃ事に気が付く。同時にかなり食べたと思っていたが、腹にはまだまだ余力がある。
「そこがまたいいんですよね。さて、夜勤いきますか!」
椛は鼻歌をうたいながら、ゆっくりと自分の仕事へ戻っていく。その小さな鼻歌は、酔いどれの歌にかき消されるが、今の彼女にとっては、むしろ酔いどれの歌の方がバックコーラスに聞こえていた。
「 もみじ~♪ もみじ~♪ い ぬ ば し り フ~♪ 」
あとがき
ここまでのおつきあい、ありがとうございます。
皆様はお蕎麦派好きですか? 私は大好きです。 ただこちらは蕎麦よりも、うどん、ラーメンがメインで、なかなか蕎麦屋さんがないんですね。あっても高い・・・。それでも今回は、昔食べた駅のかけ蕎麦、サービスエリアのコロッケそばを思い出しながら書いてみました。椛と遊儀という組み合わせは、聞きませんが、書いていて楽しかったです。
それでは、次回も宜しくお願い致します。