クリフジとチョッキちゃん   作:瀬津

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…匂い立つなあ…堪らぬ初投稿で誘うものだ

えづくじゃあないか…ハッハッハッ…


時を数える

「うええ、まだ痛い……チョッキちゃんひどぉいよぉ……」

「……すまなかった」

 

治療(?)が終わり、包帯を脚にぐるぐる巻かれたクリフジは、長吉と共に百貨店の中の喫茶店にやってきていた。約束通り、アイスクリームを食べるためである。道すがら、べそをかく大女(クリフジは、そこらの男よりも背が大きかった)が小男に手を引かれている奇妙な光景が衆目を集めていたが、席に着いた後も、クリフジの気は済まなかった。健康そうな色目をした頬をぷくぷくと膨らませて、延々と長吉に文句を垂れている。

 

 

「事前の説明がなかった!」

 

「うむ……確かに本来であれば、事前説明はすべきなんだが……説明したら怖がって拒否されると思って仕方なく……」

 

「それはっ……そうかも」

 

今までの様子から見ても、今回の騙し討ちに関しては、長吉も引け目に感じているのだろう。この喫茶店に入ってから俯き加減に、ただただクリフジに謝罪を繰り返す。そう思うと、これ以上文句を言ってやるのも可哀想に見えた。それに長吉の言う通り、事前に笹針のことを伝えられてたら、拒絶したり逃げたりしない自信は、クリフジにもなかった。それくらい、あの笹針の見た目というのは衝撃的だったし、そこから繰り出される痛みというのも、バカにならなかったのである。

 

「そ、それはそうとどうだ? お前だって久しぶりだろう、アイスクリーム」

 

「おいしいよ」

 

「そうか。店にお願いしておいた甲斐もあるというものだ」

 

「私のために?」

 

「喜んでほしかったんだ」

 

そう言って、長吉は運ばれてきた珈琲に口をつけた。あんな苦いもの、不味くないのかしら……とクリフジは怪訝な目でそれを見つめていた。だが、見つめられているのに気付いた長吉が、少し居心地悪そうにしたので、取り繕うかのようにアイスクリームの続きに取り掛かった。

 

匙にすくった白いアイスクリームを口にほおる。瞬間、バニラエッセンスの香りと甘みが口いっぱいに広がる。戦時下の供給制限の影響で、良家の娘すらアイスクリームなんぞ久方ぶりなのである。多くのウマ娘と同様に、甘いものに目がないクリフジは上機嫌だった。おまけにこのごちそうは、わざわざ長吉が自分のために手当してくれたことだというのだから、なおのことである。口元が緩んで仕方がない。たとえご機嫌取りの一種だとしても。

 

 

「チョッキちゃんも食べる? あーんする?」

 

「ぶっ」

 

浮かれ気分のクリフジの突飛な発言に、長吉が珈琲を吹き出しかけた。テーブルなどを汚すことはなかったが、ゲホゲホと咽こんだ。

そんな驚かなくてもいいだろうと思った。クリフジとしては、自分だけこのぜいたくを楽しむのもどうかと思っただけのことだった。

キョトンとするクリフジに対して、長吉は動揺隠せずといった様子で

 

「お前っ、時と場所を……」

 

「弁えたら?」

 

弁えたら、あーんしてもいいのか。確かに対面に座る長吉の向こう、頭が禿げたおじさんが新聞誌の横からにゅっと顔を出して、こちらのテーブルの様子をじろじろと見ている。その他、いくつか視線を感じる。でもただのあーんだ。接吻とかは流石に恥ずかしいが、あーんくらい子供のころに母や姉様方によくやった。長吉とだってしたいと思ったらしてみたいのだ。

 

「……知らんっ」

 

だが、顔を赤くした長吉は、そのままソッポを向いて、コーヒーを啜りなおした。どうやら「あーん」の解釈は彼とクリフジとでは異なっていたようだった。残念、と一言こぼしてから、クリフジは長吉に向けて差し出していたスプーンをそのまま自分の口に入れた。

耳まで赤い長吉は、エヘンと咳ばらいを一つして

 

