(中略)我々は彼女を「⬛︎⬛︎⬛︎ス」、或いは「不変の世界の⬛︎⬛︎と執政」と呼んだ。秘密に包まれた真名を口にすることはできない。だからここで、一回だけ、あえて⬛︎に書こう——「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎イ」。
-『日月前事』より引用
side エレーナ
全身が燃えるように痛い。
身体の内側からじりじりと炙られている気さえする。しかし、不思議と痛みは感じない。
人間の身体とは巧く出来ていて、許容を超えるような刺激は一時的に感じなくなる、或いは極端に感覚が鈍化する。前世で聞きかじった限りでは、『アドレナリン』が出ているんだとか。
詳しいことは知らない。
所詮は子どもの付け焼刃に過ぎないのだから。
少しでも生き残りたいのなら、その日に仕入れたばかりの情報をひけらかすのではなく、現実を見なければならない。
それで、私のいる現実世界の話をするのだが --- 私は雷神のいる間へと招かれたのだ。
どす黒い球体が天に座しているのが見える。
それは焼け焦げた月のようにも見えるし、酷く冷淡な太陽にも見える。意思を持っているかのように揺らめく黒い陽炎が、その月にも太陽にも見える球体を包んでいる。球体の周囲には大きさが不揃いな鳥居がまばらに生えている。いや、正確には球体の周囲ではなく、その手前側にあるのだろうか。この空間自体が異質なので、遠近感覚も狂わされているのかもしれない。今、私の周囲にある物体の実尺を目視で測るのは困難だ。
当の昔に限界を超えている肉体に鞭を打つようにして立ち上がる。
「ッゴホ!」
息が詰まるような圧迫感を感じて咽る。
埃や砂塵など舞っていないというのに息苦しさを感じるなど、不思議なこともあったものだ。
どこからともなく雷鳴が轟く。ゴロゴロと鈍重な音が四方から鳴り、辺りが一層賑やかになる。しかし、それは喜ばしいことではない。私は今、猛烈な
しかし、そんな音など気にも留めない。何故なら、もっと恐ろしい存在がいるから・・・。
彼女は勾玉模様の地面の上・・・正確には上空で座禅を組んでいる。瞼を下ろし、両手は端にて添える。片方の脚を組み、もう片方は地へと向けていた。
美しい紫色の髪はまるで上等な絹で織られたかのように艶やかさを誇っている。束ねられた髪の奏でる曲線は目に入れるだけで何かしらの保養効果を齎してくれそうな気さえする。ただただ、『美しい』と感じた。一つの個として美しいと、練度の高い生物であると思わざるを得なかった。それだけ彼女は整った容姿をしていた。それと同時に、その所作も相まって人外らしさが醸し出されている。
しかし、私の来訪を確認するや否や座禅を解いた。
「初めまして、とでも言いましょうか。」
私の視線の先にいた麗人が挨拶を投げかけてきた。
「雷電将軍、いや・・・バアルゼブルと言った方がいいのかな。」
静かに地へと足を付けた彼女は穏やかな口調で、しかし確実な殺意を以て私に質問してきた。
「本来であれば自己紹介の一つでもするのが礼儀作法というものですが、貴女には必要ないでしょう。これまでの動向から、貴女が私のことをよく知っているのが見て取れましたから。・・・そうですね?」
「・・・。」
私の動きを知られている。この様子だと、私が綾華と城下町を歩いている頃には既に監視していたのだろう。
稲妻中に目でも付いているのだろうか?気持ちが悪いものだ。
自分は姿を隠していた癖に、他人のことを盗み見ることは許されるのか?
