1
「え~、であるからにして。つまりは宴もたけなわと言いますが…」
「口上ながぁ~い!」
「宴もたけなわだと終わりの挨拶になりますが」
「あ、唐揚げはあっちにお願いします」
公安の近くにある居酒屋は週末だからか仕事から解放された者どもの喧騒と忙しなく動き回る店員の鳴き声が響き渡る。
「特異4課全員で飲んだことないですよね」という世間話をしたが最後、強制的に幹事にさせられたリウシェンは嫌々スケジュール調整に動き、ようやくお店を予約したと思えば唐突に乾杯の音頭を取らされ、彼が繰り出した限りなく演説に近い音頭は総スカンを食らった。
「は?だる…かんぱぁい!!!」
「音頭から逃げちゃだめ!」
「雑が過ぎるでしょ」
「パフェ3つください」
マキマ、姫野、早川アキ、IQ134の伏、甘党の円、体格がいい男性、お姉さん気質な女性、それにリウシェン。公安対魔特異4課の面々が一堂に会しているのは大衆酒場の座敷に長テーブルがあるだけのシンプルな卓。
テーブルの上には人数分のビールや料理が置かれ、作り立ての料理たちは箸が伸びるのを今か今かと待っている。
「う~ん、ならマキマさんにお願いしてもいいですか?このままだと長くなりそうですからね」
そう切り出したのはIQ134の伏。その高い知能指数は伊達じゃなくこの場での最適解を迅速に切り出す。
「うん、じゃあ私から言おうか」
マキマはゴホンと小さく咳をすると、さっきまでギャーギャー騒いていた姫野と早川とリウシェンは途端に静かになる。
「今週もお疲れさまでした、乾杯」
「「「「カンパーイ!!!」」」」
ジョッキとジョッキがぶつかり軽快な金属音が響く。
プレミアムなフライデーが始まった合図がした。
2
キンキンに冷えたビールは食道を通り胃の中に心地よく染み渡る。
リウシェンは口の周りについた泡を周りには見えないようにペロリと舐めた。
「それにしてもここのビールって氷が入ってるんですね」
彼は乾杯をする前からずっと疑問に思っていたことを話す。
普通ビールに氷は入れない。キンキンに冷えてはいたが飲んだ時の違和感があったからだ。
「ここの名物らしいよー。絶対普通にした方が良いのにねー!」
姫野が絶対にこのお店の中で言うべきじゃない事を大きな声で答えた。
それに対し早川が「声がデカいですよ」と注意する、バディを組んで1年以上経つからかコンビネーションは酒の席でも良好なようだ。
それにしても飲み会は久しぶりだ、何かとスケジュールが合わずこうやって大人数でお酒を飲む機会はかなり減った…ん、お酒?
彼の中で何かが引っかかる。何か見落としているような感覚があった。
「あ…あーーー!!!!」
思わず声を出したリウシェンに皆の視線が集まる。でもそんなことは今はどうだっていい。
だって…だって早川は…。
「早川って…未成年じゃ」
「ん?アキ君はもうハタチだよ」
「えぇ。最近なったばかりですけどね」
この前まで18歳で敬語もマトモに使えない馬鹿尖りボーイだった早川アキはいつの間にやら敬語を使いこなすやや尖りちょんまげにメタモルフォーゼしていた。
未成年飲酒強要を回避した引き換えに彼は過ぎ去る時間の恐ろしさを実感している。
「ん?そういえばリウシェン君はいくつになるんでしたっけ」
そう問うたのは伏。いくらIQが高かろうと人の年齢は忘れるものだ、134もあるのにね。
「23ですね」
「わかぁーい」
「いや、姫野先輩は知ってるでしょ」
「忘れてたぁ!」
少し目を離した隙に二杯目のビールを頬張る姫野はさっそく出来上がり始めていた。
姫野の空いたグラスを静かにテーブルの脇に置く早川を見たリウシェンは、自分がバディだった時期を思い出し早川アキに同情をした。
