おいタルタル、追ってくるな   作:飲み会後の味噌汁

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お久しぶりです。
皆様はいかがお過ごしでしょうか...作者はナタを毎日駆け回っております。

たのしい

ちなみに、今回の話は私の癖が出ちゃってます。なんか気づいたらこんなんなってた。

今更...?

そうか


左様

 

黄金屋の騒動から数分ほど経過したころ、往生堂ではなにやら賑やかな声が聞こえてきた。

 

「ね、ねぇ胡桃!私ね!わ、私...やっと兄さんに会えたよ!」

 

キラキラとした笑顔で嬉しそうにそう語る少女は、先ほどまでタルタリヤと果たしあっていたエレーナご本人である。腕をぶんぶんと振りながら心境を報告する彼女の姿は、普段の彼女を知る者が見ればさぞ驚くであろうほどに朗らかなオーラで満ちており、見ているこちらが思わず笑顔になってしまうほどだ。

 

黄金屋にて兄と数年ぶりのまともな再会を交わしたエレーナは、その達成感から内に抑えきれぬほどの幸福を抱きしめていた。一体どうすれば人間はここまで幸せになれるのか、と疑問を抱かずにはいられないほどの変わりようであった。

 

宝物の山を目の当たりにしたパイモンでもここまで大きな幸福を手にするのは難しいだろう。それほど凄まじい笑顔だった。

 

さて、そんなエレーナの前にいる人間はどんな人物なのだろうか。

 

背丈はエレーナより少し高いくらいだろうか。長いくすんだ茶髪を二つ結びにしてまとめており、その少女の快活さがひしひしと伝わってくる。黒を基調とした制服に身を包み、頭には乾坤泰卦帽を被っている。

 

少女にとって少し大きなその帽子は、かつての祖父-往生堂七十五代目堂主-の形見を改良したものであり彼女にとってはかけがえのない宝物だ。

 

その帽子に梅の花を咲かせた枝がより一層華やかさに一役買っているが、不思議と落ち着いた印象を与えている。

 

それもそのはず、ここは往生堂であり、死を悼むことを生業とする由緒正しき場所だ。彼女-胡桃-はそんな往生堂の現堂主であり、今の璃月を支えている人間の一人なのだ。

 

そんな胡桃は、嬉しそうに笑うエレーナの話を聞いているのだが、そんな胡桃の様子はどこか上の空というか、落ち着かないようだ。

 

いや、胡桃は普段から突拍子もない行動をすることが多く奔放であることは間違いないのだが、今の彼女はどこか焦っているような素振りを見せていた。

 

チラチラとしきりに窓の方を見ては額に汗をかいている。何やら外が騒がしいようで気が気ではないようだ。

 

心なしか往生堂の他の人間もバタバタと慌ただしく動いているようで、そういった意味でも往生堂はとても賑わっていた。

 

しかし、エレーナはそんな周囲の状況など気にも留めない様子で再び語り始める。

 

「あんまり話せなかったけど、これまでよりもずっと多くの思いをぶつけられた気がする。」

 

「そ、そっか。え、えっとねエレーナ...今は」

 

「胡桃も今度兄さんに会ってみて?確かにちょっとおかしいところはあるけど、話してみると意外と...」

 

 

「いやこの状況でそんな報告してる場合じゃないよ!?」

 

 

叫ぶ胡桃。

 

無理もない。

 

つい数分前にエレーナが『禁忌滅却の札』を使って呼び覚ました魔神オセル。

 

それが再びテイワットにて咆哮を轟かせた瞬間から、空は曇り空で覆われ光が途絶され、辺りには暗雲と大雨、そして化け物の声のみが響くこととなった。

 

勿論、璃月の民は大きな混乱に包まれてしまい、港にいた人間はすぐさま我先にと避難を開始した。一方で千岩軍は兵を集結させて各地へと動員。その一部が七星たちとともに『魔神オセル』と戦うべく武器を手に取り動き出していた。

 

そして往生堂もまたその混乱の最中にいた。唐突に現れた災厄を前に混乱を極めた港の状況に、すぐさま危機を察知した胡桃はいち早く対応するために往生堂の人間を総動員した。

 

往生堂もただ葬儀を執り行うだけではない。葬儀を行うにあたって、葬儀場の確保や道具の確認と手入れ、葬儀に際して依頼者の要望を盛り込む必要があればその都度準備が必要だ。

 

"祖父が好きだった○○の花を使いたい。"という要望があれば前もってその花を発注しておく必要があるし、もし予想だにしない悪天候に見舞われた場合は、雨風を凌ぐ術も考える必要がある。

 