随分と傲慢な神だな。
「しかし、貴女の望みが叶うことはありません。貴女はここで処され、その頸を晒すことで落着とします。」
冷淡に告げた雷神はいつの間にか携えていた刀を構えていた。
辺りに響いていた雷鳴がいつの間にか止んでいる。そして、その気配は雷神の身体へと移っていた。彼女はこの空間に存在するあらゆる雷のエネルギーを束ねた。バラバラだった紫電の藁たちが彼女という縄によって括られていき、次第に強度を増していく。一本では脆い矢を二本、三本と束ねてより強固なものにしていくように、雷神の肉体に帯電する雷元素エネルギーは見違えるくらいに膨れ上がっていた。
今、この瞬間、この空間の全ては私に対して向けられている。一つ一つの雷が、私という一人の人間を殺すためにいきり立っているのを感じる。
「『
雷神が呟いた。
それは雷電将軍が一刀を振る際に溢す口癖のようなものだ。
これより到来する疾風の如き雷鳴を、一撃として見舞う前触れ。
私はその言葉を知っていた。
その言葉がどのような時に発せられるのかをよく知っていたのだ。
何度も聞いた常套句・・・この言葉を発する時の雷神の次の行動は、たしか・・・。
「元
素
ばくは
」
次の瞬間には斬られていた。
音もなかった。
音よりも先に斬撃が私の肉体を両断し、通り過ぎて行った。
自分が斬られたと認識したすぐあとに、肉を割く斬撃の音が聞こえた。
言葉を紡ごうとした私の口は、言い終わる前に吐血によって言葉を遮られた。かつて、大蛇神をも斬り捨てたという伝説の一太刀を間近で目撃出来た感動など微塵もない、あるのは肉体が乖離していく恐怖と不快さだけだった。
耳鳴りがする。
キーンという甲高い警告音のようなものが脳内を反芻している。明らかに肉体が悲鳴を上げているのが分かる。もう私の身体は原型を留めていないのだろう。
「ごぼっ。ブグぐ・・・ッ。」
「っ!まだ息があるのですか?」
何か、雷神が何か言っている。
「一太刀だけでなく二太刀目をまともに受けて、それでもなお存命とは・・・末恐ろしいものです。」
何か言っているみたいだが、生憎とそれを聞き取る余裕はない。
今にも地面に落ちそうな私の血液や臓器を、『霧』で拾って循環させ続けるので忙しいから・・・。
「成程、斬られた体組織を物理的に固定しているのですか。その
少しでも、この女から情報を引き出すんだ。そのためには、出来る限り私をしぶとい敵だと思わせなくちゃいけない。斬られても平気なフリをして興味を引け、時間を稼げ。
先ほどの邂逅から今に至るまで、むしろ疑問は増える一方なのだから、身体を斬られた報酬として少しだけ神様との会話を楽しむくらいのことは許される筈だ。
「グフッ、そもそも、なんで私を殺そうとする?勝手に入国したのは悪いと思ってるけど、不法入国をしている輩は他にもごまんといるだろっ。」
そう、そもそもの話。
雷神はまるで私を探しているような素振りをしていた。だが、雷神と私は初対面だ。
入国した方法だって、
だと言うのに、雷神は私という存在を追ってここまで来た。
私を"渦の目"とも言っていた。
明らかに私を異物として定め、排除しに来た者の言い草だ。
そんな思わせ振りなことを言われて、おずおず引き下がってなんていられない。
「私を、"渦の目"だとか言ってたね。あれはどういう意味?」
そう問うと雷神は少し意外そうに眉を上げて答えた。
「意外ですね。それが貴女の素ですか。」
・・・。
は?
「これまでの貴女を遠目から観察していましたが、あのような物腰柔らかな話し方は世渡りのための仮面だったというわけですか。」
「何を・・・ッごほ!」
「失礼、質問に答えましょう。」
この期に及んでマイペースに振る舞う雷神はゆっくりと語りだした。
その目は悲哀を含んでいるように見えた。
「少し前から、稲妻各地で
雷神の口から語られたそれは、テイワットに生きる者にとっては珍しくもない内容だった。
曰く、
人々は引き裂かれ、貪られた。住処を追われ、かといって当てもなく彷徨い果てた。次第に秩序や統制は消え失せていき、終いには幕府軍の在中する城下町以外に安全と言える場所はなくなった、らしい。
「私はあちこちに出向いて敵を屠りましたが、狂乱が治まることはありませんでした。それどころか、日を跨ぐごとに魔物はより荒み、勢いを増していったのです。」
雷神がゆっくりとこちらに歩いてくる。
石造りの地面を踏みしめながら、距離を縮めてくる。
「しかしある日、手がかりを得ることが出来ました。」
私の目の前にまで接近した雷神は歩みを止め、しかし話すことは止めなかった。
「聞くところによると、その者は『アビス教団』という組織に属しており、奇妙なことに人の言葉を話すことが出来るのです。姿形は普通の人間とは異なるというのに、意思疎通は円滑に行えました。」
「『アビス教団』・・・?」
なんでここでその名が?