「お前がさっきかかった先生は、界隈じゃあ知らない者がいないほどの腕っこきなんだ」

 

なんの脈絡もなく、さっきの笹針師の話を切り出した。露骨な話題そらしだった。

 

「うーん、そうなの?」

 

長吉を疑いたくはないが、あの胡散臭い白い仮面といい、珍妙な言動といい、信用してはいけないタチの人種に思えて仕方がなかった。あんし~んあんし~んと宣っていたが、あれのどこに安心できる要素あったというのか。

 

「お前の脚にいい影響を間違いなく与えてくれるさ」

 

「だといいけど……」

 

「走りたい、だろ?」

 

短く長吉は聞いた。それを言われると、クリフジは肯定する以外には選択肢がないのだから、意地の悪い問いであった。

 

「とーぜんっ!」

 

「じゃあ、また来月頑張ろうな」

 

「うぐっ……」

 

やはり、いじわるな質問だった。まさか、さっきのあーんで動揺させた仕返しではなかろうかと疑りもしたが、アイスクリームが溶ける前にすべて食べてしまうのを優先しておくことにした。

 

           *               *            *

 

「そういえば、なんでチョッキちゃんは指導員になりたいと思ったの?」

 

駅で次の府中行きの汽車を待ちながら、クリフジは長吉に聞いた。今更なような問いだが、振り返れば聞いた事がなかったのだ。

 

「ウマ娘の競走を見るのが好きだったんだ」

 

「へぇ」

 

「俺の田舎でも、草試合は結構やっていてな。親父にせがんで見物に行っていたよ」

そう言いながら、懐かしそうに長吉は目を細めた。

 

クリフジとしては、あまり共感できない話だった。走ること自体は大好きだが、他人が走っているところなんて見ても楽しくもなんともない。だが大競走に大勢の人々が見物にやってくるという、一般的な事実もクリフジは知っていたから、まあそんなものなんだろうとは思う。

 

「競走を見てて、どこがいいの?」

 

「あ~……」

 

気になって聞いたら、長吉は顎に手をやって、しばらく考え込んだ。その後返ってきた答えは意外なものだった。

 

「尻尾……かな」

 

「尻尾?」

 

「ああ、この……」

 

と言いながら、長吉はクリフジの栗毛の尾を突然その手ですくった。

 

「ひゃっ……!?」

 

「この尻尾がな、たなびくだろう。それがつやつや光って、まるで流れ星のようで……」

 

そう語りながら、長吉はクリフジの尻尾を転がすように、梳かすように弄び始めた。その、あまりに突然な行動に、クリフジはびっくりして体を強張らせた。

 

「ヒトには尻尾なんぞないし、脚も当然遅い。やはり俺がウマ娘に惹かれるのはそういう……」

 

「ちょ、チョッキちゃん……!」

 

長吉はぶつぶつ呟きながら、クリフジの尻尾を、愛撫するように優しく触り続けている。そこまで尻尾が好きか。そんな素振り一つもなかったのに――意外な長吉の一面に触れたが、しかしこの状況は不味いんじゃないのかとクリフジは感じていた。

 

(ここ、駅のホーム~!!)

 

今の姿勢――背筋を伸ばして立っているクリフジの尻に向かって屈んで、尻尾をいじり倒す長吉という構図――はちょっとイケナイ見た目をしていた。その証拠に、遠巻きに見つめているご婦人方のひそひそ声の内容は

 

「なにあの二人!? 公衆の面前でこんな真昼間から盛って……!!」

 

「いやねぇ! 最近の若いコは……恥じらいなんてないのかしら!」

 

というものである。当の長吉は真剣にウマ娘の尻尾と走りの素晴らしさを語っているが、その傍ら、尻尾いじりに夢中なせいで、周りの声なんて聞こえていない様子だった。

 

(と、とにかく止めさせないと! けど無理やり引っぺがして、うっかり転ばして痛い思いさせたりしたくないし……)

 