要するに『危険みたいだから今すぐに避難しよう』などと簡単にその場から離れることなど出来ないのだ。ましてや命に関する繊細な業務である以上、なんの備えもしていなかった結果、何もかもなくなりました、なんて言い訳にもならない。

 

出来うる限り備品を頑丈に梱包して守ったり、最低限の守り人を残して保険をかけておく必要があるのだ。

 

そんな緊迫した状況であるにも関わらず、先ほどまでの喜びをまき散らすエレーナを前にした胡桃が思わず突っ込んでしまうのも無理はないのだ。

 

「で、でもねでもね!一番の報告は胡桃にしたくって....。」

 

「ぐっ......!(かわいすぎる!!)」

 

先日の喧嘩で吹っ切れて壁を取っ払った影響か、胡桃にだけ見せるようになった甘えるような態度に思わず抱きしめそうになる胡桃だが、すんでのところで堪える。

 

ここで抱きしめてしまえば人として大事な何かを失ってしまう気がしてならない。

 

しかし、その意思に反して胡桃の両手は今にも思い人に触れようと震えだしている。

 

そんな胡桃の様子に見かねたのか、往生堂の者の一人が唐突にある言葉を投げかけた。それは援護射撃と言うにはあまりに威力の高い一撃であり、適格に胡桃の動揺を誘いだすものとなる。

 

 

「堂主!恋人とイチャイチャするのは後にしてくださいッ!!!」

 

 

「どあああああああ!?ちょっと黙ってて!?」

 

 

泣きっ面に蜂とはまさにこのことだろう。外野から投げられた唐突な狙撃に胡桃は見たこともないほどに狼狽えた。

 

"恋人"-----確かにそう言った。エレーナが、胡桃の恋人であると。或いはそれに類する存在であると。

 

「....?......あっ/////」

 

胡桃が狼狽えている理由に時間差で気が付いたエレーナは、以前に愛を囁かれたことを思い出して赤面した。夕暮れ時の軽策荘にて正面から告白されて、優しく抱きしめられたあの日のことを。

 

「あ、あのね胡桃。あの時の返事なんだけど....」

 

「あ、あぁぁぁちょ、今!?今それ言うの!?まぁ確かにすっごく気になる.....じゃない!!今は()()の対処が先だよ!?」

 

「堂主!その今にもエレーナさんを触りたそうにしている手のワキワキがある限り説得力が...」

 

 

「はーーい!早く梱包作業急いで急いで~~!ほらそこ!銅鑼が傾いてるヨ!ちゃんと運んで!!!!」

 

 

「...ごまかしたな。」

 

「まぁ正直、堂主がエレーナさんにゾッコンなのは周知の事実だからな。今更いちゃつかれたところで"ようやくか"って思うだけだ。」

 

往生堂の者たちは無慈悲にもそう語る。

 

胡桃は変わり者だと揶揄されることもあるが、彼女と接したことのある者のほとんどが彼女に対する認識を改めた。

 

ただ考えなしというわけではない。

 

空気が読めないのではない。

 

彼女は...堂主は敢えて変わり者である自分をよしとしており、その信念を貫いているだけだ。面白いことは面白いと言い、いけないことは改める。葬儀屋として人の生死には真摯に向き合い、その役目を全うする。

 

表に出ている表情が口調だけが一人歩きしているが、その本質はそこらの雑多な人間よりも芯があり、信じるに値するのだと往生堂の人間たちは皆知っているのだ。

 

唯一の弱みがあるとすれば、エレーナを前にしたときだけ、普通の女の子のような振る舞いになることだろうか。

 

飄々とした話し方は、エレーナを前にした時だけどこか普通の少女のように変化するし、何をするにもエレーナが中心の行動になる。まるで別人なのではないかと疑いを持ってしまうほどに、胡桃はエレーナの事となると豹変するのだ。

 

まぁ、それすらも魅力の一つなわけだが。

 

胡桃を振り回せる唯一の存在であるエレーナも往生堂にとっては庇護の対象であり、胡桃とはまた別の意味で好きの対象なのだ。

 

今回はそんな甘酸っぱい瞬間を久々に目にしたものだから、作業の片手間にいじってしまったのだ。

 

いじられた胡桃からすればたまったものではないが。

 

「もうっ。」

 

「え、えっと...。」

 

「とりあえず無事でよかったよ、エレーナ。」

 

「うん、胡桃も。」

 

取り合えずはお互いの無事を祝う。このような混乱に陥っている最中ではお互いの安否が気になって仕方がなかったが、こうして会えたことで一安心出来た。エレーナの具合もかなり良くなっているようだった。

 