「故に私は彼に聞きました。この暴動の原因は何かと。彼らは何を目指しているのかと。すると彼はこう言ったのです。」
『わたしのなかまたちが、みんなでてをふってまってくれているんだ。』
鳥肌が立った。
人は理解できないナニカを目の当たりにすると怖気が立つものだが、これはその最たるものだろう。彼女が言うにはそのアビス教団の者は『手を振ってくれている存在』を追い続けていたらしい。何だそれは。冗談でも面白くない。まるで悪意なき侵攻をしていたとでも言いたげじゃあないか。
言いようのない吐き気を催したが、そんな私に構わず雷神は続けた。
「私は彼の言葉を意味を飲み込みつつ、真に理解することは出来ませんでした。しかし、それからまたしばらく経った頃、稲妻で猛威を振るっていた魔物たちの動向に変化がありました。」
「・・・変化?」
「ええ。それまでの魔物たちはただ暴れるだけでした。周囲にいる人間や動物に当たり散らし、いる筈もないナニカを我武者羅に探しているような・・・そんな様子でした。しかし、とある時を境に明確に何処かを目指すような動きに変わりました。家を崩すだけだったヒルチャールは破壊衝動を少しだけ収めたかと思えば、徒党を組んで歩き出し、
彼女は不気味なくらい静かな様相で物語を語る。起きた事実のみを淡々を語る神の様子は、さながら罪人を前に罪状を述べる閻魔のようだった。
「その魔物たちは本島を目掛けて・・・いえ、正確には鎮守の森を目指して動き出しました。そして次第に進路を変え、今では幕府の座すこの地へと向かってきている。・・・この変化はここ数日で起きたことです。」
紫電が空気中に迸る。
「私は探りました。魔物たちの移動進路の先には一体何がいるのか、何があるのかを。そして遂に見つけたのです。」
雷神の言葉尻が少しずつ尖りを増していく。
語りはやがて怒りを伴った詰問のように変わっていた。
「
雷神がそう言うと同時に、
ブレる視界と遅れて到来する痛覚により、そこでようやく己が攻撃されたことを自覚する。
恐らくだが、蹴りを喰らった。
しかし、あまりの
「グッ!」
目で追うことは叶わなわず、視界の端に微かに映る紫色の閃光だけが将軍の居場所を教えてくれる。だが、それを知った所で意味はない。
頭では理解していても身体が追いつかないのだから。
視界に映る光を追った所で、彼女は既にそこにはいない。
ミシッ
気付けば鈍い痛みが脇腹を襲っていた。薙刀の柄で殴打されたのだと理解したのも束の間、私がまるで蹴鞠の球のように勢いよく弾かれた。
「ッガ!?」
思い切り吹き飛ばされる。
何度も身体がバウンドしながら、『雷神』との距離が広がる。が、一瞬にして縮まる。気付いた時には既に『雷神』は私の背後にいる。吹き飛んでいる私に対して、追撃を加えてくる。またも薙刀の柄で、背骨ごと砕く勢いで叩かれるのだ。それまでくの字を描いていた私の姿勢は真逆に折れ曲がり、血反吐を吐きながら逆方向に飛んでいく。
蹴られ続ける私はまるで空中で止まっているかのように見えるだろう。
お手玉の球役にでもになった気分だ。
稲妻の世界任務でとある男の子との遊びに興じるものがあったのを思い出す。そこらに隠した蹴鞠玉を探すというシンプルな遊びだ。そして今、私はそれよりも更に刺激的な蹴鞠体験をしているわけだ。
笑えない。
「ックソ・・・いい様にしやがって。」
悪態を吐きながら思考を回そうとした途端、また衝撃を喰らう。
ギチ----ッ---
形容し難い静かな音が鳴った。
それは雷神の太刀が私の肉を切った音のようで、遅れて痛みがやって来た。切り刻まれる感覚が波のように押し寄せ来ている。
これでは網掛け漁にまんまと掛かったマグロと大差ない。
「・・・ッたいなぁ!?」
ズズァ
応戦のため『霧』を放出する。
己の生命維持に使用していたかったが、このままではいずれ切り裂かれて死ぬだろう。どうせ死ぬのなら抵抗する方が幾分かマシだ。
『霧』を見た雷神はようやく攻撃を止めた。得体の知れない黒い靄に無暗に接触するのは得策ではないと考えてのことだろう。
久方振りに得た束の間の休息に感謝しつつ、息を整える。
「はぁ・・・はぁ・・・。」
