「頼む! 止め処なく湧き出てくるこのインスピレーションを逃したくないんだ!」
通行人から奇異の目で見られているのを気にする事もなく、土下座状態を保つ少年はさっきの願いに対しての返事を待っているのか、ピクリとも動かない。
この世界に転生してから色々な経験をしてきたが、命乞い以外で初手土下座をされたのは流石に初めてだ。
そして、これまでの経験上、こういうタイプの人間は言って訊かせてもそうそう諦めないのは理解している。
手厳しく対処するなら魅了か混乱の魔法でサクッと対処するのが手っ取り早いが、この手の人間はふとした瞬間に処理した筈の記憶を思い出す事があるから、それも最適解とは言い難い。
「取り敢えず立ち上がってくれ。外聞が悪い」
周囲の視線が痛い位に突き刺さっているので、立ち上がる様に促しながら少年に手を差し伸べると、ゆっくりと頭を上げた少年が俺の手を取って立ち上がる。
立ち上がった少年は青みがかった黒髪に整った顔立ち、白い肌と均整のとれたスタイルをしていて、見た目だけならどこぞの御曹司と言われたら容易く信じてしまいそうな程に見目が整っている。
「いや、すまない。つい感極まってしまって」
自分の額や衣服に付いた砂や小石を叩いて落とした少年が、憧れの有名人に出会った時のファンの様に瞳を輝かせてこっちに歩み寄ってくる。
呪いのせいで杏との距離が近づく程に頭痛と腹痛が酷くなっている筈なのに、その目線はファーストコンタクトからブレる事無く、俺と杏に固定されている。
俺と杏を絵のモデルにするという事に余程執着しているからなんだろうが、ちゃんと効果が発揮されている呪いの悪影響を気持ちとテンションだけで抑え付けているのは並大抵のことではない。
「では、改めて。そちらの金髪の女性と共に絵のモデルをしてはもらえないだろうか?」
「いや、その前に名前くらい名乗れよ。つーか、蓮と杏から離れろ」
一貫して絵のモデルになる事を要求してくる少年に対して、竜司がモルガナを肩に乗せ、志帆を背中で隠すようにしながら少年に話しかける。
あからさまに変な奴ではあるが、竜司も異能絡みの相手ではなく危険性は低いと判断したようで、懐に隠してある筈の武器は取り出してはいない。
「……」
「なんだよ」
自分に声を掛けられたことでようやく竜司と志帆の事を認識したのか、少年は今しがた気付いたかの様に目を見開き、二人の事をじっくりと眺めてから口を開く。
「うむ……悪くない。この二人を知らなければ君達の方にモデルを依頼していたかもしれないな」
「はぁ?」
「だが、今は違う」
そう言った少年が竜司と志帆から目を離して、俺達の方に目を向ける。
「君は蓮、そして貴女は杏というのか……おっと、そこの彼の言う通り、これから依頼をしようというのに名乗らないのは良くないな」
竜司の言葉尻から俺と杏の名前を聞き取ったのか、目を爛々と輝かせながら少年が更に近付いてくる。
俺達に迫ってくる少年の鼻息は荒く、その目は若干血走っている。
「俺は都立洸星高校美術科2年の喜多川 祐介だ。蓮、そして杏。君達は俺が夢想し、追い求めていた最高のモチーフだ!!!!」
両手を大きく広げ、熱狂的になまでに大袈裟な身振りで俺と杏が如何にモデルとして素晴らしいのかを語り始める。