かつての日のようにやつれているわけでもなく、僅かだが笑顔も浮かんでいる。そんなエレーナを見た胡桃はそれだけで嬉しかった。出来ることならゆっくりと話したいところではあるが、魔神が迫り来るこの状況ではそんな悠長なことは言っていられない。

 

「もっとゆっくり話したいところではあるんだけど...今はこんな状況だから。エレーナも他の住民と同じように避難を...。」

 

苦渋の思いでエレーナに逃げることを促す。

 

「うん、わかってる。」

 

エレーナは胡桃の言いたいことはわかっているようで、胡桃の言葉をすべて聞き入れる前に頷いた。その顔は自信に満ちておりまるですべてを見通しているかのように見えた。

 

だが、次にエレーナが放った一言は、人々を混乱の海へと駆り立てた。

 

 

 

「それじゃあ、沈めてくるね。」

 

 

 

.....

 

 

..........

 

 

...............ん?

 

 

彼女は今、なんと言ったのだろうか。胡桃は彼女に避難を促したはずなのだが、当の本人から返ってきた言葉は予想の遥か上を行くモノだった。衝撃のあまり動揺する胡桃。口の中が乾いていくのを感じる。

 

「え、エレーナ?今なんて」

 

心の中で感じたことをそのまま吐き出してしまう。しかし、それを責める者はいない。それはこの場にいる人間も同じ疑問を抱いたからに他ならない。異様な雰囲気に包まれる往生堂だったが、それに気付かないエレーナは、狼狽える胡桃を不思議そうに見ながら、さも当たり前かのようにこう言った。

 

「また離れることになっちゃうけど、また会いに戻ってくるから。」

 

ガチャ

 

エレーナが往生堂の扉を開けた音がする。遮断されていた外の嵐によってもたらされた雨粒と、ゴロゴロと鳴り響く雷鳴が往生堂の内部にも入ってくる。いかに現状の璃月が混乱の渦中にいるのか、いかに異常な事態であるかを暗に物語っていた。

 

普通ならばそんな悪天候に意識がいくものだが、この場にはそれ以上に非常識なる存在がいたために、天候がどうとか魔神がどうとかという状況に興味を示さなかった。エレーナという少女が放つ場違いな笑顔に皆が釘付けになっていた。

 

天使のような弾ける笑顔は、暗くどよめく雨風を背景として描かれた肖像画のようで、ある種の芸術ではなかろうかと思うほど綺麗だった。その場にいる全員が息を飲みエレーナの次の言葉を待つ。

 

「またね。」

 

「あっ...。」

 

だが、エレーナは多くを語ることなく往生堂を後にした。大雨が荒れ狂う天候の下を、さも当然かのように走り出した。

 

パシャパシャ....

 

水に濡れた地面を少女が走る音だけが微かに聞こえる。

 

「....堂主、あの人....さっきなんて言いました?」

 

「....。」

 

「私たちの耳がおかしくなければ、『あれを沈めてくる』と言っていましたよね?あれ、と言うのはつまり...。」

 

「さぁみんな!さっさと作業を終わらせちゃおッ!!!」

 

唐突に声を張り上げる胡桃。

 

「...そうですね。今はそれが最優先です。」

 

胡桃に彼女のことについて深く聞こうとする者はいない。この場にいる誰もが、エレーナが抱える闇や異常性を察しているからだ。

 

何があったかは定かではないにしろ、何かがあったこともまた事実なのだから。でなければ、堂主がああもあからさまに隠し事をするわけがない。

 

彼女ならば、何か隠し事をする際はもっと要領よく、そして上手くやるはずなのだ。そんな彼女が敢えてエレーナに関する事情を匂わせるのは、おそらくエレーナの抱える問題が隠し通せないほどに大きく複雑なのだろう。

 

でなければ、皆の前で大声を張り上げて雰囲気を掌握しようとすることなど、本来の彼女らしくないのだ。

 

皆が胡桃を気遣い敢えてエレーナについての追及をしなかったのだが、一人の女性だけは違った。彼女は至極当然とも言わんばかりに胡桃に接近し、これまでと同じように話し始めた。

 

「堂主、少々お話が。」

 

「...」

 

そう彼女が言ったのを皮切りに、胡桃とその女性は奥の別室へと移動していった。

 

 

 

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パタリ

 

扉が閉まる音がした。胡桃と女性は室内に二人以外の人間がいないことを確認すると、お互いに目線を合わせて口を開いた。

 

先に言葉を発したのは、胡桃を呼び出した女性の方だった。彼女は黒い髪を頭の上で団子状に纏めており、どこか慎ましい印象を受ける。往生堂という組織に属する性質上、衣服も黒を基調としているためか、余計に厳粛な雰囲気が漂っている。

 

