「えぇ…せめてアポは取ろうよ、ルビー。」
「…ごめん。」
あたしがやんわりと嗜めると、ルビーは頬を膨らませながらもしっかりと謝罪した。とりあえず、と紅茶を入れてあげる。パックのだけど。安物だけど。じんわりと染み出してくる紅茶のパックを眺めながら、
「で、何があったの?おねーさんに話してみなさい?」
と問いかける。ルビーは顔を伏せたまま、話し出した。
「ふーん、なるほどねぇ…」
ようやく飲めるような温度になった紅茶を啜りながら、あたしはゆっくりと息を吐いた。
「収録が終わって疲れているのにお風呂が洗ってなかった、かぁ。確かに、やっておいてほしいって言うのは分かるけどねぇ…本当の理由、話さないの?」
ずず、と再び紅茶を啜る。爽やかな香りが鼻腔から抜けていくのをぼんやりと楽しみながら、あたしはルビーと返答を待つ。
「アクアとどんな顔して会えばいいか、分かんない。」
未だに顔を伏せたままのルビー。ぽつぽつと言葉をこぼす彼女を眺めながら、一通り話すまであたしは待つことにした。
「アイの…お母さんの秘密を暴露された時から、アクアのことが許せない、って事かぁ。」
結論はそれだった。最愛の母で、大好きだった推しの、きっと世の中に出すべきではない大きな秘め事。少なくともルビーは墓まで隠し通すつもりだった秘密だったのだろう。アクアも同じだった、と思っていた。ルビーは徐々に掠れていく声で、怒気を孕んだ声で、そう語った。
もし、ルビーと同じ境遇だったら、あたしはどうしただろう。きっと、ルビーと同じことを思ったのだろう。けど、あたしは一人の弟を持つお姉ちゃんとして、アクたんの気持ちは痛いほどに分かった。アクたんはただ、大事な妹の夢への旅路を、終わらせたく無かっただけなんだろうと思う。人気絶頂…とまでは言わないまでも、新規ファンが増えていく中で、かなたんのスキャンダル記事は、B小町の進退に大きな影を落とす可能性があった。いや、炎上必至のものだっただろうと思う。だからこそ、彼は最愛の母であり、推しのアイの超弩級の爆弾を投下した。母の輝かしい栄光に泥が被るのを承知で、妹の未来を守るために公表したんだと思う。とても合理的で、だからこそ…彼の心中を察することは、あまりに容易で。
きっと、すごく悩んだんだろうと思う。永遠のものとなるはずだった母の栄光をなげうってまで、あたしたちの…いや、残された妹の夢を叶えるために、あの場で決断したんだろう。クールに見えて、その実、誰よりも人情深い彼のことだ。兄弟仲が不仲になる可能性も、きっと彼なら分かっていたのだろうに。
「…アクたんは優しいね。」
「は?どこが?あの冷血女たらしのどこが優しいの?」
ぴりぴりと空気が張り詰める。一触即発。言葉を発しても、発さなくても、きっとルビーは激昂する。なら、一人の姉として、大人として。彼女へとあたしは言葉の刃を向ける。
「ルビーはさ、今までずっとアクたんのそばに居たのに、一体何を見てきたの?」
「ルビーが怒る気持ち、分からないわけじゃないよ。でも、あの時は解決策がこれしか無かったんだよ。アイドルはかくあるべき…それこそ恋愛禁止とかさ。規約にはなくてもそうあるべきって風潮が強い中で、かなたんのスキャンダルを未然に防ぐためには、アイの暴露は適切だった。」
「適切な…?適切ってなに?ママを裏切ってまでする必要無いじゃん!」
「じゃあ、あの時あたしたちにできることがあったの?アクたん以外の方法で、かなたんのスキャンダルを止める手立ては無かったじゃん。狼狽えるだけだったあたしたちが、アクたんを責めるのは違うでしょ。」
「だから!ママの秘密を暴く以外に「それ以外なかったからアクたんはそうしたんじゃん!」」
ヒートアップしたルビーの勢いが止まる。あたしの感情が爆発する。
「アクたんは優しいんだよ!じゃなきゃ、今ガチの時にあかねを探しに外に飛び出したりなんかしない!炎上をおさめるために、何日も徹夜して今ガチの動画編集なんてしない!あたしたちのライブ前に、被り物被って一緒にレッスンなんてしないよ!アクたんの行動は、全部なにかを守るためのものなんだって、分からないの!?今回だって、アクたんはB小町の…ううん、ルビーの夢の邪魔をしないように、全部自分で背負ったんだよ!?家族二人を裏切ってでも、ルビーを守るためだけに、大切だったお母さんの墓を掘り起こすまでのことをしたの!嫌われるかもって言うのも承知で、それでも、ルビーのために動いてくれたんだよ!お兄ちゃんとして、妹を守るために行動したのに、妹にこんなふうに言われたら、アクたんが…」
