おいタルタル、追ってくるな   作:飲み会後の味噌汁

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「ねぇ『客卿』、私なんだかすご〜く嫌な予感がしているの。」

「ふむ...最近は麻袋と相談して骨董を買うようにしているが...」

「貴方の金遣いが荒いって話じゃないよ...はぁ、何だかエレーナを取られそうな気がして....大丈夫かなぁ」





白鷺の舞

 

 

 

side エレーナ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰も寄り付かぬ鎮守の森のとある水場で、何やら話しこむ女子の気配ありけり ----

 

 

 

 

まぁ、私と綾華のことなのだが

 

ダインスレイヴのお説教というバッドエンドが確定している私は、半ばヤケになりつつも私自身の憂さ晴らしとお嬢様のメンタルケアも兼ねて、こうして二人で談笑に興じていた。

 

ここには何もない。

自然豊かではあるが、所謂娯楽の類に属するものがない。

 

だが、それがいい。

何も面白いものなど必要ない。

今の綾華に余計な考え事を強いるのは傷口に毒を流し込むようなものだ。

願わくば、このまま静かに会話を続けられるように祈る。

 

「幼い頃、(わたくし)はお母様や家族と過ごす日々に夢中だっただけの子供でした。」

 

ぽつぽつと綾華は語り始めた。

 

「と言っても、お母様について分かっていることはそう多くありません。お母様は(わたくし)が幼い頃に死去してしまいましたから。」

「...そう。」

「それでも、お母様の顔や声を忘れたことはありません。」

 

それから綾華は彼女の母親との思い出を語ってくれた。

日々のお稽古のことや、団欒の中で笑い合ったこと、澄み渡る草原の中ではしゃいで走り回ったこと。

そして、家の一室で母親と指した将棋の顛末の事も...。

 

「初めてお稽古を始めた時なんて、もう緊張しっぱなしで...するとお兄様が...!」

 

綺麗な()だと思った。

 

美人だとか、そういう話じゃあない。

自分の中にある美しい記憶を話すその姿はあまりに眩しくて、邪気がなかった。

口角が自然に上がり目を細めて、頬はほんの少しだけ紅潮していた。

 

それは、本当に心のそこから幸福を感じている時の表情だった。

 

(わたくし)、所謂モツの寄せ鍋はどうにも苦手で、トーマが作ってくれたものだとしても...」

 

さぞ幸せだったのだろう。

凡庸な日常を語る様は何も特別なことはなく、彼女にとってかけがえのないものであることを匂わせた。

 

思い出を語る彼女は、それはもう楽しそうで嬉しそうで....そして哀しそうだった。目線を下に向けながら話す彼女は宛ら頭を垂れる白鷺のようだ。

 

私には、綾華がどうしてそんな顔をするのか分からなかった。

確かに彼女の両親が早くに逝去したのは惜しむべき事だが、彼女はそれを過去のものとして消化し、自身の覚悟を決めているものだと思っていた。

 

だからこそ、彼女には神の目が備わっているのだ。

その筈だ。

 

彼女がかつて過ごした日々の思い出を話す度に、彼女自身の生気が溢れ出て行っているような錯覚が見える。

言葉を紡ぐたびに生命力が放出されていくようだ。

 

老いぼれた女性が過去に打ち込んだ競技の音楽を聞くと、それまでの呆け様が嘘であったかのように正気に戻って若かりし頃のように動き出すというような動画を前世で見た気がするが、今の綾華とその老人が重なった。

 

彼女は老いてはいないが、直近の災厄によって自分自身の存在価値や意義を見失っていた。

善性の塊のような人間である彼女だからこそ、それがひっくり返った時の心の負傷も決して小さくなかったのだ。

 

奔走し、それでも取り零しては自分を責める...そういった循環の最中にいたのだろう。

息がうまく吸えないような苦しい環境の中で喘いでいた彼女は、自由を獲得したかのように楽しそうな顔をして過去の思い出を話している。

 

 

そんな綾華を見ていると、どこか不安になるのは気のせいだろうか。

 

 

今の彼女はこれまでの記憶のストックを味わっているだけに過ぎない。

 

 

もし綾華が、自身の幸せな記憶を話し終わってしまったら?

 

 

もし綾華が、現状の深刻さに打ちひしがれてしまったら?

 

 

もし、

 

 

もし....

