ペルソナの主人公に転生したらしい   作:明人

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第三十五話

 アトリエの空気を一瞬にして塗り替えた男――西次官の姿をしたアザゼルは、仕立てのいいスーツのポケットに両手を突っ込んだまま、値踏みするような視線を俺に注いでいた。

 背後にうごめく異形の巨影から放たれるプレッシャーは凄まじいが、不思議とそこには、俺達を圧殺しようとするような剥き出しの敵意は感じられない。

 

 俺はジャケットの内ポケットに忍ばせた封魔管の冷たい感触を指先に感じながら、いつでも仲魔を召喚できるようマガツヒを練る。

 張り詰めた沈黙を破ったのは、当のアザゼルだった。ニヤリと、すべてを見透かしたような笑みを浮かべながら口を開く。

 

「そう身構えるな、ライドウ。私は別に、貴様とここで不毛な殺し合いを演じるつもりはない。むしろ、貴様ら(ヤタガラス)の『鼻の利き方』に感心している程だ」

 

「西さん? 一体、何の話を……」

 

 俺とアザゼルの間に流れる異常な空気に耐えかねた喜多川が、イーゼルの横から一歩前に出た。

 その表情には、自分が深く尊敬する先生の知人が、目の前の同い年の少年と不穏な会話をしていることへの純粋な困惑が浮かんでいる。

 

「それに、ライドウとは……。蓮、君は一体何者なんだ?」

 

 脳裏で言い訳のパターンを組み立てようとしたが、即座にそれを諦めた。

 普通の人間であれば、認識を混乱させる『プリンパ』で誤魔化して、事態の隠蔽を図ることも出来た。

 だが、目の前にいる喜多川は、ヤタガラスの術師によって掛けられた呪術にある程度抗っていた。

 恐らく、喜多川には目覚めていない何らかの異能の才能があり、魔法や呪術に対しての耐性があるのだろう。

 

(……チッ、ここから誤魔化し通すのは、さすがに無理があるか)

 

 俺は喜多川の問いにはあえて答えなかった。アザゼルの目的が不明な以上、喜多川に余計な情報を与えて、妙な行動を起こされてしまっては困るからだ。

 ジャケットの内ポケットの中、封魔管を握る指先にマガツヒを集めながら、まっすぐにアザゼルを見据える。

 

「西次官――いや、アザゼル。お前が班目一流斎と繋がっている目的は何だ?」

 

 『アザゼル』という真の名を口にされた事を驚く風でもなく、アザゼルはむしろ愉快そうに肩を揺らす。

 

 ――不気味だ。

 

 以前、天海市で倒したアザゼルはあからさまに人間を見下していて、人間に盾突かれるのを心底不快に感じるような悪魔だった。天海市で戦闘になった時も自分が殺され、魔界に送り返されそうになるその寸前でさえ、その態度を変えなかったくらいだ。

 

 だが、今俺の目の前にいるアザゼルにその様子はない。

 まるで、対等な好敵手との知恵比べを楽しむような雰囲気ですらある。

 

「目的、か。答えはシンプルだ。私はただ、班目一流斎という男の『歪み』を特等席で観察させてもらっているだけさ。虚飾に塗れた班目がどれほど欲望に溺れ、自意識を認知の世界に溶かしていくのかを、ね」

 

「先生の歪み……? 西さん、言葉が過ぎます!」

 

 喜多川が鋭い声を張り上げた。さっきまでの困惑と、普段のどこか浮世離れした雰囲気は完全に消え去り、班目を侮辱されたことへの怒りに震えていた。

 

「先生は日本画の巨匠であり、俺にとっては親も同然の御方! 芸術に対して誰よりも真摯な芸術家だ! あなたが画商と先生を繋いでくれたことには感謝していますが、今の侮辱は看過できません!」

 

 必死に班目を庇う喜多川の姿を、アザゼルは哀れみの混じった、冷酷なまでに冷ややかな目で見つめていた。

 そして、その唇がゆっくりと弧を描く。

 

「真摯、か。ククク……ハハハハ! いや、傑作だ。喜多川くん、君のその純粋なまでの盲信は、ある種の芸術品のようだ。だがね。現実というモノは、君が思っているほど美しくはないのだよ」