「多少芸術を齧っていれば一目見ただけで理解できる。そもそもの根幹として黄金比をその身に持っているのも素晴らしいが、見せる為のモノではなく実際に使い、その結果として鍛え上げられてはいる肉体美も格別だ。完成された美というモノはたかが制服という布切れ程度では隠せない。蓮。君の事は今日初めて見たが、端的に言って男性美の極地と言っていいだろう。男性を描く上でのモデルとしてはこれ以上はないと俺は確信している。そして杏も一目見た時から美しいと思っていたが、この数か月で格段に美しくなっている。今年の初めに初めて見掛けた時から二、三か月程度しか経っていないのに見違える程に。元々人目を惹く美しさはあったが、それは原石のような物。見る者が見れば分かるが、誰もが理解できるものではなかった。しかし、つい先日再び君を見つけた時には自分の目を疑った。原石だったルビーが熟練の職人によってカッティングされたように誰もが理解できる美しさを手に入れていたのだから。かのレオナルド・ダ・ヴィンチはこう言い残している。『髪を描くときは水の表面の動きをよく観るのだ。髪の巻き方は水の流れの動きによく似ている。自然を師としなければならない』と。人の形は自然の中にある。その逆はありえない。だが、君たちは自然の形だ。それは人が得ていいモノではない。人は生きていて流れる存在だが、生物である以上は自然にはなりえない。しかし、君たちからは自然の形、ヒトを超えた何かを感じる。特に蓮。君からはより強く。人であり、人を超え、尚も人である君たちとこうして言葉を交わし、ただ見ているだけでも素晴らしいインスピレーションを得られているが、是非とも君たちをデッサンのモデル…いや、コンテスト用の人物画のモデルにしたい。杏だけでも値千金の価値があると思っていたが、杏の美と蓮の逞しさであれば、どれほどの絵画になるか。想像も付かない!」
余りにも長々とした怪文書を垂れ流し始めたので、話半分に聞いていたのだが、どうやら彼は俺達が一般人とは違うナニカを身に付けていると感じているらしい。
端的に言えば芸術家としての感性が、俺達が持つペルソナや悪魔の存在を感じ取り、普通は引き出せないインスピレーションを齎したと言いたいのだろう。
優れた芸術家は常人には理解できない感性を持っていると巷ではよく言われるが、なるほど。こう言う物言いをしていればそう言われてしまうのも仕方ないのかもな。
「現代に蘇ったヘラクレスと麗しきヴィーナスのcollaboration*1……なんとふつくしい」
これほどの長文を目を爛々と輝かせながらたった一息で言い切った喜多川を、未知の生命体でも発見したような胡乱な目で見る竜司がポツリと呟く。
「なんだこいつ。頭がおかしいのか?」
「いや、おかしいのは様子もだろ」
「何というか、凄く個性的、だね」
竜司の肩に乗っているモルガナが賛成の意を示し、志帆も控え目にだが、自分の理解を超えた相手だと言ってしまっている。
なんにせよ、悪魔絡みの案件でなくて良かった。
人の多い東京ではこういう個性的な人間に絡まれるのも、そう不思議な事でないのかもしれない。……いや、だいぶ特殊な気がするな?