「それより聞いてよぉー!アキ君ったら呪いの悪魔と契約したんだよ、あり得ないよね!」
呪いの悪魔は、それは契約者本人の寿命を犠牲に相手を確実に殺す必殺の悪魔。
公安で契約出来る悪魔の中でも一位二位を争う強力な悪魔だが、実際に契約している者は少ない。よっぽどの狂人か悪魔に強い恨みがあるかだ。
「銃の悪魔を倒すためにはどんな力だって利用しますよ、リスクを取らないと…俺じゃ追いつけない」
「ダメだよアキ君!ねー、リウシェン君からも何か言ってよ」
「う~ん、老後の人生を削るとかだったら俺は良いと思いますけどね。呪いの悪魔って一回でどれくらい取っていくんですか」
「1年くらいだよ!あり得ないよね!」
「馬鹿じゃねぇのお前」
これにはリウシェンだけじゃなく他の特異4課の面々もドン引きである。
銃の悪魔討伐を目指し公安に入るデビルハンターも多いが、次第にその意識は薄れ惰性でこの仕事を続けるものは多い。
1年続くだけで中堅扱いされるこの業界に2年在籍して、それでも復讐の炎を絶やさない早川アキはその分野に関してだけは普通の範疇を超えていた。
「だからさ、リウシェン君からも説得してよ…お願い」
姫野はリウシェンに体を預け、上目遣いで彼を見る。
バディ時代の時とは違う香水の香りが鼻の奥に染み渡り、彼は思わず唾を飲んだ。
相変わらずズルい人だ、これを計算でやるからこの人は苦手で大好きだ。
ならばいっちょネゴシエイトしてやりますか、彼は手に持ったビールを一気飲みすると勢いよく空のジョッキをテーブルに打ち付ける。
「呪いの悪魔使っても早川は弱いから意味なくね」
Bad Communication
貴方は選択肢を間違えた。
言葉にしてからミスを理解したリウシェンと彼をポコポコと殴る姫野。
それと勝手に落ち込んで「それでも俺は…!」モードに入った早川アキを肴にマキマの酒は進む。
「生もう一杯ください」
マキマの席に本日5杯目の氷が入ったビールが運ばれた。
それをいともたやすく一口で飲み干したマキマはお気に入りの飼い犬に話しかける。
「リウシェンくんは今どんな悪魔と契約してるんだっけ?」
「狐と蟻ですね、でも最近は殆ど使ってないです。殴った方が早いですし」
「相変わらず凄いね、最近の新人なんて対価が殆ど無いからってとりあえず蟻と契約する人が多いんだよ」
「へー、そうなんですね。選択肢が多いと逆に迷ったりするからあんまり良くないと思っちゃいますけどね」
リウシェンが唐揚げに向け伸ばした箸が姫野の箸とぶつかる。ラスト一個だ
二人は箸を様々な角度から伸ばしては相手の箸をブロックしたり突き出したり悪魔との戦闘で培った技術を大いに活用する。
繰り広げられた小競り合いを制したのは顔に傷がある甘党の男、円。
二人が互いを牽制し合う隙間を縫ってラスト一個の唐揚げにありついた円はもちゃもちゃと口いっぱいに頬張る。
「「あー!俺(私)の唐揚げー!!」
「なかなか食べない方が悪い」
「そこ、あんまりケンカしないの。すいません、唐揚げもう1つください」
お母さんマキマが手を挙げ追加の唐揚げを注文すると円も一緒に手を挙げる。
「あ、じゃあついでに芋焼酎」
「芋焼酎までも俺達から奪うってのか」
「いや、普通に注文してるだけでしょ」
「私たちは______奪われた」
「めんどくさいノリだなぁ」
すっかり出来上がり始めた二人を前に円は本心からの言葉を吐く。
飲み会は佳境に突入する。
3
卓上に置かれた空のお皿は回収され、次第にジョッキが占める割合が増えていく。
弛緩した緩やかな空気はどこか生暖かい。アルコールで火照った体は熱く少し汗ばんだ。