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「....エレーナさん?どうか、しましたか?」

「はっ」

 

気付けば、私は綾華の腕を掴んでいた。

 

彼女の綺麗な細腕の感触を掌で感じる。

その細さに似合わず、彼女の前腕の内側にはそれ相応の筋肉があるらしく、握っているとしっかりとした筋を感じ取れた。

いきなり腕を掴まれた彼女はキョトンをした様子で私に呼びかけた。

 

「あ...いや、ごめん。何でもない、本当に何でもない。」

 

恥ずかしくなった私は彼女を掴んでいた手を離した。

 

顔中が熱い...自分が赤面しているのが分かる。

俯いている私の顔が水面に反射して写っており、その顔はやはり真っ赤だ。

 

不覚だ。

疲れのせいか感情の制御が出来ていない。

自分を覆い隠すための敬語を使っていないかだろうか。

...自分が思っているよりも気が緩み切っているのかもしれない。

 

照れ隠しのために腕で自分の口元を隠そうとするが、肩よりも上の位置に腕を上げるのはまだ難しいらしく、ただ鈍い痛みが間接に走るだけに終わった。結果的に痛みで羞恥心が上書きされたので赤面も収まったが、気恥ずかしさまでは取り払うことが出来なかった。

 

...頬がまだ少し赤い。

 

そんな私を見た綾華は笑顔を浮かべて、()()()()()()()()()()()()()()

冷たくて、サラサラしていたけれど、やっぱりどこか温かい。

これが人肌によるものなのかは定かではないが、彼女だから温かいのだということは理解できた。

 

唐突すぎる行いに戸惑いを隠せない。

 

「は?何を...。」

「ふふっ。...もう、素直じゃないんですね。」

 

彼女が何を言っているのかよくわからない。

私が彼女の笑顔の意味を汲みかねていると、綾華は続いて想いを語ってきた。

 

「出会った時から、ずっとそうでした。貴女は私のことを守ってくれて、偶に汚い言葉を吐きながらも私のことを慮ってくれていました。将軍様の刃から助けてくれた時だって...」

「それは...」

「勘違い...貴女はそう言いたいのでしょう。けれど、少なくとも私から見えてるエレーナさんは悪い人などではありませんよ。...むしろ、人よりも少し自罰的過ぎるくらいです。」

 

それは勘違いだ。

綾華を助けた事実はあるが、あれは利己的な行動が齎した産物に過ぎない。

恩を感じるのは結構だが、度が過ぎるのも考えものだろう。

 

確かに私は神里綾華を利用すると決めた。

己の本懐のために脅して、使い潰し、その遺灰をも糧とすると意気込んだ。

 

けれど、別に憎しみを抱いているわけじゃない。

可能ならちゃんと幸せになってほしい。

真っ当に女の子としての生を感じてほしいのだ。

 

けれど、それを壊したのは私だ。

助けてたのは結果論に過ぎない。

 

「違う、違うんだよ綾華。」

 

拒絶するために声を張り上げる。

 

「助けたって言っても、それはそうするのが正解だったからに過ぎない。」

 

ここで彼女の幻想を打ち砕くべきだ。

私は彼女の思うような人間ではない。

 

「...ねぇ知ってる?私ね、ファデュイに追われてるの」

 

己が持ち得るありったけの負債を語る。

綾華は幻想に囚われているのだ、私という罪人がさも救世主であるかのように見えている。

己の窮地に駆けつけて敵を屠った英雄のプロットしか認識できていない。

 

「何人も殺したの」

 

しかし、私の中身はそんな綺麗なものじゃない。

家族を裏切り、人を殺し、魔物の血で濡れた咎人に過ぎない。

殺してきた人たちの中には、ファデュイの構成員だって多い。

 

彼ら彼女らはテイワット各地に派遣され、暗躍に徹している。

場合によっては大立ち回りをして国中に混乱を撒き散らすのを十八番としている。

私は、そんなあいつらが嫌いだ。どうしようもなく嫌悪している。

 

それでも、そんな奴らにも家族がいるのだ。

待っている子供がいるし、愛し合っている恋人がいるかもしれない。

 

「最初は威勢よく掛かって来る刺客も、痛めつけて相手方の味方に見せつければ途端に恐怖と...一部は怒りを見せて向かってくる。私はそれすらも殺した。」

 

私はそれらを容赦無く、何度も踏み潰した。

腰に引っ提げたこの蒼色の双剣で腱を断ち、首を落として見せしめた。

怒りのままに向かってくる同類を飽きるほど屠っては、ソイツの首を血を派手に地面にぶちまけた。

 

何回も何人も殺した。

 

そんな私が綾華を助けたからなんだ。

これまでの行いが正当化されるのか?

