おいタルタル、追ってくるな   作:飲み会後の味噌汁

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安定の激遅投稿、失礼。

オシカ・ナタが楽しすぎて...拙者、某淵下宮みたいな雰囲気大好き侍につき、探索率が100%に到達しても探索してしまうで候。





...遅れてすんません。

それと、「Hiloyan」様、「碧藤」様、誤字報告ありがとうございました。
いつも助かっております。


異邦人と異邦人

 

 

 

 

旅人たちがオセルとの戦いに駆り出される数分前.....

 

 

 

 

「ほらほら!のんびりしてたら蜂の巣になってしまうよ!」

 

「ならっ!その弓矢をっ!しまってくれない!?」

 

「それは出来ない相談だ!だってこんなにも楽しいんだからねっ!」

 

「こんの...っ!」

 

エレーナが黄金屋の天井を突き破ってからどれほどの時間が経っただろうか。

 

あれからというもの、妹と再び離別したことで意気消沈し、フラストレーションが溜まっていた『公子』タルタリヤと鉢合わせしてしまった蛍とパイモンは、彼の憂さ晴らしに付き合わされていた。

 

彼が生粋のバトルジャンキーであるということも相まって、戦いは熾烈を極めていた。

 

一歩間違えれば命を落としかねないほど遠慮のない攻防。降りしきる怒涛の連続攻撃に流石の蛍も限界が来ていた。

 

ファデュイの執行官の実力をこれでもかと知ることになった彼女は、なんとかして黄金屋を脱出する方法を探していた。

 

「(なんとかして脱出を...!)」

 

タルタリヤを視界に収めて警戒しながら周囲に気を配る。

 

辺りには水滴と瓦礫の山が散乱しており、蛍とパイモンが訪れるまではここで凄まじい戦いが繰り広げられていたという事実を裏付けている。

 

恐らく先ほど天井を突き破った人物がタルタリヤと争っていたのだろうと想像はつくが、それにしてもただ戦っただけではこんな惨状は生まれないだろう。

 

十中八九、『神の目』を持つ者の仕業だ。

 

『神の目』を持つ謎の人物がここでタルタリヤと争い、それが不完全な形で決着した瞬間に蛍たちが居合わせたのだ。そして不完全な決着で不満を募らせていた『公子』に目を付けられて、今に至るというわけだ。

 

蛍からしてみればとんでもない災難だろう。

 

すぐにでもこの戦いから抜け出して外の状況を確認したいのだが、『公子』がそれを阻む。

 

彼の猛攻は見ているこちらが心配になる程凄まじいもので、彼が執行官として恐れられているのが分かる気がした。

 

彼の攻撃をなんとか避けている蛍だが、疲れが蓄積してきたこともありうんざりしてきた所だ。

 

なんとかしてこの状況を抜け出したい...この黄金屋に来てから起こった謎の地震の正体についても確認したかった。彼女は彼の攻撃が止んでくれることにも期待しながら『公子』を糾弾した。

 

「さっき凄い音がしたのも貴方の仕業なの!?」

 

「...そうであるとも言えるし、そうでないとも言えるね。」

 

「...はぁ?」

 

タルタリヤの曖昧な答えに訝しむような声を上げる蛍。

 

てっきり外の騒動の元凶はこの男であると決めつけていた。

 

これまでの旅路でファデュイは目的を達成するためならば手段を選ばない集団であり、それが世間での認識だと思っていたし多くは違わない。

 

だが、彼曰くそういうわけでもないらしい。

 

タルタリヤは肩を竦めて、あっけらかんとした態度でツラツラと話し始めた。飄々とした態度が余計に胡散臭さに拍車をかけている。

 

「確かに『渦の魔神』を呼び覚まして璃月に一槍入れるつもりだったのは本当だ。神がいなくなったこの璃月でかつての怨敵を復活させれば、人々を混乱の渦に陥れることが出来るだろうからね。けど、結局それをやったのは俺じゃあなく、彼女だった。」

 

「彼女...?」

 

彼が言うには、計画を彼以外の誰かが代わりに実行したということだろうか。それに『彼女』というからには彼の計画を横取りした人物は女性なのだろうか....?

 

ダメだ、情報が足りない。

 

この混沌とした状況にしてはあまりに情報が少なすぎて、迂闊に物事を判断することが出来ない。ただでさえ様々な情報が闊歩する璃月でこのような状況にあるのは非常にマズいというか、やり難い。

 

これまで散々色んな人に振り回されたこともあり蛍は情報に過敏になっていた。

 

ゆえにタルタリヤが話す内容が真実であるのか確証が持てずにいた。少しでも信頼出来る情報を掴むために敢えてタルタリヤの言葉を遮らずに次の言葉を待つことにした。

 

蛍が大人しく話を聞いてくれると理解したのか、タルタリヤも武器を下ろして戦闘の姿勢を解いた。張り詰めていた闘気が一時的に四散して、水の湿気だけが空間に残る。

 

ジメジメとしていて嫌な気分になるが、さっきまでのような矢の群れが襲い掛かってくる状況と比べればかなりマシと言える。

 

「俺が璃月に来たのは『女皇』の命によるものだけど、俺が各地を飛び回っているのはそれだけが理由じゃない。俺は生き別れた『妹』を探しているんだ。」

 

「え?」

 

「ついさっき、数年ぶりにまともに顔を合わせた所さ。けど、結局逃げられちゃったけどね...。」

 