この時間帯になってくると酒の肴はもっぱら世間話になってくる。
「俺はね、別に妬みとか嫉妬で言っている訳じゃないんだよ。ただね…ただ早川が狐の悪魔の頭部を使っている事が許せないんだ」
「使えない人が言ってる時点でもう負けじゃない?」
「は?違うが」
本気の嫉妬を見せるリウシェンとそれを揶揄う姫野。話題の中心であるはずの早川アキは何処か浮かない顔をしている。
「…狐の顔って使っちゃいけないみたいなルールってあるんですか?」
早川はまだ知らない、イケメンにしか狐の頭部が使えないことを。
早川の純粋な疑問を煽りだと捉えたリウシェンの怒髪は天を貫く。
「く、悔しいぃ~!!!俺も…俺も狐の顔使いたいぃ~!!!!」
その場で仰向けになり手や足で地団駄を踏んだ。
半分本気、半分ボケでやった彼の行動はやや滑り。一気に酔いが冷めた彼はさっきまで赤かった顔を真っ蒼に染め先ほどの行動が無かったかのように別の話を切り出す。
「へぇ、リウシェン君は狐の顔が使えないんだ」
リウシェンは、逃走に、失敗した。
マキマの追撃はリウシェンが確実に敗北に至る話題から逃させない。
その同心円の瞳が彼を捉えた。その瞳に悪意はなく、あるのはただ純粋な疑問。
だがそんなこと酔っ払いのアホには分かるわけもなく、彼の認識では美男美女の3人に囲まれて容姿いじりを受けているようなものだ。
「いや、話逸らさないで質問に答えて欲しいんですけど、もし狐の頭を使った時に特別な代償とかあるなら知っておきたいですし」
「アキ君の言う通り!リウシェン君は早く理由を教えてあげなってぇ!」
「早川君が使えてなんでリウシェン君が使えないんだろうね?」
純粋、悪意、純粋のサンドイッチに囲まれた彼は壁際まで追いつめられる。
一体どうしたらいい、俺に残された道は自身の容姿が優れていないからですと今世紀最大の屈辱的な説明を行うしかないのか。
諦めるな、思考し続けろ、歩みを止めるな。
活路は必ず見つかる、神様は乗り越えられる試練しか与えない
普段は使わない部分を活性化させた脳みそは糖を欲している。
「円さん、白玉パフェ1個もらいます」
「あ」
1人で3つパフェを食べていた円から強奪すると脳みそを急速回転させながらパフェを頬張る。もしゃもしゃもしゃ、なるほど、閃きそうだぞもしゃもしゃ…うお、めっちゃ甘いこれ、もしゃもしゃ。
はたから見れば少し質問されただけで何故か同僚のパフェを強奪した狂人なのだが誰も気に留めない。直接的な被害者の円は何も気にせず黙って追加の追いパフェを注文する。
糖分は脳みそに行きわたり活性化したシナプスはモノクロだった世界の裏側まで全て丸っとお見通しだ。じっちゃんの名に懸け、じいちゃんとの思い出なんて無いけど。
「狐の悪魔の好みの顔でないと狐の頭部は使えません。しかしどうだろうか…もし真の、ド直球に好みの顔であるならば…そうやすやすと力を使わせたりするだろうか、答えてみてくださいマドモアゼル」
そう言って姫野に指を指す。
「え…私?あー、それは使わせるんじゃない、普通に」
「その通り、恥ずかしくて使わせられない。特に狐の悪魔は乙女です。そんな彼女は本当に好みの相手を前にすると恥ずかしくて頭部なんて使わせてくれないはずだ、つまりそう言うこと文句ありますか?」
「……はぁ、そう言うことか」
「ん?そうはならないんじゃないかな?」
彼の言葉は何処にも届かず、ただリウシェンの醜い嫉妬を察した早川と本当に何もわかっていないマキマがそこにいた。
リウシェンがビールに手を伸ばす、その味はいつもより苦く深みがあった。
4
「おしっこ♪おしっこ♪おしっこう丸出発進行」
アルコールにより顔を赤くしたリウシェンは程よい酩酊感を感じながらトイレを目指す。
