咲き誇れ秋桜(コスモス)! byウマ娘プリティーダービー 作:ちありや
2月初週、トレセン学園にほど近い場所にある東京レース場。そこの選手控室で私は自分の出走を待っていた。
私の走る第5レースの開始時間まで約40分。この後パドックに出たりする時間を考えると、時間的な余裕は殆どない。
「う〜、さぶさぶ。天気予報だと午後から雨か雪が降るみたいだな。なんとかコスモスのレースまで保って欲しいな…」
トレーナー用の喫煙所から帰ってきた新代トレーナーが戻ってきた。途中の自動販売機で買ってきたのだろう。熱々の缶のコーンスープを私に差し入れてくれた。
雨かぁ… それは嫌だなぁ。
私は今、学園指定の体操服の上にジャージを羽織っている。そしてレース本番ではそのジャージも脱いで半袖&ブルマで走る事になるのだ。
ウマ娘は普通の人より心肺能力が高いので、血圧も体温も高くなる傾向がある。なので冬場でもみんな結構平気で半袖短パンで走る。少なくとも東京レベルの寒さで「ガチガチ震えて走れない」なんてウマ娘は居ない。
それでも『寒いものは寒い』のは変わらない。ましてや2月の雨なんて、服に雨が滲み込んで体全体の体温を奪っていく。まだ雪の方が即座に服に滲み込まない分、冷えずに済むのだ。
「さて、そろそろ第4レースが始まりますね。私もトイレ済ませてからそのままパドックに行っちゃいますね」
「うん、行ってらっしゃい。コスモスの仕上がりは万全だから、事故にだけ気を付けて気持ち全開でぶつかってこい!」
トレーナーの声に押される様に、私は笑顔で彼に手を振りつつ控室を後にした。笑顔でレースに臨めるなんていつぶりだろうか…?
☆
…なんだろう? 凄く緊張している。未勝利戦は5度目だから、その独特の空気も含めて良くも悪くも『慣れて』いるはずなのに、まるで新馬戦(メイクデビュー)の時の様に心臓がドキドキしているのだ。
トイレの洗面台に映った自分の顔を見て苦笑する。ガチガチで口元が引きつっていた。これでは満足に走れる訳がない。両頬を叩き鏡の自分に喝を入れる。
そう、この緊張の原因は『生まれ変わった私の新たなるデビュー戦』だからに他ならない。今日を境に連敗街道から抜け出て、花のティアラに向けて邁進していくのだ。
未勝利戦はある種独特の雰囲気が支配する。自信と気概の満ちている者は「今日こそ勝って上に進む!」と考える。
そしてそれらが少しでも足りていないと「今日も負けたらどうしよう…?」という絶望感に囚われてしまう。
今から私の走るレースは総勢7名で行われる。5敗なんてしているのは私だけで、他の娘は皆1敗ないし2敗しかしていない。
パドックで一通り今日のライバル達の顔を見る。私以外の6人中、気合の入っている娘は2人、残りの4人は不安そうな顔をしていた。
今の私はどちらの顔をしているだろう? トイレを出た時点では気合が入っていたはずだが、その時の熱量は今は鳴りを潜めている。
なお人気順位は、気合の入っていた顔の2人が1番人気と2番人気だった。やはりお客さんから見てもガッツのある娘は分かるんだろうな。
ちなみに私はビリッケツの7番人気。まぁ実績を考えれば納得の順位ではある。
パドックでの顔見せが終わり、本馬場入場となる。ゲート車が設置され、1人、また1人とウマ娘達がゲート内に収まっていく。両隣の娘達の吐く息の白さが、なんだかとても幻想的だ。
視界の端に雪がチラついた様に見えたけど、この程度ならレースに影響は無いだろう。良かった、馬場状態もせいぜい『
全員のゲートインが確認され、係員さん達がゲート車から退避する。
目を閉じ深呼吸。さぁ、いよいよだ……。
ガコン!!