それに口調も丁寧なので、まるで胡桃とは正反対な人間であるように映る。だが、そんな彼女も上司である胡桃を尊敬しており、業務に関係することであれば躊躇なく助言を手向けるし、求めることがある。

 

彼女の芯にある者は"真摯"。そこに私情はほとんど存在せず、彼女の内にある責任感だけがある。だからこそ胡桃も、そんな彼女の呼び出しに応じたのだった。

 

胡桃が部屋の扉を閉めたことを確認した女性は、姿勢を正して背筋を伸ばすと改まって胡桃に問いかけ始めた。

 

「そろそろ限界かと。」

 

「...うん、わかってる。」

 

多くを語らずとも胡桃は理解している。これまでエレーナを匿ってきたが、それも限界が近づいている。テイワットの外から来た旅人たちの介入から始まり、モラクスの死、極めつけに『公子』とエレーナの接触...こうも日常が慌ただしく揺れればその中心にいるエレーナへ話題の目が向くのも時間の問題だ。

 

「これからどうなさるおつもりですか?これからもエレーナさんを匿い続けるおつもりですか?」

 

女性は胡桃に対してそう尋ねた。

 

「正直な話、あの娘をこれ以上隠し続けるのは厳しいかなぁ。ただでさえエレーナの友達がどんどん増えていってるのに、『公子』にさえ認識されたりなんてしたら、ファデュイ自体に認識されたのと同じだからね。」

 

「もういっそのこと、内縁として手籠めにされた方が早いのでは?」

 

「な、な〜に言ってるの?エレーナを自由にしてあげる方向で話をしてたのにさ。」

 

「みんな気付いてますよ。胡堂主がエレーナさんのことをそういう目で見てるの。」

 

「....もうその話はやめようか?」

 

これまでにない"凄み"を見せる胡桃だが、表情を変えずに女性は淡々と続ける。どこか楽しそうだ。

 

「エレーナさんが行方をくらませた日を境に、港中の知り合いに彼女について血相を変えて聞き取りをしていましたね。」

 

「....」

 

「聞けども聞けども居場所はわからず終い。そんな状況にらしくないほど憔悴していましたので、流石に私たちも心配していたんですよ?」

 

「....」

 

「そして遂に彼女の行方を特定した貴女はこれまでの憔悴ぶりが嘘のように、跳ねるように喜んでいましたね。」

 

「....」

 

「....はぁ。ほんとう、エレーナさんのことになると途端にしおらしくなりますね。年頃の乙女でじゃないんですからもうちょっとしっかりしてください。」

 

「いや年頃の乙女だよっ!?」

 

「はい、存じています。堂主はエレーナさんのことになると、まるで恋した乙女のように...」

 

「それはもういいって!?」

 

「...で、どうするんですか?エレーナさんを私たちで匿い続けるか。それとも思い切って彼女に預けるのか。」

 

「なんかさらりと話題を戻されて釈然としないけど...。」

 

頬を膨らませながらジト目になった胡桃は、荒れ狂う外の景色を眺めながらこれからの計画を話し始めた。

 

「エレーナはもう、璃月に閉じ込めるべきじゃないの。あの魔神に関することだって多分エレーナが関わってる。それに気づいてるのは何も私だけじゃない。」

 

「...そのような重要な情報を私に言ってもよかったのですか?」

 

女性は胡桃に問う。今胡桃が話している内容はエレーナの生死に関わる話だ。エレーナは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だからこれまでは忍ぶように隠れて生きる他なかったのだが、最近はそうも言ってられなくなった。

 

エレーナのことを認識している人間は決して少なくない。たとえその者たちが告げ口をするような悪党でなかったとしても、それはリスクがないということにはならない。

 

だからこそ、エレーナを璃月から放してあげる必要があるのだが、その計画すらも漏らすことは許してはいけない。だというのに、胡桃はさも簡単にそのことを話してしまった。その潔さに不安を抱いてしまったゆえに、女性は思わず疑問を投げたのだ。

 

「言う人間は選んでる。」

 

「...あの方(エレーナさん)が関わらなければ、堂主はかなり聡い方だと言うのを忘れてました。」

 

女性は目を開いて驚愕を露にする。これまでの行動によって忘れがちになっていたが、本来であれば胡桃はとても頭がキレる方であり、そんな彼女だからこそ経営不振に陥っていた往生堂を立て直せたのだ。

 

そんな堂主を少し見直したのもつかの間、そんな堂主を案じている女性は不安を口にした。

 

「本当にそれで良いのですか?」

 

胡桃に長い間、付き添ってきた彼女にはわかる。今の胡桃の精神状態がいかに異常をきたしているのかが。

 