「その濃密な穢れ・・・やはり貴女が原因で間違いなさそうですね。」
「・・・一方的に旅の人間を拉致して晒し首にした神様がいたとしたら、きっとスチームバード新聞の良い餌になるだろうね!どんな記事になるか楽しみ。」
「・・・その減らず口も終い時です。貴女という異物が稲妻に何を齎したのか、見せてあげましょう。そうすれば、少しは良心の呵責というものに苛まれるでしょうから。」
「そんな、ことが・・・ゲホッ。できるわけがっ」
こいつは何を言っているんだ。そんなことが出来るわけがない。いかに神とは言えど、他人に記憶そのものを見せるなんて業、不可能に違いない。それに彼女は武を司る神の筈・・・知恵の神ならいざ知らず、バアルゼブルにそんな芸当が出来るなんて聞いたことが・・・いや、ある。本来の物語においても彼女は似たような神業をやってのけた、気がする。もはや私の持つこの世界の事前知識は霞の向こう側にあるかのように朧げで不確かではあるが、それでも微かに覚えている。
確か、雷神の伝説任務の中で稲妻の地脈から過去の故人の記憶を読み取るくだりがあった気がするが、もしかするとそれは生きている人間にも応用が効くのだろうか。
「稲妻の地脈の性質と元素力を掌握する権限さえあれば、多少の自由は効きます。百聞は一見にしかず。実際に試してみましょう。」
雷神は私の額に手をかざす。次の瞬間、私の知らない光景が脳裏に流れ込んできた。それらは泡のように儚く、朧げな映像のようだったが災厄に見舞われた稲妻の人々の悲惨な末路を知るには十分だった。私は悲惨な光景を目にして後悔のあまり頭を抱える・・・ということは起こらなかった。無論、稲妻の記憶のようなもの、正確にはその断片だが、それが流れてきたような気がする。だが、それはすぐに途切れてしまった。おかしな現象に疑問を呈して前方を見れば、何故か雷神は呆然としたまま動かなくなっていた。
side 雷神バアルゼブル
彼女に手をかざして奔流を掴んで、私の元素力を編み込む。
一心浄土という私の庭だからそこ可能となる荒技で、この異邦人に少しでも己の罪深さを知らしめんとする。
彼女の穢れきった肉体から黒い靄が私の中にも侵入してきている。これは彼女の意図したものではない。その上、一時的なものでしょう。
私が彼女に記憶の元となるエネルギーを送っている道を通じて、彼女の方から私にエネルギーが昇ってきている。このままでは彼女自身に関することを私が覗き見することになりかねないのですが、致し方ありません。
たとえ罪人とはえ、これから手にかける人間の追憶に向き合うのも必要なことですから。私は彼女との接続をそのままに、彼女の記憶を受け入れました。
さて、貴女のその歪な力はどのようにして得たのですか。
・・・?
これは・・・。
『もう、兄さん。またテウセルを甘やかしましたね。いけませんよ。このままでは、この子は将来とってもわるい大人になってしまうかもしれません。』
『わ、悪かったよ。ほら、まだシチューが余っているから・・・』
『私に餌付けは通用しませんよ。』
『あ、おにいちゃん!ボクたべる!おかわり!』
『お、そうか。じゃあ・・・』
『・・・兄さん?』
これは、彼女の記憶・・・でしょうか。
不自然な程に鮮明な光景ですね。
これは恐らく、幼い頃の彼女の記憶。
少なくとも、数年は前のものでしょう。視線が低く、声色も幼い。
・・・いえ、背丈はそこまで変わらない、でしょうか。
『な、なんでこんな・・・あり得ない。私は一体誰なの?なんで私はこの世界に・・・っ!?』
場面が変わりましたか。
先ほどまでは恐らく彼女の家族の方々と思われる者と過ごしていましたが、この場面はそうではないようですね。暗闇が果てしなく続く洞窟のような場所でしょうか、或いはただの洞穴という可能性もありますが。ただ少なくとも彼女の家のような安堵を齎す場所とはほど遠い場所であることは確かなようです。そこかしこの壁に血痕のようなものもあります・・・光沢が見られることからまだ新しいもののようです。---それに、彼女の様子もおかしい。
『寒いッ・・・』
『だれか、誰かいませんか。わ、私が悪かったですから。』
ぎちぃ
じり・・・じゅう
ぶちッ!