あくたんが、かわいそうだよ…
言い切らぬうちに、熱い液体が頬を伝う。視界は潤んで、滴り落ちた滴がティーカップに落ちて、緩やかに波紋を広げていた。
「わかってるもん…」
「お兄ちゃんが優しいことくらい、わかってるもん!」
「わたしのためにやってくれたんだって、お兄ちゃんはそういう人だって、わかってるもん!でも、でも…!」
ルビーの声が震えていた。いつもの快活な様子は鳴りを潜めている。肩を抱くようにしながら震える彼女は、ひとりぼっちの幼児に見えた。
「お兄ちゃんが…お兄ちゃんだけは、わたしと同じだって、そう思ってたんだもん…!」
母の秘密。誰にも打ち明けられずに、一生隠していくつもりだった秘密。それを共有できた、たった一人の肉親が、苦渋の決断の末とはいえ、それを暴露してしまったことが、辛かったんだろう。苦しかったんだろう。大きな声をあげて泣くルビーをそっと抱き寄せた。
「…ね、ルビー。」
「…なに…?」
「何かを守るって、すっごい難しいと思うんだ。」
「…うん。」
「アクたんもさ、きっと辛かったんだと思う。大切なお母さんのことを暴露することもだし、それのせいでルビーに嫌われるのも、すっごく怖かったと思うんだよ。」
「…うん」
「でもさ、アクたんはそれを躊躇わなかった。お母さんへの裏切りだって分かってて、ルビーに嫌われるかもしれないことも全部承知で、もう2度と、仲良し兄妹には戻れないかもしれないって言うのも、全部、全部含めてさ。それでも、ルビーのために動いたの。なんでだと思う?」
「きょうだい、だから…?」
「それもあるかもね。…でも、でもさ。血が繋がってるからってだけでそこまでできる人、きっといないんだよ。」
「じゃあ、なんで…?」
声が震えている。掠れている。
「それはね、アクたんにとってルビーが、なによりも大事だからだと思うんだ。守りたくて、傷つけたくなくて…自分がどれだけ辛くても、苦しくても、それでもルビーの夢を応援したかったからだと思うんだよ。だからさ。」
「お兄ちゃんのこと、許してあげて欲しいな。」
あたしの言葉に、嗚咽を溢すルビー。うわ言のように、ごめんなさい、ごめんなさい、と繰り返す。
「わたし、お兄ちゃんに酷いこと…沢山しちゃった…」
「うん。」
「八つ当たりばっかりして…」
「うん。」
「お兄ちゃんのこと、無視して…」
「そっか。」
「もう、嫌われちゃったかも…」
「…ううん。」
「きっと、すごく怒って…」
「ね、ルビー。」
「うん…」
「ちゃんと、アクたんにごめんなさいしよう?お兄ちゃんとかお姉ちゃんってのはね、どんなに酷いこと言われても、どんなに嫌いだって言われてもさ、下の子のこと、大好きなんだから。」
「…許して、くれるかなぁ…」
「うん。」
「昔みたいに、仲良くなれるかなぁ…」
「大丈夫だよ。」
「本当に…?」
「うん。ルビーが一番知ってるでしょ?アクたんは誰よりも優しくて…」
シスコンなんだから。
そう言うと、ルビーは少しだけ笑った。今日初めてみる、星野ルビーの本当の笑顔。ふわりと、一輪の花が咲くような、そんな笑顔。
「もうこんな時間だし、今日は泊まりだね。泣き腫らした顔だけどうにかして、明日、しっかりアクたんに謝ろっか。」
頭を撫でてやると、ルビーはくすぐったそうに震えた。
「…うん。ちゃんと、謝らなきゃ。」
「ん。えらいね、ルビーは。」
「MEMちょも、ついてきてくれる…?」
「んもぅ、しょうがないなぁ…。これでもお姉さんだからね。」
「…ありがと。」
「うん。それじゃ、ご飯にしよっか。お寿司取っちゃお。」
「あ、わたしがお金払うよ。」
「いいからいいから!こういうのはお姉さんに奢られとくもんだよ。」
「…うん。」
「美味しいもの食べて、今日はゆっくり寝よう。泣き腫らした顔でアクたんに会うの、嫌でしょ?」
「…分かった。じゃあ、今度何かお返しするから!」
「楽しみにしとくよ。それじゃ、お風呂入れてあるから入っておいで。ぬるくなっちゃったかもだけど。」
「うん。…いろいろありがと、MEMちゃん。」
「ううん。こちらこそ。説教臭くなっちゃってごめんね。」
そう言うと、ルビーはお風呂へと向かって行った。あたしはルビーの好きな寿司ネタをたくさん注文して、部屋に飾ってあるアイさんの写真を指で撫でた。
「二人が、ちゃんと仲直りできるように…見守ってあげて、くださいね。」
写真の中の貴女は、完璧な笑顔のままだった。