「・・・未だ帰還せず」
暑い日が続く夏真っ盛り、昼下がりの部屋は風通しが悪いこともあって蒸すような空気が満ちている。
普段なら空調などつけて涼んでいるところだが、今は大本営の大規模工事のために止められている。
窓際の執務机で書類片手に唸る提督も額に汗を浮かべているが、それは暑さによるものか、はたまた背筋を伝う冷たいものと同じか。
しかめっ面をぬぐいながら叩き捨てるように置いた書類をにらみ、深いため息をつく。
報告書はいくら目を通しても希望を見つけられないものだった。
作戦行動中行方不明。半壊した鎮守府から逃げ延びた痕跡はなく、もちろん本人からの連絡もない。
直撃した執務室周辺は跡形もないほど破壊されており、破片と大きな焦げ跡が残る現場から遺体は発見されなかったという。
所属艦からの聞き取りでも、敵戦艦級の砲撃の後、大きなノイズとともに提督との連絡が途絶えたと報告されている。
ただ・・・
トントントン
「ああ、どうも。お疲れ様です」
聞こえたノックに顔を上げて、秘書が開けた扉から顔をのぞかせた親方に声をかけて立ち上がる。
扉を出る前に秘書に「確認を」と一声かけて、親方と軽く会話をしながら廊下を歩く。
「いや、しかし助かりました。
「ここまで大きな刷新も珍しいですから。滞ると不味いというこちらの都合でもあります。なにより、この暑さは」
「確かに堪りませんな。大仕事はありがたいものですが、この蒸し暑い中で長く働くとなると、感謝より恨み節の一つも吐きたくなるというものです」
若い者には叱りつけてしまいますが、と笑う親方に相槌を返して、提督も軽く汗をぬぐう。
二人が向かう現場ではそろそろ後始末も終わり、撤収作業に入っている。
そのためかすれ違う者も安堵の表情を浮かべたものが多く、足早にそばを通り過ぎて行った。
大本営の大規模改修も大詰めを迎えている。
現場で管理機器類の点検を終えれば、空調が動く。
手元の資料と見比べながら聞く提督も、一点一点説明する親方も、ここにいる誰もがそれを待ち望んでいた。
「こちらで最後。機材は新しくなっていますが、使い方はあまり変わりません。マニュアルはこちらに」
「・・・確認しました。では」
「はい」
バインダーを渡した親方から、さらに指示が飛ぶ。
同時に電気系統が復活し、空調を含めた機械が動き出す重い音が、蝉の音を鈍らせるように大本営のそこかしこで響く。
ほどなく冷たい空気が流れてきて、小さな歓声のような声を聞いた二人はそばの応接室に移動した。
涼しくなり始めた部屋で無事に手続きを終え、「今後とも」などと茶を飲みながら連絡が来るまで世間話をしていたところ、親方の顔が曇る。
「担当が変わりますか」
「はい。近く別の任地に就くことになりまして。ここからも離れることになります」
「それはまた」
「引継ぎなどは問題ありません。後任にもよく伝えておきますので、これからもお世話になることが多いかと思います」
「まあまあ、そこは心配しておりません。しかし、少し残念ですな」
「ありがとうございます」
憂鬱な未来を遠ざけるような暖かい言葉に意図せず苦笑を浮かべてしまい、ごまかすように手元の茶を傾ける提督。
直前に見ていた報告書の内容を思い出して、意図せず暗さが出てしまったようだ。
そんな提督の気まずげな様子を見て、親方も「もしかしてあまり気乗りしない仕事なのか」と察し、元気づけるように冗談めかして声をかける。
「後任の方には改めてご挨拶に伺います。が、たまには些事乃さんのお顔も見たいですな。どうですか、大本営でもリモート会議の仕組みなど取り入れてみませんか」
「リモート会議?いや、親方の顔が見られるならいいかもしれませんが、あまり馴染みがないですね」
「こんなくたびれた顔でよければ、画面越しでなく海を渡ってでも見せに行きましょうとも。まあ機密などありますからな。民間の業者を使うのは軍の方には厳しいかもしれません」
「ははは。その時は護衛は任せてください。・・・ふむ、勧めてくださるということは、親方のところでもそのような仕事を扱っているのですか」
「ええ、ええ。最近増えてまして」
話に乗ってくれた提督に答えるように親方が話を進める。
昨今、海の情勢が怪しいために人の移動が制限され、民間での出張や異動は少なくなっている。
陸路で移動するとしても過去のいくつかの大侵攻で半ば分断されたような場所もあり、お世辞にも安全とは言えない。
そうした中で通信技術の価値は高まり、その辺りを含めた工事、サポートを担う親方の会社は仕事を請け負うことが増えているという。
事業を広く展開しているタフな企業は「むしろ今こそ」といった気勢を上げ、全国に広がった支店間で連絡を取る手段として、リモート会議なんてものを採用する会社も増えているという。
「端末やソフトなら物を持ってくれば済むのですが、会議になるレベルの通信網を整えるのは今となっては一苦労ですから。我々のような頑丈さを売りにする施工が必要になることもあるのです」
「ああ、それで。直接海端にということはさすがに無いにしても、まだまだ未知数の砲撃が届くこともあり得るでしょうから」
「ええ。ともすると、”砲撃に負けない回線基地を”なんて冗談にもならないものがお願いされることもあります」
物騒な話題で笑いあいながら、提督はふと考える。
報告書の不自然さ。帰還しない元提督。聞き取り時の状況。件の鎮守府。
顔を合わせない会議。冗談でも砲撃に耐えるという基地。軍からも信頼がある業者。
目まぐるしく思考は続き、ある程度現実味を帯びたところまで進んだところで、ノックの音に中断された。
二人を呼びに来たのだろう部下の声に答えるように立ち上がりながら、提督は親方に声をかけた。
「親方」
「はいはい」
簡単ではないだろう。ただ、不可能ではないかもしれない。
親方と会話して多少明るくなった思考は、まさに夏らしく楽観的な結論を出したようだ。
どうせ引継ぎ以外は仕事が減る頃合いになっているのだ。
最悪死にに行くことになるかと思っていたが、ひとつ対策をしてみるのも良いかもしれない。
提督はそんなことを思いながら、応接室を出る親方に振り替える。
「後で少しお話を伺いたいのですが・・・」