罪が洗い流されるのか?

違う、断じて否だ。

 

「別に綾華の価値観を否定しているわけではないし、私自身の罪を許してほしいとか、自暴自棄になっているわけじゃない。...ただ、貴女と私は違う世界に生きているんだよ。貴女のお兄さんが敢えて自分から政界の道を選択したのもきっと同じ理由だよ。」

「お兄様が...。」

「彼はきっと、人間の汚い部分を啜るのは自分だけでいいって思ったんだよ。妹の要らぬ苦労を少しでも減らせるように、少しでも神里家を自分の力で立ち直せるように。」

 

また、出会ってもいない人間をさも知っているかのように話してしまったが、後の祭りだ。

というか、今更そんなことは気にならないし、気にしても無駄だ。

 

「私は影側の人間だ。貴女と交わることはない。だから私に恩義を感じる必要はない」

 

そう言い切った。

迷いはなく、容赦無くお嬢様を私から切り離した。

彼女が抱いている私への好印象や親しみは所詮偽りのものだ。

 

「ごめん、なんか私ばっかり喋っちゃったね。綾華の話を聞くって言ってたのに、これじゃあ本末転倒だ。」

「いえ、そんな...。」

「兎も角、私に良くしようとか思わなくてもいい。ほら、初めて会った時はよく互いに憎まれ口をきいてたでしょう?これからもああやって雑に扱ってよ。私なんて...」

 

 

 

私なんて、生きる価値もないんだから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうですか。----わかりました」

 

唐突にそう言い放った彼女は私から少し距離を取った。

 

ようやく分かってくれたかと安堵した。

このお嬢様は中々に頑固なのもので、一度こうと決めたら梃子でも動かない人間だ。

だってそうだろう。

 

専門家(ダインスレイヴ)の助けがあったとはいえ、雷神の一心浄土に乗り込んでくる女の子なんて......ああいや、旅人ならやりかねない。

まぁ、旅人くらいなものだろう。

 

綾華は本来、もっと幸せを噛み締めるべき人間だ。

肉親の死までは取り繕えないけれど、私という異物との出会いをなかったことにするのはまだ遅くない。

彼女は社奉行の人間としてこれからの稲妻を立て直し、人々から喝采の雨を頂くのが正しい道なのだ。

 

「理解してくれて助かるよ。そもそも人殺しをする無法者と関わりを持つなんてこと自体が良くないからね。これを機に私のことは忘れて、他の友人とか、後はそうだね...旅人たちと一緒に歩いていくのがいい.........綾華、聞いてる?」

「...。」

 

満足した私の言葉が彼女に届くことはなかった。

 

また錯乱し始めたのかと冷や汗をかいた。

しかし、彼女の落ち着き払った姿を見てそれは杞憂だったと安堵する。

 

彼女は今、自分自身の意思で私を無視している。

まさか、『私のことなんていいから好きに生きたらいい』というアドバイスを早速実践しているのだろうか。

だとしたら随分と熱心なお嬢様だ。

 

となると、彼女もそろそろ屋敷(いえ)に帰る頃合いだろう。

 

ならば、せめて帰りの護衛くらいは務めなければならない。

転移(ワープ)をするための余力はもうないので、徒歩で帰ることになるが...そこまで遠出したわけでもないから心配は無用だろう。

 

そうと決まれば水場から出て足の水気を吹き飛ばすことからか...ドライヤーなどという便利なものがないこの世界では、炎元素で乾かすのが鉄板だろう。

 

しかし、そう考えている私を見ている綾華は水場から出ようとしなかった。

 

雪崩のように自身の感情を捲し立てていた様子から一変して静かになり、白鷺の姫君としての風格を見せるように佇んでいた。

綾華はゆっくりと歩き出す。

静かに歩いている彼女を歓迎するように、足元の水はちゃぽ..という可愛らしい音を奏でている。

 

綾華は己の懐から扇子を持ち、背筋はしゃんとして、空いている方の手を目線より少し高いくらいの位置で泳がせている。

 

...何かが始まろうとしている。

 

綾華は真っ直ぐと私を見据えてきた。

彼女の透き通るような蒼色の瞳が私を見ている。

 

 

 

 

 