親友が瀕死になっていく姿を黙って見ていることしか出来なかった胡桃は、自身の中に渦巻く罪悪感と無力感を押し殺し、必死に堂主としての振る舞いを徹底していた。

 

だからこそ、その痛々しい姿を見ていられずに女性は鍾離に助けを依頼した。エレーナを探し回る内に疲弊していく主を見ていられなかったのだろう。

 

その後、エレーナの居場所を突き止めた鍾離は胡桃に対して助言を行った。彼がどのようにしてエレーナの居場所を探し当てたのかは定かではない。だが、少なくとも『泥臭くすべての場所を探し回った』などというわけがない。

 

女性は鍾離に対して敢えて追及はしなかったが、彼なりの裏回しをしたのだろうことは大方察していた。あくまでも目的はエレーナの行方であり、彼の闇を暴くことではない。

 

そのような経緯を経てエレーナとの再会の機会を実現した女性は、ようやく堂主とエレーナとのこじれが解決するだろうと思っていた。これまでと同じように、彼女らが一緒に過ごす日々が戻るものだと思っていた。

 

だが胡桃が選択したのは離別だった。胡桃はエレーナと共に過ごすことを望んでいるものだと思っていたが、どうやら思惑と異なる。

 

「いいの。どのみち時間の問題だったから。」

 

そう語る胡桃の表情は暗がりのせいでよく見えない。手を後ろで結び、もじもじとした様子でいる。いや、胡桃がエレーナの身を案じているのはわかっているが、女性にとってある要素が気がかりだった。この気がかりを考慮すると、胡桃がこのような選択するとは思えなかったのだ。

 

「貴女がエレーナさんに向けているその煮えたぎるような思いも時間の問題d」

 

「給料減額キャンペーンを企画しようと思うんだけどどう思う?」

 

「そうですね。エレーナさんが見つかるのも時間の問題ですからね。」

 

「はぁ...。」

 

これである。

 

胡桃がエレーナに抱いているのは凄まじく大きな恋慕と、ギトギトとした劣情だ。その執着は呆れるほど肥大しており、それは年々大きくなっている。通常の人間の恋愛では抱き得ない容量のクソでか感情は、胡桃の脳を狂わせる。

 

それもそのはずで、幼いころ親しい祖父を唐突になくした胡桃にとって現れた心の拠り所がエレーナだ。他の子どもたちとは異なり、胡桃を煙たがることもなく、そして敢えてぶっきらぼうな態度で向き合ってくれた。

 

当時の胡桃よりも少し幼いエレーナだったが、下手な大人よりも大人びた達観した雰囲気を纏っていたこともあり、胡桃を虜にしてしまった。

 

だからこそここまで過ぎた恋心を育ててしまったのだろう。

 

甘々すぎる現状に胸焼けしそうになった女性は、頭を抱えながらため息を吐いた。

 

そんな彼女に対して神が恵みを遣わせたのか、はたまた神そのものか。

 

この部屋に何者かが向かってくる音が聞こえた。コツコツと靴の底が床を鳴らして、その男の来訪を知らせる。

 

コツ....コツ.......

 

鳴り響く音は中々に反響している。木材の床板に対してこれだけの大きな音を出せる靴となると、よほど硬く高価なモノを履いていることが窺える。さぞや高貴な身分の人間が来たのだろうと考えたが、こんな慌ただしい状況の渦中にいる往生堂にお偉い様が来る理由がない。

 

強いて言うなら璃月七星の刻星ならば可能性はあるが、武芸にも通じる彼女はこの非常時にも駆り出されているだろう。

 

であれば、ここに来るであろう存在は限られるというものだ。それは多くの者から慕われている謎多き存在であり、この往生堂にも縁のある者だ。

 

少しずつ、闇の中からその存在の正体が姿を表す。

 

「っ鍾離さん。」

 

「取り込み中だったか、すまない。」

 

突如として現れたのは往生堂の客卿を生業とする男性、鍾離であった。

 

博識かつ聡明であり、常に沈着であるその様は多くものの尊敬を集めて止まないが、この非常時においてもそれは変わらないらしい。黄土色を基調とした衣服に身を包む彼は、この場にいる誰よりも目に見えない類の輝きを放つ人間であり、多くを言わぬにも関わらず何者かを引き付ける魅力を持っている。

 

その瞳は静かに胡桃を見据えていて、どこか彼女のことを案じているかのようにも感じられる。

 

彼はその独特の雰囲気から、何を考えているのかが読めない人間だが、悪人ではないことだけは確かであり、それゆえに胡桃たちはその不意な来訪者を歓迎する姿勢を取った。追い返すことはなく笑顔でもって迎え入れる。

 