かり
こり
・・・?
何かを焼いて・・・それを食べているのでしょうか?
『オエェェェェッ・・・エㇹッ!ゲㇹッ!』
・・・ッ
『痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いぃぃぃ!ごめんなさいごめんなさい、もう食べたらしませんごめん、なさい。炎なんて要らないですごめんなさいもう食べませんからごめんなさい』
これ、は
ッ!
また場面が変わった?
『どうしたんだい、エレーナ。』
『心配しないで、少し寝不足で疲れてるだけだから・・・』
『エレーナはしっかりしてるけど、一人で抱え込む癖があるからね。何かあったら兄ちゃんに言うんだぞ?』
『うん。大丈夫』
・・・。
『貴様だな、我らの同胞たちを喰らう気狂いは』
『みずの、使徒?』
ひとりの、人間の子供がこのような記憶を持つなど・・・
彼女は一体どのような業をしでかしたのでしょうか。
『フフッ....面白いねあなた。いいよ!じゃあ次期往生堂堂主である私が、あなたの葬儀を取り持つことを約束したげる!!』
悪人がこのような笑顔を向けられる友人に恵まれるのですか?・・・本当に?
貴女は何故こんな道を歩むことになってしまったのですか。
貴女は本当に私が思うような罪人なのでしょうか。
side エレーナ
なんだ
何が起きている
私は今、何をされているんだろうか。雷神によって稲妻の惨劇を脳裏に刻み込まれたかと思えば、当の雷神は何故か呆けてしまっているじゃあないか。どうして、そんな目で私を見ている。そんな・・・哀れな者を見るような目で、そのような目で私を見るなッ!気味が悪いっ、一体何が起きているのか分からない。
兎に角、隙が生まれたのは有難い。
「ッふ!」
「っ!?」
目と鼻の先にいた雷神に蹴りを入れる。そして、彼女を踏み台としてそのまま思い切り膝を伸ばして蹴り上げた。結果的に私は雷神から弾かれるように飛び退くことが出来た。距離にして五十歩ほどの距離を設けた。これで彼女の間合いからは逃れたわけだ。
だが、まだ油断は出来ない。
この女にとって、一呼吸の内に間合いを詰めるなんて造作もないことだろうし、そもそも間合いを詰めずとも私を仕留める方法などいくらでも持っている。元素力を司る神を侮ってはいけない。かといって、ダラダラと粘り勝ちできる未来も見えない。私の肉体がこんなにもボロ雑巾のような状態になっている現状では勝ち目は薄い。
故に、逃げることに徹する。
まだ転移をするだけの余力はあるという前提で、雷神の視界を塞ぐことができればいい。その一瞬さえあれば転移のゲートを開ける。
そうと決まれば、転移を行うだけの隙は作らなければっ。
私は意識を切り替える。恐るべき雷神すらも視界から外し、認識外へと追いやった。想像するのはあの時の思い出・・・かの憎たらしい水浸しの国で過ごした日々を思い浮かべる。大事なのはイメージだ、この世界の主人公は己であるという絶対的自信と自負を以ってして、この技は完成する。深淵の魔物が他の生物の様相を真似るように、私という深淵の怪物は今この瞬間に過去の夢想を現実に置き換える。
一心浄土の硬い地面の上から、私の色というテクスチャを貼り付けるのだ。今、この瞬間、この空間も支配者は私であり、雷神ではない。
今度は私から仕掛ける番だ。
「『極悪法』・・・」
「っ! 来ますか。」
雷神が構えた。視界には映っていないが、聞こえた。
恐らく向こうも相応の力をぶつけてくる・・・遠慮は無用だ。
「『
「『千手の戒め』」
私と雷神はほぼ同時にカードを切った。
一心浄土の空間ごと揺らいでいるのではと感じるほど、凄まじい空気振動が身体にも伝播する。私の足下を元に桃色の花弁を持つ植物が芽吹き始めた。その花の名は『レインボーローズ』。水の国の多く群生することで有名だが、稲妻で芽吹くというのは中々ない現象だろう。