だが長吉の夢中の尻尾いじりはエスカレートしており、ついにはドック(骨と筋肉、皮膚で構成された、尻尾の根本部分)を撫でまわし始めており、とんでもない事態になっていた。ウマ娘的には、ここまでくると、もはや尻を撫でまわされるのと同じなのだ。

 

「解剖図で知っていたが、本当にドックの部分は犬の尾っぽとよく似ているんだべなぁ……」

 

「ちょっ、チョッキちゃん!」

 

「んあ?」

 

大きな声を張り上げて、一瞬長吉の注意がこちらに向いたのを気に、くるりと体を反転して彼の手から尻尾を取り上げた。

 

「クリフジ、どうした?」

 

ここに来て長吉はきょとんとした顔でクリフジの顔を見上げていた。本当に他意は無いようだった。一方のクリフジは、恥ずかしさと、くすぐったいような、切ないような感覚によって真っ赤になって長吉を睨んだ。2、3秒ほど、どうしてやろうかと悩んだが、乱暴はしたくないのは変わらなかった。諸々の感情をぐっと飲みこんで、しゃがんで

 

「チョッキちゃん、時と場所。」

 

長吉の耳元で吐息と共にささやいた。それでようやく悟ったようで、長吉は飛び上がって叫んだ。

 

「すっ、すまんクリフジ!」

 

「みんな見てる……」

 

「そ、そうだよな……本当にごめんな……」

 

そんなひと悶着をしていると、汽車がやってきたので、二人そろって赤ら顔でいそいそと対面でボックス席に着いた。もう時刻は夕方で、差し込む西日がなおのこと二人の頬を染め上げた。

 

「弁えたら触っていいのかって聞かないの?」と恐る恐る聞いたが、長吉からの返答はなかった。汽車の中での会話は、これだけだった。

 

 

       *      *    *

 

それからクリフジのデビューへ向けてのリハビリの日々が始まった。長吉と尾形師、そして笹針師の見解は、クリフジの身体的な成長に、生理的な機能――特に血流に関するモノーーが追い付いていないことが、関節を脆弱にしているというものだった。血の流れが不十分だと、心肺機能に始まり治癒能力や様々な機能に悪影響が出るのは当然クリフジにも想像できたが、それだったらもっとわかりやすく日常生活に支障が出てるんじゃないのか? と疑問を呈してみた。そういうと尾形師は

 

「ほんの数秒、全速力で走ったくらいで激痛が走る膝は、日常生活に支障が出ていると判断しても問題ないだろう」

 

とさらりとのたまった。それはそうだと納得せざるを得なかった。

 

ミスセフトとの模擬レースから2週間ほど経った日から、クリフジは学舎への登校を再開した。当初より少し伸びたのは長吉からの進言でそうなったのだ。次いで、食事内容も見直すよう指導が入った。できる限り肉・魚・豆類を食すよう命じられた。それらが血肉の元になるのだと、長吉はクリフジに言って聞かせた。量についても、今の量の3割増しで食べるように言いつけられた。

 

「そんなに食べて大丈夫かなぁ。私、お相撲さんになる気はないよ?」

 

「とにかく今は食べるんだ。多少肉がついても気にするな」

 

「……太い方が好き?」

 

「違うっ!」

 

幸い戦時下であっても、学舎で提供される食べ物は比較的豊富だった。食堂でいつもなら3品で抑えるところを、5品に増やしても文句は言われず(奇異の目にはさらされたが)、指導に従うことができた。

 

午後は様子を見ながら筋肉トレーニングを3時間。脚部に負荷をなるべくかけないように、腹筋や腕立て伏せを中心に行った。さすがに何もしないというのはダメだったらしい。不測の事態に応じられるように、長吉の完全監視のもと、練習場の一角で行われた。

 

笹針治療については、結果から言えば3回で終了となった。あとは様子を見ながら徐々にトレーニングの負荷を高めていけば良いと、太鼓判を押されたのが12月も半ばに差し掛かろうという時期だった。そのころには、トロットで町内5周など、緩い速度で長い距離を走るトレーニングが追加されていた。驚いたのは、このトロットですら一切痛みを感じることがなかった、ということだった。数年ぶりに痛みに悩むことなく走れる事実に感動しつつ、あの笹針師が本当に腕利きであったことについて、困惑せずにはいられなかった。