「創作意欲が、この奇跡の瞬間を絵にしたいという情熱が、溢れて止まらないんだ!!」
「ま、まあ、蓮と一緒なら絵のモデルくらい受けてあげなくも……」
怪文書の中に混じるストレートな褒め言葉を耳ざとく拾って気を良くしてしまった杏が、喜多川に対して前向きな姿勢を示してしまう。
初対面かつストーカーの疑いがある相手に迂闊ではあるが、相手が同年代かつ、モデルをする時も俺と一緒という事で心理的なハードルが下がってしまったのだろう。
まあ、ここで断ってもこれ程の熱量を持っている輩はあの手この手で接触を図ってくるだろうし、そう易々と諦めはしないだろう。
仕方ない。悪魔が関わっている訳でもなし。ササっと絵を描いてもらって興味の対象から俺達を外させるのが手っ取り早いか。
「本当か!? 是非フルヌードで!!」
「「「「「イカレてんのか」」」」」
前言撤回だ。
流石にそれはない。
「む。俺は人物画を好んで描くという訳ではないが、一通りの心得はある。この二人の絵画を描くならば、服の上からでも分かるその造形美を前面に押し出せる裸体画が最適だ。ピーテル・ファン・デル・ウェルフ作の《善悪の知識の木のそばのアダムとエバ》のような構図が……いや、アルブレヒト・デューラーの《アダムとイヴ》も捨てがたい。しかし、黒田清輝の裸体画の構成を発展させてこの二人で描けばより……」
うんうんと考えこみだした少年はその場に座り込んで、手に持っていたスケッチブックに様々な絵画の構図を描き始めてしまう。
思い付いた構図をその場で出力しておきたいんだろうが、モデル云々の話はどうなって……いや、彼の中ではもうモデルの話は許可を貰ったという認識なのかもな。
「自由過ぎんだろ……どうすんだよ、これ」
「どうもこうもな……放置してたら、また杏がストーカー被害に遭う可能性がある。モデルの話を引き受けて一旦落ち着かせるしか……」
余りにも自由な振る舞いをする喜多川を、竜司が引き攣った表情で指さす。
流石に放置していくわけにもいかず、対処法に悩んでいると黒塗りの高級車が俺達の近くに停車する。
「いきなり車を降りたと思ったら。何をしておるのだ、祐介」
停車した車の窓がゆっくりと開くと同時にしゃがれた声が一心不乱に構図を練る喜多川の名前を呼ぶ。
そこにいたのは、加齢によって白くなった髪を総髪にした老人。そして、スーツを着こなし黒髪の短髪を
「先生……」
「今日は
「構いませんよ。班目先生。若人はあのくらい情熱に溢れている方が好感が持てる」
「そうは言いますが、貴方のお時間を無駄にする訳にはいきますまい。さあ、祐介。早く来なさい」
「分かり、ました」
班目に促されて、一心不乱に絵画の構成を練っていた喜多川がスケッチブックの片隅を千切り、手早く何かを書き込んで俺に手渡す。
「俺のスマホの電話番号だ。モデルの件、受ける気になったら是非電話してくれ」
名残惜しそうにしながらも、喜多川が車に乗り込むと同時に滑らかな動きで走り出した車はあっという間に姿が見えなくなる。
喜多川が先生と呼んでいる男は確か、画家の斑目一流斎だっだか。獅童の協力者の疑いがあるとかでヤタガラスの調査で名前が挙がっていたはず。
いや、それよりも。
「ど、どうしたの? 凄く怖い顔してるよ」
俺の表情の変化に気付いた杏が心配してくれているが、今はまともに反応出来そうにない。
班目と談笑していた間も、俺を睨むように見ていた西と呼ばれていた男。人間に擬態しているが、漏れ出ているマガツヒの質と量は人間のそれでは無かった。
「計画をぶっ潰してやったのに、もう次の計画を始めているようだな……」
数年前、ヤタガラスが全戦力を注いで叩き潰した情報ネットワークのモデル都市開発計画の発案者にして、環境省の現事務次官。
裏の世界でも名の知れたデビルサマナーだった越水ハヤオが表側に首を突っ込み、現内閣総理大臣になって牽制しなければいけなかった直接的原因になった存在。
「
堕天使が集う『グリゴリ』の首領にしてガイア教団の重鎮。本拠地を海外に置きながらも頻繁にこの国にちょっかいを掛けてくるダークサマナーを多数抱えるファントムソサエティの大幹部。
「一難去ってまた一難、か」
獅童の関係者と懇意にしているという事は、確実に何かを企んでいるだろう。
調査するべきことがまた増えてしまったな。
なお、ここまで朝の登校中なので色んな人の衆目に晒されています。
悪魔の存在により、原作時空よりも現実と魔界の境界が曖昧です。
感じ取れる者たちは普通の人間よりも多くのコトを感覚的に察知できます。
画家見習いの祐介は一目見て覚醒者達の『特別』を見抜きました。
一方で画家として有名な班目は覚醒者達に対して特に言及無しです。
おや。これはいったいどういう事なのか。