彼の話した内容に驚く。残虐無慈悲な『公子』から出てきた言葉とは思えず、つい呆けた声を出してしまった。

 

しかし考えてみれば当然だ。

 

彼だってこの世界に生きる一人の人間であり、家族がいる。いかに非道な行いに手を染めた人間であろうとも、彼を待つ家族がいるのはなんら不思議なことではないのだ。

 

それに、蛍にとっては兄妹というのはとても身近な存在であり他人事とは思えなかった。

 

今も会えずじまいの生き別れの兄の姿が脳裏に浮かんでは消えていく...これまでの旅路がアルバムに貼られていく。

 

蛍にとっては家族と離れることは耐え難い苦痛であり、タルタリヤに僅かながら同情してしまった。

 

「(彼も家族を探してるんだ。)」

 

そう思うと途端に彼がまともな人間に思えてきた。

 

 

 

 

...いや、これはいけない傾向だ。

 

こうやってすぐに他人の情景に心を引っ張られてしまってはキリがない...彼はあくまでもファデュイの一員であり、この騒動の渦の最中にいる元凶の一人なのだ。

 

如何に彼が家族思いであっても璃月を陥落させようとしていた罪は消えないし、ここで同情してもどうせ彼はまた嬉々として襲いかかってくるだろう。今の彼は一人の兄ではなく『公子』タルタリヤなのだから。

 

蛍は男を『タルタリヤ』ではなく『公子』として認識し直した。そのことを彼も察知したのか()()()()()()()()()()()()()

 

「ハハッ、いいね。」

 

妙な反応だ。

 

戦いにおいては、敢えて自らの境遇を相手に晒すことで油断をチラつかせることがある。

 

これまでの旅路で蛍はそういう輩を色々見てきたし、気に食わないがそういった手がある程度有効であることも理解はしている。だが、『公子』はそれを良しとしなかった。

 

蛍の同情を引くことも出来た筈なのに、彼は敢えてこれまで通りの戦闘狂へと切り替えている。

 

彼が妹の話をしたのは同情を引くためなんかじゃなく、ただ純粋に愛する家族の話をしたかったからだろう。妹との離別を惜しむ境遇を誰かに話したい...ただ妹に会いたいと言う感情を晒すために蛍に話したのだ。

 

そこには策略を張り巡らせるような意図はなかった。

 

ある意味で、彼のような執行官は珍しいのかもしれない。

 

彼はただの家族思いのお兄ちゃんで、ただの戦いが好きな執行官の一人に過ぎないのだ。

 

「本来の計画もおじゃんになったし、そろそろいいかな。」

 

彼の言葉によって思考の海に浮かんでいた意識が覚醒する。いけない、感傷に浸っていたようだ。

 

彼の言葉から察するに、組織の思惑が上手くいっていないということなのだろうが、彼の言葉選びに不穏な気配を感じてしまう。そう、彼は本来の計画が瓦解したと言っただけで、()()()()()()()()()()()()()()それを示すかのように、彼の瞳は闘志を未だに宿し続けていた。

 

彼は言葉を続ける。

 

「『神の心』の所在もわからないこの状況じゃあ無駄足を踏んだも同然だ。けど、スネージナヤからわざわざこんな遠方まで遠征したんだ。せめて俺個人の目的だけでも果たそうと思うのも仕方ないだろう?」

 

「個人の目的...?」

 

「ああ、それは...」

 

彼は少しだけ溜めてから己の目的を明かした。

 

 

 

 

「『強者との戦い』さ。」

 

 

 

「!?」

 

 

気付いた時には眼前に彼の顔....もとい彼の付ける不気味な仮面があった。油断していたわけではなかったが、あまりの速度と唐突さに思わず動揺してしまった。

 

先ほどまでの様子とは異なり濃密な殺気を全身に纏うタルタリヤは、まるで別人なのではと錯覚を覚えるほど劇的な変わりようだった。

 

彼の振るう刃が喉元にまで迫り来る。瞬きする間もなく蛍を殺そうとする刃は紫色の雷を放ち、触れてしまえば無事では済まないことは想像に難くない。無論、それを大人しく喰らうわけにはいかない。

 

「...っぐ!?」

 

蛍は咄嗟に剣を振るった。剣の切先に風元素を集結させて爆発させて『公子』の視界もろとも吹き飛ばす。

 

「おっと、やるね。」

 

タルタリヤの纏う雷元素を拡散させて辺りにバチバチと小さな雷が迸った。肌を刺すような小さな痛みが走るが、アドレナリンにより痛覚の優先順位が低い状態にある蛍にとっては気にすることなく体を動かせた。

 

タルタリヤを振り払い、距離を取った。

 

「ハハッ、いいね。そうこなくっちゃあ!さっきまでの君はどこか上の空だったから物足りなかったけど、今の君は違うようだ。最高だね。」

 

「お、おい旅人!大丈夫か!?」

 

「だ、大丈夫。なんとか避けたから。」

 

口では強がる蛍だったが、肉体の方は既に限界を迎えていた。そんな彼女の闘志を高く買ったタルタリヤは笑みを深めた。

 

「どうやら君は俺が思っていた以上に強いようだ。それこそ、『淑女』に聞いていたよりもずっとね。」

 

ばち...バチ...ッ

 

「これは俺も本気を出すべきかな。」

 

「何....?」

 

ビカッ!!!!

