ペルソナの主人公に転生したらしい   作:明人

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第三十四話

「動かないでくれ……そう、そのままだ」

 

 喜多川祐介の低い声が、オンボロなアトリエに響く。

 イーゼルに立て掛けられたキャンバスの前に立つ喜多川の瞳は、獲物を冷酷に見定める肉食獣の様に鋭い。

 

 アザゼルの動向を掴むための策として、俺達は喜多川の誘いに答えることを選んだ。

 なので現在、俺と杏は、喜多川の頼みを引き受ける形で絵のモデルになっている。

 本来なら、事前の調査を済ませてから動くべき案件ではあった。しかし、アザゼルという特大の厄介事を前に、のんびりしている時間はない。ヤタガラスに事情を話すや否や、俺は喜多川に連絡を入れてモデルの件を承諾した。

 

 ……その結果が、今この状況だ。

 

 喜多川の美の情熱に巻き込まれ、俺達は次から次へと複数のポーズを要求されている。

 勿論、服は着ている。最初はフルヌードを要求されたが、流石に最初からそれはキツイと説得して渋々ではあったが、学生服の着用を認めさせたからだ。

 

「二人には言葉に出来ない不思議な魅力がある。モデルとして、これ以上ない」

 

 喜多川のアトリエとして割り当てられているという、狭い部屋の小さな窓から差し込む夕日が俺たちの影を床に長く伸ばす。

 俺は指示された通りソファーに深く腰掛け、片肘を突いて視線を斜め下に落として少し気怠げな空気を意識して醸し出す。普通の学生である「表の顔」と怪盗やデビルサマナーとしての「裏の顔」――その境界にいるようなイメージだ。

 俺の左側に立ち、背中を預けるように寄りかかっている杏は、モデルの仕事でもあまり経験のない同年代の少年に凝視されているこの状況に少し緊張しているようだった。喜多川の邪心の無い鋭い視線が投げかけられるたび、彼女の背筋が微かに強張るのがわかる。

 

「蓮の持つ影、そして杏、君の放つ炎のような光。二つの相反する要素が、この閉ざされた空間で奇跡的な調和を生み出している」

 

 喜多川はぶつぶつと独り言を呟きながら、狂ったような速度で下書き用の鉛筆を動かす。あいつの世界には今、俺たち二人と、自身が描き出そうとしている色彩のイメージしか存在していないんだろう。

 

(……すごい集中力だな)

 

 俺は視線を固定したまま、心の中で呟く。

 喜多川の額から、大粒の汗が流れ落ちる。呼吸も浅く、荒い。喜多川のそれは単なる写生なんて生易しいものじゃない。自分の魂を削り取り、俺たちの姿をキャンバスに定着させようとするかのような、執念染みた儀式のようだ。

 

「だが、まだ足りない……! 何かが、決定的に足りない……!」

 

 キャンバスの上で順調に鉛筆を躍らせていた喜多川が筆を止め、自身の頭を激しく掻きむしる。

 

「ちょ、どうしたの?」

 

 突然の豹変に杏が心配そうに声をかけたが、今の喜多川には届いていない。

 

「これでは構図が凡庸だ。二人の関係性、その内側にある『情動』がキャンバスに現れてこない……!」

 

 喜多川は突然、持っていた鉛筆を放り出すようにして机に置くと、大股で俺たちのほうへと歩み寄ってきた。その目は完全に、美の狂気に取り憑かれた芸術家のそれだ。

 

「蓮、君はそのままソファーに深く腰掛けていてくれ。そして杏――」

 

「えっ、あ、はい!」

 

「君はソファーの後ろに回り、背もたれ越しに蓮を抱きしめるんだ」

 

 喜多川の突拍子もない指示に、杏が一瞬頬を強張らせたが、喜多川の気迫に圧されるようにして、静かに俺の座るソファーの後ろへと回り込んだ。

 

「……蓮、ちょっとごめんね」

 

 背後から杏の少し緊張した、だけど柔らかい声が降ってくる。

 直後、背もたれ越しに、彼女のしなやかな腕が俺の首から肩にかけて回された。

 後ろから包み込まれるような形で、俺の背中に高巻の体温がダイレクトに伝わってくる。

 

「そうだ……! 蓮、君は杏の腕に、すべてを委ねるように目を伏せろ。杏、君は彼のすべてを我が物にするかのように、情熱的に、かつどこか哀切を帯びた表情で抱きしめるんだ!」

 