「言葉では伝わらないと判断しました。ですので()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

「っ!」

 

()()()()()...それは、ダメだ。

 

だってその言葉を掛けられるべきなのは()()()()()のだから。

鎮守の森の奥地にて、澄んだ水に足を濡らして華麗な舞を踊るのは...それを向けられるべきは旅人である筈だろう。

なんでそれを私に向けるんだ。

 

 

「だめ...あ...ッ!」

 

 

無意識に静止の言葉が出る。

自分の失言に、咄嗟に口を手で塞いだ。

 

しかし、綾華は私の制止の声を聞いてもなお構えを解かなかった。

そして---

 

 

 

 

 

白鷺の舞が始まった。

 

 

 

 

 

足取りはゆったりとしていたが、なぜかそこには軽やかさが見てとれた。

 

手のスナップで持っていた扇子を一呼吸の内に展開し、それを左脇から右前方へと流していく。

その最中もゆったりとした動きは止めない。視線は常に扇子を持つ方の手の先を見据えている。

 

 

洗練された動き、迷いのない所作、揺るがない視線。

そのどれもが、彼女を御伽噺の白鷺そのもの(私がかつて見ていた彼女)であるかのように見せた。

 

 

この瞬間、この森に生きている者全ては綾華のためにいる。

綾華のために音を奏でて、綾華のために澄んだ水を運んでくる。

無法者たちは無意識にこの森への侵入を取り止め、鎮守の森には清らかな清らかな生命だけが残る。

 

 

 

 

 

 

♫〜....♩...。

 

 

 

 

 

 

鼻唄が木魂する。

綾華が呟く唄が、木々たちに反射して彼女の元へと還ってくる。

 

...姫の音色だけが私を包んでいる。

綾華だけが、月光が差す天然のスポットライトを浴びている。

 

誰も見ていない、誰も聞いてもいない壇上で私に向けて舞っている。

囁くように踊る彼女を見ていると、まるでゲームの画面(本来の綾華)を見ているような気分になった。

 

創作物として見ているから......ではない。

 

物語に出てくる人間が、まるで自分にだけ話しかけてくるかのような感覚を覚えたからだ。

この瞬間、登場人物のことを見ているのはプレイヤーたる私自身しかいないかのような没入感を感じたのだ。

 

私はこの舞を止めなければいけない。

 

私なんかに関わった人たちは、みんな碌なことにならないのに、こんな健気な少女を巻き込むなんて絶対に看過出来ないことだ。

気を許してはいけないし、近づけてはいけない。

 

関わるにしても利用するだけ...そう決めた筈だ。

 

 

 

 

 

 

なのにどうして、私はこの()の踊りに魅入っているんだ

 

 

 

 

 

 

 

 

スゥ...

 

綾華が息を吸い込む音が聞こえた。

微かにしか聞き取れなかったその音は、わずかに彼女が力んだことを示していた。

これまで艶やかな舞に徹していた白鷺が、最後の一時を飾るべく構えたのだ。

 

白鷺はうねるような軌跡を描きながら、扇子を己の足元まで降下させた。

両膝を曲げて姿勢を低く保つ。

瞼を閉じて呼吸を止める...いよいよこの森に存在する唯一の音までもが消失した。

 

一秒にも満たない瞬間に静寂が走る。

そして、次の瞬間---

 

 

神里流 - 氷華 -

 

 

六花を模った氷の結晶が水場に浮かんだ。

 

水分が急激に凝固して固形と成り、森中にてその音を響かせる。

氷の粒たちが綾華の足元に舞い散っては、ゆっくりと地面に落ちていく。

それらは夜空に瞬く星たちのように輝いていた。

 

木々の隙間より差し込む月光の恩恵を全身に受けながら、綾華という主役を照らしている。

 

空中で踊る水飛沫越しに彼女の顔が見えた。

 

 

「きれい....」

 

 

美しかった。

 

この世に存在しているのか疑わしくなる程に美しかった。

その人の眼をずっと見ていたい。

貴女のような綺麗で清廉な人間を友人に持てたら、どんなに救われるだろうか。

 

 

 

私にとって人間とは汚いものでしかなかった。

璃月で出会った胡桃を除いて、多くのヒトは私を嫌悪して遠ざけてくるものだと思っていた。

けど、この人は....綾華は違う。

 

 

 

人を殺した私を見ても、怯えることはない。

利己的な目線を向けても、それを許してくれた。

窮地に立った私を命懸けで助けに来てくれた。

 

 

 

あまりにも綺麗で、白くて、だからこそ見ているのが辛くなる。

私なんかと関わったら、貴女と貴女の周りの人間にまで良くない兆しが見え始めるかもしれないのに!