雷神は眉を顰めて訝しんでいる。まぁ、無理もない。満身創痍になっている人間の足元からチューリップが咲き誇り始めたら、誰だって驚愕するに違いない。
この一心浄土に華を添えてあげたのだから感謝してほしいくらいだが、彼女が手向けてくれるのは感謝の意ではなく容赦のない斬撃だけだろう。非常に残念だが、私とこの神との間に和解の道などない。そもそも、先に手を出したのは雷神だ。不法入国に関しては私に非があるのは事実だが、それでも問答無用で首を刎ねられる謂れはない。私は生き残る。深淵という得体の知れない存在が一体何処からやってきたのか、その本質がなんなのかを解き明かすまでは、まだ死ねない。死ぬ覚悟は出来ているけど、ここで死ぬつもりも毛頭ない。ここでとっておきをブチかまして大きな隙を作り、その間にトンズラこくしかない。
とはいえ、雷神は私の『霧』の特性をなんとなく把握してきている。半端なコケ脅しはもう通用しないだろう。だが向こうも得意の一太刀を振るうことはないと考えられる。何せ、私は彼女の太刀を既に二度も受けている上、生還している。それによって重傷を負ってはいるが、それでも即死するには至っていない。決定打にはならない。それは彼女も理解しているだろう。故に、次に雷神が繰り出す一手は斬撃ではないハズ。
研ぎ澄まされた一筋の斬撃ではなく、より広範囲をまとめて吹き飛ばす純粋な火力技をかましてくるに違いない。この神にはそういったあ手段がある。雷神は手に持っていた武器を仕舞ったかと思えば、右手を天に翳して雷元素エネルギーを放出し始めた。束ねられていた元素たちは雷神の元から離散していき、それぞれ別の地点へと散っていく。地面に再び雷が滞留し始める。バチバチと痛い音が耳を劈き始めた。
そして散っていった雷元素たちはやがて点となる。気付けば私前方、左後方、右後方の三箇所に紫色の釘が刺さっていた。物言わぬ骸と見紛うほどの沈黙を保っていたそれだったが、やがて臨界点を突破したかのように震え出し、内に秘めたる力を放出し始めた。釘の発する雷元素エネルギーは波打つ衝撃波となって私目掛けて放たれた。あまりに濃密な雷元素エネルギーを持った衝撃波は、確かな質量を保持しながら私に近づいてくる。衝撃波は地面を抉りながら進行するが、それを黙って見ているわけにもいかない。こちらとて雷神がこのように嬲り殺しに掛かってくることは想定済みだ。
「咲け」
私の一声で目前にまで迫っていた衝撃波は塵になった。代わりに地面に綺麗なレインボーローズが咲いていた。それは私の周囲十メートル程の範囲で起こり、瞬く間に小さな花畑が私を囲むように完成していた。
「面妖な・・・っ。」
「物騒な雷が綺麗なお花に大変身・・・素敵でしょ?」
本音を皮肉げにぶつけてみた。
雷神は憎らしげにこちらを見ながら言った。
「ええ、そうですね。そのお花が禍々しい深淵のエネルギーを纏っていなければ、ですが。・・・本当に、これが本当の花畑であればどれだけ良かったでしょう。」
「はっ!私を汚物扱いしておいた奴が、何を今更。」
雷神の戯言を笑い飛ばしながら霧の面積を拡張する。
「(もっと広がり、彼女の視界を邪魔しろ。)」
紫色のレインボーローズは雷神の釘から放たれるエネルギーを吸収して育まれていく。初めは一輪だけだったそれは、やがて千を超えた。周囲に点在している鳥居の側面にもへばり付くようにレインボーローズは生誕する。そこに栄養豊富な養土がなくても関係ない。このレインボーローズにとっての養分は元素力だからだ。毒は使い方によっては薬にもなる。一見相反するように見える元素エネルギーや深淵のエネルギーも本質は同じだから、こうした技も可能なのだ。