 

「うっ!?」

 

『公子』を中心に眩い光が黄金屋を包み込み、照らす。

 

太陽の光は雲によって覆われているはずだが、思わず目を伏せてしまうほどの輝きが全体を支配する。

 

唐突な出来事に蛍とパイモンは事態を把握しようと伏せた目をなんとか正面に向ける。目線の先にいたのは『公子』であった何かであった。さっきまで彼が立っていた場所には大柄なシルエットが浮かんでいる。

 

シルエットの周囲には雷の草原が走り黄金屋を紫色に染めている。凄まじい風圧が吹き荒れていて立っているのも辛い。

 

何か異様なことが起きようとしているのが分かる。直感で完全に。

 

「あれはタルタリヤなの...?」

 

蛍は眩い光に抗いながらなんとか開けた瞳で『公子』を見たが、彼の姿は先程までとは大きく異なるものだった。

 

蛍が見たものは恐るべき姿をした怪物だった。

 

全身を黒く禍々しい鎧で包み込んでおり手には大振りの剣が握られている。

 

背には夜空のような幻想的なマントを広げている。その模様はまるで星空を模写したかのような美しさで、ここが敵前でなければ思わず心を奪われてしまうだろう。

 

顔には歪な仮面を装着している。

 

その仮面もまた異様な容姿をしている。仮面の中心には大きな球体が埋め込まれており、全体のフォルムも相まって、彼を一つ目の怪物のように演出していた。敢えて形容するのならば『遺跡守衛』が一番近いだろう。

 

その球体に眼球のようなものは確認出来ないが、何故かその球体の奥から視線を感じる。

 

首元には灰色の羽毛が添えてあり、高貴さをも感じさせる。

 

あらゆる要素が人間ならざる姿をしており、理解に苦しむ。だがどこか、高貴ささえも内包しているのではと感じ取るほどの輝かしさと妖しさを孕む彼の姿は、正しく...

 

「なるほどね。これは確かに『公子』だね。」

 

彼がなぜ『公子』と言われているのか、これまではよくわからなかった蛍だが、彼がそのように呼ばれる理由の一端を見た気がした。

 

その若々しさゆえに荒削りで危なっかしい振る舞いも見られるが、それ故に、常に最前線で堂々とした有り様を見せつけ、その大きな剣を使って有象無象を吹き飛ばすほどの豪胆さを備えている。

 

そして、それとは相反するはずの高潔さを携えた彼の姿はとても輝やかしいものだった。

 

この世の者とは思えない妖しさに心を奪われそうになる。

 

虜になるとかそういった類の魅了ではなく、もっと根幹にある...生き物としての矜持を砕かれるような屈辱的かつ根源的な恐怖で体が震えた。

 

「『どうせ時間もないし、最後くらい全力で楽しむことにするよ。せいぜい退屈させないでくれよ?』」

 

「な、なななんだその姿!?何だかすっごく強そうだぞ...!」

 

「パイモン、離れててね。多分だけど...よそ見する余裕もなくなりそうだから。」

 

蛍の目の前にいるのは、気前のいい青年ではない。

 

家族思いの兄でもないし、ただのバトルジャンキーというわけでもない。

 

彼は深淵の力を操りし者であり、かの『極悪騎』の技を受け継ぐ最悪の戦士であり、冒険譚のもう一人の主人公。

 

 

 

----ファデュイの執行官第十一位『公子』----

 

 

 

彼のいる場所こそ、常に嵐の目となる。

 

彼自身が、争いの種なのだ。

 

「『よくわかってるじゃないか。もう上の空でぼーっとやり過ごすことなんて出来ない...。』」

 

ゾッ

 

蛍の背筋に恐れが走る。

 

すると次の瞬間、『公子』は肥大化した剣を()()()()()()()()

 

「え」

 

ビキッ......

 

足元に亀裂が走る。

 

それは次第に大きくなっていき、やがて崩れ落ちた。

 

「キャアァァァァ......ッ!!!」

 

不意に宙に放り出された蛍は反射的に叫び声を上げるが、返ってきたのは無数の瓦礫きが無作為に立てる音だけだった。

 

「ぐっ!?」

 

砕けた地面ごと地下へと落下した蛍は硬い床に叩きつけられる。

 

また、蛍とともに落ちてきた瓦礫も次々に積み重なって辺りを覆い尽くす。

 

土煙が鼻の中に入り込んできて気持ち悪い。

 

不快な気持ちになる。

 

「ゴホッゴホッ」

 

咳き込んでも土煙がなくなることはない。岩山から抜け出すのが先決であると判断した蛍は自らに覆い被さる瓦礫を退かしていく。

 

「旅人〜!大丈夫か〜!?」

 

「っパイモン!」

 

「おわ!?」

 

そんな彼女の姿を見てパイモンが慌てた様子で蛍の元へと飛んできた。視界不良で心理的にネガティヴだった蛍に少しだけ心安らぐ光がやってきたようで、思わずパイモンを抱き寄せた。

 

「むぐ、苦しいぞ...旅人ぉ。」

 

「あ、ごめん、安心してつい。」

 

思い切り抱きしめた影響でパイモンは口を塞がれて苦しそうにしていた。蛍は申し訳なさそうに、そしてどこか名残惜しそうにパイモンを解放した。

 

「ぷはっ。た、旅人はなんともないのか?怪我とかはしてないか!?」

 

「うん、なんとか。パイモンは大丈夫だった?怪我とかは...。」

 

「オイラも大丈夫だぞ!けど、いきなり床をぶち壊すなんて、執行官ってみんなああなのかな...?」

 

パイモンは『公子』を非難するようにぼやいた。

 

そして、そんな問いかけに応えるように彼は降りてきた。

 

「....来た。」

 

「え?」

 

パイモンの言葉を遮ってしまったことに内心で謝りながら、蛍は再び剣を手にした。

 

見据えるは上空。

 

未だに土煙が晴れ切らない状況だったが、それでも見えるものがあった。

 

 

ゴォォォォォォォォォォォ.......バゴォ!!!