腐ってもデビルハンター、吐く息は酒臭いがしっかりとした足取りで目的の場所にたどり着いた。
「お、早川もいんじゃん」
3つほど並んだ個室トイレの一番端、扉が空けたままになっている個室では早川アキが便座に顔を近づけ、死にそうな顔で先ほど食べた美味しい夕食を便座にぶちまける。
「お、オエエエエエエ!!」
「よきかなよきかな、若い証拠だね」
どんな理由でそれが始まったのかは酔っ払ったリウシェンは覚えていないが早川と姫野、それにリウシェンにマキマの4人で飲み比べを行い、結果がこの様である。
アルコール耐性まで公安トップだったマキマの前で、早々に見切りをつけたリウシェンとは違いまだ酒に慣れていなかった早川はマキマに対抗し、撃沈。
彼はその代償でトイレの便座と仲良しになってしまった。
因みに姫野はいつの間にか横になっていびきをかいていた。
彼はゆっくりと早川アキの背中をさするとほんの少しだけ早川の顔色が良くなった気がした。
「あーあ、もしかしてあんまり酒に強くない?」
「お、俺は…別に弱く、オェエ、飲みすぎただけ、で」
「なるほど、全部出した方が楽だぞ」
何処からその量で出してんの?と疑問に思うほどの固形の物質を含んでいない茶色い胃液を吐き出した早川は少しだけ落ち着いたのか、トイレットペーパーで口の周りを拭いた後、手洗い場の水を手で溜め口を濯ぐ。
リウシェンはその様子を眺めながらチャックを下ろし、小便器につけられたシールに目掛けてお小水を放出する。
「早川さ、姫野先輩と付き合ってるの?」
ベブフ!と口に入れた水分を吐き出した早川は気管に入り込んだのか何度かせき込んだ。
「な、ゲフゲフ!なんで、ですか。ゲフ」
否定でも肯定でもない返答、それは正解と言っているようなものだぜ少年。
リウシェンは酔いでへにゃへにゃになったリトルリウシェンの狙いを指で補助しながら早川の裏を探る。
「いや、雰囲気で。あれだよ、ただでさえ死にやすい仕事してんだからさっさとヤルこ…言いたいことは言うべきだと思うぜ」
「だから…」
「お前が死ななくても姫野先輩が死ぬかもよ」
早川アキの口が止まる。
彼の復讐心が頭の片隅に追いやった懸念。いつか己を殺すかもしれない思い。
それを言い当てたリウシェンはじょぼじょぼとオシッコを流しながら言葉を続ける。
「命短し恋せよ乙女だぜ早川」
「俺は男だ」
「それは知らなかった。それにしては随分と顔がお白いですが体調が悪いのでしょうか」
「ふざけないでください」
もう何もでなくなったペニーワイズっスを収め、彼はファスナーを上げる。
「ふざけてるのはお前だよ早川。お前じゃ銃の悪魔を殺すのは無理だろ」
早川アキが口を挟む暇を与えず間髪入れず彼は言葉を紡いだ。
「俺は強いからさ、銃の悪魔だってお前が出る間もなく倒しちゃうかもね。だから君の努力は全部無駄です残念ですな」
そう言った彼は蛇口をひねり手を洗う。
「だから変なのに手を出すより今は目の前にあるモノを大切にするべきじゃないですか?俺はそう思うなぁ~」
「だからってなんで…いや、だってそれは…だめだろ」
それは会話というより自分に向けたような言葉のようで____
「だって…それだと…」
______まるで迷子の子供のようだ、そう彼は思った。
「なら強くなれよ、俺なんて簡単に越しちゃうくらいさ」
リウシェンはそう言って早川の肩を何度か叩くとゆっくり外に出ようとした。
早川アキの視線には洗面台の鏡、そこに背を向けたリウシェンが映った。
線が細く、とても歴戦のデビルハンターとは思えない背中だった。
早川アキはリウシェンが嫌いだ。