 

 アザゼルは一歩、また一歩と、長い脚を動かしてアトリエの中央へと歩み出た。夕日が完全に沈み、部屋を包む影が一段と濃くなる。

 

「君の言う『日本画の巨匠』の裏の顔を教えてあげよう。班目一流斎という男はね、表世界の高尚な画商たちと付き合う一方で、裏社会――いわゆる反社会的勢力とも深く繋がっているのさ」

 

「……な、なにを言ってるんですか?」

 

 アザゼルの言葉に、喜多川の顔からスッと血の気が引いていく。

 

「驚く程のことじゃない。美術品というのはね、極めて都合のいい『資材』なのだよ。出所不明の汚れた金を、売り手が好きに価値を決められる絵画に変えて資産にする。そう、マネーロンダリングさ。班目はね、高名な画家である自分の名前がついた絵画を反社連中のマネロン用の道具として、闇のルートに売って巨万の富を得ている。そして私は、その流通に少々『協力』してあげているんだ」

 

「嘘だ……! そんなこと、先生がするはずない! 先生は、身寄りの無い俺の才能を見出して、このアトリエで育ててくださった、優しい方だぞ! そんな事をする筈がない!」

 

 激昂する喜多川の声を、アザゼルの次の一言が完全に叩き潰した。

 

「育てた? 違うね。彼はただ、効率のいい『苗床』を囲っていただけさ。喜多川くん、君が今描き上げているその絵の着想も、いずれ彼の名で別の作品として発表される。……班目が今まで世に出してきた『名作』の数々、それらはすべて、君のような若く純粋な弟子たちの才能を、文字通り掠め取って作り上げた代物なのだからね」

 

 アトリエの空気が、完全に凍りついた。

 喜多川は、まるで目に見えない鈍器で頭を殴られたかのように、呆然と立ち尽くし、口を微かに開けたまま言葉を失っている。

 その瞳は激しく揺れ、アザゼルの言葉を拒絶しようとしながらも、心のどこかで思い当たる節があるかのように、深く暗く沈んでいる。

 

 部屋の隅にいた杏が、茫然自失になった喜多川のもとへと駆け寄ろうとしたが、俺はそれを手で制した。

 酷な話だが、班目の盗作も喜多川のショックも、俺達にどうこう出来る問題ではない。俺達に対処できるのは、班目を利用して再び人間社会に根を張ろうとしている目の前の悪魔を打倒する事だけだ。

 

 精神的な致命傷を負って愕然とする喜多川を、アザゼルはもはや視界にすら入れようとしなかった。用済みとばかりに興味を失った目で背を向けると、今度はまっすぐに俺の方へと目を向けてくる。

 

「さて、ライドウ……いや、今は心の怪盗団(ザ・ファントム)のリーダーと呼ぶべきかな?」

 

 その言葉に、俺は内面でアザゼルへの警戒を強める。

 誰から聞いたのかは知らないが、どうやらアザゼルは俺たちが怪盗団であることを完全に把握しているらしい。

 

「班目一流斎という人間の歪みは、すでに現世の枠に収まるレベルではない。君たちならよく知っているだろう? 人間の肥大化した欲望が作り出す、とある異界――『パレス』の存在を」

 

 アザゼルの口からパレスという単語が飛び出したことで、俺の警戒レベルは最高潮に達した。やはりこの悪魔は、精神世界の構造にまで深く通じている。

 まさか、アザゼルの目的は。

 

「班目のパレスはね、私の目論見通り虚飾の美術館として完成しつつある。だが、最後の一押しがどうしても私には出来なくてね。そこでだ、怪盗団。君たちに一つ、依頼をしたい」

 

 アザゼルは俺の目を覗き込み、不敵な笑みを浮かべた。

 

「班目のオタカラを盗み出してほしい。あいつの歪んだ欲望を盗み出し、その心を『改心』させてみせろ」

 

「……なぜお前がそんなことを依頼する?」

 

 俺の二度目の問いかけに、アザゼルはクク、と喉を鳴らして笑った。その瞳が、過去の因縁を呼び覚ますように妖しく明滅する。

 