 

 

みちゃ、いけないのに

 

 

それでも、なんで私の目は綾華から離れないの

 

 

私は、どうしてこの()に...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

舞を終え、氷の結晶たちが再び水へと回帰した頃、白鷺は一人の人間へと戻っていた。

扇子を懐に仕舞って佇まいを整えている。

彼女は呆けている私を見ながら言った。

 

「この舞は貴女への贈り物です。恩を返すとか、そういうものではありません...ただこの森を美しさを感じて欲しかったのです。自罰的なエレーナさんが少しでも『生きてて楽しい』と感じてもらえるように......気に入っていただけましたか?」

 

私はなんと返答すればいいか迷った。

こういう真っ直ぐな善意を向けられた時の対処法なんて知らない。

 

それこそ、胡桃に愛を囁かれた時だってそうだった。

結局、私は胡桃への返事を先送りにしている。

色々とあり過ぎてなぁなぁになっていたけれど、少し時間が経った今ならきっと私は『NO』と言うだろう。

 

別に胡桃が嫌いなのではない。

 

しかし、私は自分の運命にあの()を引き込むのが恐かった。

 

...綾華にも、同じ杞憂を抱いた。

もし彼女と友達になったら、どんな凄惨な死が彼女を襲うのか....そんなことばかりを考えてしまう。

 

「もし......エレーナさん。聞いていますか?」

 

綾華が腕を後ろに組んで頭を傾けながら聞いてくる。

 

目線を上に向けて、まるでおねだりをする子供のような姿勢になっている。

所謂『上目遣い』と呼ばれるポーズを取ったお嬢様は私を揶揄うように聞いてきた。

目を細めて吟味するような様子に妙な気恥ずかしさを覚えてしまう。

 

「わかった。わかったから離れてッ」

 

色々と混濁した感情を抱えきれない私は思わず彼女を拒絶する。

 

「わかりました。()()()()()()()()()()()()()()

「...は、はぁ!?」

 

私の制止を気にも止めず...いや、むしろ嬉しそうにしている綾華はゆっくりと私の方へと接近してくる。

彼女が動くたびに足元の水溜まりが音を立てている。

この森があまりにも静かな所為で、その音が必要以上に鮮明に聞き取れてしまう。

 

気付けば、綾華は私の目と鼻の先にまで接近していた。

互いの距離が、拳二つ分程しかない。

もしここが我が故郷(スネージナヤ)なら、吐き出される互いの白い吐息が頬に触れているだろう。

 

あまり人と身近に接することがない私は、驚いて後ずさろうとする。

しかし、綾華はそれを見越したように私の両手を握った。

 

「ほら、こんなに触れられます...。」

 

 

スル...♡

 

 

「ッ------!?」

 

 

口籠もる私を見てもなお笑顔を絶やさない綾華は、私の()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

彼女の指と私の指が絡まり合い、互いの温度を分け合っていく。

綾華の温もりが更に一塩増して私の中に入ってくる。

 

...なぜか恥ずかしくなって顔を背けてしまう。

 

「ちゃんと見てください」

 

 

 

 

ぎゅう♡

 

 

 

 

綾華が絡めた指を握り込んできた。

 

いよいよ私は彼女から逃げられなくなった。

彼女の体温は完全に私の手に移されている.......感じている熱が私のものか綾華のものか、判別がつかない。

 

綾華は目を細めて、愛おしいものを見るような眼で私の顔を眺めている。

微笑みを携えながら握った手をにぎにぎと揉み込んでくる...ぎゅっとされる度に私の心臓が煩く喚く。

 

こんな...なんでこんなことになってる!?

私の知る神里綾華はこんな人間じゃあない。

解釈違いも甚だしい!

 

「エレーナさんっ.....」

 

そんな、そんな優しい目で見るな。

湿っぽい声を出すなっ

手を捏ねるな.........揉むな!