常に偉そうに先輩風を吹かし、何かとパシリのように人を扱い、問題ばかり起こし組織として動くということを理解していない彼から学ぶことは少ない…悪魔との戦闘以外では。
頭ではリウシェンの言うことは理解している、きっとそれが正しいのだろう。
でも、それでも早川アキの矜持はそれを否定する。
早川アキが早川アキでいるためにも、リウシェンの言葉を受け入れてはいけないのだ。
だからこそ早川アキは彼を否定する。
「銃の悪魔を殺すのは…俺だ!」
早川アキは背中を向けたリウシェンに叫ぶ。
これだけじゃない、アイツを否定するにはこれだけは足りない。
いつかに沈めた気持ちの封を緩めた。
それが彼の思惑通りだと気付きながら。
「それに…姫野先輩にも告白する」
銃の悪魔を殺すと誓ったあの日からずっとそうだ。
思いは言葉にしてこそ意味がある。
「両方だ、アンタの言いなりにはならない。俺は両方やる、絶対だ」
リウシェンは思わず振りむく。
今にも吐きそうな、どうみても体調に問題のある表情を浮かべながらも奥歯を噛みしめて耐える早川の顔はどこか滑稽でなんだが年相応の青年の姿だった。
思わず彼の顔に笑顔がこぼれた。
どうやら敬語も出来なかった生意気なクソガキは今でもちゃんと生意気らしい。
彼は静かに席に戻った。
相も変わらずマキマさんはお酒を飲んで、姫野は熟睡し、伏さんと円さんがよく分からない話をしている。
遅れて早川も戻ってくる。赤らめた頬はアルコールのせいか、それとも…。
まぁわざわざ言及するべきではない。彼は誰かが頼んだハイボールを飲み干した。
それにしても…シャツの襟に少しだけゲロがついている事は指摘するべきだろうか。
5
ネオンはその輝きを失わず、深夜を前にした時間でも眠らない街はピカピカと光り輝く。
お店の前で会計をしているマキマを待っていた公安対魔特異4課の面々は各々違う様相を見せた。
「ごめんね、お待たせ」
会計を支払ったマキマに皆がお礼を言う。どうやら経費で落ちるようだがお礼を言うことは忘れない。
「早川君は姫野ちゃんを送ってあげて」
大きな欠伸で返事を返した姫野はその態勢が崩れ、姫野の腕を肩に回していた早川アキが支える。
「しっかりしてください。姫野先輩」
そんな早川も酔いが抜けてないのか今にも倒れそうなほど顔が白い。
病人が病人を介護しているような光景を前に「こいつらちゃんと家帰れるのか」と思ったリウシェンであったが面倒くさいので黙ったままでいた。
「それじゃ、解散しよっか。今日はお疲れ様」
マキマの宣言と共に、皆は各々別々の帰路につく。
電車で、タクシーで、あるいは徒歩で帰る人たちの群れの中、二人だけが店の前に残っていた。
マキマとリウシェンであった。
「マキマさん…これ」
リウシェンは仕事で使う鞄の中から封がされた小さな袋を取り出した。
「これは何?」
「開けてみてください」
マキマは丁寧に封を切り、袋を開ける。
中に入っていたのは小さなバッジだった。
「ソ連のお土産です。荷物になるから全員分は買えなかったですけど、もしよかったら」
それは赤色と金色で構成されたバッジで、労働者が鎌で農作業をしている様子を映している。
マキマはそれを受け取ると、リウシェンの様子を確認し微かに笑顔を浮かべた。
「ありがとう、執務室に飾っておくね」
恥ずかしそうに頬を赤らめながらマキマの言葉を受け取ったリウシェンは少しだけ早口になりながら答える。
「いえ、むしろ…こんな粗品ですいません。もっとちゃんとした奴の方が良いですよね」
「…リウシェン君はなんでお土産を買ったの?」
マキマの同心円の瞳が彼の姿を捉える。
まるでその一挙手一投足を見逃さないよう、観察するような視線だった。