 

 

空から舞い降りた『公子』の羽ばたきによって瓦礫が吹き飛ばされる。あまりの風圧に顔を庇った蛍とパイモンだったが、その隙すらも致命的であると理解しているのか、無理をしてでも瞳を開く。

 

それでも風圧が収まることはなく、苦しさに思わず苦悩を漏らす。

 

「ぐっ!」

 

なんとか視界に収めた彼の姿は異様そのものだった。

 

およそ普通の人間とは思えないだろう。そう断言出来るほどに彼の見た目は怪物のように歪だったのだ。

 

「『さぁ、第二ラウンドだ!』」

 

彼がやってくる。

 

もう考える暇すらない蛍は咄嗟に腕を前に出して風の元素を集結させた。

 

「風刃!」

 

蛍の差し出した手のひらから風の刃が渦巻いた。迫るタルタリヤに向けて放たれた風の塊は、彼の身を引き裂こうとし、まるで鎌鼬の如く鋭さを持って彼を襲った。舞っていたチリごと薙ぎ払いながらタルタリヤの元へと風が飛ぶ。

 

「『ふん!』」

 

しかし、風の刃は彼には届かない。

 

タルタリヤが大きな得物を一度振るうだけで、彼の周囲に存在する小さな存在はまとめて亡き者にされる。

 

命を持たぬ塵芥も矮小な人間もまとめてゴミのように吹き飛ばされて散りじりとなるのだ。魔王の前には何もかもが無力であり、それは旅人も例外ではない。

 

「『こんなものか?君の実力は。』」

 

「...まさか、これからだよ。」

 

つい反射的に減らず口を叩く蛍だが、額には汗を掻いていた。

 

彼女は己の認識の甘さを思い知った。

 

執行官という存在が、何故大きな権限を付与されているのかを本当の意味で理解した。

 

彼らは他者をねじ伏せられる程の圧倒的な力を有しているのだ。どのような状況であっても己の思うままに事態を進めるためのステータスを有しているからこそ、行き過ぎとも言える権限を行使して、各地で暗躍しているのだ。

 

中でも、『公子』は異様だ。

 

まともに戦っても勝てる確証はない。

 

タルタリヤも多少は疲弊しているだろうから、勝ち目がないわけではないが、余裕がないのは蛍も同じだった。むしろ()()()()()が全く戻っていないこの状況で、彼のような武官に勝ち旗をあげられるとはとても思えなかったのだ。

 

とはいえ、諦めるわけにはいかない。

 

 

だが、現実は厳しいもので、いくら頭で考えても問題は解決せずにむしろ更なる問題を抱えてやってくる。

 

『公子』が死の鎌を背負ってウキウキでこちらへと飛来してくる。

 

このような彼の姿を子供が見たらまず間違いなく泣き出してしまうだろう。

 

一つ目の化け物が凄まじい速さで己の目の前にやってくるなんて、大人でも失禁しかねない。そんな呑気な考えに逃避している蛍だったが、今まさに、その子供の立ち位置にいるのは自分自身であると思い出した彼女は、反射的に岩元素の力を使って岩の障壁を作り出した。

 

「わ!?」

 

「『っ!?』」

 

咄嗟の行動だったが故に、なんの予備動作もなかった。

 

生み出した蛍自身も驚いているくらいだ。想像を超える反応速度を見せた蛍に『公子』は仮面の奥にある笑みをさらに深くして愉快そうに声を荒げた。

 

「『ああ!最高だ!』」

 

バゴッ!

 

『公子』いとも簡単に岩の壁を破壊して再び蛍へと肉薄する。心なしか先ほどよりも勢いが増している気がする。

 

「『これだ!これを待っていたんだよ旅人!この策略の意思が渦巻く契約の国で飽き飽きしていた俺を満たしてくれるのは、こういうものなんだ!』」

 

「うああ...アイツ、なんだかもっと恐くなった気がするぞぉ。頑張れぇ...旅人ぉ。」

 

その様子を傍から見ていたパイモンは顔を青くして蛍の身を案じていた。時を重ねるごとに猛獣のような怒涛の勢いを増す『公子』に対して、もはや震えることしか出来なかった。

 

「『血湧き肉躍る程の闘争と、その果てにある武勲...どれだけ傷だらけになっても心の赴くままに喰らい続けるこの有り様こそ....俺が欲していたものなんだよ!』」

 

彼は叫んだ。

 

「『どうか、そのまま...俺を失望させることなく踊ってくれよ、()()!』」

 

 

 

 

 

 

 

 

極悪技・天使の滅び

 

 

 

 

 

 

 

それはいつしかこの世界を殺し尽くす秘宝であり、人には許されないものだ。

 

彼が暗黒と澱みの王国の亡骸から得たただ一つの答えだった。

 

