喪失のその先に   作:黒糖煎餅

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自分もここ数年で知ったことなんですけど、暗い気分の時の
『死にたい』
って、案外あてにならないんですよね。
少しメンタル回復したくらいのタイミングで、
『よし、死ぬか!』
になるんですよ。いや、ガチで。最低ラインから少し上ったところで、死ぬなら今(少しでも明るい状態)がいいなぁってなって、気軽に死にそうになるんですよね。
特に、海辺とか、山上の展望台とか。綺麗なものを目に焼き付けて、最後にいいものを見た、よし、死のう。ってなるんですよ。いやガチで。


君に会いに

まだ陽の光すら拝めない、夜明け前。ふと意識が覚醒した。

「…何時だ?」

備え付けの時計を見ると、4時半と示されている。

「また変な時間に起きちまったな…」

ぐい、と伸びをしながら、今後どうするかに思いを馳せた。ここにきてから、すでに2日が経過していた。昨日はゆかりの地を巡り、さりなちゃんが好きだった菓子類などを供物として持っていった程度で、特に何をしていたわけでもないのだが。

訥々と湧き出てくる余計な思考を隅にやり、俺は宿から出ることにした。

 

「あんらまぁ、こんな早くから散歩かぁ?」

訛り混じりにそう問いかけてくるのは、宿の女将さん。

「おはようございます。…仕込みですか?」

「そうよぉ。調理場に立つのが習慣でねぇ…」

「そうなんですね。…それじゃ、少し出かけます。」

「そうかい。なら、自転車使いなぁ。息子が使ってたのが、納戸にあるからねぇ。」

そう言いながら、納戸から自転車を取り出す女将さん。鍵と自転車をありがたく受け取る。

「8時にご飯持って行くから、ゆっくりと散策しておいで。」

優しく。まるで、息子を送り出すような言葉。

「…いってきます。」

なんて、言葉が漏れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

吐く息が白い。空は未だ黒々としている。散りばめられたような星達が、上空には広がっていた。

「…さすがに、少し寒いな…」

山あいの空気は驚くほどに冷え込んでいる。時折吹く風に身体を煽られながら、けれども自転車は止まらない。

狭く苦しい思考とは裏腹に、体は驚くほど軽かった。ひとつ、区切りをつけたと言う安堵感もあるのだろうか。

一昨日までの一寸先すら見えないような昏い思考が、心なしか少しだけ晴れたような気さえする。

「…気晴らしには、なるしな。」

借りた自転車を漕ぎながら、俺は何の気なしに海辺へと向かった。

 

 

薄明かりが、水平線から漏れ出している。ちりちりと眼を灼く光は、藍色の海を柔らかく照らしていた。きらきらと光の反射する水面は波打って、その光を自在に曲げている。まるで、星の海のような…そんな、幻想的な景色に、目を奪われた。

「綺麗なもんだな…」

黒々とした夜闇のような恐怖と、どこか望郷を感じさせるような温もり。海から上がった生物が海に還るのは、当然と言えば当然なのかもしれない。そんなことを思いながら、ふと思い立った。

「今、死のうか。」

思えば、苦しみに塗れた人生だった。

両親は居なかった。祖父母は自分の道を理解してくれなかった。唯一の癒しで、妹のように思っていた少女はあまりにも呆気なく亡くなった。

推しの決意を守ろうとして、結局のところ守れなくて、無駄に命を散らせた。

俺の幸せは、生まれてからアイが死ぬまでのたったの数年間だけだった。

今でも覚えている。アイのお気に入りのニットワンピースが、どす黒い赤に染まっていく恐怖を。

血の気が抜けて、膝が笑った。あの時の無力感を、覚えている。

復讐だけが俺の人生だった。俺にとって、それだけが生きる意味だった。自分の幸せなんてどうでも良かった。アイを失った分だけ、ルビーだけは守らなければいけない。アイの二の舞にはさせないと言う思いだけが、俺を突き動かした。

「走って、走って…走り続けて、その先で…」

全てを成し終えてから、君に会いに行くつもりだった。

全てを投げ捨てた。

ひとりの少女の思いを踏み躙った。

ひとりの少女の信頼を嘲笑って、利用した。

ひとりの少女の心配すら唾棄すべきものだと切り捨てた。

たったひとりの、妹との秘密を…君が生涯守りたかったものを切り捨ててまで、復讐に使った。その上、何も成し得なかった。君の受けた痛みを、苦しみを、感じさせることができなかった。

「ごめん。」

君からもらった命を、君からもらった愛を、俺は誰にも返すことができなかった。

「ごめん。」

他人の信頼を裏切った。

「ごめん。」

こんな子供で…

「ごめん。」

 

すっと、足が前に出た。踏むべき大地のない、その虚空へ。ぐらりと視界が揺れて、黒い水面が映る。水面に映ったもうひとりの俺が、無表情で俺を見つめていた。

 

 

 

 

冷たい水中で、誰かが俺を呼ぶ声が聞こえた、気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暗い。寒い。

痛い。苦しい。

 

胸が灼ける。喉が引き攣る。全身を針で貫かれたように、痛みが絶え間なく迸る。

 

熱が、消えていく。

焚べ続けた怨嗟の焔が、消えていく。

消さぬようにと焚べ続けた焔が、小さくなっていく。

 

肺から溢れた空気が、ゆらゆらと海面へ昇っていく。光を受けて、きらきら、きらきらと輝いて。

俺の命が、消えていく。

 

 

暗く冷たい海の中で、俺は海面を見上げていた。遠くなっていく。星が。遠く…見えないほどに、小さな粒になって、溶けていく。

 

 

漸く、死ねるんだ。

酸欠気味の頭で、そう思った。

溺死は苦しい。そう聞いていた。実際、酸素を求めて肺が軋む。脳が揺れる。思考すらままならなくて、もがくたびに意識が揺れて、消えていく。

 

ああ、けど。

 

海に包まれて。

煌めく星を見ながら果てる、なんて。

俺にとっては、きっと許されなかったハッピーエンドに見えて。

 

 

 

 

 

意識が、消えていく。

思考が溶けて、ただ真っ直ぐに、海面を見つめた。

虚構の星々が煌々と輝いている。

それはまるで、労われている様で、お疲れ様、と、優しく抱き止められている様で。

 

 

『…アイが、迎えにきてくれたみたいだ。』

 

幻覚なのだろうか。それとも、俺の最期の願いを、気まぐれに神が叶えてくれたのか。

動かすこともままならない腕を上げた。手を伸ばした。

『最期は、君の腕の中で…』

 

薄れ行く意識の最中、ふわりと抱きしめられた様な、そんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな人生でも、最期くらいはいい思いができた。

 

『…悪く、なかったな…』

 

空想に確かな温もりを感じながら、俺はゆっくりと瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




加筆済。本当なら水中でのアクアの独白は単話で出したかった...
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