「簡単な事さ、葛葉ライドウ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 心臓がドクン、と大きく跳ねた。アザゼルの口から出たその言葉が、俺の記憶の奥底に眠る、あの過酷な魔界での戦いの記憶を引きずり出した。

 

「そのセリフ……お前、まさか!」

 

「ハハハ……ところでライドウ、甲斐刹那は元気か?」

 

 過去の因縁が、最悪の形で目の前に結実していた。

 考えるよりも早く、内ポケットから封魔管を引き抜き、仲魔を召喚してアザゼルへ飛びかかろうとした。刹那たちと共に終わらせたはずの脅威を、今ここで完全に滅ぼすために。

 だが、その一歩を踏み出すより早く、アトリエの空間全体が、凄まじい熱量と圧力によって押し潰された。

 

「動くな……ここら一帯を灰にしたくはなかろう?」

 

 アザゼルが掲げた右手の手のひらに、空間を歪めるほどの超高密度の光球が浮かび上がっていた。

 万物を塵に還す究極の万能魔法――『メギドラオン』

 その凶悪なプレッシャーがアトリエの壁や床をミシミシと軋ませ、喜多川と杏が圧力に耐え切れず、その場に膝を付く。下手に動けばアザゼルはこのアトリエごと周囲の住宅街を消し飛ばす。俺も全身の筋肉を硬直させ、動きを止めざるを得なかった。

 

「賢い選択だ……言ったはずだ。ここで不毛な殺し合いをするつもりはないと」

 

 アザゼルは光球を弄びながら、冷酷な笑みを深めた。

 

「貴様も知っての通り()()()()()()は、ファントムソサエティの幹部として天海市で大いなる計画を進めていた。だが、ヤタガラスに敗れ、無惨にも肉体を破壊されて魔界へと強制送還された。悪魔としての力の大半を失いながらな……」

 

 アザゼルは窓の外の闇を見つめ、忌々しそうに言葉を吐き出す。

 

「だが、どういう因果か、この世界とあの法則が異なる魔界(デビルチルドレン世界)が繋がった。そこへ迷い込んだ貴様は、これまた異なる世界のデビルチルドレン――甲斐刹那に協力し、あちら側のアザゼル、すなわち『アゼル』を討ち果たした……覚えているだろう?」

 

 忘れるはずがない。あちらの世界の崩壊を防ぐため、刹那と共に死闘を繰り広げ、魔王を騙る悪魔を打倒したあの時の事を。

 

「貴様らに倒されたアゼルは、概念の塵となって消え去る寸前、地球と魔界の境目を漂っていた私の残滓と奇跡的な邂逅を果たした。かつて天海市でライドウに敗れた私と、あの魔界で貴様等に敗れたアゼル。『アザゼル』の敗者同士が、あの境界で混ざり合い、擬似的な合一を果たしたのだよ。そうして私は、新たな『アザゼル』として新生し、再び現世へと這い上がってきた。すべては、貴様らへの復讐と、真なる『合一』を果たすためにな!」

 

 アザゼルの影が、より不気味にアトリエの壁に伸びていく。

 その影は既に人型ではない。大きな蝙蝠のような翼に、双頭の竜。以前この世界で戦ったアザゼルの姿ではない。奴の言う事はどうやら本当らしい。

 

「確かに私はアゼルとの融合を果たしたが……それはあくまで擬似的な合一に過ぎない。不完全なのだよ。完全なる存在へと至るために、私にはまだ『手に入れ損ねた知恵』が必要だった。そして、ようやく見つけた私の知恵が、班目一流斎さ」

 

「私は以前使っていた西という名で班目に近づいた。あいつは元々、弟子たちの才能を盗作して虚飾の名声を貪るだけの、器の小さい悪党だったがね。そこに私が、反社会勢力とのパイプとマネーロンダリングの利権をチラつかせ、さらに大きな欲望へと駆り立ててやった。あいつをそそのかし、汚れた金を洗うための絵を描くよう誘導し、その心を完全に歪めてやったのさ。すべては、班目の欲望を煮詰め、『パレス』を完成させるために。あいつのパレスが完成し、その欲望が極限まで肥大化したその瞬間、私はパレスで知恵を取り込み、完全なる合一を果たす予定だった」