故国にて意図せず運命的な出会いを果たした彼は、その先にいたとある女性の師事によりその技を会得した。

 

いや、正確に言えばこの技を彼は完全にはモノにはしていないのかもしれない。

 

己の中に巣食う奇妙な衝動に駆られつつも、完全にそれに意識を呑まれることはなかった彼にとって、この技を繰り出すという選択自体がナンセンスなのだ。それはなぜか?答えはシンプル、あっという間に決着がついてしまうからだ。

 

戦いを楽しむことをモットーにしているタルタリヤにとって、圧倒的な力を振るうことはそれはそれでおもしろいと感じるのだが、彼が求める欲求はそこにはない。

 

彼が求めるのは血湧き肉躍る戦いであって、力によってもたらされる圧政などではないのだから。

 

全てが思うがままなんて面白くない。

 

反逆者はいて然るべきであるし、いつしか王は崩御するものなのだ。

 

これまでの歴史で、凄まじい力を誇った国が悉く滅んでいったのももはや必然なのだ。運命なのだ。

 

計画(シナリオ)なんてまっぴらごめんだ。

 

筋書きを辿ることは重要だが、面白くない。『公子』が『淑女』や『富者』と馬が合わないのはこれが原因だ。

 

彼にとって、万物を裏から操るなんて面白みに欠けるような振る舞いは、傲慢極まるものであるし、彼にとっての信条に反する行為なのだ。

 

どうせなら面白く、そして盛大にぶちまけることこそが、人間の本質であり世界を謳歌するコツであり、『公子』が求める本質だ。いつか()()()()()()()()()()という目標すら掲げる彼にとっては、計画に沿って静かに動くことなど本質に背く愚行である。

 

 

 

故に彼は敢えてこの技を繰り出す。

 

 

 

己の限界を超えて、周囲の環境すらも容易く変えるその御業を躊躇いなく解き放つのだ。魔神オセルもろとも吹き飛ばしてしまおうという考えすらも浮かぶほどの邪悪な闘争心を止められる人間はいない。

 

彼の前では全ての存在が無意味で無力となり、何もすることなく消滅していく。無論、テイワットの外から来た旅人であっても例外ではない。

 

『公子』の周りに何か異様な力が集結しているのが分かる。

 

これは元素力ではない...それにファデュイ持つ『邪眼』ともまた異なるものだろう。もっと言えばこのテイワットにすら属さない類の、外枠の力が彼を()にして嵐を形成している。

 

黒く、暗く、澱んだソレはやがて彼の持つ大振りの刃にも纏わり付いていき、その不気味さを増幅させた。

 

もはやソレは人間の形を成していない。

 

このテイワットに根ざしてはいけない何かが、無理やり物理的な形成を保っているに過ぎなかった。

 

だが、『公子』の攻撃が放たれることはなかった。

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

ボワッ....

 

「え?」

 

「うわぁ!?なんだこの黒いモヤモヤ!?これもアイツ(『公子』)の攻撃なのかぁ!?」

 

夜になったのではと思ってしまうほどに真っ暗な霧によって、蛍とパイモンはあっという間に覆い被された。

 

あらゆる五感を没収された彼女らに許されたのは、思考することのみ。なすすべなく誘拐されるのを受け入れるしかない。

 

「おい!オイラたちをどうするつもり...」

 

抗議の声を上げようとした小さな白い被告は問答無用で口を塞がれた。突如として現れた霧にとっては、彼女が話すこと自体が何かしらのリスクを孕んでいるのだろうか。

 

黒い霧は旅人たちだけを包み込むと、そのまま来た道を戻るように再び天へと昇っていく。

 

「『おいおい、横槍を入れておいて挨拶もなしか?』」

 

だが『魔王』はそれを許さない。

 

『公子』は乱入者へと刃を向けた。

 

ようやく昂ってきたというのに水を刺されたという事実が彼の苛立ちを増幅させたのだから、当然の行いだろう。

 

「『行かせないよ!』」

 

甲冑を纏った彼の手が黒い霧の向こうにいる旅人たちを掴もうとするが、虚しいことにそれは叶わない。彼の伸ばした手は空を切った。

 

「『...チッ。』」

 

実体を持たぬ存在を前に『公子』が出来ることはない。

 

彼を嘲笑うように黒い霧が旅人たちと共に天高く昇っていく。

 

正体不明の霧は彼女たちを連れ去ってしまった。

 

「...ふう。」

 

熱を覚ますかのように静かに息を吐いたタルタリヤは、魔王武装を解除した。

 

最近の彼は周囲に振り回されてばかりだったが、ここまで上手くいかないと逆に清々しい気持ちになってくる。己の操る水元素でもここまで頭を冷やすことは出来ないだろう。

 

そのように場違いな感心を抱いていたタルタリヤだったが、やがて黒い霧について思考が行き始める。

 

「...俺がエレーナの元素力を見紛うことはない。あの霧から感じた既視感は...間違いなくエレーナのものだ。」

 

何とも恐ろしい男だ。

 

あの一瞬で妹の力の質感を感じ取っていたとでも言うのだろうか。

 

ただの霧だと思われるアレは、僅かにではあったが炎元素の残穢を零していた。タルタリヤはそれを見逃さなかったようだ。

 

だが、彼にとって重要なのはそこではない。

 

度重なる想定外のトラブルを経験した彼は、エレーナが旅人と既に知り合っていたのだとしても不思議じゃないと考えている。

 