レインボーローズの群生地となった一心浄土には、目を覆いたくなる程の夥しい濃さを誇る深淵の霧が充満し始めていた。雨粒ほどにしっかりと肉眼で視認できやしないが、黄砂の粒のように不明瞭でもない。深淵の霧は確かな質量と意思を持って雷神と私の間に割ってはいる。一瞬だけ雷神の視線が私には届かなくなるが、雷神が振るった薙刀の一閃によって霧が払われ、彼女と再び眼が合う。彼女の弱々しい瞳と眼が合う。なんだ、その目は。開口一番に殺そうとした奴がそんな目をするなんて狡いだろう。自分の都合で誰かを滅そうとした者は、滅した者の分も含めて背負っていくものだ。そんな、被害者みたいな顔をしていいわけがない。だというのになんだその情けない顔は。
いつだ、いつからそんな顔をしていた。綾華を殺そうとしていた時は将軍の人形しか見えなかったから分からないが、少なくともこの一心浄土でバアルゼブル本人である目の前の彼女と出会ったときは、殺意で化粧をしたかのような色落ちした形相をしていた記憶がある。雷神の態度が明確に変わった瞬間といえば、あの時だ。あの時・・・私に手を翳して稲妻の記憶を無理やり流してきた時か?
なんだ、残酷な光景を幼気な女の子に無理やり見せたことに負い目を感じたのか。それとも他に何か見たのか・・・?訳がわからない。気味が悪い。まるで同情しているかのような、哀れなモノを見るその目は一体どうして・・・いや、どうでもいいか。
「お前が何を感じようがどうでもいい。」
「・・・何が言いたいのですか。」
「そのままの意味だよバアルゼブル。お前たち『神』が人間に対して大した感情を持たないのと同じで、私という人間もお前たちに何も感じない。何かを言っても、どうせ届かないからね。けど・・・せっかくお目にかかれたんだから、聞きたいことは聞いておこうかな。」
一呼吸だけおいて雷神へ質問した。
「『世界樹』への行き方を教えろ」
「・・・今、なんと?」
この言葉を聞いた瞬間、雷神の表情が硬直したのが見えた。
私の質問の意味をよく理解している証拠だ。
俗世の七執政の一柱である彼女であれば、この情報に関しても何かを知っているのではと思っていたが、思い違いではないのだろう。よかった、少なくとも無駄足にはならずにすみそうだ。『世界樹』・・・スメールの魔神任務で初めて明確に描写された巨木。その本質はただの木材などではなく、テイワットという世界全体に関する物事をおしなべて記録する大禁樹だ。その姿を見たことがある者は数える程度しかいないと思われ、ましてやそれに関する重要な情報を知り得る者などそういない。しかし、目の前にいるこの女は、その限りではない筈だ。私はそのことだけを頼りに、それだけを目的にしてこの国に押し入ったのだから、彼女が何かを知っていなければ困る。
私は報いなければならない。これまでの旅路で出会った皆んなにあの世で顔向けできるように、使命を果たさなければならないんだ。そのための一番とも言える近道が、今!目の前にある!
「教えろ」
教えろよ
知ってるんだろう?
だから・・・
「教え・・・痛っつぅ!」
斬られた部分の肉が炎症でも起こしているのか、鋭い痛みが襲ってきた。
爪楊枝で細胞を無理やり引き剥がされたような痛みに、思わず苦悶の声を出す。身体は『ここらで引き上げろ』とでも言っているのだろう。私の身体のことは私が一番よく分かっている。とっくに限界を超えていることも承知していた。だが、ここは無理を押し切ってでも踏ん張らなければいけない場面だ。神への謁見なんてそうそう出来るものではない。
この女が知っていることを全て知り尽くすまでは、全部吐き出させるまでは、終われない。引き下がれないんだ!