そんなマキマの視線に気が付かないまま、彼は照れくさそうに後頭部を搔く。
「いや…それは、何ででしょうね。すいません。自分で分からなくて、ただなんとなくマキマさんに似合うとかなと言うか、いや、別に付けるものでもないですけどね」
徐々に語尾が弱くなる彼をマキマは静かに見つめる。
「嬉しいよ。リウシェン君が私の事を考えて買ってきてくれた事に。そのことに感謝を伝えることはあっても貶すことは絶対にしないよ」
マキマはバッジを丁寧に袋に入れなおし、シールになっている封を再度付け鞄に戻す。
そして数秒間の沈黙の後、口を開く。
「リウシェン君、このあと別のお店で飲みなおさない?」
6
間接照明だけで構成された店内は薄暗く、落ち着いた雰囲気を醸し出している。
ボリュームを抑えて流しているジャズ音楽は何処かで聞いたことがある曲だけで曲名は忘れてしまった。
バックバーには数多のボトルが照明に反射して宝石のように輝いている。
マキマさんと訪れたのは狭いビルの一角にぽつんとある、隠れ家的な落ち着いたバーであった。客は自分たちの二人だけ、バーカウンターの真ん中の席に座った。
「マンハッタンを、リウシェン君は?」
「ギムレットをお願いします」
バーテンダーは小さく返事を返すとさっそくカクテルを作り始める。
マキマはその細く細やかな指でカウンターをつけるとゆっくりとリウシェンの方に向く。
「強いお酒だね、好きなの?」
「どうですかね、マキマさんの前だと緊張しちゃうのでお酒の力を借りようかなと」
「本気で言ってる?」
「あはは、本当ですよ。それにマンハッタンだって強いじゃないですか」
「まぁね、やっぱり上司ならお酒に強いところ見せないと」
「さっきのお店で腹いっぱい見ましたよ」
酔っているせいか、バーの内装のせいか、どこか水の底に沈んでいるような心地の良い倦怠感と酩酊感が合わさり、まるで水中を漂っているようだ。
バーテンダーが二つのカクテルを置いた。
「マキマさん」
「そうだね」
カクテルグラスを優しく合わせる。
「「乾杯」」
ウッディなジンの香りとライムの酸味が喉の奥まで通り、特有の爽快感と苦みが口内に広がる。強いお酒特有のツンとした匂いと苦みに思わず目を細めた。
「今日は楽しかった。初めて特異4課の皆が集まったけど…これならまたやってもいいね」
「そうですね、出来れば次は天使くん達も呼べればいいですけど」
「天使くんはまだしも、他の魔人達は難しいだろうね。でも出来るか考えてみる」
マキマさんはカウンターに両手を組んでうつ伏せになると、顔だけずらしリウシェンを見る。
「うん、今日は本当に楽しかった」
それは脚色のない、心からの本音のように聞こえた。
「やっぱり最近は忙しいんですか」
「そうだね、銃の悪魔と契約して銃を貰う人たちも増えてるし…それに悪魔も最近は強いのが増えているからね」
「出張ばかりですもんね」
「旅行は嫌いじゃないけどね、でもやっぱり東京の方がおいしいご飯屋が多いからね」
「ストレスの元はご飯以外にも?」
「特異4課に懐疑的なオジサンたちも多いからねー。報告する度にヒヤヒヤするよ」
マキマさんの愚痴が止まらない。
○○課の課長は魔人に対して強い忌避感を持っているから何かと反対するとか、偉くなったせいで他県の公安に行くたびに畏まられるとか、仕事仕事で趣味の時間がないとか。
これだけ聞くと内閣官房長官直属のデビルハンターも1人の人間なんだと思い知らされる。
どこか人間味が薄い彼女も何処にでもいる普通の女性で、ただちょっと強い力をもっているだけなのだと、そう思った。
「それでね、リウシェン君。一つだけお願いがあるの」
声色が変わる。先ほどまでのリラックスした声でなく、仕事の…真剣な声だ。