胡桃たちが鍾離の存在に気付いたことを確認した彼は、スタスタと部屋に入ってきた。ゆっくりと扉を閉めて外界と遮断する。どうやら彼もこの空間が、誰にも聞かれたくない会話を行う密室であると理解しているのだろう。

 

彼が増えたことで部屋の中に充満する緊張感がより高まる。外で轟く雷鳴がゴロゴロと頻りに声を上げては、その度に鍾離の顔が光で照らされる。

 

形容し難い恐れが人のカタチを成して目の前にいるかのような奇妙な体験をしている気分に陥った胡桃は、その違和感と恐れを払拭するために口を開いた。

 

「ううん、大丈夫!それよりもなんでまだ避難してないの?」

 

「少々野暮用でな。俺にはまだやるべきことがある。」

 

「...やるべきこと?ま~たいつもの遠まわしな言伝?」

 

「ハハッ、すまない。」

 

鍾離は少し笑うと軽く謝罪した。このやり取りも胡桃と鍾離の間では日常茶飯事なのだろう。それを見ている女性もどこか慣れている様子だ。ジト目で見ている辺り、少し呆れているようにも見える。

 

「とはいえ、往生堂に寄ったのは堂主たちの安全を確認するためでもある。こうして無事を確認出来たことは、俺にとっては僥倖だった。」

 

「堂主が仰っているのは、『鍾離先生の身の安全が保障されていない』ことについて苦言を呈されているのだと思いますよ。」

 

「む。そうか。」

 

「まったくもう。鍾離さんってば『自分は大丈夫』とでもいいたげにあちこち歩きまわってるんだから心配だよ!璃月がこんなに混乱してるのに、な~んでこんなに楽観的なんだろ。」

 

「ご忠告痛み入る。しかし心配には及ばない。」

 

「はぁ...ま、いっか。」

 

どこから来るのか、謎の自信を宿す鍾離。彼は容姿こそ年若い青年である筈だが、纏う気がまるで彼を老いた仙人であるかのように誤認させてしまう。その様は何千年もそこから動かない大岩のようである。

 

こうなったら梃でも動かないことを知っている胡桃たちは、呆れてうんざりしながらも話を続けることを決めたようだ。

 

「で?様子を見に来たって言ってたけど、何か特別な用事なの?わざわざ脚を運ぶくらいだから、何かあるんでしょ?」

 

「ああ、忘れるところだった。」

 

どこかわざとらしいような惚け方にも見えるが、真意まではわからないゆえに彼の態度について深入りすることはしない。

 

「とはいえ、そう込み入った話しでもない。ただの確認だ。」

 

彼はそう前置きをすると胡桃に対して次のように質問をする。

 

「仲直りは出来たのか?堂主。」

 

「...。」

 

鍾離の心配の声を聞いてから、胡桃は少しの間固まった。彼が言っているのはほ確実にエレーナに関することだろう。彼は、自分がエレーナに対して敢えて追い詰めるようなことをしてしまったことに関して、とても悔いている。

 

良かれと思って行った行動が、年端もいかぬ少女を酷く傷つけてしまい、果てには胡桃にさえ苦労をかけてしまったからだ。とはいえ、これだけのことを聞くためにわざわざ大嵐の中を進んできたとでも言うのだろうか。

 

いや、きっとそうに違いない。鍾離はそういう人間なのだ。それは胡桃がよく知っていることだ。彼は他者に対して敬意を持っているからこそ、このように何気ない気遣いが出来るのだ。

 

なんだか無性に嬉しくなった胡桃はありったけの笑顔で答えた。

 

「おかげさまで!」

 

満面の表情を見た鍾離はふっと笑うと、安堵の顔を見せた。そんな鍾離を見て、『少しは場が和らいだかな』と感じた女性は、鍾離に対して胡桃の様子について言及した。

 

「ご心配なく、鍾離先生。胡堂主は先程までエレーナさんという恋人に思いを馳せて...」

 

「ねぇ!それこの人の前でも言うつもり!?」

 

「あら?何か不都合が?」

 

顔を紅潮させて抗議する胡桃に対して、『何を今さら』と言わんばかりの表情でとぼける女性。顔をコテンと傾けて不思議そうに胡桃を見ているが、心の中ではこの状況を楽しんでいるのか口元のニヤケを抑えきれていなかった。

 

そんな楽しそうな部下の姿を見た胡桃は余計に腹を立てたのか、わなわなと体を震わせ始めた。

 

「不都合しかないよ!?なんというか...鍾離さんの前だと変に気まずいのッ!!」

 

胡桃にとって鍾離は実の親であるというわけではないが、自身の痴情を知られるのは憚られる。何事にも大胆不敵な胡桃もそういった感情は持ち合わせているらしい。

 