 

 そこで、アザゼルは忌々しそうに、溜め息をつく。

 

「だが、誤算が生じた。パレスは完成したが、合一に必須のオタカラが出現しないのだ。パレスの完成度が足りないのかと思っていたが……私がそのオタカラの不在に頭を悩ませていたところに、ちょうど良くアエーシュマが合一する時に使用したオタカラを出現させた実績のある、貴様ら『心の怪盗団』が嗅ぎ回ってやってきた、というわけさ」

 

 アザゼルはメギドラオンの光球を保ったまま、脅迫を裏付けるような冷徹な眼光を俺に向ける。

 

「怪盗団、貴様らの得意分野だろう? パレスに侵入し、班目の認知を刺激して、隠された『オタカラ』を強制的に引きずり出せ。そして、あいつの欲望が最高潮に達し、出現したオタカラを私に引き渡すんだ。それが私から貴様らへの『依頼』だ」

 

「断ると言ったら?」

 

 俺が即座に突き放すと、アザゼルは楽しげにククク、と肩を揺らした。

 

「断る権利など、最初から貴様らにはない。もし拒否するというなら……そうだな。私はこのアトリエの周りにいる適当な人間を、片っ端から班目のパレスへと引きずり込み、放り込んでやる。パレスのトラップやシャドウどもに生身の人間を喰わせ、その恐怖と絶望の魂を、パレスの新たな『糧』にしてやろう」

 

「チッ……!」

 

 悪魔らしい非道な物言いに、嚙み締めた奥歯がギリッと鳴った。アザゼルの提案を拒めば、このアトリエの周囲に住む無関係な人々が、生きたまま精神世界のシャドウどもの餌食になる。それは明白な人質であり、これ以上ない強硬手段だった。

 

「……っ、そんな身勝手な理由で、先生を利用したのか……!」

 

 それまで床に膝を付いていた喜多川が、掠れた、しかし血を吐くような想いで叫んだ。その身体は絶望と怒りで激しく震えている。アザゼルの語る『パレス』だの『合一』だのといった悪魔の事情など、喜多川には理解できるはずもない。

 だが、自分が信じてきた親同然の師匠が、悪魔の都合でそそのかされ、利用されているという事実だけは理解できたのだろう。

 

「俺は……俺は信じない! 先生が盗作をしていることも、そんなパレスとかいう場所があることも! 先生はそんな人間ではない! 誰よりも芸術を愛している、俺の先生なんだ!!」

 

「ククク……ハハハハ! 本当に滑稽だな、喜多川祐介」

 

 喜多川の魂からの叫びを、アザゼルは心底愉快と言わんばかりに嘲笑う。

 

「そこまで言うなら、班目が本当に君の言う通りの聖人か。それとも、私が言った通りの他者の才能を貪り食うだけの醜悪な怪物か……君のその濁り切った目で、直接真実を確かめてみるといい」

 

 アザゼルが空いている手の指をパチンと鳴らした瞬間、喜多川の衣服のポケットからスマホが転がり落ち、それと同時に不気味な電子音が鳴り響く。

 その画面には、見覚えのある赤と黒の奇妙なアプリ――『イセカイナビ』が、禍々しい光を放ちながら勝手に起動していた。

 

「キーワードは……【マダラメ】、【盗作】、【あばら家】。さあ、依頼の達成を心待ちにしているぞ。心の怪盗団。そして――喜多川祐介。君の信じる男の、その醜い本性を、とくと拝んで来るといい」

 

 アザゼルは一歩下がり、アトリエの闇へとその姿を溶け込ませながら、邪悪な笑みを残した。

 

「アザゼル!!」

 

 アザゼルの姿が現世から完全に消失した瞬間、イセカイナビから禍々しい光が放たれ、アトリエの空間がぐにゃりと歪み始めた。

 現実の壁が剥がれ落ち、その向こう側にある黄金と虚飾に彩られた異界の姿――『マダラメパレス』の入り口が、俺たちの目の前に現れようとしていた。

 




このアザゼルは元々いたアザゼルと漫画版デビチルのアゼルが合体した存在です。
インタールード②の後書きにちょろっと書いた話がこの事態の遠因になってます。
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