「以前、お願いしたような仕事あったよね。実は同じような仕事は沢山あってね…リウシェン君にはそういった任務をこれからもお願いしたいの」
ふと横眼を見るとバーテンダーが消えていた。
二人きりの空間でマキマの声だけが響く。
「多分、岸辺さんと一緒にやることが多いかな。危険も多い仕事だからその分手当もつくけど…リウシェン君の負担は増えるし…それに」
「大丈夫です、最後まで教えてください」
言い淀んでいるマキマさんに続きを促す。
マキマさんのお願いも、自分が何をすべきかもすでに分かっていた。
「リウシェン君は優しいから…沢山辛い思いをすると思う」
「はい」
「命の危険だって今よりも増えるだろうね」
「はい」
「それでも、リウシェン君は私についてきてくれる?」
「…もちろん、ついていきますよ」
マキマは天井を見せると、小さく息を吐き胸を撫でおろす。
仕事は自分でやるより、他人にやらせる方が辛いこともある。
なら俺に出来ることはただマキマさんに黙ってついていく、きっとそれしか出来ない。
マキマが大きなため息をつく。
「はぁ、良かった。さっきリウシェン君が言ったように実は私も酒の力に頼っていたからさ…うん、良かった」
安心しているのか、先ほどより何処かリラックスしているように見えるマキマはいつものミステリアスな雰囲気はなく、一人の人間なのだと実感させる。
マキマさんの負担を減らすためにも、俺も頑張らないといけないな。
今になって思えば、俺は酷く滑稽で、無様で、愚鈍であった。
もっと早く気が付いていれば俺はあんな手段を取る必要はなかったのだから。
147
季節は周り、時が移ろう。
時間はいつだって気が付く前に過ぎ去って最初からそこに居たように俺は大人になっていく。
新品のジャケットを羽織り、車のキーを取る。
まだ何にも染まっていないジャケットは新品特有のしゃきしゃきした匂いがした。
いつもの時間に公安本部に到着し、いつものデスクに座る。
定時5分前、いつもの時間だ。
最後に遅刻したのはいつだったかもう覚えていない。
俺も随分と真面目になったもんだ。
スケジュールを確認する。
マキマさん肝入りの新人、人間なのにどうやら魔人達と同じように扱っていいとの事だ。
時計を確認する。定時まであと1分。まだ新人の姿が無い。もしかしたら迷っているのだろうか。
30秒前、20秒前と時計は正確に時間を刻み、ついに10秒前、特異4課の扉が開かれる。
「あっぶねぇ~~!!ぎりぎりセーフ!広くて迷子になっちまった」
ぼさぼさした金髪の柄の悪い如何にも男。
でも大丈夫、そもそもデビルハンターはその筋の者も多い、よくある光景だ。
チラリと手元の書類で名前をもう一度確認して声をかける。
「キミが新人か?俺はリウシェン、キミの直接の上司になるかな。これからよろしく、デンジくん」
件の男…デンジのその眠たそうな瞳を開き、品性が感じられない視線を俺に向けると猫背のまま口を開く。
「あー、俺の名前はデンジ。マキマさんに言われて来た。よろしく」
随分と元気がない、それに敬語も。
まぁ早川も敬語を使えなかったが今では真面目くんの仲間入りだ。
長い目で見よう。
「早川にはもう会っているようだね。ならやることは聞いたと思うけど、改めて教えようか」
新人には優しく接するべきだ、どうせ後から悪魔にコテンパンにやられる。
せめて同僚くらいは優しくするべきだろう。
「おう、分かった。マキマさんもっかい抱く為ならよ、俺マジで仕事頑張るから」
は?は?は?なんこいつ?抱く、抱く?抱くってなんコイツいやいやちょ、マジでさ。
なんこいつマキマさん抱くってマジでこいつなんだホンマに。