「何も恥ずかしがることではないと思うぞ堂主。誰かを好ましく思い、焦がれるというのはむしろ人としていたって健全なものだ。むしろ、人間はそのような感情をきっかけとして己の領域を増やしてきたのだからな。」

 

「...そのフォローは胡堂主を余計にエグるだけかと。」

 

「む、そうだろうか?すまない。」

 

「...。」

 

泣きっ面に蜂極まれりだ。胡桃は普段から他者を振り回す側の人間であるため、このように振り回される側になるのは非常に珍しい。だからこそ、周囲の人間は無意識に追及してしまうものだ。

 

無慈悲な責め苦にあった胡桃は、顔面を真っ赤にしたまま手を大袈裟に叩き声を張り上げた。

 

「はいはいはい!じゃあ鍾離先生という男手も増えたことだし、ちゃっちゃと作業を終わらせちゃお!」

 

「...ん?」

 

「ということで!はい鍾離さんはこれを運んでネ!」

 

「...。」

 

唐突に梱包された木箱を鍾離へと渡す胡桃。

 

あまりに突然のことで呆然とする鍾離だったが、しばらくしてからようやく、これが胡桃からの仕返しだと言うことに気が付いた。それまで涼しい顔をしていた鍾離の表情に焦りのようなものが見え始める。

 

棒立ち荷物を抱える彼の姿はなんとも滑稽である筈だが、引き締まった肉体から織りなされる身姿の良さによって、そんな様も格好がついている。内心は穏やかではないようだが。

 

「(堂主の様子を見にくるだけのつもりだったが...なぜ俺は木箱を持っている?).......堂主、これは?」

 

動揺しながらもなんとか言葉を紡いだ鍾離だったが、返答したのは哀れみの表情をした女性の方だった。

 

「逃げようとしても無駄ですよ鍾離先生。今、この瞬間に往生堂に来てしまったからには、貴方様にも手伝っていただきます。何せ男手はいくつあっても困りませんからね。」

 

「...私が言うのもなんだけど、どっちの味方なの?」

 

すかさず挟まれる追撃。鍾離は親切心と老婆心から往生堂と胡桃の様子を見にくるだけのつもりだったが、この非常時にこの場所を訪れたのが運の尽きであった。それを面白く思った女性の悪戯に対して胡桃はジト目をしながら苦言を呈した。

 

慌ただしい状況に追われる往生堂では、一人でも多く荷物を運ぶ人手を欲していた。かの魔神がやってくる前に拠点の移動作業を終える必要があったのだ。ゆえに鍾離という男手はこの上ない貴重な働き手になると言うわけだ。

 

己の失策を察した鍾離は考えた。考えた末、ある結論へと辿り着いた。

 

「...さて、俺はさっき言った野暮用を済ませてくるとしよう。」

 

「あれ~?その荷物は運んでくれないの~?」

 

瞬時の熟考の末、鍾離は離れることを選択した。

 

彼ほどの人間であっても、男手を捕まえんとする女性二人の圧には耐えかねたようで、走り出すことはせず、しかししっかりと一定以上の速度を保ちながら部屋から遠ざかっていく。

 

心なしか彼の額には汗が浮かんでいた。

 

「心配はいらない。この荷物()確実に運んでおくさ。」

 

「あはは、逃げた。」

 

そんな鍾離を揶揄うように笑いながら見つめる胡桃。瞳に浮かぶ梅の花がキラキラと煌めいており、彼女の機嫌がいいことが窺える。

 

胡桃にとって鍾離という男は貴重な話し相手であり、心を許せる人間だ。この非常事態に彼と会話できたことは少なくとも彼女にとっての息抜きとなっていた。

 

カツカツと鍾離が履いている靴の音が完全になくなったころ、変わりに鳴り響いていたのはまたもあの雷鳴だけだった。あまりに煩わしい騒音に二人は思わず顔を顰めてしまうが、鍾離が訪れてからはその雷鳴ですら恐れることはなくなった。

 

不思議なものだが、彼はそれほどの信頼と安心感を与えてくれるのだ。

 

彼がいなくなった後も、胡桃は少しだけ憂鬱な気分が晴れているような気がしていた。思わぬ来客がもたらしてくれた恩恵に感謝しながら、胡桃は体を上機嫌に揺らしながら椅子にドカッと腰かけた。

 

椅子に座れば自ずと机に目がいくもので、自然に目線が目の前の漆のテーブルに注がれる。ふと、そこでとある違和感に勘づいた。

 

彼は何やら怪しげな贈り物を置いて行ったようで、変哲もないテーブルには小洒落た小瓶が増えていた。紫色の装飾によって包装されているその小瓶には、瓶の半ばほどの嵩までとある液体が入っている。