 喜多川の熱を帯びた声が、オンボロなアトリエの壁に反響する。

 背後から俺の首から肩にかけて回された杏の腕に、ぎゅっと微かな力がこもった。

 

「……っ、そ、そんな事言われても……っ」

 

 俺の肩に触れている彼女の指先が、小刻みに震えているのがダイレクトに伝わってくる。

 杏が普段使っている、マンダリンの混じったシトラスの甘酸い香水の匂いが、密着したことでより一層濃く鼻腔をくすぐった。そっと目を伏せると、俺の背中に預けられた彼女の鼓動が、トントンと早鐘を打っているのが分かる。

 

 モデルとしてのプロ意識で喜多川の要求に応えようとしてはいるものの、この至近距離は流石にキャパオーバーらしい。

 杏の顔は見えないが、耳のあたりまで真っ赤に染まっているのが、空気感だけで痛いほど伝わってきた。

 

「これだ!! 素晴らしい……! 影と炎が、一つとなって溶け合う……!」

 

 喜多川は狂喜の声を上げ、弾かれたようにイーゼルへと戻り、再び猛烈な勢いで筆を走らせ始めた。あいつの意識が完全にキャンバスへと向いているのを確認し、俺は意識のチューニングを切り替える。

 

(――聞こえるか、みんな)

 

 目を伏せたまま、俺は脳内で直接仲間に語りかける。ペルソナ使いの能力を応用した他者との精神を繋ぐダイレクトな通信(テレパシー)だ。これで喜多川に怪しまれることなく、外と俺達の状況を共有できる。

 

『お、繋がったか蓮! 指示通り、俺らはアトリエのすぐ外の路地裏で待機してるぜ!』

 

 真っ先に頭に響いたのは、竜司の威勢のいい声だった。

 

『声が大きいぞ、竜司。そっちの様子はどうだ? 喜多川から何か引き出せそうか?』

 

 続いて、冷静なモルガナの声が割り込んでくる。

 

(いや、今は喜多川の芸術の爆発に付き合わされてる。杏が後ろから俺を抱きしめるポーズのままだ)

 

『うお、お前らそんなことしてんのかよ。イチャつくのはいいけど、喜多川から情報をちゃんと集めろよ』

 

『羨ま妬ましい……作戦にかこつけてアン殿とそんなことを』

 

 竜司の呆れ混じりのからかいと、モルガナの今にも爪を立ててきそうな怨念混じりの声が響く。それに対して、今まで必死に気配を消して通信を傍聴していたらしい人物が、ついに限界を迎えて爆発した。

 

 『ちょっと二人とも!!  全部筒抜けなのよ! 私にも聞こえてるんだからね!』

 

 脳内にいきなり杏の怒声が響き渡り、俺の精神回路がビリビリと少し揺さぶられる。

 

『うわっ、杏!? お前も通信に入ってたのかよ!』

 

『当たり前でしょ! 私は今、心臓が口から飛び出そうなくらい緊張してるんだから、変なからかい方しないで!……いや、ちがくて、蓮、変な意味じゃないからね!? 喜多川君の指示だから、仕方なく、ね!?』

 

 必死に弁明する杏の思考は、パニックで支離滅裂になりかけていた。

 そして同時に、背後から背もたれ越しに伝わってくる彼女の体温がさらに一段と熱くなった気がする。赤面している顔を必死に隠そうとしているのだろうか。言い訳をする杏の腕が、無意識なのか、さっきより少しだけ強く俺の体を抱きしめ直した。

 柔らかい圧迫感と、彼女のまとうシトラスの香りが一層濃く鼻腔をくすぐり、俺の心拍数まで少し上がりそうになる。

 

(分かってる。変な意味だとは思ってないから落ち着け。……それより、外の様子はどうだ?)

 

 俺は努めて冷静な思考を送り、強引に話を軌道修正する。これ以上杏をからかって動揺が表に出てしまうと、喜多川に不審に思われてしまう。

 

『ワガハイの感知で分かるのは、アトリエの周囲にうっすらと高位の悪魔のモノっぽい痕跡があることくらいだな。他の悪魔の反応はないぞ』

 

(了解だ。引き続き外の警戒を頼む。喜多川の筆の手が止まって、少し落ち着いたタイミングを見計らってアザゼルについて聞き出してみる)

 

『おう、頼んだぞ、蓮。……にしてもよぉ』

 

 ここで通信を切っておけば平和だったのだが、竜司の余計な一言が再び火をつけた。

 