だからもう少し保て、私の肉体。無茶なんて今まで数えきれないくらいしてきただろう。故郷を飛び出した時から始まった旅路の中で、私はもう何度も死線を潜ってきた。だから今回だってどうにかなる筈だ。もっと霧を拡散しろ。雷神の雷を私の花畑に変換し続けて、私と雷神が会話する時間を稼ぐんだ。
じゃないと、この国に来た意味がない。何年もこのテイワットを旅したけれど、その中でもかなり貴重なチャンスだ。そもそも、雷神が一心浄土に誰かを招くこと自体が稀だ。私が知る限りでは、旅人と八重神子の二人だったはず。私はその中の一人に無理やりにでも食い入るために、あのような無茶をしたんだ。色々と想定外なことが起こったことは事実だが、それが上手く作用してくれたんだ。このチャンスはまたとないものだ、多少荒っぽい手段を講じてでも取り入って、口を開かせてやる。
だって、もう私の肉体だっていくら保つか分からない。ただの人間にしてはかなりの無茶をしてきた自覚がある。胡桃にだって口を酸っぱくして何回も忠告された。あの娘は本気で心配してくれていたけれど、ある意味で私はその厚意を踏み躙った。それだけの醜態を晒した代価を貰うまでは絶対に引き下がらない。ただで死ぬつもりなんて毛頭ないから、だから・・・!
「実に憐れだ」
唐突にとある男の声がした。深淵と雷元素のエネルギーが荒れ狂う一心浄土では、人間の話し声などそうそう聞こえないのだが、その男の声はやけに鮮明に耳に届いた。とても低い肉声だった。馴染みのある力が私を包み込んだ。黒い色をしているそれは、心なしか私の扱う霧と同類のものだと感じた。
「ッ何者ですか?」
「・・・。」
謎の来訪者は雷神からの問いには応えなかった。
刺すような沈黙を貫いた来訪者は荒れ狂う元素力の奔流の中を掻き分けて進み、やがて私の元へと降り立った。ふわりと衣服がたなびく音と共に、穏やかな香りが鼻腔を突く。少し淀んだその芳香は、なぜか私にとってはとても心地よく感じた。
「だからあれ以上は使うなと言った。こうなることが分かっていたからな。」
その男の顔が見えた。
肩にかからないくらいの金髪は無作法なようで、意外にも綺麗に切り揃えられており、彼の容姿の美麗さも相まって神秘的な雰囲気を醸し出している。胴体には黒を基調としたものを着ている。なんと形容すれば分からないような、何というか奇抜な服装をしている。少なくとも、普通の人間が街中で着るような柔らかなものではないだろう。どちらかといえば隊服のようなものに近い。背には肩幅ほどのマントをしている。たなびいているマントは光を反射しているのか、とても眩しい。いや、これは私の『霧』の輝きか。この男の纏う力も私のと似ているから、勘違いしてしまったようだ。
男が私の顔を見た。顔面から地面に倒れそうになった私の肩を抱き、ゆっくりと彼の方に傾けた。私は彼に体重を預ける形になっている。誰かに支えられたのは久しぶりかもしれない。たいていの場合、倒れた後に救助されることが多かったから、こういったことはなんだか新鮮だ。いつもならこんな醜態を他の誰かに見られるなんてゴメンだが、今はそんな悠長なことを考えることも出来ない。それほどまでに憔悴していたことを、今更ながらに再認識する。
薄れゆく視界の中で、その男の人相をかろうじて捉える。ダイヤモンドの形をした瞳が私を憂うような眼差しで見ていた。表情筋が全く動いていなかったが、それがより彼の瞳孔の色を際立たせていた。
「だ、イン・・・・・」
「帰るぞ、エレーナ。」
意識が落ちる寸前、彼の名前を呼ぶ。もう喉も枯れてしまっていたからかなり小さな声量でしか呼べなかったが、それでも彼には届いたようだった。
彼は、憂いを帯びた目で少しだけ微笑んでいた気がした。その目は、兄さんが私を見る時に向けるようなものと少しだけ重なって見えた。
いつも読んでくださる皆さん、ありがとうございます
そしてようこそ
気付いたら一万字超えていたので、今回は誤字の宝庫と化しているであろうことが確定しています
みんなで誤字を探しまくろう(ごめんなさい)