 

それはこの往生堂には少々不整合な見た目をしており、それが余計に胡桃の興味を引き付けた。

 

「これは...?」

 

気になった彼女はその物体を手に取る。思ったよりも重い。指先に心地よい重量感が訪れた。

 

液体の色素は瑠璃袋よりも更に深くどんよりとした紫色をしており、市場に出回っているような市販薬などではないことは一目瞭然だった。

 

女性もそのことを感じ取ったようで、眉を曲げながら疑問を口にした。

 

「鍾離様が置いて行かれたこの薬瓶....何やら見慣れない形をしていますね。」

 

彼女はその小瓶の蓋を摘まみながら天にかざした。そしてゆっくりと小瓶を揺らして、中に入った液体の揺らぎを確かめる。彼女が小瓶に与えた揺らぎに対して、液体に生じる揺らぎが少なく重々しい質量をもっているようだ。

 

それは即ち濃度の高い薬品であることを示唆している。ドロリとした液体を見ていると、どこかいたたまれない不安に襲われている気がしてそわそわしてしまう。

 

「...どうやら鶯様の仕業みたいですね。」

 

「あの人かぁ...。」

 

彼女の言う"鶯"とは璃月でも比較的有名な女性で、チ虎岩で「春香窯」という名前の高級花瓶の店にて働いている。だが、彼女を有名たらしめているのは彼女の"副業"にある。

 

彼女の副業は『香水作り』だ。

 

甘くも清らかな香りがする彼女の香水は多くの者の心を魅了してやまない。特に色恋に熱意を注ぐ若者に人気なようで、彼女の元へ駆け込む者たちは後を絶たない。

 

なぜ鍾離が鶯いお手製の香水を置いて行ったのかは定かではないが、胡桃にとっての好機を掴む何かであることは確かだ。

 

「あれ、何か紙切れが..。」

 

ふと、薬の側に置いてあった手紙が目に入る。その紙にはえらく達筆な筆跡でこう書いてある。

 

『彼女に迷惑をかけてしまったことに対する謝罪を。』

 

とのことだ。

 

怪訝に思った胡桃は瓶の蓋を慎重に取り外し、中から這い出てくる香りに鼻を近づけた。鼻腔を刺激する嗅ぎなれない香りに反射的に顔を顰めたが、別に悪臭の類というわけではない。むしろ人間にとってはいい香りとも捉えられるだろうものだった。

 

それに、どこか既視感のある香りも混ざっている。

 

この香りを嗅ぐことで不思議な多幸感に満たされる感覚に陥る胡桃。少しの間その感覚に酔いしれそうになったが、多幸感以外の何かを感じ取りすぐさま自身の肉をつねって正気へと戻った。

 

覚えた感覚は----火照り

 

身体の奥底から湧いてくる滲むよう僅かな熱が胡桃の理性を脅かし、足取りを惑わせる。何故か脳裏にはエレーナの姿や声が思い浮かび、その度に悶える。

 

「(この感覚...感じたことがない。なんか変な...。)」

 

胡桃は感じた悪寒は、彼女のこれまでの人生でも味わったことのない奇妙なものだった。本来ならば女性である胡桃が味わうはずのない感覚、それは身体の奥から沸き上がりやがては彼女の脳内を支配する。

 

じわじわと迫り来る危険な微熱に浮かされるのがわかる。

 

「っ!」

 

「胡堂主?」

 

僅かに残っていた理性でなんとか正気を保つことが出来たが、あと少しでも軟弱であったのなら忽ちエレーナを求めて彷徨い始めていたに違いない。

 

この薬はしかるべき時に使うべきだ。少なくとも今使うべきではない。

 

そもそも胡桃にとってこの手の薬は使用するシチュエーションは皆無であり、喜ぶ理由がない。全くもって無用の長物である。今の彼女に必要なものは、こんな薬ではない。

 

胡桃はこの往生堂の備品をすべて整理し、従業員の安全を確保することが最優先だ。そしてこの薬も、この往生堂に存在する以上は胡桃が確保する備品であり、彼女が管理すべき物品だ。

 

ゆえにこの薬を胡桃が預かるのは至極当然の流れであり、自然なことだ。

 

そう、だからやましいことなどないのだ。

 

ないったらない。胡桃はそう自身に言い聞かせた。

 

「...鍾離さんったらなんてものを。全く、こんな得体の知れない物をもらっても危なっかしくて使えないよ!」

 

「頬、上がってますよ。」

 

「...これは良いプラン案が思いついただけだから。商売繁盛の秘訣だから。」

 

「...左様で。」

 

左様、なのだろうか?

 

 

 

 




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