 

年の瀬には、実家に帰り、久方ぶりに両親と姉様方とその家族に顔を見せることになった。相変わらず、父親である桃木泰輔は家長然とした傲岸な態度でそこにいた。千葉の整体師に付き添ってもらっていた(笹針を打たれてからは行くのをやめた)母は、相変わらず何も言わず、父の隣で黙って無表情を務めている。

 

クリフジは、どうしてもこの夫婦の関係が理解できなかった。父が母を思いやった姿など見たことがなく、母はそれに何も言わない。父が母に向ける視線は、夫婦のそれにしては異常としか表現できなかった――いや、妻、賢藤だけではない。クリフジに……年藤に対して向ける視線すら、奇妙な熱のようなものが感じられた。まるで、獲物が油断することを待ち構える蛇のようだった。姉たちに相談してみたこともあったが、姉たちは同じような体験をしたことがなかったようで、何も問題解決に向かうことはなかった。

 

それゆえ、クリフジは学舎に帰れる日を待ち遠しく思わずにはいられなかった。三が日を過ぎた4日の早朝には、荷物をまとめて府中に発つことを決めた。その日、クリフジは玄関で父と偶然鉢合わせた。鉢合わせた父は、何も言わずに、じっとクリフジを見つめた。そうして「期待してる」とだけ言って、奥の自室へと引っ込んでいった。やはりあの恐ろしい目がそこにあった。

 

 

 

            *              *              *

 

 

――昭和18年、2月。まだ陽は地平線から半分も出ていない。朝焼けの光が練習場を照らす。本来であればこの時間帯に人はいない。が、今日は違った。

 

脚には練習用の粗鉄製の蹄鉄が装着された運動靴。体操服に身を包んだクリフジが、全身から大きな湯気を立てながらスタートラインに立っていた。

 

「クリフジ、準備はいいな?」

「はいっ!」

 

長吉の声掛けに、自信に満ちた返答を返す。コースを挟んで長吉の対面にいるトシシロが、手を引いてバリアロープをピン、とはった。

 

「位置について!」

 

トシシロの甲高い声が力いっぱい響いた。クリフジがスタートの態勢を取る。長吉の顔に緊張が走る。

 

「よーい……」

 

「「ドン!」」

 

バリアロープが大きく上に飛び跳ねると同時に、クリフジが走り出した。力強く練習場のダートをえぐり、ぐんぐんと速度を上げていく。一見危なげなくトラックを走っていくクリフジを、長吉は真剣なまなざしで見つめる。

 

 

ほどなくして、クリフジはスタートラインの200m手前で速度を落とした。今回の設定は1400m。一周よりは少し短い距離だが、クリフジの脚の調子を見るために設定する距離としては、半分賭けだった。

 

 

「ご苦労様、クリフジ」

 

「チョッキちゃん!」

 

肩で息をしつつ長吉たちの下に戻ってきたクリフジを、長吉はねぎらった。様子からしても痛みはどうやらないようだ。

 

「クリフジさん、脚はもう大丈夫なんですか?」

 

「ええ、トシちゃん安心して! ほらっ!」

 

そういってその場でぴょんぴょんと飛び跳ねて見せるクリフジ。クリフジの背はこの半年で更に伸び、170cmに迫ろうとしていた。そんな大女が溌溂とした笑顔で子供のように飛び跳ねているのを、長吉はなんだかおかしい気持ちになって見ていた。

 

「脚に問題はもうなさそうだな」

 

「うん! それで……タイムは!?」

 

「これだ」

 

 

長吉は、手に持っていたストップウォッチをクリフジとトシシロの二人に見えるように見せた。

 

「1分40秒5分……合格ラインから10秒も早いぞ。見事だな、クリフジ!」

 

 

 




備考:当時のアイスクリームはとても高級品で、戦時下の影響もあり一般人は口にできるようなものでもなかった
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