一斉に飛び出した7人のウマ娘。私の脚質は『差し』、中盤まで速度を抑えてスタミナを温存し、後半に一気にスパートをかける戦法だ。
序盤の展開はとても大人しかった。皆お行儀よく他者と一定の距離を保ち、レースと言うよりも『
向こう正面から第3コーナーに掛かる辺りで先頭集団が乱れ始めた。それを後ろから見ていた後方の娘達も速度を上げ始める。
私はここで敢えて大きく息を入れた。今までの負けパターンからして、他人の動きに振り回されてきた部分がとても大きいのだ。
自分のタイミングでは無い所で体力を浪費してしまい、ラストスパートする余力が残せずに負ける。それを繰り返していた。
『無為に釣られずに、一息入れてルートを見極めろ』
トレーナーから散々言われてきた作戦だが、私はいつまで経ってもそれが出来なかった。
でも今日は違う。慌てずに自分の走りが出来ている。でも前が塞がれていて抜け出せそうにない。
レースは府中の大
くっそ、かつて無い程にクリアな頭でレースが出来ているっていうのに、このままじゃまた負けてしまう……。
『また、負けちゃうの…?』
いや… イヤだ… そんなの嫌だ。いやだイヤだ嫌だ、いやだイヤだ嫌だ、いやだイヤだ嫌だ、いやだイヤだ嫌だ、いやだイヤだ嫌だ、いやだイヤだ嫌だ、いやだイヤだ嫌だ、いやだイヤだ嫌だ、いやだイヤだ嫌だ、いやだイヤだ嫌だ、いやだイヤだ嫌だ、いやだイヤだ嫌だ!!
「もう、負けたくないんだぁぁっ!!」
悔しくて悲しくてやり切れなくて思わず声が出た。そしてこの『悲痛な叫び』から世界が一変した。
世界全体がセピア色に染められる。視界全体に古い写真を見せられている感じだ。そしてその写真に収まるかの様に、他の出走者達の動きがピタリと静止した。
時間が止まる。私も止まる。でも思考だけは働き続けている。何なのこの感覚? 生まれて初めて味わう感覚。怖いんだけどどこか懐かしい感覚……。
すると私の足元から細い光の線が伸びていく。それは前を塞ぐ娘達の隙間を指し示す様に伸びていった。まるで私に「この線に沿って走れ!」と導いているみたいに。
不意に感覚が戻る。『今はレース中である』と強引に意識を引き戻された。レースは最後の直線勝負になっている。まだ私の前は塞がれたままだ。
走りながら考える。『さっきのアレは何だったのだろう?』と。『もしかしてあの線を辿れば私は勝てるのか?』と。
もう考えている暇はない。私は謎の線に示されたルートを取る。1人抜かす、でもそのままでは右側にいるもう1人を抜かす道がない。
内側に攻めれば今抜いた娘の進路妨害を取られるだろうし、外に膨れるには大きく減速しなくてはならず、そこから抜き返すのは恐らく不可能だ。
『訳の分からない光の導きなんかを当てにしたのが間違いだったか?』
そう思った瞬間に奇跡は起こった。なぜか右側の娘が更に大きく右にブレた為に、私1人分が通れる隙間が発生したのだ。
まさしく光の線が指し示した位置で私は前を塞ぐ壁を抜き去った。今私の前にいるのは『逃げ』て体力を使い果たした娘が1人だけ。私はまだラストスパートの力を残している。
加速! ゴール手前100mで私はトップに立った。だが後ろを走る娘達の大きな『圧』を感じる、追い上げてくる娘がいる。その息遣いと振動ですぐ後ろに居るのが分かる。でもここまで来て私も負けられない。
前だけを見て走る、走る、走る。他人に囚われるな、ひたすら走れ… たった100mが何キロにも思えるほどに長い。この100mだけで全精力を使い果たす勢いで走り切った。
そして勝利線を一番に跨いだのは私だった……。