人が跋扈するこの港で、特定の誰かに合わないように過ごす方が無理がある。もしかすると、エレーナは旅人のことを知っていて、敢えて連れ去ったのかもしれない。

 

...ない話ではないだろう。

 

重要なのは...エレーナが()()()()()()()()()()()()を使っていることだ。

 

「...師匠。まさかエレーナに会って....?いやそれはおかしい。あの娘(エレーナ)が自分から戦いを学びたがるなんてあり得ない。それ以前に師匠がエレーナに会うなんてこと自体があり得ない。」

 

彼が先ほど触れた霧に感じた"既視感"に、そう考えを巡らせるのは自然なことだった。彼は"この力"は常人が扱えるものではないと理解している。それはタルタリヤ本人ですら負担を感じる程なのだから、荒事に慣れていない人間なら尚更だろう。

 

そして()()()は、タルタリヤが深淵で得た『魔王武装』と似た根源を感じた。

 

もし....もしもだが、エレーナが『魔王武装』を使っているのなら黙って見過ごすわけにはいかない。この力は命という名の原石を鑢で削り、無理矢理輝かせているようなものであり、ただの人間が耐えられるようなものではない。

 

このまま彼女が力を使い続けた場合、最悪の場合は死に至ることすらあるだろう。

 

「...聞き分けのない妹を止めるのも兄ちゃんの役目だ。」

 

どうやら彼は、戦いとは別の目的を見つけたようだった。

 

その瞳に狂気は宿っていない。

 

相変わらず光が灯っていない恐ろしい瞳であることには変わりないが、見据えるべき道が光源となり、彼の瞳すらも照らしているかのようだった。

 

「それにしても今回はやけに損な役回りをすることが多いなぁ。ま、いいけどね。」

 

彼はブツクサと愚痴を言いながら黄金屋を後にした。

 

それから大きな音と共に荒れ狂う天候が鎮まったのは、数分後のことだった。

 

 

 

 

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一方その頃

 

 

旅人たちを群玉閣まで送り届けたエレーナは軽策荘のとある宿にいた。

 

以前も世話になった、軽策荘の村長の若心の家だ。

 

なぜ彼女がエレーナにここまで親身になってくれるのかは知らないが、エレーナはその理由を考える余裕はなかった。

 

「ぐ...っ。おええ!」

 

びちゃびちゃ

 

うずくまったまま嗚咽を漏らし続けて、果てには胃の内容物を嘔吐する始末。あまりの苦しみに、声を上げることすら億劫になる。床を汚してしまったことに罪悪感を覚えるもすぐに身体の不快感に意識を持っていかれることになる。

 

吐けども吐けども終わらない苦しみに辟易する。

 

「...はぁっはぁっ。」

 

体が内側から崩壊していっているのを感じる。

 

悍ましい何かが地を這うようにゾリゾリと肉壁をすり減らしながら、少しずつエレーナの肉体を蝕むのがなんとなくだが理解出来る。

 

ここ数日、普通の人間が普通に生きていく上ではまず感じることはないであろう不快感をエレーナはずっと抱えていたが、オセルとの戦いに際して深淵(アビス)の力を無理やり行使したことで、体への負担が増幅していた。

 

その上、()()()()()()()()()()()宿()()()()()()()()()()()()()という無茶なことをしでかしたものだから、怪我に拍車をかけてしまっていたのだ。彼女にはすぐにでも療養が必要だったが、生憎と深淵(アビス)の力に精通する医者なんぞ存在しない。

 

そもそもそんな人間がいたとして、親切にエレーナの身体を治療してくれる保証など、どこにもない。

 

いずれにせよ、誰にも見つからない場所で一人静かに耐え続けるしかないのだ。だからこそエレーナは迷惑を承知で、もう一度若心の元を訪れた。

 

若心は驚きはしたもののすぐに笑顔になり、エレーナを受け入れた。

 

 

『好きなだけいるといいよ。誰にだって休みたいときくらいあるさね。』

 

 

ただそれだけ言い残すと彼女はエレーナを宿の中へと招き入れた後、何も言わずに宿を出ていった。

 

「お人よしだなぁ。ハハハッ.....ぐ!」

 

身を少し捩るだけで傷口が開く。

 

「はぁ....あっちはもう、終わった頃かな。」

 

口を動かして痛みを誤魔化す。

 

そうでもしないと痛みで頭がおかしくなりそうだった。

 

「せっかくならオセルが叩きのめされる瞬間をこの目で見たかったけど、それは贅沢か。」

 

物語における目玉--群玉閣を落とす場面--をこの目で見たかったが、流石にあれ以上深入りするのは不味かった。オセルにしっぺ返しを喰らうかもしれないし、旅人たちに正体を暴かれてしまうかもしれない。

 

そうなればこれまでの努力が水の泡だ。

 

裏で私を隠すように動いてくれていた胡桃や往生堂の人たちの努力が水泡に帰してしまうかもしれないのだ。私一人に不幸が降りかかるだけならばいいが、それが恩人たちにも降りかかるのだとすれば話は別だ。

 

私は、そんな結末は受け入れられない。

 

「(せめて、私が璃月を離れるまでは、この身分を晒されるわけにはいかない。)」

 

とんとん

 

そんな彼女の思考を妨げるように扉を叩く音が鳴った。声の主はこの宿を貸してくれている若心だった。

 