 

「ねぇ本当にやめて。私が嫌がってるのがわからないの?」

 

私は最後の力を振り絞って平常心を装った。

この暴虐を止めるため、そして私の尊厳を守るためにも容赦などしていられない。

体内に煩く響いている鼓動の音はきっと気のせいだろうから、無視させていただく。

 

「...ふふ」

 

拒絶された筈の彼女は何故か微笑んだ。

 

私の手を捕まえた両手はそのままで、私の方へと口を寄せてきた。

 

あまりに急接近してくるものだから、距離を取ろうと脚を動かす。

だが、私の脚は微動だにしない。

いつの間にか彼女の繰り出していた氷元素によって足場が固められていた。

 

「氷...!?いつの間に...ッ」

 

その場から動けなくなった私は、そのまま綾華の接近を許してしまう。

彼女は耳元で囁いた。

 

 

 

 

「お顔、真っ赤ですよ?」

 

 

 

ゾワッと鳥肌が立った。

けど、()()()()()()()()()()()()

 

戦闘になれば圧倒できる筈の軟弱な少女を前にして、なんで私はここまで動揺しているのか理解できない。

 

「ッぅ...。」

 

情けない声が出る。

もう、何がなんだかわからない。

どうしてこの国唯一の利害関係者(ステークホルダー)からこのような恥辱を受けなければならないんだ。

 

顔が、熱い。

燃えるように熱い。

炎元素の残穢は当の昔に消した筈だ。

それに、綾華が放った氷の波状の影響で体が冷え込んでもおかしくないだろう。

なのに、どうしてこんなにも熱いんだッ。

 

「エレーナさん。貴女が思うよりもずっと、(わたくし)は貴女に感謝しているのです。たとえ貴女がこの国に降りかかった災厄だったとしても...」

 

尚も綾華は私を肯定する。

 

その目に迷いはない。

かつて怯えていた女の子の影は鳴りを顰めて、白鷺の姫君としての彼女だけが存在している。

なんでそんなにも輝かしくいられるのか分からない。

 

「お、おかしいでしょ。だって、もし私がこの国の敵なら...綾華以外の人間にだって災いが降りかかるかもしれないんだよ!貴方がさっきまで嬉しそうに話してたお兄さんや友達...仕えている人たちが不幸になるかもしれないんだよ!?」

「だとしても---」

 

綾華は私の手をしっかりと絡めたままで更に近づいてきた。

綾華が付けている胸と私の胸がついに触れ合う。

吐息も互いの口にかかる距離にまで近づいた彼女は、私に羞恥を感じさせる暇も与えずに言い放った。

 

「自らの行いを悔いて贖罪に励む貴女のような人を、(わたくし)は厄災などとは思いません。」

「ーー---ッ!」

 

 

 

.....

 

 

.....

 

 

.....

 

 

 

「私、たくさん殺したよ」

 

 

「はい。」

 

 

「冷たいし、冷酷だし、利己的だし...」

 

 

「人間ならばそう珍しくもありません」

 

 

「もう、普通の人間の身体じゃないんだよ」

 

 

「将軍様と一対一(さし)で戦い抜いた時点で、察しておりましたよ」

 

 

「雷電将軍に、殺されるかもしれない...こわい」

 

 

(わたくし)がいます。一度は貴女に助けられましたが、二度目はあの方(ダインスレイヴさん)の助けもあって戦うことが出来ました........三度目はありません。必ず守ります」

 

 

「な、なんで綾華に守られないといけないの。...こんな筈じゃなかったのにっ!私だってずっと『ごめん』って言いたくて....でも人殺しの私が許されるなんてこと、あっちゃいけないから。綾華が少しでも楽になったらいいなって思って...だからここ(鎮守の森)に来たのにっ...!」

 

 

「....」

 

 

「グスッ.....なんで(これ)、止まらないのぉ....ぐ、ウグッ...」

 

 

「色々と、抱え込み過ぎなんです。もっと周りを頼ってください。...特に、ダインスレイヴさんなんか、ずぅっとエレーナさんのことを気にかけておられましたよ?」

 

 

あやかが、ぎゅっと抱きしめてくれた。

やっぱりあたたかくて安心してしまう。

つい頼ってしまいたくなって、抱きしめ返す。包帯の巻かれた腕が痛みを訴えてくるが、そんなことは気にならなかった。

 

情けない。

自分が憎たらしい。

無力な自分がこわい。

 

嫌なことばっかり思い出す...なんで家を飛び出しちゃったんだろうか。

あの時、失踪から帰還した兄の顔の裏にある深淵の悍ましさを感じた私は、あまりの恐怖に震え上がった。

 

それ以降、心の通った言葉を兄さんにかけてあげられた記憶がない。

 