 『……おい杏、あんまり蓮にひっつきすぎて、喜多川に変なインスピレーションを与えんなよ? あんまりにも仲良い姿を見て創作意欲に火が点いちゃって、話を聞けませんでしたとか言われたら笑えねえからな?』

 

 頭の中で、ニヤけた表情を浮かべているであろう竜司の顔がハッキリと目に浮かぶ。

 

『竜司、あんた後で絶対にシバくから!!』

 

 完全にブチ切れた杏の咆哮を最後に、不毛な言い争いを防ぐために俺はペルソナを通してのテレパシーの接続を強制的に切断する。

 

 テレパシーを切ると、騒がしかった脳内にアトリエの静寂が再び戻ってくる。

 聞こえるのはシャッ、シャッという激しい筆の音と、俺の背中にぴたりと寄り添う杏の、少し落ち着きを取り戻しつつも、まだ少し早く刻まれている鼓動の音だけになる。

 

「……フゥー。素晴らしい。ここ最近、いや、今までの作品を遥かに超える会心の出来になるぞ……!」

 

 喜多川が満足げに筆を置き、額の汗を拭った。

 

「ひとまず、今日はここまでとしよう。二人とも、ありがとう」

 

「う、うん! お疲れ様!」

 

 喜多川の筆が止まってポーズを解く許可が下りた瞬間、杏は弾かれたように俺から離れ、赤くなった顔を両手で仰ぎながらアトリエの隅へと逃げていった。その足取りはおぼつかなく、本当に限界だったのだと分かって少しおかしくなる。

 

 その様子を見ながらソファーから立ち上がり、軽く肩を回す。凝り固まった身体をほぐしながら、イーゼルの前で自身のキャンバスを恍惚とした表情で見つめている喜多川へと歩み寄る。

 

(さて……本番はここからだな)

 

 脳内で外の竜司たちに「これより仕掛ける」と無言の合図を送り、俺は世間話をするように自然なトーンで喜多川に声をかける。

 

「喜多川。最高の出来になりそうで良かった。……ところで、少し気になったんだが」

 

「む? 何だ。君の目から見て、何か構図に不足でもあったか?」

 

 まだ芸術の熱が冷めやらない様子で、喜多川が視線をこちらに向ける。俺は首を横に振り、核心のワードを口にした。

 

「いや、絵のことじゃない。……今朝あった時に見掛けた西次官と知り合ったのは最近なのか?」

 

 ――アザゼル。裏社会で暗躍し、現世では『西』という偽名と偽りの身分を使っている高位の悪魔。

 俺の言葉を聞いた瞬間、喜多川は驚いたように目を見開いた。

 

「西さんのことか? ああ、よく知っている。先生の古くからの知人で、先生の画を大層気に入っているらしく、時折アトリエにも見えられるが……なぜ君があの方の事を気にするんだ?」

 

 喜多川が怪訝そうに眉をひそめた、まさにその時だった。

 アトリエの奥、薄暗い廊下の向こうから、音もなく人影が現れる。

 

「……今代のヤタガラスは随分と鼻が利く。まさか、あの一瞬の邂逅からここを突き止めるとはな」

 

 現れたのは、仕立てのいいスーツをスマートに着こなした一人の男だ。特徴的な髪型以外は、何処にでも居そうな普通の人間の男――『西』の姿。

 喜多川はすぐに表情を和らげ、「西さん、お疲れ様です」と親しげに頭を下げた。だが、デビルサマナーである俺の目には、その男の背後にうごめく、巨大な異形の影――『アザゼル』の本質がはっきりと視えていた。

 

「やあ、喜多川くん。今日も熱心に励んでいるようだね」

 

「ええ。お陰様で。……その、西さんは彼らの事をご存じなのですか?」

 

 西は喜多川を労うように微笑むと、ゆっくりと視線を俺たちの方へと巡らせた。その双眸の奥にある深淵のような光が、まっすぐに俺を射抜く。こちらの正体や目的をとうに察しているような、すべてを見透かした目だった。

 

 俺はポケットの中に忍ばせている封魔管を握りしめ、全身の神経を警戒態勢へと切り替える。しかし、西から放たれるプレッシャーには、不思議とこちらを害しようとする刺々しい敵意が含まれていなかった。

 

「ああ。よく知っているとも。長い時間を掛けた企てを粉砕してくれた――今代のライドウなのだからな」

 

 西はそう言って、面白そうに口元を歪めた。

 敵対するでもなく、かといって味方でもない、不気味なほどに飄々とした態度で、アザゼルは俺たちの前にその姿を現したのだった。




P6が出るまでには完結させたいが、どうなる事やら
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