「お嬢ちゃん、お客さんが来てるよ。」

 

「...え?」

 

まさかの来客だ。

 

国が太古の魔神に滅ぼされてしまうかもしれないという非常事態に、お世辞にも栄えているとは言えない軽策荘に訪れる人間などそういないだろう。その上、エレーナのいる場所に訪れたということは、少なくとも彼女(エレーナ)を目的としているに違いない。

 

「どちら様でしょうか?」

 

「いい、大丈夫だ。ここは俺から名乗るのが道理だろう。」

 

「おや、そうですか。」

 

「(この声...。)」

 

扉の向こうから聞こえてきた声には聞き覚えがあった。

 

若々しい声だがどこか厳かな雰囲気が聞き取れる。大抵の場合は、人生を積み重ねると共に年齢を重ねることになり、次第に声質もガサついていくものだが、この声の主はそうではない。若さと重さが同居している。余りに奇妙な声に警戒してしまう。

 

()()()()()()()()()()と言わんばかりに、無意識に腰の剣の柄に手をかける。バクバクと鳴る心臓の音が煩い、こんな時に限って人間の心臓は集中を乱してくる。

 

ギィ....

 

扉が軋みながら開いていく。

 

暗雲に立ち込める暗闇の中でもなお輝きを放ち続ける存在感。

 

只者ではないと直感で思い知らされる感覚。

 

そして全てを見透かす龍のような眼差し。

 

覚えがあった。

 

「あ。」

 

「久方ぶりだな。また会えて嬉しく思う。」

 

「鍾離、さん?」

 

「そう堅苦しい呼び方をしなくともいい。」

 

入ってきた男は往生堂の客卿の鍾離だった。

 

彼はいつものように背筋をまっすぐ伸ばしたまま一定の歩幅を刻みながら床を踏みしめた。

 

あの日と同じように、緊張で雨の音すら聞こえなくなる。さっきまで煩かった心臓の鼓動すらも聞こえない...身体が、本能が彼の一挙手一投足を見逃すまいと強張った。

 

眠りの浅い夜に不意に感じるような、足裏の筋肉の伸縮が全身に回っているかのような、未知の感覚に襲われている。

 

コツ...コツ...

 

彼はゆったりと歩き出しす。

 

エレーナの身体が強張る。

 

そんなエレーナの警戒ぶりを見た鍾離はゆっくりと椅子に腰かけた。

 

礼儀に煩い人間ならば『薦められてもいないのに勝手に座るのか』とでも文句を言うだろう。だが、鍾離こそ礼節を重んじる人間であり、そんな彼が敢えてエレーナの断りもなしに勝手に腰かけたことは、鍾離なりのアピールでもあった。

 

 

『戦闘の意思はない。』

 

 

彼の態度がそう言っているようで、エレーナは腰に回していた手を緩めてゆっくりと双剣から意識を手放した。

 

どうやら彼には害意はないらしい。

 

それにここはエレーナがモラを払って借りている宿ではない。若心が厚意で貸してくれている場所だ。そんな場所で血生臭い真似をするなんて、エレーナには出来なかった。

 

エレーナが落ち着きを取り戻したのを確認したのか、鍾離は少しだけ微笑みを携えて話し始めた。

 

「申し訳なかった。」

 

「は?」

 

開口一番の謝罪に対して、思わず呆けた声が出てしまう。

 

「あの日、揺さぶりのつもりでかけた言葉が、君をあそこまで追い込んでしまうとは考えていなかった。胡堂主の友人に対して向ける態度ではなかった。」

 

まさかこの男はそのことを言うためだけにここに来たのだろうか。

 

こんな大嵐の中で、こんな場所まで一人で?

 

馬鹿げているにもほどがある。

 

誠意ある行為を彼なりに模索した結果、直接顔を見せて謝罪するという結論に行き着いたのだろうが...だからといって混乱が収まっていないこの状況で脚を運ぶなんて頭がおかしい。

 

道中で自らの身に危険が及ぶとは考えなかったのだろうか。この混乱の最中では、魔物だけじゃなくファデュイまでもが隠れ潜んでいる可能性がある。だというのにこの男は...と、ここまで考えていたエレーナはふとある事実を思い出した。

 

「(まぁ、『モラクス』だからそんなことは些細なことだったんだろうけど。)」

 

俗世の七執政の一柱である彼にとっては、どれだけ天地が荒れようが影響はないのだ。

 

彼にとっては身の危険よりも雇い主の友人に不義理を働いたことの方が大きい事件なのだろう。何せ彼はかつての苛烈な魔神戦争を勝ち抜いた猛者であり、中でも多くの時を過ごした偉人なのだから。

 

なんだか構えていた自分がチンケに思えてきたエレーナは呆れた様子で鍾離に返事をした。

 

「私じゃなく胡桃に謝って...なんて言いたいところですけど、その様子じゃどうせ彼女にも同じようなことを言われたんでしょう?」

 

「ああ。こっぴどく叱られてしまった。」

 

苦笑いを浮かべる鍾離。

 

「ああ、でしょうね。貴方のその愁傷な態度を見ればなんとなく想像が付きます。」

 

そう返したところでエレーナの言葉を遮るように地面が揺れ動いた。

 

ズズンッ

 

エレーナは慌てることなく、むしろどこか安堵した様子でため息をついた。

 

「この振動...成し遂げたのでしょうか。」

 