---なんて酷い妹なんだろうか、私は。

弟たちにも、心ここに在らずな対応をしていた気がする。自分の身の安全ばかりに気を取られていた私は、わんぱくに抱きついてくるテウセルにも、朗らかな笑顔を向けてくれるトーニャとも、その他の家族との一切の交流を絶った。

 

...ついこの間、璃月で再開した兄さんにも刃を向けた。

 

「兄さんに、ひどいこと言っちゃたの....」

 

「...お兄さんがいらっしゃるのですね。どんな方なんですか?」

 

「優しくて、強くて、料理も...昔は下手だったけど、今ではトーニャ()に褒められるくらい上手になったって。」

 

「自慢の...良いお兄様なんですね。」

 

うん、自慢の兄だ

 

「じゃあ、仲直りしませんと....ね?」

 

「なか、なおり?」

 

「そうです。(わたくし)だってお兄様とちょっとした意見の衝突くらいはあります。けどそういう時はお互いに非を認めて謝るのが大事なんです。」

 

「そう...かな。もう許してもらえないかもしれないし...」

 

「いいえ、いいえ。きっと許してくれますよ。だって、優しいお兄様なのでしょう?だったら、ちゃんと誠意を持って謝罪をすれば快く許してくださいます。」

 

そうかな...そうかもしれない。

もっと信じてみる方がいいのかもしれない。

 

「...うん、わかった。そこまで言うのなら今度会うことがあったら、ちゃんと話してみる。」

 

「はい。それがよろしいかと。」

 

「そう...だよね。ファデュイの『執行官』だからって会うこと自体避けてたけど、少しくらいは私の方から兄さんに会うのもいいかもしれない...ね。」

 

「ええ、その通りです。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今、なんと?」

 

「え、いやだから....たまには会うのもいいかもって」

 

「その前です。『執行官』と言いましたか?」

 

「そうだけど。...あれ、言ってなかったっけ。私の兄は『公子』だよ。ファデュイ執行官の十一位の...」

 

「...前言撤回させてください。」

 

「え、なんで?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恥ずかしい

 

 

これ以上の恥辱は当分味わうことはないだろうと断言できる。

綾華を然りげ無く息抜きさせようとしたのだが、逆に私が介護されてしまった。

けれど、その恥辱を代償に実りのある成果を得た気分でもある。

 

不幸中の幸いにも、この場にいるのは私と綾華のみだ。

私たちのどちらかが口を滑らせない限りここでの屈辱が白日の下に晒されることはない。

 

そろそろ戻らないと、ダインに怒りを通り越して呆れられてしまうので、綾華を連れて帰路につかなければ。

...さっき綾華が言ってた『ダインも心配していた』って、本当なのだろうか。

何だか信じ難い。

 

「綾華、そろそろ帰らないと....何してるの。」

「エレーナさんのお兄様が『執行官』?それもあの『公子』とは...()()()に向かうハードルが一気に...」

「ねぇちょっと、聞いてるの?」

...コホン。申し訳ありません、少し考え事を。」

 

綾華は何やらブツクサと独り言を呟いていたが、声をかけると慌てて取り繕った。

明らかに様子がおかしいのだが、悪い兆候が見られるようなものでもないので放っておいても問題ないだろう。

 

---ああ、これからダインスレイヴという名の鬼と顔を合わせなければいけないと考えると憂鬱だ。

 

出来ることなら、この森に身を預けて眠ってしまいたい。

少し肌触りは悪いだろうが、それでもこの心地よい静寂は中々に得難いものだ。

どんな大金を叩いたって買えないだろう。

 

そうだ、お金で買えないもので思い出したものがある。

 

「綾華、()()()だけどさ...その、やっぱり戻したいよね。」

 

彼女の、今は亡き長髪のことだ。

 

私が一心浄土から帰還して目を覚ました時には既に、彼女の髪は今のように短くなっていた。

これはこれで似合うので流石は白鷺の姫君であると言った所だが、流石に女性の髪を喪失させたままなのは気が気じゃない。

これは推測だが、誰かに切られたというよりも自分自身で切ったような気がしている。

というか、私の知る神里綾華はきっとそうする。

 

「綾華が髪を切った理由は、結局今まで聞けなかったけど...いずれにせよ私絡みでしょ?」

「いえ、これは私が自分でやったことです。それに、これは必要な処置でした。」

「とは言っても...」

 