「その言いぶり、やはり旅人を送り込んだのは君か。」

 

「なんでもお見通しですか?流石は岩神様ですね。」

 

つい反射的に皮肉を返してしまう。

 

いけない、いやな癖だ。

 

普段は意識して敬語を徹底している反動で、ストレスを感じるとつい口調が荒々しくなってしまう。思春期の男子ならばそのような荒くれ者に憧れてしまう時期があるだろうが、生憎とエレーナはその限りではない。

 

むしろ、身近に本物の荒くれ者(タルタリヤ)がいた影響で、自らはそうなるまいという自戒の念は人一倍強い方だ。

 

「...やはり堂主の言っていた通りだな。」

 

「何がです?」

 

「『あの娘(エレーナ)は信頼を寄せていない人間に対しては妙に丁寧に接する節がある。』だと言われてな。」

 

エレーナは悪態をついた。

 

彼女の素知らぬ所で、彼女の癖をバラされてたことに恥辱を覚える。これが胡桃以外の、赤の他人による仕業だったら今すぐにでもその者の下へと飛んでいき首を落としていた所だった。

 

エレーナは顔面を真っ赤にして歯軋りし、眉を八の字に歪めながらぐぬぬと唸っていた。

 

「胡桃、余計なことを。」

 

そんな彼女に鍾離は思わず笑みを漏らした。

 

かつて血だらけになりながらも己に斬りかかった少女が、他者へ恨みを抱けるほどに回復したのだと確認できたからだ。誰かを庇護する立場にある鍾離にとって、エレーナという人間の少女が幸せの一端にいることを喜ばしく感じているのだ。

 

鍾離は空気が弛緩したのを感じ取ったのか、間髪入れずに本題に入ることにした。

 

「それともう一つ。堂主はこうも言っていた。『あの娘(エレーナ)をこの国に縛るべきではない』と。」

 

「...。」

 

エレーナの歯軋りが止まる。

 

「...心配性だね、本当。」

 

少し声を低くして鍾離に嫌味を言う。

 

いや、これは鍾離にのみ向けて放った言葉ではないのだろう。この場にいない、騒がしい友人に向けた言葉なのだろう。それを証明するように、エレーナの視線は鍾離の方ではなく、どこか遠くに向けられているらしかった。

 

エレーナは不満そうにしながら鍾離に向き合った。

 

「鍾離先生、伝言役を頼まれてくれますか。」

 

「聞こう。」

 

間を入れぬほどの快諾だった。

 

まるでエレーナが何を言おうとしているのかを理解しているような早さに、エレーナはまたも不快感を覚えるが、我慢して続きを言った。

 

「"次"に会う時は覚悟しておいて。」

 

「次...そうか、わかった。確かに伝えておこう。」

 

エレーナが何を伝えるつもりなのかが、鍾離にはなんとなく理解出来た。

 

彼女は言われずともこの璃月を離れるつもりだったのだろう。

 

胡桃はエレーナを匿うことに苦を感じているわけではないだろうが、だからと言ってこのまま特定の場所を拠点にするのはリスクが大きい。それに、『公子』という執行官が彼女に接触してしまった。

 

それも相まって多くの課題が浮き彫りになった今、エレーナは胡桃にこれ以上の負担をかけたくなかったのだろう。

 

自分が璃月に留まり続けるリスクよりも、多少の危険を承知で旅に出る方がまだ実りがあると判断したのだ。

 

とはいえ、慣れ親しんだ土地を離れるのは惜しいものだ。エレーナとて何の葛藤もなくこの決断に至ったわけではないことは容易に想像出来た。

 

だからこそ鍾離は璃月を治めてきた神として、目の前の少女と、己の雇い主である堂主の意思を尊重して、敢えて口を挟むことはしなかった。彼は、彼女らが荊棘の道を行こうとしているのを見守ると決めたのだ。

 

とはいえ、彼にとっては未だ解消していない疑問もあった。

 

「先ほど、俺に対する態度を改める必要はないと言ったが。まさか敬称に『先生』を付けるとは...そんなにも俺のことが嫌いなのか?」

 

そう、これだ。

 

エレーナは何かと鍾離に対して棘のある態度を取っている。

 

初めて会った日だけではなく、こうして蟠りが解けた今でも何だか怪訝な視線を向けられている気がするのだ。彼からしてみればそのように嫌われる覚えがなかった。一度は罠にかけてしまったとはいえここまで邪険にされるとは思ってもみなかったのだ。

 

だが、エレーナはキョトンとした表情を浮かべていた。

 

まるでそう言われるとは思ってもいなかったかのように。

 

「え?あ、ああいえ、それに関しては違います。」

 

彼女は少し慌てた様子で否定した。そこに嫌悪などの感情はなく、ただ驚愕と少しばかりの焦燥があるだけだった。どうやらこれまでの鍾離に対する態度は、彼女の意図するものではなかったらしい。

 

「私が貴方をそのように呼ぶのは...その...」

 

それが無意識によるものだったのか、はたまた、そもそも嫌っているわけではないのか、エレーナは慌ただしく鍾離の言っていたことを否定すると、考えるように手を顎に当てた。そして少ししてから納得のいく回答を導いたのか顔を上げて鍾離に答えた。

 

「その方が()()()()()()()()()()ですかね。」

 

エレーナは初めて、鍾離の前で笑顔を見せた。

 




今回もお読みいただきありがとうございます。
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