これまで綾華には負担をかけてばかりだった。

友人としての立場でなくとも、協力者としての立場から見ても流石に彼女に頼り過ぎている気がする。

女性の命とも言われる髪を断たせ、その上、実際に命の危険を顧みず私を助けてくれた...流石に施しを受けすぎだろう。

 

「もらってばかりじゃアレだし。...ねぇ、ちょっとこっち来て」

「...?はい、いいですが...どうかしましたか?」

「ちょっと髪、触るね」

 

素直に呼びかけに応じて綾華が近寄ってくる。

 

私は彼女の綺麗で短くなった髪に少しだけ触れた。

 

目を閉じて過去の(さざなみ)を呼び起こす。

忌まわしい俗物たる()()()()()()を指の先でこそぎ取り、煎じる。

微かに残った権能で以ってイメージを現実に持ってくるように、私が思う神里綾華を実現させる。

 

 

 

 

「『お願い』」

 

 

 

 

私が呟くと同時、煩わしい風が綾華の髪を撫でた。

それらはゆっくりと、しかし確実に彼女の綺麗な白髪を()()()()姿()()()()()()()()()

 

肩にかかる程度の綾華の髪は、私と出会った頃のようにたなびく程に長い様を取り戻していた。

彼女の髪を束ねるための紐も留め具もないから、伸びた髪の毛はそのまま重力に従って下へと落ちていく。

ストンと綺麗に下がった髪は綾華の腰あたりで落ち着いていた。

 

...どうやら上手くいったらしい。

 

「え...?」

 

当の本人である綾華は、始めこそ何が起こったのか分からなかったようだが、次第に自身の何がどうなったのかを理解していったようだった。

自身の頭部から腰に掛けて何かが増えたと感じたのか、綾華は目を丸くしながら自身の長髪をゆっくりと掬い上げた。

彼女の洗練された髪質ゆえに、手の間を髪の毛が溢れて落ちていく。

 

金魚救いの網でももう少しマシな掛かり方をするだろうな、などと変な感想を抱いた。

 

「これは、ああ!(かもじ)の類ですね。こんなにも毛量のすごい一品を一体どこで」

「戻した」

 

誤魔化さずに言った。

綾華は間抜け面をしていたが、私はそれを無視して言葉を続けた。

 

「はい...?」

「だから、戻した。」

「もどした、そうですか...ええと、これは驚いた方がいいのでしょうか?」

「いいよ別に。ただ髪を戻しただけだから」

 

()()は意地でも使いたくなった。

そもそも私の力じゃないし...これは⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎イが残していった残り香のようなものだ。

考えるだけで気分が悪くなってくる。

 

しかし、この世界の住人にとって彼奴(やつ)の存在はまだあやかれるものらしく、好意的に捉えている者も多い。

 

故に綾華に邪神(やつ)の力を使っても問題ないと判断した。

私がその恩恵に預かるのなら絶対にお断りだが、綾華の幸福の一助になれるのであればやむなしだろう。

 

当の本人は頭を抱えているようだが。

 

「....頭が痛くなってきました。どういうことでしょうか、『戻した』とは...」

「今更だよ...考えても無駄」

「またそれですか。......エレーナさん、(わたくし)の理解が及ばないことをするたびにそのように言いますね」

「実際、口で説明しただけじゃ余計に訳がわからなくなるからね。『考えるな、感じろ。』っやつだよ」

 

事実を口にしたまでだ。

頼るとは言ったが、巻き込むとは言っていない。

頓知を効かせるようで悪いが、ここでこの力を詳細を説明することによるリスクはあまりにも大きい。

 

話したくないのではなく、話せないのだ。

もどかしいが、どうか分かってくれることを願う。

 

「けど、どうして私の髪を...?」

 

どこか納得のいっていない顔をした綾華が、本来の長さにまで戻った髪を後ろに流しながら私に問いかけた。

何故髪を戻したのか、と。

 

そう聞かれると難しい。

別に髪の毛でなくともよかったのは事実だ。

彼女からもらった希望のお返しが出来れば何でもよかった。

 

...何でもよかった、のだが。

ついさっき観た彼女の舞を見て、つい思ってしまったのだ。

 

綺麗だ、と。

 

次は、その髪が美しくたなびく様をも見てみたいと感じたのだ。

 

 

「綾華に似合うと思ったからかな」

 

 

これは紛れもない本心だった。

 

 




さぁ誤字探しのお時間ですよみなさん
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